哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

滝と聞くとどこへでも出かけるのだが(水墨画)

2016-06-30 06:44:14 | 水墨画
笹の滝100選とあれど奥深く
急ぎの旅に次へと向かふ        樋田哲仙

 国道168号線を十津川村へ入るころ、突然笹の滝の大きな標識が目に入った。日本の滝100選とある。奈良にそんな名瀑があることは知らなかった。国道を逸れて12キロは距離がありすぎるので、南下することにした。どんな滝かは知らないが次の機会にすることにした。予定が狂いすぎるから。 

五智国分寺三重塔(写真)

2016-06-28 06:12:09 | 写真
参道を進むにつれて木の間には
見え隠れする三重塔       樋田哲仙

 五重塔、三重塔、多宝塔は興味が強く関心がある。組み物の部位の名称を思えないと興味は湧かないだろう。そこのあたりを眺めていると時間も忘れるほどである。各塔によって少しずつ異なり、その違いを見ることが楽しい。五智国分寺を訪ねて塔のあることは知らなかったから、法外の喜びである。大きくて、高いのもよかった。

瀞峡は雨(水墨画)

2016-06-27 06:11:45 | 水墨画
瀞峡は雨に写真をあきらめて
ジェット船をば乗らずに去れり       樋田哲仙

 十津川の旅は雨にたたられて計画通りに済まなかった。梅雨の最中で雨は当然のことであるが、出発に際して雨は頭になかった。不用意である。玉置神社に到着してポツリポツリと降り出して来た。傘をさすほどではないが、霧で写真にはならない。次の予定の瀞峡は無理と判断して、出直すことにした。乗船料の3440円ももったいない。

五智国分寺山門(写真)

2016-06-25 06:10:03 | 写真
山門をくぐりて進む広さかな
越後の国の五智国分寺        樋田哲仙

 国分寺は聖武天皇によって五穀豊穣、国家鎮護のため、国分尼寺とともに各国に建立された。正式名は金光明四天王護国之寺呼ばた。今回は新潟・上越市にある五智国分寺を訪ねた。広大な寺域で山門をくぐって本堂までは長い。さすが国分寺のことはある。

梅雨時の集中豪雨(水墨画)

2016-06-24 06:11:11 | 水墨画
梅雨時のニュースは悲し毎年を
ゲリラ豪雨は死者の出るまで       樋田哲仙

 毎年の集中豪雨は梅雨末期に生じる。今年は梅雨の半ばで発生している。九州北部、広島・福山に被害が見られる。土砂崩れによる家屋の倒壊、土手の決壊、田を見に出かけて用水路に転落し下流で死体の発見などは今年も発生している。毎年の事案である。恐ろしいことである。昔の人の言葉に畳の上で死ねたら幸せが身にしみる。  

居多(こた)神社本殿

2016-06-22 06:12:47 | 写真
居多(いた)神社に着けば地域の人はいふ
この字を書きてこたと呼びけり        樋田哲仙

 上越市に居多神社の存在を知って訪ねた。居多をいたと読んでいたので、土地の女性にすぐこたと読むと訂正された。固有名詞は難読で困惑する。越後の国一宮とあり、平安時代からの神社である。親鸞が上陸して真っ先にお参りした由緒もある。本殿は最近再建されて新し。

昔の夏は(水墨画)

2016-06-21 06:10:09 | 水墨画
懐かしき思ひ出一つ浮かび来る
蚊遣りを焚ける夏の暮らしは        樋田哲仙

 子供のころに育った暮らしと、現在を比較すると、その激変ぶりに驚嘆するばかりである。蚊遣りを焚いたり、蚊帳をつって寝ることなんか聞いたこともない。蚊は少なっているのだろうか。団扇も縁台で涼むときに、足元にまとわりつく蚊を追い払うのに便利であった。クーラーの現在では外に出る必要もない。電化製品にまで広げて考えると、すべての面で激変してしまった。文化的生活である。 

親鸞聖人上陸の地(写真)

2016-06-19 06:22:58 | 写真
法難は流罪とありて直江津に
親鸞聖人上陸の浜        樋田哲仙

 「承元の法難」に遭遇した親鸞聖人は死罪を免れ流罪となっ。琵琶湖上を北上し越前、越中を越えて、越後直江津(現上越市)の居多ケ浜に上陸した。35歳の時である。7年間この地にとどまり、周辺の各地を精力的に布教活動を行った。上陸地は漁港でもなく殺風景の浜である。

海の近くに住むけれど(水墨画)

2016-06-18 06:10:15 | 水墨画
海近く釣りには良しと云はれども
趣味の多きにゆとりなき日々        樋田哲仙

 趣味が多いと毎日の暮らしが充実感で過ぎてゆく。時間をもてあますことはない。ときには1日24時間がもう少し長いとよいのだがと感じることもある。海に近く徒歩で直線なら5,6分で行ける。海水浴場なら10分足らずの距離となる。釣り好きの人にとっては羨ましがられるが、これ以上増やしたらどうにもならなくなる。他人からいくらすすめられても触手は全然動こうとしない。絵はカレイ。 

隆泉寺山門と良寛墓碑(写真)

2016-06-16 06:17:49 | 写真
死してなほ敬愛厚く孤高なり
隆泉寺には良寛の墓碑       樋田哲仙

 希代の僧良寛は74歳で世を閉じた。最後に身を寄せた木村家の菩提寺隆泉寺に大きな自然石の墓碑がある。どこよりも誰よりも大きい墓である。隆泉寺は浄土真宗で良寛本人は曹洞宗の禅僧であるが止むおえない。木村家と寺は目と鼻の距離にある。