哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

山池に睡蓮(水墨画)

2008-07-31 06:16:12 | 水墨画
五年前描きし色紙に驚きぬ
筆の走りの整はざりて        樋田哲夫

 水墨画を描き始めて優に10年を超えた。芸ごとは急速な上達は望めなく、地道な努力が必要となる。そこには長続きする根気が求められる。自分ながらよくも続いているものだと思うことがある。根底に好きな部分があって続くのだろう。5年前に描いた色紙を見て拙いことにびっくりした。早速手を加えざるをえなかった。 にほんブログ村 美術ブログへ

清水の 子規(書)

2008-07-30 06:06:49 | 
清水の阪のぼり行く日傘かな       正岡子規

 7月上旬清水を訪ねた。快晴の日曜とあって大勢の観光客が押し寄せていた。五条坂は清水焼の店が多い。日傘も花盛りである。シーズンには修学旅行生が訪れる清水寺は京都の一大観光地である。子規の見た坂は現在ほど人出もなく優雅さがあったに違いない。和服姿の参拝客の女は中年と見るのが自然である。

六角堂のへそ石(写真)

2008-07-29 07:02:17 | 写真
遷都より六角道のへそ石は
京都市街のほぼ中心地         樋田哲夫

 西国三十三札所第18番頂法寺(六角堂)の本堂前にへそ石がある。桓武天皇の延暦12年京都への遷都のとき六角道の所在が道路の中央にあたるため天皇が変坐の祈願をしたとろたちまち北へ15㍍退いた。その際取り残された礎石がへそ石という伝説。この寺は生け花発祥の地でもある。

南瓜、水茄子、唐辛子(水墨画)

2008-07-28 06:00:25 | 水墨画
聞きしこと見しこともなき見るだけの
南瓜に遇ひて度肝抜かれる      樋田哲夫

 なんでも種類のあるものだ。先日幼稚園の「夏のゆうべのつどい」に参加した。玄関を入ると台の上に小さなカボチャがいくつも並べられてあった。ベレー帽を被っているような不思議なものである。顔らしところに目が描き入れてあるので一層滑稽である。食用とはならないらしい。子供よりも大人が笑ってしまうものだった。 にほんブログ村 美術ブログへ

月に柄を 宗鑑(書)

2008-07-27 07:02:16 | 
月に柄をさしたらばより団扇かな        山崎宗鑑

 宗鑑はこのブログ初登場。近江の国生まれ。戦国時代の連歌師、俳諧師。室町幕府の第9代将軍義尚に使えて能筆家。満月に柄をつければ団扇となる発想は一茶か子供ぐらいであろう。一見川柳とも取れるが、季語を入れて歴とした俳句である。当時涼をとる身近な道具であり、蚊を追い払う必需品でもある。

善峰寺の調和の美

2008-07-26 07:09:21 | 写真
本堂の前に上りて見返れば
門の甍(いらか)は夏の輝き       樋田哲夫

 寺院を訪ねるとどこでもポイントとなる風景がある。善峰寺は見上げる山門、本堂前から振り返る山門、本堂より多宝塔、遊龍の松、下界に京都市街、地蔵菩薩辺りのアジサイ園など写真に収めたくなる。写真は本堂前の広場から振り返った山門である。桜もあり春の訪問も楽しみを増す。

山中湖よりの冨士(水墨画)

2008-07-25 05:52:42 | 水墨画
山中湖より仰ぎ見る富士山は
裾野広げていよいよ高し       樋田哲夫

 河口湖からの富士山は経験があるが、山中湖からの富士山を仰ぎ見たことはまだない。習っている先生が新聞の小さな写真を見て描いた手本を描いたのだから実景である。秀峰富士は遠方から眺めるのはよいが、山頂へ登ると美しさはどこにもない。7月8月の2ヶ月間が開山となっているので今ごろ最盛期となっている。 にほんブログ村 美術ブログへ

もの焚いて 蕪村(書)

2008-07-24 05:50:29 | 
もの焚いて花火に遠きかがり船       与謝蕪村

 7月下旬~8月中旬まで各地で花火大会が開催される。内陸での大会は河川敷や大きな空き地となる。港でも多い。和歌山、神戸、岸和田がそうである。突堤や台船で打ち上げられ、漁船が近くへ群がり灯りをつけるので美しい。今はかがり火を焚いて観賞すことはない。花火は爆薬で危険区域を設けるので一定のところまでしか近寄れない。

