充実も世界遺産にあらずに
惜しきとぞ思ふ生野銀山 樋田哲仙
生野銀案を訪ねて世界遺産に登録されていないことが残念である。登録されている石見銀山と比較すると比べ物にならないほど充実している。交通も入口まで車で行ける。資料館や、売店もある。坑道は長く、作業者の人形が何体も設置されている。作業の情景がよく理解できる。石見に比べて生野が世界遺産に登録されていないことが惜しい。
惜しきとぞ思ふ生野銀山 樋田哲仙
生野銀案を訪ねて世界遺産に登録されていないことが残念である。登録されている石見銀山と比較すると比べ物にならないほど充実している。交通も入口まで車で行ける。資料館や、売店もある。坑道は長く、作業者の人形が何体も設置されている。作業の情景がよく理解できる。石見に比べて生野が世界遺産に登録されていないことが惜しい。
いつ来ても心新たに本堂を
見上げて見張る一乗寺かな 樋田哲仙
西国札所一乗寺は3,4度目の訪問であるが、不思議に新しい発見がある。記憶が弱いのだろう。直線的に階段が伸びていることは知らない。階段の正面にの高台に本堂が建つことも記憶にない。本堂がこんなに大きかったこともそうである。これでは初めての訪問と変わらない。呆れるほかない。
見上げて見張る一乗寺かな 樋田哲仙
西国札所一乗寺は3,4度目の訪問であるが、不思議に新しい発見がある。記憶が弱いのだろう。直線的に階段が伸びていることは知らない。階段の正面にの高台に本堂が建つことも記憶にない。本堂がこんなに大きかったこともそうである。これでは初めての訪問と変わらない。呆れるほかない。
そこひなき淵やは騒ぐ山川の
浅き瀬にこそ徒名身波もたて 素性法師
どこまで深いか限りの知れない淵は静かに水をたたえていて、ざわつくことがありますか。底の知れない山中の川の浅瀬こそかえってあだ波を立てて騒がしいのではありませんか。
浅き瀬にこそ徒名身波もたて 素性法師
どこまで深いか限りの知れない淵は静かに水をたたえていて、ざわつくことがありますか。底の知れない山中の川の浅瀬こそかえってあだ波を立てて騒がしいのではありませんか。
本堂はいよいよ高く三重の
塔を見下ろす一乗寺かな 樋田哲仙
五重塔や三重塔があると知ると少し遠くても立寄ることにしている。一乗寺は三重塔が長い階段の中間点に建っていて、さらにあがて本堂にたどり着く。したがって三重塔の屋根が丸ごと眺められる。外にないでもないが、珍しいほど数は少ない。福井県小浜の妙楽寺が思い浮かぶ程度だ。一般的には塔は下から見上げるもである。
塔を見下ろす一乗寺かな 樋田哲仙
五重塔や三重塔があると知ると少し遠くても立寄ることにしている。一乗寺は三重塔が長い階段の中間点に建っていて、さらにあがて本堂にたどり着く。したがって三重塔の屋根が丸ごと眺められる。外にないでもないが、珍しいほど数は少ない。福井県小浜の妙楽寺が思い浮かぶ程度だ。一般的には塔は下から見上げるもである。
淀川のよどむと人は見るらめど
流れて深きこころあるものを 詠み人知らず
淀川はよどんでいるのだと人は思うだろうが、水は流れていて、川の底は深いのだ。私もそういうように間違って見られていることだろうが、情熱的な深い心を持っているのだ。
流れて深きこころあるものを 詠み人知らず
淀川はよどんでいるのだと人は思うだろうが、水は流れていて、川の底は深いのだ。私もそういうように間違って見られていることだろうが、情熱的な深い心を持っているのだ。
杖つきて膝の痛みにゆっくりと
階段登る一条寺かな 樋田哲仙
好きで各地を訪問している。信仰で参るのが目的ではない。建造物や仏像、垣根、樹木、組み物などを観察することが好きだからである。最近膝を痛めて寺社には階段が多くあり辟易している。西国札所第26番一条寺を訪ねたが162段の長い階段があって苦労した。ゆっくりだから登り切って安堵した、
階段登る一条寺かな 樋田哲仙
好きで各地を訪問している。信仰で参るのが目的ではない。建造物や仏像、垣根、樹木、組み物などを観察することが好きだからである。最近膝を痛めて寺社には階段が多くあり辟易している。西国札所第26番一条寺を訪ねたが162段の長い階段があって苦労した。ゆっくりだから登り切って安堵した、
天晴や笛吹市には慈眼寺no
国の重文三つの堂宇 樋田哲仙
山梨に笛吹市がある。聞くだけで心が和む楽しさがある。その小さな市の慈眼寺には国の重文の指定を受けた三つ堂宇ある。珍しく茅葺きの本堂と庫裏に銅板葺の鐘楼がある。人の気配がなく寺の境内も小さい。よくぞこの寺に三つも重文の建造物があったものだ。
国の重文三つの堂宇 樋田哲仙
山梨に笛吹市がある。聞くだけで心が和む楽しさがある。その小さな市の慈眼寺には国の重文の指定を受けた三つ堂宇ある。珍しく茅葺きの本堂と庫裏に銅板葺の鐘楼がある。人の気配がなく寺の境内も小さい。よくぞこの寺に三つも重文の建造物があったものだ。