哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

古今集第百十五番梓弓(書)

2011-01-31 06:14:10 | 
梓弓春の山べを越えくれば
道もさりあへず花ぞ散りける      紀貫之

 のどかな春の山路を越えてきたら道を避けて通ることも出来ないほど。花が一杯散り敷いている。「梓弓」は春にかかる枕詞。

京都吉祥院天満宮(写真)

2011-01-30 06:16:36 | 写真
春くれど正月飾りそのままに
吉祥院の天満宮は       樋田哲仙

 京都ウォークの最初に訪れたのは吉祥院天満宮。かっては神社の風格を備えた古社であっただろうが、樹木で森を形成することもなく一部のみに過ぎず、明るく開けた感が強い。参拝客も平日で少なくウオーキングの一団が押し寄せて突如騒然となったようだ。だが社務所には巫女が護符を販売しているにはそれなりの客があるのだろう。一画に正月の立派な葉牡丹の飾りがそのままにある。鏡餅や注連縄と違い、長持ちするのでまだここだけは正月である。

ウサギだってかゆいよ

2011-01-29 06:13:09 | 水墨画
この間卯年迎へし新年も
はや一月の終はらんとする       樋田哲仙

 正月を迎えたのはこの間のことと思っていたら、もう一月も終り近くとなってしまった。毎日それなりに忙しく動き回っているとその感が強い。振り返ると正月以来この方神戸、奈良、京都、さらに四国へも足を伸ばした。かなりの行動である。そのことが却って月日の経つのを早く感じさせるのだろう。足腰を弱めてからでは活動も出来ない。まだ、元気な間はやりたいことも行きたいところも計画は盛り沢山である。 にほんブログ村 美術ブログへ

京都ウォーク西大路七福社(写真)

2011-01-27 06:15:44 | 写真
健康によきと思ひて集ひくる
高齢者らのウォークに目立つ。      樋田哲仙

京都ウオーキング協会主催による「西大路七福社」に参加した。23日の日曜日の朝は吐く息も白く冷えはきつい。指定の集合公園はカラフルなスッタフに元気な高齢者ばかりで若者の姿は見当たらない。今回は京都市街の西部を歩く神社めぐり。年末の高校駅伝が行われたコースの西大路をなんども右へ左へ横切り北部へ進む。参加者の足は素晴らしく速い。うっかりすると後方へいつの間に下がっている。参加者552名の盛会。
 

純情なウサギ(水墨画)

2011-01-26 06:10:29 | 水墨画
ストレスに弱き兎を知らずして
安易に飼ふは哀しみの果て       樋田哲仙

 小学生の頃一度ウサギを飼った経験がある。ウサギの特性も全くの無知。ただ珍しさで飼ったが、極めて神経質でストレスを受けやすい生き物である。ウサギはものを言わないので偏重に気づいたときは重症で手遅れとなり、手の施しようもなく死に至らしめる。ケージの中を日になんども覗いて観察をする必要がある。 にほんブログ村 美術ブログへ

古今集第百十三番花にいろは(書)

2011-01-25 06:12:03 | 
花のいろは移りにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに      小野小町

 花の美しさも私の若い容色も、もう消え去ってしまった。虚しくすっかり衰えたものだ。驕慢な物思いにふけって眺めるうちに、花が春の長雨に打たれて散っていくように。この歌は百人一首第九番に収めらて名をなしている。絶世の美人だが生没不明。全国各地に墓は35ほどあり、伝説の女流歌人である。

香煙にむせぶ宝山寺(写真)

2011-01-24 07:16:14 | 写真
むせぶほど堂宇の中は線香に
託す生駒の三ヶ日かな        樋田哲仙

 生駒・宝山寺は大鳥居を潜る時点で見上げる各堂宇からの香煙が神社の護摩のように立ち込める。最初の階段の門を潜ると石像の堂宇の中は薄暗いが線香の燃え上がる火が妖しい明るさを醸し出している。むせる煙りの中で一心に経を唱え手を合わせて祈る人も多い。

仲良し(水墨画)

2011-01-23 06:12:52 | 水墨画
人の意の犬猫ほどに伝はらず
兎のランク今ひとつなり       樋田哲仙

 犬や猫はペットのランク上位は間違ない。飼い主との意思疎通が十分可能である。近隣でも犬猫を飼う家は多くある。だが、ウサギは人間との交流が犬猫ほども出来ない。綱をつけて散歩することも出来ず、せいぜい小屋の中で飼育することになる。冬場は草が枯れて春が待ち遠しくなる。だが、学校で理科の一環として飼育となると犬猫は聞いたことがない。ウサギやヤキガ優位になるの不思議である。 にほんブログ村 美術ブログへ

鳥居のある宝山寺(写真)

2011-01-21 06:05:40 | 写真
尋ぬれば寺とぞ返へす参道に
巨き鳥居が吾を迎ふる       樋田哲仙

 奈良・生駒山の中腹に宝山寺なる有名な寺がある。別名「生駒の聖天さん」と呼ばれて親しまれている。歓喜天を祀り、事業の成功や商売繁盛に信仰が篤く参拝者は多い。しかし、参道の坂道を上りきると大きな鳥居が現れる。かっての神仏混交の時代の名残であろう。関係者にここは神社か寺院かと尋ねると寺と答えを返す。境内の各所には香煙が立ち上り抹香臭くて寺の雰囲気は満ちている。

不思議なウサギ(水墨画)

2011-01-20 06:10:09 | 水墨画
ちょっと見にこれが兎と思ふほど
珍種のありて生き物の謎           樋田哲仙

 生物のどの世界を覗いても種類が多様化している。犬にしても馬にしても原種から改良種まで数が多い。植物にしても菊が多品種が存在する。ウサギを調べてみると、アメリカで47種があるそうだ。見慣れた白ウサギや色のついた野ウサギなどまだ標準である。毛、皮、肉を目的とする特長を生かした種類も存在する。人間も人種が多いし、生物の不思議さである。 にほんブログ村 美術ブログへ

古今集第百十一番駒並めて(書)

2011-01-19 06:05:30 | 
駒並めていざ見にゆかむ故里は
雪とのみこそ花は散るらめ       詠み人知らず

 馬を並べ、連れ立って花見に行こうよ。旧都に行けば花は雪のように盛んに散っていることだろう。駒並べるとあるが将棋ではない。故里は平安京からみて奈良の都をさすのだろう。

長田神社本殿(写真)

2011-01-18 06:09:25 | 写真
すがすがと長田の神は隅々も
年寿ぎて改まりをり      樋田哲仙

 神戸市長田神社は数年前の普段に訪ねたことがある。閑散としていて広い境内に朱の社殿は鮮明な記憶がる。今回正月とあって参拝客の混雑を避けるための一方通行に表参道から進む。前回鳥居を潜っていたが、今思うと裏参道から進んでいたようだ。境内の広場は多数の露天商が並び大声で帰りの客に呼びかけている。どこの社寺も新年を迎えるに清清しくこちらの心までが清新となる。

ウサギの相談(水墨画)

2011-01-17 06:04:25 | 水墨画
アンゴラの毛の優しさは類のなく
衣料となりて雅びに包む      樋田哲仙

 これまで、ウサギの短所ばかりを書いてきたが、長所がないわけではない。アンゴラウサギは良質の白く長い毛を産して、女性のショールやセーターとなり衣料品として秀でている。ニュージーランドでは毛を目的に産業として飼育されている。羊同様毛刈り作業が定期的に行われる。あまりにも軽く作業者の息にも舞い上がるほどで、他の獣毛とは品質が別格である。  にほんブログ村 美術ブログへ