紀三井寺分からぬ言葉とびかひて
外国人の次々とくる 樋田哲仙
和歌山の桜の名所の一つ紀三井寺は標準木が境内にあり、その木の開花で和歌山は宣言される。24日に宣言されて5日そろそろかと思って出かけたが見頃ではない。花冷えがたたっているのだろう。あと3日後ぐらいか。ところが入山の受付では外国人が行列をなして入っていいく。賑やかだが言葉が分からない。昨年日本を訪れて外国人は1970万にという。和歌山にも押し寄せているだろう。
外国人の次々とくる 樋田哲仙
和歌山の桜の名所の一つ紀三井寺は標準木が境内にあり、その木の開花で和歌山は宣言される。24日に宣言されて5日そろそろかと思って出かけたが見頃ではない。花冷えがたたっているのだろう。あと3日後ぐらいか。ところが入山の受付では外国人が行列をなして入っていいく。賑やかだが言葉が分からない。昨年日本を訪れて外国人は1970万にという。和歌山にも押し寄せているだろう。
本堂と塔の国宝一枚に
シャッターを切る常楽寺かな 樋田哲仙
琵琶湖南部に位置する湖南市に常楽寺がある。5年前に入山ができないと聞いていたので今頃はどうなっているのかと立ち寄ると可能であった。山門すらないが、一歩足を踏み入れると正面に檜皮葺の本堂と三重塔が目に飛び込んできた。いずれも国宝である。1枚の枠に収めてシャッターを切る。平安時代の創建で天台宗の古刹である。
シャッターを切る常楽寺かな 樋田哲仙
琵琶湖南部に位置する湖南市に常楽寺がある。5年前に入山ができないと聞いていたので今頃はどうなっているのかと立ち寄ると可能であった。山門すらないが、一歩足を踏み入れると正面に檜皮葺の本堂と三重塔が目に飛び込んできた。いずれも国宝である。1枚の枠に収めてシャッターを切る。平安時代の創建で天台宗の古刹である。
厄除けの立木観音参らむと
七百段をゆっくり上る 樋田哲仙
大津市の瀬田川右岸に厄除け祈願の立木観音がある。現在は天台宗徒なっている。昔、弘法大師が当地を訪ねると対岸に光る霊木があり、急流でとどまっていると白鹿が現れ瀬に載せて大師を渡らせた。その霊験で寺は創建された古刹である。800段はきつい。
七百段をゆっくり上る 樋田哲仙
大津市の瀬田川右岸に厄除け祈願の立木観音がある。現在は天台宗徒なっている。昔、弘法大師が当地を訪ねると対岸に光る霊木があり、急流でとどまっていると白鹿が現れ瀬に載せて大師を渡らせた。その霊験で寺は創建された古刹である。800段はきつい。
城門の移築と聞きて再びを
訪れたるは子嶋寺かな 樋田哲仙
奈良県・高取町の小さな町の小さな寺が国宝両界曼荼羅を所蔵する。平安時代の一条天皇の病気平癒の功で賜ったという。実物は奈良国立博物館に寄託されていて見られない。山門は高取城の二の門を移築して山門としている。城の門は防禦が主眼で弓鉄砲の狭間があるがこの門には見られない不思議なもんである。
訪れたるは子嶋寺かな 樋田哲仙
奈良県・高取町の小さな町の小さな寺が国宝両界曼荼羅を所蔵する。平安時代の一条天皇の病気平癒の功で賜ったという。実物は奈良国立博物館に寄託されていて見られない。山門は高取城の二の門を移築して山門としている。城の門は防禦が主眼で弓鉄砲の狭間があるがこの門には見られない不思議なもんである。
万葉にあまた詠まれし巨勢山の
つらつら椿今ぞ輝く 樋田哲仙
高取町「町家のひなめぐり」の帰途に御所市巨勢山に立ち寄った。平安時代は大和と紀伊を結ぶ街道となっていた。万葉人が多く往来したのだろう。集落にはツバキの名所となっていて、そ現在でもその面影として寺院跡や広場にツバキが多くみられる。れを歌に詠んだに違いない。
つらつら椿今ぞ輝く 樋田哲仙
高取町「町家のひなめぐり」の帰途に御所市巨勢山に立ち寄った。平安時代は大和と紀伊を結ぶ街道となっていた。万葉人が多く往来したのだろう。集落にはツバキの名所となっていて、そ現在でもその面影として寺院跡や広場にツバキが多くみられる。れを歌に詠んだに違いない。