むら雀麦わら笛に踊る也 小林一茶
麦秋の季節は麦が熟して穂も茎(くき)も赤茶けて畑全体が周りの緑の中に出現する。昨年北陸自動車道の福井辺りで目撃した。全部大麦であった。ビールの生産に関係があるのだろう。麦わら笛は腰のある小麦が適し、子供のころ吹いた。甲高い音でメロディーにはならなかった。その笛で雀が踊るのである。そう感じたのであれば感性と凄い。
麦秋の季節は麦が熟して穂も茎(くき)も赤茶けて畑全体が周りの緑の中に出現する。昨年北陸自動車道の福井辺りで目撃した。全部大麦であった。ビールの生産に関係があるのだろう。麦わら笛は腰のある小麦が適し、子供のころ吹いた。甲高い音でメロディーにはならなかった。その笛で雀が踊るのである。そう感じたのであれば感性と凄い。
天平の栄華伝へて武智麻呂が
五条に建てし栄山寺かな 樋田哲夫
武智麻呂(むちまろ)は大化の改新に大功をなした中臣鎌足(後に藤原鎌足)の子の不比等の子。鎌足は祖父になる。藤原南家の祖。左大臣、正一位。藤原一族は平安時代まで優れた人材を多数輩出し、貴族中の貴族。栄山寺は吉野川沿いにあり、かって繁栄した古寺の面影は残るが、近くを通っても見落とすほどで残念である。
五条に建てし栄山寺かな 樋田哲夫
武智麻呂(むちまろ)は大化の改新に大功をなした中臣鎌足(後に藤原鎌足)の子の不比等の子。鎌足は祖父になる。藤原南家の祖。左大臣、正一位。藤原一族は平安時代まで優れた人材を多数輩出し、貴族中の貴族。栄山寺は吉野川沿いにあり、かって繁栄した古寺の面影は残るが、近くを通っても見落とすほどで残念である。
足元へいつ来たりしよ蝸牛 小林一茶
カタツムリは乾燥に弱く、活動する季節は梅雨時。生物学では結構複雑で難しい。殻のあるなしでナメクジとなり、カタツムリ、マイマイとなる。しっかりした定義はない。滑るように静かに進む。足元へいつの間にか来ていたのである。「来たりしよ」の「よ」は体言や連体形に接続る呼び掛けの助詞で優しく労っている。「か」では疑問となって句を壊す。
カタツムリは乾燥に弱く、活動する季節は梅雨時。生物学では結構複雑で難しい。殻のあるなしでナメクジとなり、カタツムリ、マイマイとなる。しっかりした定義はない。滑るように静かに進む。足元へいつの間にか来ていたのである。「来たりしよ」の「よ」は体言や連体形に接続る呼び掛けの助詞で優しく労っている。「か」では疑問となって句を壊す。
知らずきて石垣仰ぐ高取は
兵どもが夢の跡 樋田哲夫
高取山頂に城跡の存在は知っていたが。さして有名でもなく来てみて驚いた。なぜ、これほど豪壮な石垣が築造されたか、石高や財力があるとは考えられない。石垣の城壁がめぐらし広大である。ただ現存する遺構は高取町内の小嶋寺山門に二の門が移築されているだけ。平泉衣川で詠んだ芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」が思い出される。
兵どもが夢の跡 樋田哲夫
高取山頂に城跡の存在は知っていたが。さして有名でもなく来てみて驚いた。なぜ、これほど豪壮な石垣が築造されたか、石高や財力があるとは考えられない。石垣の城壁がめぐらし広大である。ただ現存する遺構は高取町内の小嶋寺山門に二の門が移築されているだけ。平泉衣川で詠んだ芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」が思い出される。
乾坤(あめつち)に命ひびかせ朝の蝉 水内鬼灯
鬼灯(きとう)は昭和24年没。「馬酔木」の同人。「飛鳥」主宰。天地にまで命響かせとあるから、力強く鳴くクマゼミと思われる。「しゃんしゃん」と躍動的で、声も大きく遠くまで届く。日本で最大、西日本に多くいるが、現在は関東まで進出しているという。梅雨のさなかから鳴き始めアブラゼミより時期は早い。
