浜松に彦根と同じ名の寺が
ありて訪ねる龍潭寺かな 樋田哲仙
同じ寺名は全国にいくらでもあり珍しくもない。龍潭寺はそうざらにある名前ではない。何か縁が存在するのだはないかと調べてみると、戦国時代の戦勝で、浜松から彦根へ井伊家が転封されたという。何のことはない浜松の方が古いことになる。どちらも古刹で風格がある。
ありて訪ねる龍潭寺かな 樋田哲仙
同じ寺名は全国にいくらでもあり珍しくもない。龍潭寺はそうざらにある名前ではない。何か縁が存在するのだはないかと調べてみると、戦国時代の戦勝で、浜松から彦根へ井伊家が転封されたという。何のことはない浜松の方が古いことになる。どちらも古刹で風格がある。
心かへするものにもが片恋は
くるしきものと人に知らせむ 詠み人知らず
心というものが入れ換えのできるものであってもらいたいが、そうしたら、あの人の心と入れ替えて私の片思いが苦しいのだと知ってもらおう。
くるしきものと人に知らせむ 詠み人知らず
心というものが入れ換えのできるものであってもらいたいが、そうしたら、あの人の心と入れ替えて私の片思いが苦しいのだと知ってもらおう。
15㌔麓と山頂離れゐて
秋葉神社は上社と下社 樋田哲仙
遠州秋葉神社は赤石山脈の最南端尾根筋にある。上社は秋葉山(866)の山頂付近と下社は気田川の河口にあり、標高差750m0差ある。直線の登山道で1時間30分、車で20分を要するから15㌔はないかも。下社は参道も短く、素朴な建造物が田舎じみている。有名だけに落胆も大きい。
秋葉神社は上社と下社 樋田哲仙
遠州秋葉神社は赤石山脈の最南端尾根筋にある。上社は秋葉山(866)の山頂付近と下社は気田川の河口にあり、標高差750m0差ある。直線の登山道で1時間30分、車で20分を要するから15㌔はないかも。下社は参道も短く、素朴な建造物が田舎じみている。有名だけに落胆も大きい。
うちわびて呼ばはむ声に
こたへぬ山はあらじとぞ思ふ 詠み人知らず
思い煩った末には、あの人のことを大声で呼び続けるだろうか。その声に精霊がこたえてくれない山はあるまいと思う。しかし、あの人だけは決して返事をくれない。
こたへぬ山はあらじとぞ思ふ 詠み人知らず
思い煩った末には、あの人のことを大声で呼び続けるだろうか。その声に精霊がこたえてくれない山はあるまいと思う。しかし、あの人だけは決して返事をくれない。
記憶より一度行きたき遠州の
火を祀る神秋葉の上社 樋田哲仙
子供のころ、村に秋葉神社の講が組まれて代表者が年に一度、遠州の秋葉神社へ参る風習があった。昔の家屋は茅葺でいったん火災が発生すると飛び火で延焼となり恐れられた。それが講をくまれるように発展したのだろう。父親から聞かされた記憶が蘇り、訪ねてみたくなった。
火を祀る神秋葉の上社 樋田哲仙
子供のころ、村に秋葉神社の講が組まれて代表者が年に一度、遠州の秋葉神社へ参る風習があった。昔の家屋は茅葺でいったん火災が発生すると飛び火で延焼となり恐れられた。それが講をくまれるように発展したのだろう。父親から聞かされた記憶が蘇り、訪ねてみたくなった。
開拓の似たる心に初めての
伊井谷宮の参道進む 樋田哲仙
遠州路を走行中突如大きな鳥居が目に入って急停車すると伊井谷宮と知った。直線的に参道が奥へ続く。参道両側にのぼりがびっしりと立ち並ぶ。明治初期の創建で、後醍醐天皇第四皇子宗良親皇を祀るとある。旧社格は官幣中社で風格がある。
伊井谷宮の参道進む 樋田哲仙
遠州路を走行中突如大きな鳥居が目に入って急停車すると伊井谷宮と知った。直線的に参道が奥へ続く。参道両側にのぼりがびっしりと立ち並ぶ。明治初期の創建で、後醍醐天皇第四皇子宗良親皇を祀るとある。旧社格は官幣中社で風格がある。
小高きに聳えるごとく遠州の
方広寺なる三重塔 樋田哲仙
4江方広寺の謝罪地は浜松市北区碑吉佐町である。片田舎とはいささか非礼であるが、都会ではない。臨済宗大本山で室町時代の創建とある。大伽藍は幾度も火災に遭い、焼失しているが、難を免れたものや再建されたもの。三重塔は本堂より小高い山の上にあって見上げる格好になる。朱色が冴えて華麗である。
方広寺なる三重塔 樋田哲仙
4江方広寺の謝罪地は浜松市北区碑吉佐町である。片田舎とはいささか非礼であるが、都会ではない。臨済宗大本山で室町時代の創建とある。大伽藍は幾度も火災に遭い、焼失しているが、難を免れたものや再建されたもの。三重塔は本堂より小高い山の上にあって見上げる格好になる。朱色が冴えて華麗である。