哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

台風もなく(水墨画)

2010-11-30 06:35:29 | 水墨画
風もなく秋の野菜の無事とれて
早も今年の冬迎へたり      樋田哲仙

 10月31日のブログにも台風の記事を掲載した。10月下旬の台風14号は一時本州をうかがう気配を見せていたが、和歌山沖を東進して被害はゼロ。今年も風による被害はなかった。小さな家庭菜園でも秋が終わろうとしている。ミズナ、ダイコン、カブラ、ホウレンソウ外が食卓を飾る。無農薬栽培で安全安心な秋野菜を楽しんでいる。  にほんブログ村 美術ブログへ

古今集第九十四番三輪山を(書)

2010-11-29 06:42:53 | 
三輪山をしかも隠すか春がすみ
人に知られぬ花や咲くらむ       紀貫之

 ご神体とする三輪山を春霞がすっぽり隠している。その霞の奥には、誰も知らない桜の花が咲いているだろう。  大神神社のご神体となる三輪山は桜井市にあり、一度登ったことがある。頂上からは平城京や大和三山が一望できる。

御所の御内庭(写真)

2010-11-28 07:06:44 | 写真
遣り水に苔むす岩のさえざえと
侘びに浸るは御所の内庭       樋田哲仙

 御所の中に御内庭(ごないてい)と呼ばれる日本庭園がある。曲折した遣り水を流して岩や石の橋を架け、趣向を凝らした造りに苔むし、庭園美の極致となっている。一般公開で多数の入場者が溢れている中、前面に立つと騒音が一瞬消えて静寂の世界にいるように錯覚す。殿上人や女房が普段目に触れていたかと思うとこちらまで雅なときを過ごせる。

風の動き(水墨画)

2010-11-27 06:20:19 | 水墨画
目に見えぬ風の動きを捉へゐる
川上よりの霧の流れて         樋田哲仙

 平安時代には春立つものを霞、秋立つものを霧と呼んで区分けしている。気象観測では水平視程1キロ以上を霞とし、1キロ以内を霧と呼んでいる。だから霧は怖い。濃霧となると船舶の海難事故、列車事故、道路交通による事故など時に発生する。だが、自然の中での視覚で文芸として表現する霞や霧は美しい情景を連想させてくれる。  にほんブログ村 美術ブログへ

京都御所紫宸殿(写真)

2010-11-25 05:17:20 | 写真
春と秋公開される御所に来て
源氏の世界はるかのよぎる        樋田哲仙

 春と秋の年2回一般公開される京都御所は平安時代のよすがをしのぶのに最適の建造物である。宜秋門から順路に進み、承明門を大回りして紫宸殿へ出る。即位などの大礼を行い、殿の中央北よりに玉座がある。北は廊下を通じて清涼殿に繋がる。前庭には左近の桜、右近の橘が植えれている。今年の秋の公開は11月17日~21日までであった。

木枯らしの吹く頃(水墨画)

2010-11-24 05:32:46 | 水墨画
カサカサと歩みのリズム刻みゐる
枯葉散り敷く林の小道       樋田哲仙

 木枯らしの吹くたびに林が明るさを増してくる。1本の林の小道に枯葉が敷き詰められて歩くと快い音が響く。クヌギの大きな枯葉は硬くて踏むたびに強い音を立てる。紅葉ではそうはならない。この季節だけの音の贈り物だ。自然が吾に与えてくれた音楽である。今年も無事に生きてこの音を楽しめるとは日常の中の小さな幸せである。  にほんブログ村 美術ブログへ
  

古今集第九十二番花の木も(書)

2010-11-23 06:40:21 | 
花の木も今は堀り植ゑじ春たてば
移ろふ色に人ならひけり      素性法師

 花の咲く木だからといって、掘って来ては植えまい。春になればその木は咲くだろうが、すぐに色あせてしまう。それを見た人間は真似るかのように、すぐに気力を衰えさせてしまうだろうから。

金剛地の紅葉2(写真)

2010-11-22 06:28:16 | 写真
小春日に人影のまだ少なくて
寺の紅葉今日は美し     樋田哲仙

 訪ねた日の金剛寺は小春日和であったが、朝がはやく人影はまばらだった。門前の紅葉が日差しに照り映えて、透かし見ると朱色が鮮やかで、まさに錦秋の美しさ。今年は夏の猛暑と11月の適度の雨量が程よく、2002年以来8年ぶりの当たり年とか。各地の紅葉の名所も同様に色鮮やかな紅葉が楽しめているようだ。

難渋の峠(水墨画)

2010-11-21 05:05:15 | 水墨画
今でこそ苦とも思はず三坂なる
峠をかっていかに越えけむ       樋田哲仙

 平成12年一人で四国の歩き遍路の経験をした。もう10年が過ぎた。月日の経つのはあまりにも早い。久万町の第45番岩屋寺から松山の第46番瑠璃光寺へ向かう途中に大きな三坂峠を越える。 久万町側は国道33号線を歩き、ドライブイン横手から旧道の長い坂を昔の人たち面影をしのび下った。歩き遍路の峠越えは昔の人に較べれば国道があって半分だけだがそれでも大変であった。  にほんブログ村 美術ブログへ

金剛寺の紅葉(写真)

2010-11-19 05:20:16 | 写真
紅葉の見頃となりしこの寺の
眺めはこことシャッターを切る       樋田哲仙

 文化の日に菊花展を覗いたあと、足を伸ばして河内長野市・金剛寺を訪ねた。紅葉には少し早すぎて、2週間後、改めて訪ねると、見ごろを迎えて最高となっていた。本堂が10年がかりの大修理で足場が組まれて写真にならないので入山料まで払って境内へは入らなかった。自然と塀越しの眺めになるのだが、絶景はあるものだ。思わず、この場所に限るとカメラを向けた。

山里は黄葉(水墨画)

2010-11-18 05:51:17 | 水墨画
わき道は紅葉ならぬ黄葉に
移ろひてをり霜月半ば       樋田哲仙

 所用があって名古屋へ出向いた。名阪国道から見えるわき道はすっかり黄葉となり、銀杏と違って真黄ではないが、山は茶褐色交じりの黄葉に変化していた。平地で朝の最低気温が10度以下になると、山間部では更に下がる。北国からは初霜の便りが届く。国道沿いは雑木ばかりで目の覚める黄葉ではないが、確実に冬間近を感じさせる。にほんブログ村 美術ブログへ
  

古今集第九十番故里と(書)

2010-11-17 06:53:04 | 
故里となりにしならの都にも
色はかはらず花は咲きけり        平城(へいぜい)天皇

 すでに廃都となって荒涼たる平城京のなかで、木立にも昔の面影がなくなってしまったけれど、色は変らず花は昔のままに咲いている。第51代平城天皇は後の嵯峨天皇との不和で平安京から平城京へ戻ったときの変わり果てた中で花だけは変らずに咲いているの見て詠む。

国華園全日本菊花展単鉢の部(写真)

2010-11-16 07:06:38 | 写真
単鉢に競技のあるを知らずして
常に帰りし菊花展かな         樋田哲夫

 毎年楽しみにして出かけている国華園の菊花展に単鉢の競技があることを知らなかった。段々畑に温室の棟が並んで最上地にある温室が単鉢の会場とは気付かなかった。最初訪ねたとき雑然とした物入れになっていたので、それ以来無視して覗かなかったが、今年人の動きに気づいて知った。毎年見ずに帰っていたことになる。