四季問はず人ら並びて求め来る
離宮の水は名水百選 樋田哲仙
大阪府・島本町の水無瀬神宮は後鳥羽天皇(上皇)、土御門天皇、順徳天皇を祀る。後鳥羽天皇は水無瀬の地を愛し、たびたび行幸された。承久の乱で失敗して隠岐へ配流され、その地で崩御。上皇に仕えた水無瀬信成、親成親子が離宮跡に後影堂を建てたのが始まり。境内には名水百選(離宮の水)があり、大阪府唯一となっている。
離宮の水は名水百選 樋田哲仙
大阪府・島本町の水無瀬神宮は後鳥羽天皇(上皇)、土御門天皇、順徳天皇を祀る。後鳥羽天皇は水無瀬の地を愛し、たびたび行幸された。承久の乱で失敗して隠岐へ配流され、その地で崩御。上皇に仕えた水無瀬信成、親成親子が離宮跡に後影堂を建てたのが始まり。境内には名水百選(離宮の水)があり、大阪府唯一となっている。
うつせみの世にも似たるか花さくら
咲くと見しまにかつ散りにけり 詠み人知らず
現世のはかなく崩れやすいこの世によくも似たるものだ。咲いたと思ったら、桜の花はもう散ってしまうのだから。現人(うつせみ)が平安時代に空蝉の字に当てられて、はかない世とか命の枕詞に使用されるようになった。
咲くと見しまにかつ散りにけり 詠み人知らず
現世のはかなく崩れやすいこの世によくも似たるものだ。咲いたと思ったら、桜の花はもう散ってしまうのだから。現人(うつせみ)が平安時代に空蝉の字に当てられて、はかない世とか命の枕詞に使用されるようになった。
駅名に名前見かけて降り立ちぬ
三宅八幡洛北の夏 樋田哲仙
叡山電鉄終点の鞍馬の帰り、駅名に八幡前のあるのを見かけて急に降りた。三宅八幡神社ははじめて聞く名前で、駅名に使用されるからには地元では聞こえたはずである。降りて尋ねると分かりやすい道順であった。予想通り神域を持つ立派な神社である。が、誰一人として人がいない。それでも社務所には神職らしき老人が坐り参拝者を待っている。それとも仕事をしていたのかも。
三宅八幡洛北の夏 樋田哲仙
叡山電鉄終点の鞍馬の帰り、駅名に八幡前のあるのを見かけて急に降りた。三宅八幡神社ははじめて聞く名前で、駅名に使用されるからには地元では聞こえたはずである。降りて尋ねると分かりやすい道順であった。予想通り神域を持つ立派な神社である。が、誰一人として人がいない。それでも社務所には神職らしき老人が坐り参拝者を待っている。それとも仕事をしていたのかも。
この里に旅寝しぬべし桜花
散りのまがひに家路わすれて 詠み人知らず
どうやら今夜はこの里で旅寝をすることになりそうだ。散り乱れる桜の花の美しさに迷い込んで家路に着くことも忘れてしまって。平安貴族が狩りか野遊びに興じすぎて予定より遅れて途中で旅寝することになったのだろう。
散りのまがひに家路わすれて 詠み人知らず
どうやら今夜はこの里で旅寝をすることになりそうだ。散り乱れる桜の花の美しさに迷い込んで家路に着くことも忘れてしまって。平安貴族が狩りか野遊びに興じすぎて予定より遅れて途中で旅寝することになったのだろう。
ひたすらに余生の無事を祈るのみ
ぼけの封じのおふさ観音 樋田哲仙
奈良・橿原市小房町のおふさ観音(高野山真言宗別格本山十無量山観音寺)は大和十三仏の一つでぼけ封じで、高齢者から篤い信仰がある。十一面観音の本尊をまつり、大和三山の畝傍山と耳成山の中間に位置する。境内にはイングリッシュ・ローズの鉢植えが所狭しと置かれ、バラ祭が5月15日~6月末までと10月19日~11月末までの年2回開かれる。
