哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

明治天皇伏見桃山陵(写真)

2010-12-31 06:01:51 | 写真
ゆっくりと階(きざはし)上る頂きに
明治の陵墓山覆ふかに        樋田哲仙

 激動の近代に治世した天皇である。孝明天皇の後を継いで、慶応3年1月践祚、12月に王政復古の大号令、翌年「五ケ条の御誓文」を宣布して、明治と改元、江戸を東京と呼称された。遷都、廃藩置県、憲法発布、議会召集など万般に新制度を定めた、天皇は1867年に即位しているが明治は1868年と1年の差が生じている。巨大陵墓は数々の偉功からであろう。

高取城跡本丸天守台入り口付近(水墨画)

2010-12-30 06:32:39 | 水墨画
枡形を奥へ進みて一段と
高きに出ればさらに高きに       樋田哲仙

 枡形は旧街道に見られる。馬籠、妻籠、岩村藩城下、出石藩城下などで見かけた。街道が直角に曲がり、敵勢の勢いを減速させるための戦略的設計である。城郭にも一の門を突破して二の門へ進むまでにある。本丸へ進む入り口あたりも直線にはなっていない。高取城跡にも大手門と天守台直前に枡形があり、曲線がアクセントとなり絵になる光景である。  にほんブログ村 美術ブログへ

古今集第百四番花見れば(書)

2010-12-29 07:01:20 | 
花見れば心さへにぞ移りける
いろにはいでじ人もこそ知れ      凡河内躬恒

 色あせている花を見ていると、私の心までも潤いがなくなり、それが他の人に移ってしまう。だから、それを顔色には出せまい。人に知られても、何の特にもならないのだから、。 題詞に移ろへる色を見てよめるとあり、色あせた花を見ていることが分かる。

明治天皇伏見桃山陵階段(写真)

2010-12-28 06:29:35 | 写真
たどり来て陵仰ぐ驚きに
まだ見ぬ先へ上るときめき        樋田哲仙

 京都市伏見区にある明治天皇伏見桃山陵を訪ねた。地図で大方は下調べしているが、やはり道を尋ねる。中年の女性が後ろから足早に来るので聞いてみると、運よく分岐点であった。たどり着くと意外にも山の上にあるらしく長い会談が目前に迫った。天皇陵はこれまでによく訪ねているが、長い階段のある御陵は初めてで、頂を予想すると期待が膨らむ。

はるかに高見山(水墨画)

2010-12-27 07:36:26 | 水墨画
晴れたれば本丸跡の切れ目より
山並みはるか高見山見ゆ      樋田哲仙

 高取城跡本丸東方の樹木の切れ目に高見山(1249)が見える。案内板がなければ見落としてまうが、またあっても晴天でなければ見ることは出来まい。奈良三重県境にそびえ、近接する山も雄大である。家から車で3時間はかかる。新緑の頃一度登ったことのある山で、高取城跡から遠望できるとは意外な感動であった。カメラに収めたものの、肝心の高見山は薄くてどうにもならなかった。 にほんブログ村 美術ブログへ

京都山科・金剛王院(写真)

2010-12-25 06:45:24 | 写真
憂きことの消えざるものか人々の
願ひの届け一言寺かな       樋田哲仙

 京都山科区にある金剛王院(別名一言寺)は真言宗醍醐寺派で土地の人は親しさを込めて一言寺さんと呼んでいる。後醍醐天皇大原行幸に登場し、建礼門院に仕えた阿波内侍は門院亡き後、清水寺本尊のご霊告によりこの地に創建したのが寺の起こりで、平安末期となり由緒ある寺である。人の願いは唯一つ、一心に念ずれば千手観音菩薩に聞き届けられるとの言い伝えられ、一言寺の名がある。

高取城本丸高石垣(水墨画)

2010-12-24 06:43:03 | 水墨画
写真見て城のいづこか分からずに
描き上げて後蘇りけり      樋田哲仙

 山頂にしては広大な高取城跡を思いつくままに、写真を撮り家に帰ってパソコンでのぞくと思い出せない場所がある。歩いた墓所を思い出だしながら、あそこでもない、こちらでもないと消去法でたどり着く。本丸天守台手前の高石垣しかない。遅い時刻に撮り急ぐと笑えないようなことが起きる。今回はいい体験をした。 にほんブログ村 美術ブログへ

大田皇女墓(写真)

2010-12-22 06:17:53 | 写真
目に見えぬ定めを負ひていかんとも
大田皇女の哀しき一世         樋田哲仙

 車木ケンノウ古墳(斉明天皇陵と宮内庁が冶定)を上る途中に大田皇女の墓がある。隣接するどころか同じ山の頂きすぐ下にある。中大兄皇子(天智天皇)と結婚し、大伯皇女と大津皇子を生むが5年後に没した。20代の早世である。生まれつきひ弱な体質であったという。祖母は斉明天皇、母は越智娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)で20代の早世は悲劇が2人の遺児にまで及んでいる。

高取城大手門跡(水墨画)

2010-12-21 04:08:13 | 水墨画
裏からの急を登りて高取の
幻を追ふ大手門跡       樋田哲仙

 高取城跡は二度目となるが、裏の別ルートを目指した。石と土の急坂は足元に注意しながら、ガードレールのロープを頼りに、それでも足は滑る。駐車してから5,6分で城跡の十五間多聞跡である。ここまで登れば記憶は蘇る。冬は草も刈られ、桜もモミジも葉を落として以前のときより明るい。石垣の特徴は面も辺も直線で弧は見られない。南北朝時の築城で城郭の初期となるが、これが一般的かもしれない。 にほんブログ村 美術ブログへ

車木ケンノウ古墳(写真)

2010-12-19 04:51:50 | 写真
新しく墓見つかりてこれまでの
この地の祈りいかんともせん      樋田哲仙

 奈良・高取町車木にある車木ケンノウ古墳は宮内庁指定の斉明天皇陵となっている。小高い山の頂にれっきとした天皇陵の風格を示す。明治初期それなりの根拠で指定したに違いないが、今回明日香で9月に発掘された牽牛塚古墳か八角形の墓であることから新たに村教育委員会は斉明天皇陵とほぼ断定した。が、宮内庁は改名する意志のないこを表明している。これまでの陵への祈りはなんであったろうか。

高取城跡を訪ねて(水墨画)

2010-12-18 06:54:30 | 水墨画
高取の山城跡は夢多く
絵になる景に再びを訪ふ       樋田哲仙  

 大和高取城跡を再び訪ねた。2007年7月以来2度目となる。大和盆地の南端に位置し、明日香に隣接する。前回は夏の盛りで、夏草が生い茂りマムシに注意して草むらを避けたが、今回は草も刈り取られ城壁がくっきりとして感動した。南北朝時代越智氏により築城となるが、高取山(584)の山頂に壮大で要害堅固の城が築かれている。絵は本丸入り口櫓台付近。 にほんブログ村 美術ブログへ 

古今集第百番待つ人も(書)

2010-12-17 04:47:32 | 
待つ人も来ぬものゆゑに鶯の
鳴きつる花を折りてけるかも      詠み人知らず

 私の待ち人も約束を破って会いに来てくれなかった。今日はいやなことばかりが続くので、さっきまで鶯がとまって鳴いていた花の枝を憂さ晴らしにぽっきり折ってやったのさ。