哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

出石城跡(写真)

2009-06-30 06:01:58 | 写真
四十年経て再びを訪ねたる
出石の城は整へられて       樋田哲仙

 兵庫県北部の出石は江戸情緒が残る歴史豊かな街である。但馬国出石藩は五万四千石の小藩ながら城を有し、城下を見下ろす山裾にある。40年ほど前に訪ねた記憶とは異なり隅櫓、登城門、登城橋が整備され次第に昔の城郭を再現しつつある。年間100万人の観光客が出石の歴史と情緒を楽しむという。
きょうでブログ1500回、万歳。

雨降らぬ川(水墨画)

2009-06-29 06:35:23 | 水墨画
梅雨入りていく日経てども降らぬまま
予報にたがふ今日も真夏日       樋田哲仙

 きのう自然同好会のメンバー44人とバスで出石へ出かけた。天気予報では午後から降水確率30%となっているので傘を用意したが、一日中かんかん照り。大阪も最高気温が32・3度と真夏日となた。9日に梅雨入りしたもののいくらも雨は降らず、道中の河川も水位は低くサギが降り立つ光景がなんども見られた。 にほんブログ村 美術ブログへ
  

百人一首第二十一番今来むと(書)

2009-06-28 05:34:00 | 
今来むといひしばかりに長月の
有明の月をまち出でつるかな      素性法師

 そんなに待たせませんよ、じきに来ますからと言い残して出たばかりに、私はあなたの言葉を信じて9月の長い夜を間っていました。が、とうとう明け方の月が出るほどに待ってしまいました。ひどいことこの上もありませんよ。僧正遍昭の子で、出家して雲林院に住み、名を素瀬法師となる。三十六歌仙の一人。

移動して20年のかむろ大師(写真)

2009-06-27 06:11:10 | 写真
旧道に在りし面影追ひ行けば
学文路大師は高台の上         樋田哲仙

 遠い昔一度訪ねた記憶を追いながら和歌山県九度山町の学文路(かむろ)大師に出かけた。旧高野街道の町並みに、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな狭い場所にあったが、周辺の様子が大きく変わり、なかなか見つけられず、尋ねると丘陵地に移動して20年になるという。年月の移り変わりは速いものだ。

林の中の道(水墨画)

2009-06-26 06:09:54 | 水墨画
まばらなる林の道の梅雨中は
蝉時雨降る前の静けさ        樋田哲仙

 日課としている散歩の道は、自然とコースが定まっているが、時には思いついたかのように別コースを歩く。神社の境内は桜も多く夏の盛りには蝉時雨が降り賑やかだ。子供たちも夏休みで捕虫網と虫かごを持つが、まだ、時期が少し早く静まりかえっている。。時折、静けさを破る野鳥の甲高い声がする程度であった。にほんブログ村 美術ブログへ
   

百人一首第二十番わびぬれば(書)

2009-06-25 06:11:18 | 
わびぬれば今はたおなじ難波なる
みのつくしても逢はんとぞ想ふ        元良親王

 秘めていたことが現れてしまって憂き目をみたり、侘しかったりしてるのでは身を捨てたも同然、いっそのこと難波の澪標(みおつくし)のように身を尽くしてしまっても、あなたに会いたいと思います。澪標<は船の通路を示すために海に立てた目印。身を尽くすにかけての言葉。侘びぬればは悲観して心が晴れないこと

人物画像鏡(写真)

2009-06-24 06:02:35 | 写真
初めての地の楽しきは新しく
触れる知識にほのぼのとして        樋田哲仙

 知らなかった土地や社寺を訪ねることは楽しいことが多い。橋本市隅田(すだ)八幡神社もその一つである。格調高い社殿に感動しながら、碑文を読んで驚いた。直径19・4㌢、重さ1434㌘の国宝に指定されている人物画像鏡を所蔵している。7世紀初頭のことが銅鏡の銘文に記されているという。境内に大きな模造碑がある。

2匹の金魚(墨彩画)

2009-06-23 06:43:08 | 墨彩画
子供らは夜の明かりに輝きて
金魚の主笑みを絶やさず        樋田哲仙

 金魚の振り売りの声は子供ころから聞いたことがない。昭和初期以前の話であろうか。現在金魚を求めるには夜店か縁日が手っ取り早い。5月中旬になると月に3回土地によって日が定まっている。当地では3の日で今夜である。子供もいない今ではすっかり遠ざかってしまった。 にほんブログ村 美術ブログへ

