古今集第二百十六番秋萩に(書) 2011-11-30 06:14:03 | 書 秋萩にうらびれをればあしひきの 山下とよみ鹿の鳴くなる 詠み人知らず 秋萩の花に向かい、なんとなく沈んだ気分でいると、鹿の声が遠くから聞こえてきたが、あれは妻を恋うて、山麓が鳴り響くぐらい鳴いているのだろう。
嵐山宝厳院庭園(写真) 2011-11-29 06:26:36 | 写真 色づくに十日を経ればいまごろは 訪ねし寺も盛りなるらむ 樋田哲仙 11月中旬、嵐山の宝厳院を訪ねた。モミジと苔の回遊式庭園で、天竜寺のあまり知られていない塔頭の一つである。寺でありながら参拝する建物も気づかず過ぎてしまった。例年より今年は冷え込みがなく、紅葉には少し早すぎた。気温が8度以下に3日ほど続かないと紅葉しないらしい。あれから十日が過ぎたいるので、さぞかし見ごろとなっているだろう。
此岸を歩く(水墨画) 2011-11-28 06:08:57 | 水墨画 向こう岸いづれ歩けど急がずに わが世を生くる橋渡るまで 樋田哲仙 年齢を重ねれば人生の晩年といわざるをえない。生きるものの宿命でいずれは世を去らねばならない。そんな思いが時々襲って人生の哀切に浸ることがある。川の岸を歩くと彼岸此岸がふと思い出される。最近立川談志が死去した。毒舌、破天荒、奔放、天才、物議と生き方には毀誉褒貶がある。だが、病気には勝てなかった。同年輩の死だけに浮かぶのはあの世が近くなってきたことだろうか。
古今集第二百十五番奥山に(書) 2011-11-27 06:29:10 | 書 奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋はかなしき 詠み人知らず 奥山に紅葉した落ち葉を踏みながら分け入って歩いていると、どこからか鹿の鳴き声がきこえてきて、そんなときこそ秋の悲しさが、ひとしお身にしみる。古今集では詠み人知らずとあるが、百人一首の第5番では猿丸太夫として収められている。
東山・将軍塚大日堂(写真) 2011-11-26 06:14:17 | 写真 指さして人に言はれど目の弱く 東山より遥かの市街 樋田哲仙 東山ドライブウエイを上り、将軍塚大日堂をグループで訪ねた。これまで耳にしたこともない寺である。モミジの木も多数植えられ、あまり知られていないスポットらしい。展望台まで進むと、御所、鴨川、平安神宮までは望めたが、盆の一大行事の五山の送り火で知られる妙法が遠く見られたようだが、視力の弱く、いくら説明を聞いても認められない。残念至極である。
活けられてサルトリイバラ(墨彩画) 2011-11-25 06:33:21 | 墨彩画 棘あるを知らず山路にいくらびも 裾引きかけるサルトリイバラ 樋田哲仙 サルトリイバラの山野の自生は数を減らしているという話を聞く。最近山歩きをしないため、その事実かは知らない。昔はよく見かけた。元気よく歩いていて、そこに生えていることに気づかず裾を引き掛けることになる。手で持つにも棘があり厄介で、杖を使い、払いのけて進むことになるる。初めからそれなりの用意をしないかぎり、持ち帰るなんてとんでもないことだ。
古今集第二百十四番山里は(書) 2011-11-24 06:21:35 | 書 山里は秋こそことに寂びしけれ 鹿の鳴く音に目をさましつつ 壬生忠岑 山里の秋は外の季節に較べると、ひときわ侘しくてならないものだ。鳴く鹿の声でしばしば眠りから目を覚ますと、次から次へと物思いに追われてならない。