ぼけの封じのおふさ観音 樋田哲仙
奈良・橿原市小房町のおふさ観音(高野山真言宗別格本山十無量山観音寺)は大和十三仏の一つでぼけ封じで、高齢者から篤い信仰がある。十一面観音の本尊をまつり、大和三山の畝傍山と耳成山の中間に位置する。境内にはイングリッシュ・ローズの鉢植えが所狭しと置かれ、バラ祭が5月15日~6月末までと10月19日~11月末までの年2回開かれる。
残りなく散るぞめでたき桜花
ありて世の中はての憂ければ 詠み人知らず
なんの未練も残さずに散ってしまうのが桜の一番見事なところだ。世の習わしで生きながらえていたら、最後は醜い様をさらけ出してしまうのが落ちだ。潔さが花の美しいところだ。
ありて世の中はての憂ければ 詠み人知らず
なんの未練も残さずに散ってしまうのが桜の一番見事なところだ。世の習わしで生きながらえていたら、最後は醜い様をさらけ出してしまうのが落ちだ。潔さが花の美しいところだ。
日本の歴史の扉開けたる
明日香の古墳ひと日のめぐり 樋田哲仙
奈良・明日香は日本の歴史の曙といえよう。終末期古墳が目白押しに点在し、順次めぐっても数日はかかる。今回は牽牛子塚古墳と岩屋山古墳を目的に出かけた。岩屋山古墳は一説に斉明天皇陵の一つに数えられていたが、現在の調査で牽牛子に譲った。岩屋山は円墳で径40㍍、高さ13㍍の小山で横穴式石室が花崗岩の切石で出来、自由に玄室まで入れる。
明日香の古墳ひと日のめぐり 樋田哲仙
奈良・明日香は日本の歴史の曙といえよう。終末期古墳が目白押しに点在し、順次めぐっても数日はかかる。今回は牽牛子塚古墳と岩屋山古墳を目的に出かけた。岩屋山古墳は一説に斉明天皇陵の一つに数えられていたが、現在の調査で牽牛子に譲った。岩屋山は円墳で径40㍍、高さ13㍍の小山で横穴式石室が花崗岩の切石で出来、自由に玄室まで入れる。
まてといふに散らでしとまるものならば
なにを桜に思ひまさまし 詠み人知らず
散るのを待ってくれという願いに応えて、今しばらく枝に留まっていてくれるなら、私はなにを好き好んで桜意外に好きなものを作るだろうか。あまりにも早く散るので、ほかに心を移してしまうのさ。この歌は読み人知らずとあるが「素性集」にあることから彼の作と思われる。
なにを桜に思ひまさまし 詠み人知らず
散るのを待ってくれという願いに応えて、今しばらく枝に留まっていてくれるなら、私はなにを好き好んで桜意外に好きなものを作るだろうか。あまりにも早く散るので、ほかに心を移してしまうのさ。この歌は読み人知らずとあるが「素性集」にあることから彼の作と思われる。
牽牛子の謎明かされて斉明は
千四百年の眠りを目覚む 樋田哲仙
奈良・明日香村の牽牛子塚古墳は古墳終末期の7世紀後半の築造で墳丘周囲から帯状に敷かれた凝灰岩の形状が8角形と分かり、天皇陵に見られる特別なことから斉明天皇を埋葬者と結論づけた。以前から外に岩屋山古墳や車木ケンノウ古墳が取り沙汰されていたが、21年からの墳丘調査で確定した。斉明天皇没年とのずれがあることから改葬墳している。
千四百年の眠りを目覚む 樋田哲仙
奈良・明日香村の牽牛子塚古墳は古墳終末期の7世紀後半の築造で墳丘周囲から帯状に敷かれた凝灰岩の形状が8角形と分かり、天皇陵に見られる特別なことから斉明天皇を埋葬者と結論づけた。以前から外に岩屋山古墳や車木ケンノウ古墳が取り沙汰されていたが、21年からの墳丘調査で確定した。斉明天皇没年とのずれがあることから改葬墳している。