鬼灯(きとう)は昭和24年没。「馬酔木」の同人。「飛鳥」主宰。天地にまで命響かせとあるから、力強く鳴くクマゼミと思われる。「しゃんしゃん」と躍動的で、声も大きく遠くまで届く。日本で最大、西日本に多くいるが、現在は関東まで進出しているという。梅雨のさなかから鳴き始めアブラゼミより時期は早い。
高取の山の栄えに驚きぬ
城の石垣いまにし在りて 樋田哲夫
壺阪寺をさらに登りながら奥へ進むと程なく高取山(584)にある日本三大山城(美濃岩村城、備中松山城)の一つ高取城跡に着く。建造物や白壁はなく、巨大な石垣だけが残る。南北朝時代に越智氏の築城とあるが、石垣の遺構から想像されるは山頂に豪壮な城郭(かく)がそびえていたことだろう。
城の石垣いまにし在りて 樋田哲夫
壺阪寺をさらに登りながら奥へ進むと程なく高取山(584)にある日本三大山城(美濃岩村城、備中松山城)の一つ高取城跡に着く。建造物や白壁はなく、巨大な石垣だけが残る。南北朝時代に越智氏の築城とあるが、石垣の遺構から想像されるは山頂に豪壮な城郭(かく)がそびえていたことだろう。
さわさわと蓮(はちす)動かす池の亀 上島鬼貫
鬼貫は以前にも登場した。江戸中期の人で芭蕉より少し遅い。兵庫・伊丹の酒造家に生まれ、大方大阪で暮らす。元文3年(1738)8月2日没し、鬼貫忌は季語となっている。池のカメがハスの狭い茎(くき)と茎の間を泳いで通ろうとしたのであろう。動いたのだが、ここでは動かしたのである。カメの意志が働いたことになるがそんなことはない。
鬼貫は以前にも登場した。江戸中期の人で芭蕉より少し遅い。兵庫・伊丹の酒造家に生まれ、大方大阪で暮らす。元文3年(1738)8月2日没し、鬼貫忌は季語となっている。池のカメがハスの狭い茎(くき)と茎の間を泳いで通ろうとしたのであろう。動いたのだが、ここでは動かしたのである。カメの意志が働いたことになるがそんなことはない。
石ながら笑みも豊かに列なして
寺に在すは七福の神
七福神といえば正月の縁起として参拝したり、宝船の初夢を願ったりするものである。神々でありながら見かける七福神は神社ではなく寺ばかりである。不思議でならない。今回壺阪寺で見かけた七福神は顔の表情が豊かで、石像が大きく見事である。石工の彫刻する力量が素晴らしい。
寺に在すは七福の神
七福神といえば正月の縁起として参拝したり、宝船の初夢を願ったりするものである。神々でありながら見かける七福神は神社ではなく寺ばかりである。不思議でならない。今回壺阪寺で見かけた七福神は顔の表情が豊かで、石像が大きく見事である。石工の彫刻する力量が素晴らしい。
蛍呼ぶ横顔過(よ)ぎる蛍哉 小林一茶
日本人はホタルがゆったりと飛ぶ姿を見かけると、江戸時代も呼んでいたことが分かる。ホタルに言葉が通じるはずもないが、見かけると呼び寄せたくなるのが心情であろう。昔はどう呼んだであろうか。現在は童謡に甘い水、苦い水と歌っている。この句はホタルを呼ぶ人の横顔を横切って行ったのを側で観察者が写生した句である。
日本人はホタルがゆったりと飛ぶ姿を見かけると、江戸時代も呼んでいたことが分かる。ホタルに言葉が通じるはずもないが、見かけると呼び寄せたくなるのが心情であろう。昔はどう呼んだであろうか。現在は童謡に甘い水、苦い水と歌っている。この句はホタルを呼ぶ人の横顔を横切って行ったのを側で観察者が写生した句である。
釈尊の一代記をばレリーフに
して巨大なる石像美術 樋田哲夫
釈尊の一代記をレリーフにした巨大石像美術は壺阪寺の壮観の一つである。高さ3㍍、全長50㍍の巨大な像はインド産の御影石を現地で製作して、寺で組み立てたもので、他の寺では見られない見事なもの。さらに、現在工事中の大仏建立は今年11月11日に開眼法要の予定。壺阪寺は石像美術が一層充実する。
して巨大なる石像美術 樋田哲夫
釈尊の一代記をレリーフにした巨大石像美術は壺阪寺の壮観の一つである。高さ3㍍、全長50㍍の巨大な像はインド産の御影石を現地で製作して、寺で組み立てたもので、他の寺では見られない見事なもの。さらに、現在工事中の大仏建立は今年11月11日に開眼法要の予定。壺阪寺は石像美術が一層充実する。