哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

何もかも 実(書)

2008-06-30 06:06:42 | 
何もかも映りて加賀の田植かな        飴山 実

 実は昭和の人で平成12年に没。一面水の張られた鏡のような田に周辺の景色が鮮明に映っていたのであろう。風があれば小波が立って映らない。現代の田植え機での農作業ではなく、1本1本早苗を植える手作業で根がいり数日かかる。植えると早苗田に代わりに景色は映らない。米どころ百万石の加賀の地名が効果的に働いている。

朱に映える那智大社(写真)

2008-06-29 06:50:26 | 写真
不思議なる言葉のありて三山は
山のみにあらず寺にも神にも        樋田哲夫

 三山は表現から三つの山を連想するのが自然である。大和三山(耳成山、香久山、畝傍山)とか出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)が有名で山を意味している。が、琵琶湖東部にある湖東三山(金剛輪寺、西明寺、百済寺)は寺であり、熊野三山(本宮大社、那智大社、速玉大社)は神社である。山にも寺にも神にもなる。

雨を好むサトイモ(水墨画)

2008-06-28 06:14:19 | 水墨画
これほどに雨を好みて育ちたる
芋の煮付けはわが口にあふ         樋田哲夫

 農作物の中でサトイモほど雨を好むものは少ない。日照りが続くと大きな葉が焼けて地下の芋の成長に影響が出てしまう。反対に雨量の多い長雨の梅雨明けとなると豊作になる。収穫の陰暦8月15日はころ煮を月に供えることから芋名月の異称がある。田舎では団子代わりに供える風習があった。 にほんブログ村 美術ブログへ

驟雨来ぬ 誓子(書)

2008-06-27 07:14:43 | 
驟雨来ぬ蝉は両眼濡らし啼く       山口誓子

 驟雨(しゅうう)とは急に降りだして間もなくやんでしまう雨のことで、激しさを伴うものである。時雨のぱらぱらと短く降る雨とも違う。驟雨の間も蝉は鳴いたのであろう。人は雨を避けて家の中へ入るのだが、作者は外に出ていて観察したのだろうか。また、両眼を濡らすというのも不思議である。隻眼だけ濡らすことなんかありえない。

那智は現世の浄土(写真)

2008-06-26 06:26:34 | 写真
補陀落や飛瀑のかすか聞こえくる
寺は俯瞰の浄土の世界        樋田哲夫

 大門坂を登りきると、みやげ物店の並ぶ道路へ出る。さらに300段ほど登ると西国三十三札所の青岸渡寺へたどり着く。本堂脇の空き地は那智全景を俯瞰(ふかん)する浄土の世界が広がる。特に、華麗な三重塔と遠方に一条の白い滝が山腹から落ちる光景は圧巻である。神の住む信仰の地に身を置く喜びを味わう一瞬でもある。

かごにビワ(墨彩画)

2008-06-25 06:43:58 | 墨彩画
はにかみに空の高きを固まりて
梅雨の晴れ間の黄なる枇杷の実        樋田哲夫

 梅雨のこの時期、好天に得ぐまれると木に照り輝くビワの実が目立つ。冬には目立たない花が実となると鮮やかな黄色になる。10数個ぎっしりと固まっていて、なにかに恐れをなしたり、恥らっていたり、押しくらまんじゅうをしたりしているかのように見える。ばきばきするほど硬く強くて長い葉とは対照的である。 にほんブログ村 美術ブログへ

三界や 谷子(書)

2008-06-24 06:53:52 | 
三界や梅雨の襖のふくらめり     寺井谷子

 三界とは仏教語で俗界、色界、無色界の三世界をいう。またことわざに「女は三界に家なし」がある。女はどの世界にも家を持たないの意で、子のときは生家の父に、嫁いでは夫に、老いては子に従えという封建時代の女の姿である。梅雨時は多湿で障子や襖(ふすま)は少し膨らみ、張りが消えている。現在障子の暮らしはすっかり消えてしまった。

那智の滝(写真)

2008-06-23 06:55:02 | 写真
み熊野の神の猛びに近寄りて
仰げば滝の霊気を浴ぶる       樋田哲夫

 那智は1年振りである。大滝は鳥居の無料のところから仰ぐだけであったが、今回はさらに奥のお滝拝所へ進んだ。赤い欄干のついた滝見所が段違いに2つあり、そこからの滝は迫力がある。高さ133㍍、落ち口の幅13㍍、滝つぼの水深10㍍、ごう音と霧が加わり昔から自然の神と仰ぐのもうなづける。

