哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

春のイベント(写真)

2007-04-30 05:48:13 | 写真
鮮やかな春は広場のイベントに
集ひて人らひと日を憩ふ        樋田哲夫

 泉南市の「第9回ABCまつり」が、昭和の日のきのう大阪府南部広域防災拠点広場で開かれた。快晴の連休前半とあって、広場は大勢の人らが詰め掛けた。いく張りものテントには販売コーナーも設けられ、なかでも弁当売り場は長い列が出来た。また、吹奏楽、ペルーの民族舞踊、南京玉すだれ、大正琴、紙芝居などが開かれ会場を盛り上げた。

清楚(せいそ)なミズバショウ(水墨画)

2007-04-29 06:55:10 | 水墨画
五箇山の旅にしありて里人に
聞く水芭蕉今盛りなり         樋田哲夫

 もう30年前の連休のこと。富山から岐阜を抜けて大阪へ自動車で帰る途中、五箇山の食堂に入った。若い店主が地元の客とミズバショウが見ごろを迎えている話をしていた。場所を尋ねると近い。訪ねると緩やかな水の流れの湿地に沢山のミズバショウが咲いていた。はじめて見る光景で感動した。にほんブログ村 美術ブログへ 

紫の 句仏(書)

2007-04-28 07:11:25 | 
紫の桜と見ゆるつつじかな        大谷句仏

 句仏は京都生まれ。真宗大谷派(東本願寺)第23世大谷光演のこと。碧梧桐に師事。同時期の大須賀乙字と活躍。紫の桜と見間違えるほどのツツジというのである。一般的にはヒラドツツジが公園、庭園などどこにでも見かけて間違えることはまずない。レンゲツツジ、ヤマツツジ、ミヤマキリシマなど種類も豊富で、句仏が見たツツジはどんなツツジだったか。

藤棚(写真)

2007-04-27 05:33:22 | 写真
今日来れば花房伸びて藤棚は
浴びるがごとく香り注げり       樋田哲夫

 和歌山市の「四季の郷」公園は比較的新しい公園である。丘陵地を開発して広大な敷地を持つ。この時期花も豊富で幼稚園児がバスで来て楽しめる場所となっている。8日前に初めて訪ねたときは藤の房が短かったが、あらためてきょう出直すと、房も伸びて香りが充満。蜂も忙しく飛び回っていた。

殺風景な田園(水墨画)

2007-04-26 06:33:11 | 水墨画
喧騒を逃れきて野にしばらくを
独りしをれば歌のうまるる        樋田哲夫

 人間の作り出す騒音は日常避けてとおることは出来ない。時には、人影もなく静かな田園に足を運んで景色を見るともなく佇んでいると、年のせいもあって心が落ち着く。そんな時短歌に思いをめぐらしていると、平凡だが、日記風の歌が生まれる。他人が見たらこんな殺風景なところに変人が立っているとしか思えないに違いない。 にほんブログ村 美術ブログへ

山吹や 太祇(書)

2007-04-25 08:12:05 | 
山吹や葉に花に葉に花に葉に       炭太祇

 山吹はわが国原産で落葉低木。晩春に黄金色の花をつける。八重は少し遅い。山吹といえば、室町期の太田道灌(どうかん)が浮かぶ。狩の途中、にわか雨にあい、農家で蓑(みの)を借りようと立ち寄ると、少女が八重の山吹の枝を差し出したが、その意味を解し兼ねたという逸話。山吹は花が多く、葉と同じほどにみえるのでこの句が浮かんだのだろう。

山の辺の道ハイキング・その4(写真)

2007-04-24 10:05:04 | 写真
道々にロマンの香る山の辺の
一日終わりてほの浮かびくる 樋田哲夫

 山の辺の道といえば桜井か天理までを一般的には指す。後半は、さらに、奈良まで続くが、あまり口には上らない。道沿いにロマンの香る史跡、神社仏閣、古墳など見るものは圧倒的に前半にある。スタートして一日疲れも出るころ石上(いそのかみ)神宮に到着する。第10代崇神天皇の御代に創始された1700年の歴史ある古社で境内は広い。

鯉のぼり(墨彩画)

2007-04-23 06:56:05 | 墨彩画
鯉のぼり下ろせし後を矢車の
からからと鳴る夜の空高く      樋田哲夫

 子どものころ我が家には鯉のぼりがなくて、隣家の空を泳ぐ季節が来ると羨ましく思ったものだ。一日の務めを終えて降ろされると、木の先に取り付けられた矢車が風に勢いよく夜の空に鳴っていた。時には一晩中続いたこともある。現在は住宅事情で、不要なものを全国から集めて谷や川にワイヤを張って泳がせる姿をテレビで見かける。 にほんブログ村 美術ブログへ