百人一首第十九番難波潟(書)

2009-06-22 06:19:39 | 
難波潟みじかき蘆のふしの間も
逢はでこの世を過ぐしてよとや      伊勢

 難波江に生えている葦(あし)。あの短い節の間ほども私はあなたに会うことも出来ず、この世を終えねばならないでしょうか。と男の非情を責めて情熱を燃やしている。難波潟は大阪湾の一部で潟には葦が生えて有名なところであった。伊勢は伊勢守藤原続蔭の娘で父の官名から来ている。宮廷に仕えた一流歌人。

隅田八幡神社雲竜(写真)

2009-06-21 05:46:29 | 写真
たどり来て見上ぐる楼の天井に
踊れる龍のにらみを利かす        樋田哲仙

 国道24号線の橋本市を走っていると、隅田(すだ)八幡神社の標識が目につく。なんども目にしていながら通り過ぎていたが、今回立ち寄ってみた。国道を脇へ入るとすぐ正面に着く。隅田族の氏神として建立されたが、永禄年間に松永弾正久秀の攻略により社殿は焼失し、江戸末期にも焼失。すぐ再建されたものが現在の社殿。

ハイクは決まったところで休憩(水墨画)

2009-06-20 06:53:16 | 水墨画
いつきても憩ふところは山道の
定まりてをり一人にあれば       樋田哲仙

 仲間とのハイキングでは自分の意思どおりには行かないが、一人であれば休憩個所は自由である。が、憩うところはどうしても同じところとなりやすい。歩き始めて適度の疲れが出で来たころや景色の開けたところになりやすいからだ。いつ来ても同じところで懐かしむように腰を下ろし、汗を拭いて水を飲む。  にほんブログ村 美術ブログへ

百人一首第十八番住の江の(書)

2009-06-19 06:06:30 | 
住の江の岸による波よるさへや
夢のかよひぢ人目よくらんむ         藤原敏行朝臣

 住の江は大阪市住之江区で葦のよく生えた岸辺が長く続いて当時は有名。歌意は住の江の岸辺に打ち寄せる波は夜さえも続く。あなたのところへ通う私の恋は昼間は人目を避けているが、夢の中の逢瀬までも避けているとは、誠にもって切ないものである。小野道風の言によると能書家は空海と藤原敏行という。

恋し野の里あじさい公園(写真)

2009-06-18 06:28:42 | 写真
着くまでの期待ふくらみはじめての
恋し野の里あじさい公園        樋田哲仙

 和歌山・橋本市の「恋し野の里あじさい公園」は聞き始めで知らなかった。時期よく空を見上げて出かけたが、簡単ではなく、少し入り組んだ山裾にあった。若木も多数植えられ、開園して年数が浅くこれからの公園である。第2回あじさいまつりが14日(日)に落語家を招いて開催予定。数年後が楽しみである。

不思議なアサガオ(墨彩画)

2009-06-17 05:52:44 | 墨彩画
先駆けて今を盛りにアメリカの
朝顔といふ命の不思議        樋田哲仙

 朝顔といえば梅雨が明けて盛夏に似合う花であるが、常識を破るアサガオがある。早くから冬まで順々に咲き続く不思議な精力を持つ。繁殖には種子を結ばず、株分けしかない。1株で咲く花の数は万を越える。青の単色でシンプル。その名をアメリカアサガオと人は呼んでいる。公園のフェンスにもう咲いている。 にほんブログ村 美術ブログへ

百人一首第十七番千早振(書)

2009-06-16 06:15:49 | 
千早振神代もきかず竜田川
からくれなゐに水くくるとは     在原業平朝臣

 流れ行く川の水を唐紅でくくり染めするかのようなったことは、誠に珍しいことで、いろいろなことがあった神代の時代にも聞いたことがない。秋も深まり紅葉が川面を敷き詰めて真っ赤になった様子を詠んでいる。千早は神にかかる言葉。竜田川は奈良県で大阪に隣接する紅葉の名勝となっている。業平は六歌仙の一人。