嵐山渡月橋の写生風景(写真) 2011-11-23 06:17:24 | 写真 堂々と描きたくあれど野外での 吾の腕にはほど遠きもの 樋田哲仙 京都の一大観光名所嵐山の渡月橋のたもとで風景をキャンバスに写している10に近くの人を見かけた。まだ始めたばかりで色づけはされていない。尋ねて水彩画と分かる。野外で絵にできるのは水彩画や油絵がほとんどで、水墨画はまず見かけなく、それなりの理由がある。水墨画は自室にこもって描くにかぎる。一度でいいから野外で描いてみたいものだ。
栗はケーキの上に(水墨画) 2011-11-22 06:49:23 | 水墨画 糖分は体に毒と知りながら 時には少しモンブランケーキ 樋田哲仙 大手すーぱーには早場と5,6㍍もあるクリスマスツリーが電飾に輝いている。ケーキコーナーではクリスマスケーキの予約ポスターが貼られ、歳末商戦が次第に過熱することだろう。ケーキは甘くて美味しいが糖分が多くていくつも口にしたいのだが控えめにしている。マロンケーキやモンブランケーキの上には栗の甘露煮が載せてあり好物である。
古今集第二百十三番憂きことを(書) 2011-11-21 06:16:57 | 書 憂きことを思ひつらねてかりがねの 鳴きこそわたれ秋の夜な夜な 凡河内躬恒 秋のさまざまな悲しみを思っては、それをすべて並べ上げ、雁は鳴きながら秋の夜毎を鳴いて空を渡るのだ。
ほほえましい七五三風景(写真) 2011-11-20 06:24:59 | 写真 手を引かれ言われるままの宮参り この日の主役七五三かな 樋田哲仙 最近の七五三参りは11月15日とは限らない。神社では11月の一ヶ月間を七五三参りに備え便宜を図っている。神社のサービスの中に商魂が見え隠れする。親たちは子供の無事の成長を願って出かけ、15日前後の休日が最も賑わう。次々と車から降りる子どもらの姿は華やいで、その日一日の主役である。本人は趣旨を理解せず両親や祖父母に言われるままに参るので、これもほほえましい。
枯葉散る秋の夕暮れ(水墨画) 2011-11-19 06:47:28 | 水墨画 吹く風に木の葉落ちゐる夕暮れの うら寂しさは秋こそまされ 樋田哲仙 11月も中旬ともなれば落葉の季節で晩秋といえる。公園のモミジやケヤキの葉が風の吹くたびに落ちて急に明るくなってくる。この時期の夕暮れは小寒く寂しさが一層募る。古歌にも山夕として秋の夕暮れの情景を描写しているものがある。その一つ「寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂連法師」がある。
古今集第二百十二番秋風に(書) 2011-11-18 06:18:01 | 書 秋風に声をほにあげれくる舟は 天の門わたる雁にぞありける 藤原菅根 秋の中で、漕ぐ音を高々と上げてくる舟がある。何のことはない、それは大空の道を飛んでいる雁であった。
日前宮七五三(写真) 2011-11-17 06:38:48 | 写真 親も子もこの日ばかりは晴れ晴れと 宮の華やぐ七五三かな 樋田哲仙 13日の日曜日和歌山市日前宮へ七五三風景の写真を目的に出かけた。15日ではないが、日曜日のほうが賑わっているだろうと思ってのことである。果たして、予想通りで、親も子も衣装を正して本堂前は多数が目立つ。いつもの光景と違い、境内の華やいで夢のある家族連れをみると、こちらまで心が明るくなる。写真は参拝を済ませて本堂裏から出る家族連れ。
渓流に落葉流れて(水墨画) 2011-11-16 06:07:15 | 水墨画 岩場縫ふ落ち葉流れて上流は 紅葉の盛り過ぎる頃らし 樋田哲仙 山麓はこれからが錦秋を迎えて、どこへ出かけるか迷っている時期だが、高い山から流れ出る渓流では盛りを過ぎる頃らしく、赤いモミジの葉が次次と下ってくる。上流では流れの上に張りだした枝から落ちるのだろう。一時的な光景ではあるが、目を瞑るとはっきりと情景が浮かんで楽しい。 に