哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

本宮大社に和泉式部祈願塔(写真)

2017-01-30 07:00:01 | 写真
<はるばると熊野詣でに来たるらし
和泉式部の祈願塔建つ         樋田哲仙

 本宮大社本殿前の片隅に和泉式部の祈願塔が建っている。小さなもので苔むしている。立札の説明によと、せっかく遠くから訪ねたのに、生理になってしまってお参りすることができず嘆いている歌である。
 「晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて月の障りとなるぞ悲しき」

イタチが鶏をときに襲う(水墨画)

2017-01-29 07:15:08 | 水墨画
昼日中鶏の騒ぎに駆け付けば
襲ふ鼬のすきあらばとや       樋田哲仙

 田舎育ちの子供のころ、どこの家庭でも鶏を飼っていた。ときに、イタチが襲うことがある。鶏小屋で激しい騒ぎ起きるので駆けつけると、イタチが懸命に穴を掘って中へ入ろうとしている。すぐに逃げて無事であるが、もし、留守にしていたらまんまと1羽が犠牲になるところだ。小屋は地面でコンクリとでできていないから狙いをつける。掘りかけた穴は大きな石ころでふさぐしかない。油断も隙もないことである。 

本宮大社・正月が抜けず(写真)

2017-01-27 07:06:41 | 写真
商ひの心の気配社務所には
睦月の下旬絵馬に破魔矢に          樋田哲仙

 三ケ日で60人の参拝客が訪れた本宮大社を1月下旬に訪ねた。のぼりのはためく長い参道を登りきると売店がある。絵馬や破魔矢がまだたくさんに売られている。それを参拝客が求めているが初詣はどこへも行かなかったのか、それともこだわりがあるのか。今頃になってもとめている。小正月はとうに過ぎているのにまだ正月そのものである。

ひよこの雌雄鑑別(水墨画)

2017-01-26 07:16:00 | 水墨画
孵化したるひよこの雌雄性差なく
職人にして難しきらし         樋田哲仙

 孵化器から大量に誕生してくるひよこの雌雄の鑑定は職人にして難しいらしい。性差が少ないという。排泄口も見る方法、羽毛の成長が雄の方が少し早いとか、黄色っぽいのが雄らしい。素人では全く歯が立たない。雄の一部はブロイラー用として生きられるが、大方は殺処分されてしまう。悲しい運命を担って生まれてくる。 

本宮大社参道ののぼり(写真)

2017-01-24 07:21:51 | 写真
参道は寄進の幟清清と
いづれも今年元旦のあり       樋田哲仙

 熊野三山の一つ本宮大社は合併により現在は田辺市になる。旧来は熊野川の中州に建っていたが、明治の大洪水に大方が流失し、その直後高台に建設された。長い参道の両脇には熊野大権現と記されたのぼりが整然と立ち並べられている。どれも今年元旦に奉納されたのぼりである。奉納者の記されたのぼりは一年間はためく。

鶏から新型インフルエンザの脅威(水墨画)

2017-01-23 07:08:11 | 水墨画
次の世を脅かすもの新型の
インフルエンザ爆発すれば          樋田哲仙

 現在猛威を奮っている鶏インフルwンザが豚を介して人へ感染するようになったら大変なことになる。まだ鶏同士のことで人へはうつらないらしいが、やがて人へ、人から人へと爆発的に感染するらしい。それが時間の問題というから脅威である。早くワクチンの開発が待たれる。
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根来寺不動堂(写真)

2017-01-21 07:20:23 | 写真
精巧の欅づくりの立ち並ぶ
七福神は不動堂の中        樋田哲仙

 根来寺の不動堂は入山料が無料でこれまでになんとも訪ねている。こじんまりとした境内ながら寺社の雰囲気は十分味わうことができる。それが好むところだ。御堂の中に入ると、見慣れた七福神が一列に整列して立ち並ぶ。近寄ると、ケヤキ造りの仏像であることに気付いた。これまで何度も見ていながら知らなかった。呆れるほかない。新しい発見である。

猫の仕業(水墨画)

2017-01-20 07:12:54 | 水墨画
鶏の羽根が一面庭に散る
猫の仕業に向かひの一羽        樋田哲仙
 15日の日曜の朝、雨戸をあけると梅の木の根元に白い何かが散らかっている。玄関からまわって確かめると鶏の羽である。向かいの放し飼いの1羽が猫にやられたものとすぐに分かった。最近、野良猫がウロウロするのをよく見かける。数匹はいる。どれがしでかしたかはわからないが、以前から心配はしていたことで、とうとう現実のこととなってしまった。 

粉河寺。牧水の歌碑(写真)

2017-01-18 07:12:51 | 写真
粉河寺酒と孤独の旅人が
詠みて残せし牧水が歌碑        樋田哲仙

 粉河寺は境内が広く、いつも清掃が行き届いている。殺漠とした日常から心静かに落ち着きを取り戻せるて寺ある。何度訪ねてもよい。威容を誇る重文の中門をくぐり、すぐ左側に牧水の大きな歌碑が目につ。「粉河寺遍路の衆の打ち鳴らす鉦々きこゆ秋の樹の間に}

かっての鶏の悲哀(水墨画)

2017-01-17 07:17:38 | 水墨画
なににつけかって田舎は宴会に
鶏をつぶせる習はしありて        樋田哲仙

 この話は昭和30年代まで続けられた風習である。なにかにつけて日頃の重労働の農作業を慰労するために村中で宴会を開いた。酒が飲める楽しにとなったようだ。宴会場は区長宅が当たることが多い。現在のように精肉店や鶏肉店などない。自然と自家の鳥をつぶすのが手っ取り早い。今思うと全く残酷な話で鳥は常に犠牲となっていた。