参道を進むにつれて木の間には
見え隠れする三重塔 樋田哲仙
五重塔、三重塔、多宝塔は興味が強く関心がある。組み物の部位の名称を思えないと興味は湧かないだろう。そこのあたりを眺めていると時間も忘れるほどである。各塔によって少しずつ異なり、その違いを見ることが楽しい。五智国分寺を訪ねて塔のあることは知らなかったから、法外の喜びである。大きくて、高いのもよかった。
見え隠れする三重塔 樋田哲仙
五重塔、三重塔、多宝塔は興味が強く関心がある。組み物の部位の名称を思えないと興味は湧かないだろう。そこのあたりを眺めていると時間も忘れるほどである。各塔によって少しずつ異なり、その違いを見ることが楽しい。五智国分寺を訪ねて塔のあることは知らなかったから、法外の喜びである。大きくて、高いのもよかった。
山門をくぐりて進む広さかな
越後の国の五智国分寺 樋田哲仙
国分寺は聖武天皇によって五穀豊穣、国家鎮護のため、国分尼寺とともに各国に建立された。正式名は金光明四天王護国之寺呼ばた。今回は新潟・上越市にある五智国分寺を訪ねた。広大な寺域で山門をくぐって本堂までは長い。さすが国分寺のことはある。
越後の国の五智国分寺 樋田哲仙
国分寺は聖武天皇によって五穀豊穣、国家鎮護のため、国分尼寺とともに各国に建立された。正式名は金光明四天王護国之寺呼ばた。今回は新潟・上越市にある五智国分寺を訪ねた。広大な寺域で山門をくぐって本堂までは長い。さすが国分寺のことはある。
居多(いた)神社に着けば地域の人はいふ
この字を書きてこたと呼びけり 樋田哲仙
上越市に居多神社の存在を知って訪ねた。居多をいたと読んでいたので、土地の女性にすぐこたと読むと訂正された。固有名詞は難読で困惑する。越後の国一宮とあり、平安時代からの神社である。親鸞が上陸して真っ先にお参りした由緒もある。本殿は最近再建されて新し。
この字を書きてこたと呼びけり 樋田哲仙
上越市に居多神社の存在を知って訪ねた。居多をいたと読んでいたので、土地の女性にすぐこたと読むと訂正された。固有名詞は難読で困惑する。越後の国一宮とあり、平安時代からの神社である。親鸞が上陸して真っ先にお参りした由緒もある。本殿は最近再建されて新し。
法難は流罪とありて直江津に
親鸞聖人上陸の浜 樋田哲仙
「承元の法難」に遭遇した親鸞聖人は死罪を免れ流罪となっ。琵琶湖上を北上し越前、越中を越えて、越後直江津(現上越市)の居多ケ浜に上陸した。35歳の時である。7年間この地にとどまり、周辺の各地を精力的に布教活動を行った。上陸地は漁港でもなく殺風景の浜である。
親鸞聖人上陸の浜 樋田哲仙
「承元の法難」に遭遇した親鸞聖人は死罪を免れ流罪となっ。琵琶湖上を北上し越前、越中を越えて、越後直江津(現上越市)の居多ケ浜に上陸した。35歳の時である。7年間この地にとどまり、周辺の各地を精力的に布教活動を行った。上陸地は漁港でもなく殺風景の浜である。
死してなほ敬愛厚く孤高なり
隆泉寺には良寛の墓碑 樋田哲仙
希代の僧良寛は74歳で世を閉じた。最後に身を寄せた木村家の菩提寺隆泉寺に大きな自然石の墓碑がある。どこよりも誰よりも大きい墓である。隆泉寺は浄土真宗で良寛本人は曹洞宗の禅僧であるが止むおえない。木村家と寺は目と鼻の距離にある。
隆泉寺には良寛の墓碑 樋田哲仙
希代の僧良寛は74歳で世を閉じた。最後に身を寄せた木村家の菩提寺隆泉寺に大きな自然石の墓碑がある。どこよりも誰よりも大きい墓である。隆泉寺は浄土真宗で良寛本人は曹洞宗の禅僧であるが止むおえない。木村家と寺は目と鼻の距離にある。