契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波こさじとは 清原元輔
思いを交わしたときは、お互い涙を流し合って袖を絞った。世の中がどんなになろうとも変ることはない。どんな波が来ても越えることはない末の松山のように無事でありたい。それなのに心が変ってしまわれた。固く約束したあの契りは一体なんであったろうか。末の松山は奥州の海辺の高い山で波がおし寄せても不変。三十六歌仙の一人。
末の松山波こさじとは 清原元輔
思いを交わしたときは、お互い涙を流し合って袖を絞った。世の中がどんなになろうとも変ることはない。どんな波が来ても越えることはない末の松山のように無事でありたい。それなのに心が変ってしまわれた。固く約束したあの契りは一体なんであったろうか。末の松山は奥州の海辺の高い山で波がおし寄せても不変。三十六歌仙の一人。
ささやかな願ひといへど念入れぬ
千体仏の蓮華王院 樋田哲仙
堂内には10段の階段状に、整然と等身大の千手観音立像が黄金に輝く。千体の各像の頭には10の顔を持ち、124体は平安期に残りは鎌倉期の16年間で造仏。慶派、院派、円派の仏師の集団が国家的規模で制作。千体仏の中央には丈六の中尊と呼ばれる千手観音坐像や、外に風神雷神像、二十八部衆が安置されている。
千体仏の蓮華王院 樋田哲仙
堂内には10段の階段状に、整然と等身大の千手観音立像が黄金に輝く。千体の各像の頭には10の顔を持ち、124体は平安期に残りは鎌倉期の16年間で造仏。慶派、院派、円派の仏師の集団が国家的規模で制作。千体仏の中央には丈六の中尊と呼ばれる千手観音坐像や、外に風神雷神像、二十八部衆が安置されている。
恋すてふわが名はまだき立ちにけり
人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見
恋をしている浮き名が早くも世間に知れわたってしまった。私は人に知れないように、こっそりとあの人を思っていたのだが。この歌は先の第四十番兼盛の歌に似て恋を取り上げている。忠見は歌合せのとき、兼盛に敗れて思いつめたという。
人知れずこそ思ひそめしか 壬生忠見
恋をしている浮き名が早くも世間に知れわたってしまった。私は人に知れないように、こっそりとあの人を思っていたのだが。この歌は先の第四十番兼盛の歌に似て恋を取り上げている。忠見は歌合せのとき、兼盛に敗れて思いつめたという。
遠し矢は弓をたしなみ技競ふ
新成人のりりしき姿 樋田哲仙
京都三十三間堂西側の射場(しゃじょう)は通し矢で知られる新春の風物詩となっている。起源は定かではないが洛中洛外図に見られ、室町時代には行われていたことになる。現在は1月15日に一番近い日曜に弓道をたしなむ新成人の女性たちが振袖はかま姿で約60メートルの遠的を狙って行われる。
新成人のりりしき姿 樋田哲仙
京都三十三間堂西側の射場(しゃじょう)は通し矢で知られる新春の風物詩となっている。起源は定かではないが洛中洛外図に見られ、室町時代には行われていたことになる。現在は1月15日に一番近い日曜に弓道をたしなむ新成人の女性たちが振袖はかま姿で約60メートルの遠的を狙って行われる。
しのぶれど色に出でにけりわが恋は
物や思ふと人の問ふまで 平兼盛
誰にも知られまいと恋の相手を包み忍んでいても、物思う心は、つい顔に出てしまうものだ。近頃あなたは何か物思いをしているのではないですかと尋ねられる。懸命に隠すのだが、隠せるものではない。顔色に出ているとは、これではばれてしまうのも無理はない。兼盛は赤染衛門の父。
物や思ふと人の問ふまで 平兼盛
誰にも知られまいと恋の相手を包み忍んでいても、物思う心は、つい顔に出てしまうものだ。近頃あなたは何か物思いをしているのではないですかと尋ねられる。懸命に隠すのだが、隠せるものではない。顔色に出ているとは、これではばれてしまうのも無理はない。兼盛は赤染衛門の父。
