哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

観音の里・與志漏神社(写真)

2007-03-31 07:24:21 | 写真
訪ねれば與志漏神社は山間ひに
威風たたへて厳かなりき       樋田哲夫

 滋賀・木之本町の寒村の小さな集落に風格のある與志漏(よしろ)神社はある。長く伸びた尾根上に境内を構え、昨年修築された社殿は新しいが、厳かで式内社である。その境内地に己高閣が建立され、鶏足寺の文化財を、隣接して世代閣が戸岩寺の文化財を収蔵して、一度に多数の観音菩薩、薬師如来、十二神将など多数が拝観出来る。

里の恵みのタケノコ(水墨画)

2007-03-30 08:07:11 | 墨彩画
朝採りの里の恵みの筍を
屈みて笊に八百屋の主        樋田哲夫

 数日前から店頭にタケノコが並べられるのを注意していたが、きのう、やっと見かけた。手ごろなざるに盛られたタケノコは小ぶりなもので、老店主は屈みこんで並べていた。スーパーでは、とうに売られていると聞いたが、出かけて見ると、裸でゆでられた物で、今年の産か分かりかねた。大阪では4月中・下旬が最盛期。  にほんブログ村 美術ブログへ

ゆさゆさと 道彦(書))

2007-03-29 07:02:37 | 写真
ゆさゆさと桜もてくる桜哉        鈴木道彦

 道彦は江戸中期に江戸で生まれ、文政2年没。鈴木道彦の名前は現在でも通用し、最近の人かと思いきや、江戸時代に生きている。白雄門、成美と共に江戸三大家と目され、画にも書にも一境地を開く。桜の一枝を折って、満月の夜道を歩いていると、風か、歩くためか、桜が揺れるのである。この時期ソメイノヨシのはないから、葉のついた桜でその音と揺れであろう。

観音の里・医王寺(写真)

2007-03-28 07:57:21 | 写真
奥琵琶に惹かれてめぐる観音の
里の人らの優しき出会ひ        樋田哲夫 

 奥琵琶湖の特に木之本町と高月町には国宝、重文の仏像を所有する寺が多い。名づけて「観音の里」と呼ばれている。ゆっくりするため、レンタサイクルを利用して、最初に医王寺を訪ねた。奥深い山間にひっそりと重文の十一面観音はあった。無住で電話をかけると村人が自転車で駆けつけ扉を開けてくれる。その人の純朴さに胸を打たれた。

クロツラヘラサギのきずな(水墨画)

2007-03-27 07:24:40 | 水墨画
死者の数六十余万とニュースには
予想の新型インフルエンザ      樋田哲夫

 今、野鳥は鳥インフルエンザにかかって死滅していると予想されている。今年1月熊本県で衰弱死したクマタカがH5N1型の鳥インフルエンザだった。ニワトリの大量死の感染源は野鳥が濃厚であるという。まもなく、形を変えて人に流行するのは時間の問題としている。画は絶滅の恐れのあるクロツラヘラサギだが、2002年12月台湾南部でボツリヌス菌で大量死した。にほんブログ村 美術ブログへ

ゆき暮れて 蕪村(書)

2007-03-26 05:13:29 | 
ゆき暮れて雨もる宿やいとざくら       与謝蕪村

 一日の旅も終り、日も暮れて粗末な宿に上がり込むと、一本のシダレザクラが見事に咲いていて疲れを一瞬忘れさせてくれたのである。イトザクラはシダレザクラの別名で、エドヒガンの園芸改良種である。現在八重もあって数種類あるという。蕪村が生きた江戸中期にすでに改良種があったことになる。全国にある桜の銘木はシダレザクラが多い。

湖東の三上山・一名近江冨士(写真)

2007-03-25 07:05:25 | 写真
三上山岩の急坂登りつつ
返りて見れば琵琶湖広ごる        樋田哲夫

 三上山は一名近江冨士と呼ばれている。名神高速道路と東海道新幹線に挟まれて、どちらからも近くに見える。遠くからの山容は冨士の名にふさわしく、また、俵籐太のムカデ退治伝説の山である。標高432㍍とさほどでもないが表登山道は最後の300㍍が岩山の急坂で、ところどころ手すりもあるが登るには怖い。

和歌山・白崎海岸(水墨画)

