春ごとにながるる川を花と見て
折られぬ水に袖やぬれなむ 伊勢
春が来るたびに流れに映る梅の花を折ろうとしても、折れぬものではない。ただ、袖だけが水に濡れるだけでしょう。流れる水とは宇多天皇の京極院の泉水をいう。
折られぬ水に袖やぬれなむ 伊勢
春が来るたびに流れに映る梅の花を折ろうとしても、折れぬものではない。ただ、袖だけが水に濡れるだけでしょう。流れる水とは宇多天皇の京極院の泉水をいう。
十日前蕾の多き紫陽花の
植物園も今は咲くらむ 樋田哲仙
10日前に神戸市立森林植物園を訪ねた。山に開けた広大な園は一度訪ねただけでは全体像を掴みかねる。25種、5万株は見応えがあるが、今年のアジサイは少しおくれているとの管理人の話。コアジサイ、ヤマアジサイ、アナベルなどどれもつぼみが目立ったが、あれから10日、今ではきれいな花を咲かせて多くの人を迎えているだろう。
植物園も今は咲くらむ 樋田哲仙
10日前に神戸市立森林植物園を訪ねた。山に開けた広大な園は一度訪ねただけでは全体像を掴みかねる。25種、5万株は見応えがあるが、今年のアジサイは少しおくれているとの管理人の話。コアジサイ、ヤマアジサイ、アナベルなどどれもつぼみが目立ったが、あれから10日、今ではきれいな花を咲かせて多くの人を迎えているだろう。
ひとはいさ心もしらずふるさとは
花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之
この宿の主はどういう心で暮らしているのか分からないが、昔なじみの梅の花は変らぬ香りで迎えてくれる。この歌は貫之の代表作で百人一首第三十五番に収めれている。古今集の撰者でもある。
花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之
この宿の主はどういう心で暮らしているのか分からないが、昔なじみの梅の花は変らぬ香りで迎えてくれる。この歌は貫之の代表作で百人一首第三十五番に収めれている。古今集の撰者でもある。
魅かるるは菖蒲のごとく艶やかに
立ち居振るまふ女をいふべし 樋田哲仙
ハナショウブの花の色は女性に相応しい赤やピンク系はなく、紫、白、黄と少し偏りはあるが、水に影を落として直立する姿がいい。背筋を伸ばした細身の女性にたとえてもよい。葉も樹木とは違い、しなやかに上に伸びて緩やかな曲線を描く。子供のころからハナショウブの群生を見かけると心が和んだ。19日尼崎市にある農業公園に出かけて今年も満足できた。
立ち居振るまふ女をいふべし 樋田哲仙
ハナショウブの花の色は女性に相応しい赤やピンク系はなく、紫、白、黄と少し偏りはあるが、水に影を落として直立する姿がいい。背筋を伸ばした細身の女性にたとえてもよい。葉も樹木とは違い、しなやかに上に伸びて緩やかな曲線を描く。子供のころからハナショウブの群生を見かけると心が和んだ。19日尼崎市にある農業公園に出かけて今年も満足できた。
春の夜の闇はあやなし梅の花
色こそ見えね香やはかくるる 凡河内躬恒
春の夜というものは、たとえ暗闇であっても役目を果たさないことがある。梅の花は隠せるが,香りだけは目に見えなくても場所を教えてしまう。「あやなし」は甲斐がない、意味がないこと。
色こそ見えね香やはかくるる 凡河内躬恒
春の夜というものは、たとえ暗闇であっても役目を果たさないことがある。梅の花は隠せるが,香りだけは目に見えなくても場所を教えてしまう。「あやなし」は甲斐がない、意味がないこと。
流し見てすぐに帰るを惜しみつつ
再びめぐる紫陽花の園 樋田哲仙
岸和田市にある府営蜻蛉池公園は予想以上に大きく多品種で見応えがある。丘陵地を同品種の花が埋め尽くすと圧巻となる。散策コースも多く、念をいれて回れば時間が必要となるが、最初は一通り軽く見て、すぐに帰るはなんだか惜しく再度めぐった。近場にこれほどアジサイを楽しめる場所があるとは知らなかった。遠くまで出かける必要はない。