桜さくら 無腸

2007-04-22 07:45:08 | 
桜さくら散って佳人の夢に入る       上田無腸

 無腸は江戸後期の国学者、歌人、俳人。「雨月物語」を表わし、名を高めた上田秋成と同一人物で無腸と号した。無腸はカニの別名。桜の散る光景は粋人には風流と映りいつまでも心の奥に夢のごとく息づく。佳人だから夢に入るのであろう。和歌や俳句の世界には桜の散る情景は多数登場する。

山の辺の道ハイキング・その3(写真)

2007-04-21 07:01:07 | 写真
春なれどさびさびとして茅葺きの
夜都妓(やとぎ)神社は神さびにけり        樋田哲夫

 山の辺の道も後半、竹内環濠集落を抜けると農道となる。両側にはイチゴ栽培のフレームが目立つ道をまっすぐ北上すると、夜都妓神社の森に突き当たる。緩やかな坂の上に珍しく茅葺(かやぶき)の神社があり、平日は人影も少ない。
 鳥居付近に歌碑
 山の辺の道ははるけく野路の上に
 乙木の鳥居朱に立つ見ゆ       東畝
 山の辺の道に立つ歌碑は古代歌と思いがちだが、昭和初期に亡くなった日本画家の広瀬東畝とみる。

小鳥とタケノコ(墨彩画)

2007-04-20 06:17:39 | 墨彩画
雨降りて急に伸びたる筍を
庭にしおけば鳥の遊べり        樋田哲夫

 「雨後のタケノコ」の言葉どおり雨の後のタケノコは勢いよく伸びる。朝夕に掘らないと商品にならないという。今が旬とあって、八百屋の店先には手ごろなものが盛り沢山で200~300円で並べられている。最盛期の値崩れの感がある。皮付きで正味は減るのだが、それでも数日はタケノコ漬けになるのは間違いない。 にほんブログ村 美術ブログへ

手のひらに 水巴(書)

2007-04-19 06:51:16 | 
 手のひらに落花とまらぬ月夜かな       渡辺水巴

 水巴は鳴雪に師事し、明治に活躍。風もさほどないのに桜の花がごく自然にひらひらと散ってくる。差し出した手のひらに止まらずに落ちる。ライトアップのない時代、月の明かりだけで鮮明に白さが浮かび上がって幻想的である。暖かい夜の桜が数日で終わらんとする春の名残を惜しんでいるのである。

山の辺の道ハイキング・その2(写真)

2007-04-18 06:57:59 | 写真
門前に茶店のありぬ山の辺の
檜原神社は疲れたるころ          樋田哲夫

 大神(おおみわ)神社から摂社の狭井神社を横に玄賓(げんぴ)庵、檜原(ひばら)神社と歩く。少し疲れも出て一息入れたくなるころ、門前に茶店のある檜原神社に着き、ほとんどの人が境内に腰を下ろす。元伊勢と呼ばれるこの神社からは素朴な木の鳥居のはるか西方に箸(はし)墓や二上山の姿が眺められ「大和はまほろば」を実感する。

ボタン一輪(墨彩画)

2007-04-17 07:16:25 | 墨彩画
牡丹咲く寺のめぐりに一日の
予定を立てる当麻の里へ        樋田哲夫

 今年もボタンの季節が来た。昨年5月1日五条・金剛寺を訪ねてちょうど満開であった。本堂裏側の庭園には花も多く、カメラに満足するほど収めた。奈良には外に当麻(たいま)寺、石光寺、長谷寺、船宿寺とボタンの寺は多い。色も豊富で豪華さは百花の王たるゆえんである。今年は葛城市当麻へ出かける予定している。にほんブログ村 美術ブログへ 

走り書き 青々(書)

2007-04-16 22:47:20 | 
走り書きする曲水の懐紙かな      松瀬青々

 昨年11下旬京都・城南宮を訪ねた。雨にけむる境内に「平安の庭」があった。現在も平安貴族の雅な行事が春は4月29日、秋は11月3日の年2回曲水が行われるという。上流から朱の杯が流れ着くまでに狩衣や小うちぎの男女の歌人が歌を詠み、懐紙に毛筆で書く貴族の習わしが一日再現される。春の行事が近づいてきた。