保津川の上の駅をも観光の
アナウンスするとろっこ列車 樋田哲仙
嵯峨野から保津川の渓谷沿いに亀岡まで走るとろっこ列車はレトロな乗り物で、7・3㌔を25分で走る。なんども乗車しているが、訪ねた8月3日は増水のため川くだりの和船は中止されて見かけなった。列車は鉄橋上で停車して客へのサービスや移り変わる風景のアナウンスをする。写真は橋上のJR保津峡駅。
アナウンスするとろっこ列車 樋田哲仙
嵯峨野から保津川の渓谷沿いに亀岡まで走るとろっこ列車はレトロな乗り物で、7・3㌔を25分で走る。なんども乗車しているが、訪ねた8月3日は増水のため川くだりの和船は中止されて見かけなった。列車は鉄橋上で停車して客へのサービスや移り変わる風景のアナウンスをする。写真は橋上のJR保津峡駅。
浅茅生の小野の篠原しのぶれど
あまりてなどか人の恋しき 参議等
このように耐え忍んでいるけども、思いかね、しのびかねて、かぎりなく、なぜか分からないが人が恋しくてならぬ。浅茅生はつばなの生えている原、小野は小さい野原、篠原は細くて群がり生える小さい竹の原のこと。歌の中でさほど重要な意味を持たない。
あまりてなどか人の恋しき 参議等
このように耐え忍んでいるけども、思いかね、しのびかねて、かぎりなく、なぜか分からないが人が恋しくてならぬ。浅茅生はつばなの生えている原、小野は小さい野原、篠原は細くて群がり生える小さい竹の原のこと。歌の中でさほど重要な意味を持たない。
店先の床机に掛けて日盛りを
憩ひてをれば振り売りの声 樋田哲仙
映画村には再現された店屋が5軒ほど固まってある。昔懐かしい小物が多数並べられて江戸情緒を醸し出している。江戸市中は商法の一つ振り売りがある。主に荷物を天秤棒で担いで、道々大きな声を出して売り歩いた。金魚、あめ細工、小物、日用雑貨に至るまで担げるものはなんでも売り歩いたらしい。
憩ひてをれば振り売りの声 樋田哲仙
映画村には再現された店屋が5軒ほど固まってある。昔懐かしい小物が多数並べられて江戸情緒を醸し出している。江戸市中は商法の一つ振り売りがある。主に荷物を天秤棒で担いで、道々大きな声を出して売り歩いた。金魚、あめ細工、小物、日用雑貨に至るまで担げるものはなんでも売り歩いたらしい。
わすらるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな 右近
あなたに忘れられた私のこの身はどんなことになろうとも一向に構いませんが、君のことは決して忘れませんよと神に誓ったあなたの身に、もしも、神罰が当たることのほうが私は心配でなりません。右近の愛の一念は相手に裏切られても恨みを持たず、それどころか気遣う出来た女という外ない。
人の命の惜しくもあるかな 右近
あなたに忘れられた私のこの身はどんなことになろうとも一向に構いませんが、君のことは決して忘れませんよと神に誓ったあなたの身に、もしも、神罰が当たることのほうが私は心配でなりません。右近の愛の一念は相手に裏切られても恨みを持たず、それどころか気遣う出来た女という外ない。
女らが世間話にかしましく
井戸の周りの長屋のひと時 樋田哲仙
映画村はどこを歩いてもタイムスリップして江戸の町へ逆戻りできる。時代劇でおなじみの長屋の共同井戸。路地から口うるさい女たちが現れて洗物する光景が浮かんでくる。取り仕切るやり手婆がみんなに情報をばら撒く。井戸端会議はサロンを兼ねた社交場でもあったのだろう。
井戸の周りの長屋のひと時 樋田哲仙
映画村はどこを歩いてもタイムスリップして江戸の町へ逆戻りできる。時代劇でおなじみの長屋の共同井戸。路地から口うるさい女たちが現れて洗物する光景が浮かんでくる。取り仕切るやり手婆がみんなに情報をばら撒く。井戸端会議はサロンを兼ねた社交場でもあったのだろう。