再びめぐる紫陽花の園 樋田哲仙
岸和田市にある府営蜻蛉池公園は予想以上に大きく多品種で見応えがある。丘陵地を同品種の花が埋め尽くすと圧巻となる。散策コースも多く、念をいれて回れば時間が必要となるが、最初は一通り軽く見て、すぐに帰るはなんだか惜しく再度めぐった。近場にこれほどアジサイを楽しめる場所があるとは知らなかった。遠くまで出かける必要はない。
月夜にはそれとも見えず梅の花
香をたづねてぞしるべかりける 凡河内躬恒
月夜には梅の花は白く光り、月の光も白いので、見分けにくい。そんなときには香りを目当てに探さねばならないものだ。題詞に人から月夜に梅の一枝を求められて詠んだ歌とある。
香をたづねてぞしるべかりける 凡河内躬恒
月夜には梅の花は白く光り、月の光も白いので、見分けにくい。そんなときには香りを目当てに探さねばならないものだ。題詞に人から月夜に梅の一枝を求められて詠んだ歌とある。
記事を見てすぐ翌日に出かけ来し
梅雨奪ひたる紫陽花の園 樋田哲仙
月2回折り込みされるミニコミ誌で見かけたアシサイ記事に、翌日岸和田市山手にある府営蜻蛉池公園のアシサイ園に出かけた。丘陵地に平成17年7月オープン、1万6千平方㍍、40種、1万3千本の広大さ。比較的新しいが、丈も伸びて十分風情がある。ちょうど盛りを迎え、まだ、蕾も多く見られることからある期間楽しめそうだ。身近な場所にあることを知り、毎年観賞できる楽しみが増えた。
梅雨奪ひたる紫陽花の園 樋田哲仙
月2回折り込みされるミニコミ誌で見かけたアシサイ記事に、翌日岸和田市山手にある府営蜻蛉池公園のアシサイ園に出かけた。丘陵地に平成17年7月オープン、1万6千平方㍍、40種、1万3千本の広大さ。比較的新しいが、丈も伸びて十分風情がある。ちょうど盛りを迎え、まだ、蕾も多く見られることからある期間楽しめそうだ。身近な場所にあることを知り、毎年観賞できる楽しみが増えた。
梅の花にほふ春べはくらふ山
闇にこゆれどしるくぞありける 紀貫之
梅の花が美しく咲き誇る春にはくらふ山は暗い夜道を越えても、ふくいくとした香りでどこに咲いているのか、すぐ分かってしまう。くらふ山とかなで書いているのは暗い山を連想させるためで鞍馬山とも貴布禰山ともいわれ、京都市北部にある。牛若丸の修行した鞍馬寺辺りであろう。
闇にこゆれどしるくぞありける 紀貫之
梅の花が美しく咲き誇る春にはくらふ山は暗い夜道を越えても、ふくいくとした香りでどこに咲いているのか、すぐ分かってしまう。くらふ山とかなで書いているのは暗い山を連想させるためで鞍馬山とも貴布禰山ともいわれ、京都市北部にある。牛若丸の修行した鞍馬寺辺りであろう。
紫陽花は生気戻すと思ひきや
雨を含みて頭を垂れり 樋田哲仙
地域では名のあるアジサイの寺長慶寺には今年だけでもなんども出かけている。日照りが続くとどことなく花に葉に精彩が失せて写真にはならない。アジサイは多量の水を欲しがり、梅雨の雨に似合うか花木である。ようやく雨で翌日覗くと雨が花の中に入り重みで頭を傾けている。写真になるアジサイは難しいものだが、ガクアジサイは雨を含むところがないので大丈夫である。
雨を含みて頭を垂れり 樋田哲仙
地域では名のあるアジサイの寺長慶寺には今年だけでもなんども出かけている。日照りが続くとどことなく花に葉に精彩が失せて写真にはならない。アジサイは多量の水を欲しがり、梅雨の雨に似合うか花木である。ようやく雨で翌日覗くと雨が花の中に入り重みで頭を傾けている。写真になるアジサイは難しいものだが、ガクアジサイは雨を含むところがないので大丈夫である。