2007-03-24 21:00:46 | 水墨画
岬にて鳥観察の帰路にふと
車を降りてみたくなる海        樋田哲夫

 日の岬の山頂で一日中鳥観察をして帰りに少し回り道になるが、白っぽい大きな岩がそびえる白崎海岸を通ると、思わず車をとめて降りたくなる。この一帯だけが、なぜか切りだった白い岩が並ぶ不思議な世界があ。太平洋の荒波が打ち寄せるわけでもなく自然の造形美に印象が深い。にほんブログ村 美術ブログへ 

世の中は 蓼太(書)

2007-03-23 07:17:40 | 
世の中は三日見ぬ間に桜かな       大島蓼太

 蓼太(りょうた)は江戸中、後期の人。信濃生まれ。俳句を二世雪中庵桜井更登に学ぶ。後に三世雪中庵となり3000人の門下生を擁した。世の中へ3日も外出しなかったら、桜が満開になっていたと、開花の早さを驚いているが、この原句がいつの間にか「見ぬ間に」が「見ぬ間の」にそらんじられている。「の」では散ってしまっていたと移り代わりの早さを嘆くことになる。

賤ヶ岳から見る伊吹山(写真)

2007-03-22 06:52:43 | 写真
名山の仲間入りして堂々と
賤ヶ岳より伊吹峰は見ゆ     樋田哲夫

 賤ヶ岳山頂から東南東に百名山の一つ伊吹山があり、この時期真っ白に雪をいただいて美しい。賤ヶ岳は古戦場として知られるが、伊吹山は百名山の一つとして、また、薬草の山として名がある。このあたり一帯は戦国時代に、有名な戦いが多い。姉川、小谷、関が原など武将たちが京を目指す交通の要衝で衝突が多かったのであろう。
 

日本の原風景(水墨画)

2007-03-21 21:01:41 | 水墨画
湖西行く列車の窓に日本の
原風景を映すは楽し         樋田哲夫

 大阪から北陸へ向かうのに湖西線を利用する方法が近くて便利だ。景色が優れて、東に雄大な琵琶湖が、西には蓬莱(ほうらい)山や武奈ヶ岳の山麓が近くまで迫っている。斜面を覆う杉の林の景色が窓外に映ると心が和む。列車の中で居眠りなどとても惜しくて出来ない。後日、その景色が思い出されるのも楽しいものである。 にほんブログ村 美術ブログへ 

初花の 鬼城(書)

2007-03-20 06:29:20 | 
初花の薄べにさして咲きにけり       村上鬼城

 鬼城は慶応元年江戸生まれ、幼少のとき高崎に移り住む。子規の門に入り、明治、大正、昭和で活躍。この時期は「待つ花」「初花」のころといえる。先日東海道線で京都天王山あたりを通過中満開に近い1本の桜を見かけた。が、その側の桜がつぼみだった。おそらく種類だろう。桜花は単独ではほとんど白く、かすかに紅が差した感がある。

積雪の賤ヶ岳から(写真)

2007-03-19 07:32:37 | 写真
右に余呉左に琵琶を見下ろして
雪の消残る賤ヶ岳かな          樋田哲夫

 秀吉と勝家の古戦場である賤ヶ岳(422)を訪ねた。寒波襲来の中、余呉から大岩山を経ての登山道はところどころに雪が残り、解けてぬかるんで滑りやすい道が4㌔も続いた。1時間半で山頂へ到着。最後の急坂は10㌢の雪で危険であった。山頂からは余呉湖と琵琶湖が見下ろすように眺められて素晴らしかった。

九重高原(水墨画)

2007-03-18 07:50:48 | 水墨画
検索に出でしは光る一筋の
木道延びる九重高原      樋田哲夫

 海岸の風景もいいが、高原の広がりもよい。そこと何となく「高原」と検索とすると、大分県・九重高原の画面がでた。広大なススキ原の中を整備された一本の木道が延びて晩春の景である。ドライブの途中に立ち寄り、疲れを癒すために散策したくなるスポットとか。秋には銀色に輝くススキの穂が風になびく様を想像するだけで楽しいく画に描いた。  にほんブログ村 美術ブログへ

竹の芽も 龍之介(書)

2007-03-17 04:22:58 | 
竹の芽も茜さしたる彼岸かな       竜之介

 春分の中日を挟んで前後3日の計7日間が彼岸となる。俳句の世界では、単に彼岸は春の彼岸を意味し、秋の彼岸は「秋の彼岸」としている。あすは彼岸の入り、暑さ寒さも彼岸までのお彼岸が来た。今年は気候が遅れていて、まだ寒い。竹の芽はタケノコのことであり、彼岸は春を差す季語でダブりとなる。