哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

伏見の大仏・欣浄寺(写真)

2007-09-30 07:04:38 | 写真
伏見にて江戸中期より丈六に
坐りてゐます毘盧舎遮那仏は        樋田哲夫

 京都・欣浄寺本堂には江戸中期建立された丈六の毘盧舎遮那(びるしゃな)仏坐像がある。悲恋の人物深草少将はここに住み、埋葬されたというが、実在したとしても平安前期の人。この仏に出会うことはない。上生上品の印相を組み、螺髪(らほつ)は天上につかえるほどである。丈六とは約5・3㍍。

栗にアリ(水墨画)

2007-09-29 06:13:06 | 水墨画
店先は袋に栗の置かれをり
産地記して競ふが如く      樋田哲夫

 店頭に栗が顔を見せ始めた。おそらく早生の品種であろう。ネットのラベルに茨城、熊本、愛媛としるしてあった。近畿では丹波栗が大粒な良品と生産量の多いことで名が知られている。秋の代表的味覚で最盛期は少し先のようである。 にほんブログ村 美術ブログへ

をりとりて 蛇笏(書)

2007-09-28 06:19:15 | 
をりとりてはらりとおもきすすきかな        飯田蛇笏

 25日の仲秋の名月も済んで秋本番を迎える。関西でのススキの名所は和歌山県生石高原、奈良・三重県境の曽爾高原などがある。観光客がバスで押し寄せる曽爾高原は山の斜面に広大なススキ原が広がり、盛りに訪れると風に揺れる白銀の穂は見上げても見下ろしても素晴らしい。折り取ったススキが重く感じるとは感性のほかない。

小町と眠る深草少将(写真)

2007-09-27 06:47:10 | 写真
               左が小町、右が少将
この世には恋の実らぬ少将も
墓石となりて小町に添ひぬ         樋田哲夫

 京都市伏見区欣(ごん)浄寺は深草の少将が住んだ寺である。伝説の人物で実在しないというが、絶世の美人六歌仙の小町へ思いを寄せる悲恋の主人公として有名である。百夜通いもあと1日で成就するというのに急死。欣浄寺と小町の住む随身院は直線でも7㌔はあり徒歩で大変であったろうが、気迫がそうさせたに違いない。

コスモス(墨彩画)

2007-09-26 03:51:06 | 墨彩画
新涼の休耕田に人ら訪ふ
風にコスモスたをやかに咲き        樋田哲夫

 美しいコスモスの花の咲く季節がめぐってきた。暑さが去って朝の涼しさが心地よいころ、流行の休耕田や河原はコスモスが目にとまり始めた。早生の品種であろう。近畿では10月初旬がピークで道路や公園でも見かけるが、休耕田のコスモスが広々として、あでやかに咲き競うようになる。明治の中ごり輸入されたという。  にほんブログ村 美術ブログへ

行く先に 太祇(書)

2007-09-25 06:38:31 | 
行く先に都の塔や秋の空        炭太祇

 太祇は江戸中期の江戸の俳人。旅を好み、京都島原に住むようになり、蕪村と交遊。京都の塔とあるが、どこの塔であろうか。おそらく東寺の五重塔であろう。平坦(たん)な街の中に日本一の高さを誇り、現在でも遠くから目に入る。京都にはほかに八坂の塔、仁和寺の塔が五重であるが、秋の空に似合うは東寺のイメージが強い。

補陀洛寺に多い墓(写真)

2007-09-24 05:40:59 | 写真
市原の以北に墓はなしと聞く
なぜかこの地に多く建てしか         樋田哲夫

 京都市左京区市原は周囲に山が迫り小さな盆地となっている。補陀洛寺(小町寺)の人の話によると市原以北に墓は建てなかったという。洛北の大原辺りや、鞍馬では墓はないらしい。皆市原まで来て建てた関係で小町寺境内は小さな堂宇に比べて広い墓地が目立っている。右上は小町供養塔

子供のときの釣り(水墨画)