あじさい三花(墨彩画)

2008-06-22 07:18:01 | 墨彩画
テレビ見て撮りに行きたし芦刈は
あぢさゐ祭りあるのを知れば         樋田哲夫

 あじさいはこの時期どこにでも咲き見慣れた花だが、先日テレビのニュースに「もりやま芦刈公園あじさい園」(守山市)を映した。初耳である。日本あじさい50種、5000本、西洋あじさい50種、5000本、19ha。この土日にあじさい祭りが開かれることを紹介した。種類も広さも抜群である。にほんブログ村 美術ブログへ 

花菖蒲 素十 (書)

2008-06-21 06:39:49 | 
花菖蒲ゆれかはし風去りけり        高野素十

 美しいハナショウブを見ながらハナショウブを詠んでいるのではない。ゆれるハナショウブを見て、見えない風の動きを詠んでいる句で不思議な句である。このブログ4月26日に掲載した鯉のぼりの短歌「吸ひ込みて時折鯉は青空の高きを泳ぐ今日の風かな」に似ているとこがある。こちらは大雑把に風を詠んでいるが、句は風を精細に詠んでいる。

神へ近づく大門坂(写真)

2008-06-20 07:45:12 | 写真
み熊野の神への坂を黙々と
午後の遅きに一団は行く        樋田哲夫

 老杉を縫いながら熊野古道の最後にあるのが大門坂である。平安時代の昔より貴人から庶民にいたるまで利用した歴史のある参詣道は最近世界遺産に登録されて重い名を冠した。その古道を白衣を着た一団が行をするかのように黙々と登ってきた。神へ近づく最後の坂道は神々しいものである。

南海の古木竹石図を模して(水墨画)

2008-06-19 06:10:36 | 水墨画
惹かれたる南海の絵のポスターを
貰ひて描きぬ古木竹石図        樋田哲夫

 和歌山県立博物館の春季特別陳列のポスターを「四季の郷」の公園で見かけた。陳列の会期は10日ほど前で終了していたが、まだ、ポスターは掲示していたので許可をえて貰いうけ、早速描いた。祇園南海の「古木竹石図」が目的である。南海は江戸中期の紀州藩医の子として生まれ、儒学者、漢詩人、文人画家として知られている。 にほんブログ村 美術ブログへ

門口を 風生(書)

2008-06-18 05:24:54 | 
門口を山水走る菖蒲かな       富安風生

 端午の節句のしょうぶ湯に使用するショウブはハショウブで丈が高く幅も狭いために細く感じる。子供のころ湯上りに鉢巻をして寝るまでの間楽しんだものだ。この句は菖蒲(しょうぶ)とあるが、ハナショウブのことであり、山ろくの田舎の風景で、溝を水が走り、家の入り口に咲いた光景が浮かんでくる。端午の節句は5月、ハナショウブは6月となる。

熊野古道は雅に行くべし(写真)

2008-06-17 05:52:22 | 写真
しづしづと大門坂をいにしへの
衣装纏ひて二人の女人       樋田哲夫

 京都を発して熊野街道は田辺あたりから鋭角に山へ向かう。重畳とした山を縫う熊野詣は平安末期の後白河法皇が34回、後鳥羽上皇が28回と抜きん出て愛した。最後の6町が自然石の階段の大門坂である。岡山市から来た美しい若い二人の女性が雅にも古代の衣装で坂を登る。思わず許可を得て数枚の写真を撮る。

踏み入ればダム(水墨画)

2008-06-16 06:28:03 | 水墨画
一本の谷に沿ふ道ひた走る
そのまた奥に大きダムあり         樋田哲夫
 
 ダムは発電、利水、治水など目的により大小さまざまがある。谷の河川、渓谷をせき止める大型のものから、利水、治水を目的とする比較的小型のものまで色々とある。発電用のダムは山と山との谷を止めるため川上に大きな人造湖が生じる。那智へ向かう和歌山の国道424号線を走ると椿山ダムがある。 にほんブログ村 美術ブログへ