海の日の浜は若さが(写真)

2008-07-23 07:33:38 | 写真
浴客に浜のはづみて海の日は
黄色い声のここにかしこに      樋田哲夫

 「海の日」の休日、自宅から徒歩で15分ほどの海水浴場(サザンビーチ)をのぞいた。やけ付く浜には多数の人がパラソルの花咲く日陰や、海に浸かって夏の到来である。関西国際空港を離着陸する飛行機を間近に眺めて格好の場所である。年に1、2度若さを貰うために出かける。写真は2枚を合成

身なりだけで判断は出来ない(墨彩画)

2008-07-22 07:12:26 | 墨彩画
身なりより心豊けき人のあり
誰とは言はぬ誰とはいへぬ        樋田哲夫

 30年前の勤務していたとき、工場倉庫を整理して不要なダンボールが沢山出た。片付けるだけ大変だ。そこで案をめぐらし、河川の土手下に住む廃品回収業の老人を訪ねた。片付けてもらうためである。無論無料であげるものだ。応対に出えた老人の物腰、所作、言葉遣いの正しさに驚いた。まさに人は見かけで評価してはならない。にほんブログ村 美術ブログへ 

おほばこの 風生(書)

2008-07-21 06:13:08 | 
おほばこの葉の焦げてゐるキャンプかな         富安風生

 日本列島は19日で全て梅雨が明けて本格的な夏を迎えた。山や海辺で若者や子供たちのキャンプを楽しむ光景が見られる季節だ。昔は適当な空き地で手軽に行ったもので、この句はキャンプとは関係のない人が来て草のオオバコまで焼いてしまったのを見かけたのである。現在は施設も整ったところが多く句のようなことは少なくなった。

重厚な善峰寺山門(写真)

2008-07-20 06:38:37 | 写真
登りきて熱き思ひに善峰は
桂昌院の庇護なりし寺          樋田哲夫

 善峰寺は西山の中腹にあり、息を切らせてたどり着くと重厚な組物の山門に目を見張る。大きさではない。4段の組物は数が多く、混んでいる。応仁の乱で疲弊した寺を手厚い庇護の下に再興したのは第5代将軍綱吉生母桂昌院である。京都の八百屋生まれの桂昌院は母に連れられて来た経緯があり、江戸へ出ても寺は忘れなかったのである。

タイサンボクの白花(水墨画)

2008-07-19 05:56:53 | 水墨画
梅雨明けてもう咲くころか気にかかる
泰山木の寺の浮かびて         樋田哲夫

 5月下旬長谷寺を訪ねた。本堂の舞台脇に大木のタイサンボクを見かけた。蕾はまだ固かった。タイサンボクの咲く時期は正確には把握していないが、とにかく暑い盛りの記憶がある。梅雨が明けるとそろそろ芳香のある純白の大きな花が見られるのではないかと思う。字は茂吉歌「夕暮れの泰山木の白花はわれの嘆きを思ふが如し」 にほんブログ村 美術ブログへ 

朝顔に 子規(書)

2008-07-18 05:45:26 | 
朝顔にわれ恙なきあした哉        正岡子規

 朝顔を眺める時間帯がある。陽が昇りきらない清清しい空気に包まれているまでの時間である。開いたばかりの新鮮さは清涼感に溢れて見る者の心に染み入る。きのう咲いた何百もの花柄を取り除く清掃は毎朝の日課となっている。作業中は雑念を忘れ、その後じっくりと眺めるときのしばらくは恙(つつが)無いときである。

善峰寺の「遊龍の松」(写真)

2008-07-17 07:13:48 | 写真
善峰に気高き龍の遊ぶかに
五葉の松は石垣の上        樋田哲夫

 京都市西山の中腹にある西国三十三札所善峰寺に天然記念物の五葉の松がある。「遊龍の松」の銘があり樹齢600年、全長39㍍。10年前松くい虫の食害で15㍍切り落とされても、この長さである。左右に手足を伸ばして泰然とする巨大な龍そのものである。参拝者は皆度肝を抜かれる。