2007-09-23 06:11:35 | 水墨画
六十年過去の浮かぶは休校の
ひと日を池に竿振り回す          樋田哲夫

 子供ころの思い出は沢山ある。他人のすることは何でもやりたくなる。それは重要なことで、早くから趣味を固定する必要はない。大人になって自分の性格に合うものを選択するための準備である。時間と金と相談して、最も適したものに自然と落ち着いていくものだ。子供のころの釣りは趣味にならなかったが、今でも経験したことはよく覚えている。 にほんブログ村 美術ブログへ

藍色の 子規(書)

2007-09-22 06:49:35 | 
藍色の海の上なり須磨の月          正岡子規

 秋の月は日本人の心に寄り添うものであるのか平安の昔から和歌に詠まれ、後の俳句にも登場する。中でも満月は灯りの乏しい時代には太陽と並んで自然の恵みととらえても過言ではないだろう。ことに秋の澄む月は感性を強くくすぐる。須磨は淡路島を挟んで海峡を作る景勝地、藍色の海の上の月は格別に感じられたのである。

京都の補陀洛寺(小町寺)

2007-09-21 06:34:03 | 写真
小町には美は美を呼びて限りなし
幾百年もその名流れて         樋田哲夫

 京都市左京区の補陀洛寺は別名小町寺と称され、境内には小野小町供養等、小町穴芽の薄(終焉の場所)、姿見の井戸、百夜通いの深草少将の供養等など小町ゆかりの遺跡が多数ある。平安初期の歌人で絶世の美女小町の伝説は伝説を呼んで美貌は空想の世界をさまよい始め、限りない美貌へと昇華していく。

稲穂にトンボ(水墨画)

2007-09-20 06:02:30 | 水墨画
生まれ来て己が命の儚きを
知るや稲穂に蜻蛉一匹       樋田哲夫

 近畿地方は順調に豊作への季節を迎えている。なんとしても台風の来ないことを祈る。10月に入って襲う台風は被害が軽微で済む。洋上に発生してから1週間で日本に到達するから9月24日以降の発生は10月に日本に来ることになる。きょうは20日。あと4日発生しないで欲しいものである。 にほんブログ村 美術ブログへ

月天心 蕪村(書)

2007-09-19 06:45:52 | 
月天心貧しき町を通りけり         与謝蕪村

 江戸中期の蕪村の名句。中秋の名月を迎えるころになると、この句がどこかで目につく。満月が東の空に上るころは赤味を帯びておおきく映るが、次第に高くなると白度を増して皓皓(こうこう)としてくる。月天心で高さが出ている。江戸中期の町はほとんどが貧しく賑やかさはないが、貧しき町と表現したことで鮮明にしている。また、通りけりがよい。

兵庫大仏(写真)

2007-09-18 07:17:22 | 写真
をろがむに夏の西日を背に負ひて
黒く浮かべる兵庫大仏         樋田哲夫

 神戸市の新西国23番霊場能福寺には露座の大仏がある。初代の大仏は明治23年の建立だが、太平洋戦争時に金属供出で姿を消した。平成3年地元の商店街や企業の浄財で2代目が再婚された。高さ11㍍、台座7㍍と大きなものである。再建当時、新聞で報道されたが、はや16年が経過している。初めての訪問である。

想像の黄山(水墨画)

2007-09-17 06:10:23 | 水墨画
羽ばたくを夢に持たねば外つ国へ
出ることのなき吾の生涯         樋田哲夫

 今後のことは分からないが、今まで外国へ出かけたことは一度もない。不思議といえば不思議である。知人の多くが外国へ行った経験を語るが、聞く一方でこちらから語るにも語れない。この画は中国の黄山をイメージして描いたものだが、実景ではない。黄山に似せるだけでそれで画はよいと思っている。 にほんブログ村 美術ブログへ

名月の 芭蕉(書)

2007-09-16 06:38:39 | 
名月の花かと見えて棉畠         芭蕉

 元老7年芭蕉が生地の伊賀上野で名月の宴を開いた折りの句。満月の明るい光で一面に白い花が咲いているかのように棉(わた)畠があったというのである。棉はアオイ科の1年草で繊維をとる植物。日本には16世紀には入ったらしい。元禄7年は17世紀末。そのころには伊賀盆地に棉が普及して畠があったことになる。