めぐり来し牡丹の花の咲くときの
盛りに行くは難しきかな 樋田哲夫
ボタンの開花期は短くて盛りに出かけることの難しさを知った。奈良県・石光寺は寒ボタンで名高い寺だが、春のボタンも楽しめる。そこでカメラを持って出かけてみたが4株だけが咲いていた。忙しさもあっていつでも出かける訳には行かないのが余計難しいのだろう。
盛りに行くは難しきかな 樋田哲夫
ボタンの開花期は短くて盛りに出かけることの難しさを知った。奈良県・石光寺は寒ボタンで名高い寺だが、春のボタンも楽しめる。そこでカメラを持って出かけてみたが4株だけが咲いていた。忙しさもあっていつでも出かける訳には行かないのが余計難しいのだろう。
(豆色紙)
けんせいうまず
研精は詳しく研究すること。飽きることなく長い間続けること。すなわち何事も長年地道に努力せよとなる。
4月初旬に京都三千院を訪ねたとき、客殿の部屋に三条実美の筆でこの言葉の額が掲げられていた。カメラを向けて構えると若い女性職員が飛んできて注意された。やむなくメモをした。
けんせいうまず
研精は詳しく研究すること。飽きることなく長い間続けること。すなわち何事も長年地道に努力せよとなる。
4月初旬に京都三千院を訪ねたとき、客殿の部屋に三条実美の筆でこの言葉の額が掲げられていた。カメラを向けて構えると若い女性職員が飛んできて注意された。やむなくメモをした。
牡丹(ぼうたん)の聞こえし寺を訪ねしも
不順のありていくらも咲かず 樋田哲夫
当麻寺の塔頭の一つ西南院は関西花の寺第21番。この寺は弘法大師と関わりが深く、行脚中に一時とどまり「いろは歌」を想念されたという。今年は天候不順があってボタンはいくらも咲かず後4~5日必要だろうが、シャクナゲは楽しむことが出来た。
不順のありていくらも咲かず 樋田哲夫
当麻寺の塔頭の一つ西南院は関西花の寺第21番。この寺は弘法大師と関わりが深く、行脚中に一時とどまり「いろは歌」を想念されたという。今年は天候不順があってボタンはいくらも咲かず後4~5日必要だろうが、シャクナゲは楽しむことが出来た。
宴会のたびに歌ひて覚えゐし
先斗町とはかくも狭きか 樋田哲夫
富士の高嶺に降る雪も
京都先斗町に降る雪も
雪に変わりはないじゃなし
とけて流れりゃ皆おなじ
マヒナ・スターズと松尾和子が昭和39年に歌って大ヒットした「お座敷小唄」は、宴会のたびに歌われたものだが、ハイキングの帰りに初めて先斗町に立ち寄ると意外にも狭い町筋であった。
先斗町とはかくも狭きか 樋田哲夫
富士の高嶺に降る雪も
京都先斗町に降る雪も
雪に変わりはないじゃなし
とけて流れりゃ皆おなじ
マヒナ・スターズと松尾和子が昭和39年に歌って大ヒットした「お座敷小唄」は、宴会のたびに歌われたものだが、ハイキングの帰りに初めて先斗町に立ち寄ると意外にも狭い町筋であった。
(豆色紙)
ばいかせんり
梅の花の香りは強く千里四方に広がるの意と思うが、中国の表現は大きい。現在の里と異なって約6分の1の意としても大きい。
近畿で有名な和歌山・南部梅林のキャッチフレーズは「一目百万本香り十里」とある。これでも大きい表現と思っていたが千里とは桁が違う。
ばいかせんり
梅の花の香りは強く千里四方に広がるの意と思うが、中国の表現は大きい。現在の里と異なって約6分の1の意としても大きい。
近畿で有名な和歌山・南部梅林のキャッチフレーズは「一目百万本香り十里」とある。これでも大きい表現と思っていたが千里とは桁が違う。
八重のみの花のトンネル通り抜け
我が世の無事をかみしめてをり 樋田哲夫
毎年4月中旬の桜の開花時に、造幣局構内旧淀川沿いの全長560mの通路を南門から北門へ一般花見客のために1週間開放される。現在構内の桜は123品種、363本。遅咲きの八重桜で、明治16年に開始された「通り抜け」も今年で124回を数えた。現在では浪速の春を飾る風物詩として人々に愛され、今年の人出は829,000人となった。
我が世の無事をかみしめてをり 樋田哲夫
毎年4月中旬の桜の開花時に、造幣局構内旧淀川沿いの全長560mの通路を南門から北門へ一般花見客のために1週間開放される。現在構内の桜は123品種、363本。遅咲きの八重桜で、明治16年に開始された「通り抜け」も今年で124回を数えた。現在では浪速の春を飾る風物詩として人々に愛され、今年の人出は829,000人となった。
ここにまた極彩色に立ちゐます
地蔵菩薩は元の姿に 樋田哲夫
火災により損傷した地蔵菩薩は真っ黒となり収蔵庫に安置され一般公開されていない。復元された地蔵菩薩は極彩色の大きなもの。建礼門院徳子は平家滅亡の後剃髪(ていはつ)し、真如覚比丘尼として入寺、23年間経を読む世をすごした。
地蔵菩薩は元の姿に 樋田哲夫
火災により損傷した地蔵菩薩は真っ黒となり収蔵庫に安置され一般公開されていない。復元された地蔵菩薩は極彩色の大きなもの。建礼門院徳子は平家滅亡の後剃髪(ていはつ)し、真如覚比丘尼として入寺、23年間経を読む世をすごした。