敦盛と直実ここにまみえるは
武士の定めか一の谷とは 樋田哲仙
参議平経盛の子敦盛は源義経方の武将熊谷直実と一の谷で騎馬にあいいまみえて討たれた。15歳の若年であった。1184年の一の谷の戦いである。鵯越えの奇襲に平氏には油断があったのか。須磨寺を訪ねて、その騎馬戦の様子が再現されている。平家はこれ以降西へ敗走し、遂に壇ノ浦で終焉を迎えることになる。写真の左が敦盛
武士の定めか一の谷とは 樋田哲仙
参議平経盛の子敦盛は源義経方の武将熊谷直実と一の谷で騎馬にあいいまみえて討たれた。15歳の若年であった。1184年の一の谷の戦いである。鵯越えの奇襲に平氏には油断があったのか。須磨寺を訪ねて、その騎馬戦の様子が再現されている。平家はこれ以降西へ敗走し、遂に壇ノ浦で終焉を迎えることになる。写真の左が敦盛
雨雪と霜によけれど寒牡丹
囲へる菰の腰高かりし 樋田哲仙
春に華麗な花を開く春ぼたんは和傘で日覆をするが、一方寒ぼたんは風雪からの守りで藁で囲う。どちらも花へのいたわりと目に映り、風情を醸し出す。だが、絵に見る寒ぼたんは光景があまりにもかけ離れている。ほたんの丈が高すぎて菰にせざるを獲ないのだろう。下方がすけすけで吹きさらしも同然である。画は実景を写しているのではない。画家が都合よく筆を走らせていることになる。
囲へる菰の腰高かりし 樋田哲仙
春に華麗な花を開く春ぼたんは和傘で日覆をするが、一方寒ぼたんは風雪からの守りで藁で囲う。どちらも花へのいたわりと目に映り、風情を醸し出す。だが、絵に見る寒ぼたんは光景があまりにもかけ離れている。ほたんの丈が高すぎて菰にせざるを獲ないのだろう。下方がすけすけで吹きさらしも同然である。画は実景を写しているのではない。画家が都合よく筆を走らせていることになる。
萩が花散るらむ小野の露霜に
ぬれてをゆかむさ夜はふくとも 詠み人知らず
野原では萩の花が散り、露も冷たいことだろうが、それに濡れながら私は野を分けてゆこう。彼女の家に着くころは、たとえ深夜になっていようとも。
ぬれてをゆかむさ夜はふくとも 詠み人知らず
野原では萩の花が散り、露も冷たいことだろうが、それに濡れながら私は野を分けてゆこう。彼女の家に着くころは、たとえ深夜になっていようとも。
寒牡丹盛りの過ぎて染寺は
文人たちの句歌碑をめぐる 樋田哲仙
石光寺は別名染寺とあるが、前者の寺名が圧倒的に高い。天智天皇の御世からの創建で古刹であり、文人たちの訪問を多数憂げている。句歌碑は与謝野鉄幹、晶子夫妻、阿波野青畝、釈迢空、皆吉爽雨、桂信子外多く見られ、境内は決して広大ではないのにたいしたものである。背後に歴史ロマンの二上山を控えている。写真の歌碑は晶子の「初春や当麻の寺へ文かけば奈良の都に住むここちする」
文人たちの句歌碑をめぐる 樋田哲仙
石光寺は別名染寺とあるが、前者の寺名が圧倒的に高い。天智天皇の御世からの創建で古刹であり、文人たちの訪問を多数憂げている。句歌碑は与謝野鉄幹、晶子夫妻、阿波野青畝、釈迢空、皆吉爽雨、桂信子外多く見られ、境内は決して広大ではないのにたいしたものである。背後に歴史ロマンの二上山を控えている。写真の歌碑は晶子の「初春や当麻の寺へ文かけば奈良の都に住むここちする」
ニュース見て今年も寺を訪ねども
牡丹の盛り見ること難し 樋田哲仙
奈良葛城市にある石光寺は寒ぼたんで名高い。花の名のおある寒ぼたんから寒中の花とばかり思っていたが、今年の盛りは11月下旬だったそうだ。入山する前に受付での説明である。今年も外したことは間違いない。少しはまだ観賞できるとのことで中へ入ったのだが。どの花にしてもタイミングの難しく、3日に上げず訪ねばならない。
牡丹の盛り見ること難し 樋田哲仙
奈良葛城市にある石光寺は寒ぼたんで名高い。花の名のおある寒ぼたんから寒中の花とばかり思っていたが、今年の盛りは11月下旬だったそうだ。入山する前に受付での説明である。今年も外したことは間違いない。少しはまだ観賞できるとのことで中へ入ったのだが。どの花にしてもタイミングの難しく、3日に上げず訪ねばならない。
須磨の地は高貴の人ら風光に
心をば寄す古歌のあまたに 樋田哲仙
山陽電鉄須磨駅近くの食堂の従業員に関守稲荷神社を尋ねても分からない。これでは目的の神社はたいしたことはないと予想はつく。が、直ぐに見つかった。こじんまりとした朱塗りの稲荷さんである。須磨は貴人が多数訪れて古歌を残している。藤原行平、家孝、孝信、俊成、寂蓮法師などの名が記されている。百人一首第78番「淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚め須磨の関守」源兼昌の歌碑も建っていた。本日でブログ2400回。
心をば寄す古歌のあまたに 樋田哲仙
山陽電鉄須磨駅近くの食堂の従業員に関守稲荷神社を尋ねても分からない。これでは目的の神社はたいしたことはないと予想はつく。が、直ぐに見つかった。こじんまりとした朱塗りの稲荷さんである。須磨は貴人が多数訪れて古歌を残している。藤原行平、家孝、孝信、俊成、寂蓮法師などの名が記されている。百人一首第78番「淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚め須磨の関守」源兼昌の歌碑も建っていた。本日でブログ2400回。