<はるばると熊野詣でに来たるらし
和泉式部の祈願塔建つ 樋田哲仙
本宮大社本殿前の片隅に和泉式部の祈願塔が建っている。小さなもので苔むしている。立札の説明によと、せっかく遠くから訪ねたのに、生理になってしまってお参りすることができず嘆いている歌である。
「晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて月の障りとなるぞ悲しき」
和泉式部の祈願塔建つ 樋田哲仙
本宮大社本殿前の片隅に和泉式部の祈願塔が建っている。小さなもので苔むしている。立札の説明によと、せっかく遠くから訪ねたのに、生理になってしまってお参りすることができず嘆いている歌である。
「晴れやらぬ身に浮雲のたなびきて月の障りとなるぞ悲しき」
水の面にしづく花の色さやかにも
君がみかけのおもほゆるかな 小野篁
桜の花が水面に影を落としているのは実に鮮やかであるが、それにつけても花のように美しかった方のお姿を目に見るように私には思えるのだが。
君がみかけのおもほゆるかな 小野篁
桜の花が水面に影を落としているのは実に鮮やかであるが、それにつけても花のように美しかった方のお姿を目に見るように私には思えるのだが。
商ひの心の気配社務所には
睦月の下旬絵馬に破魔矢に 樋田哲仙
三ケ日で60人の参拝客が訪れた本宮大社を1月下旬に訪ねた。のぼりのはためく長い参道を登りきると売店がある。絵馬や破魔矢がまだたくさんに売られている。それを参拝客が求めているが初詣はどこへも行かなかったのか、それともこだわりがあるのか。今頃になってもとめている。小正月はとうに過ぎているのにまだ正月そのものである。
睦月の下旬絵馬に破魔矢に 樋田哲仙
三ケ日で60人の参拝客が訪れた本宮大社を1月下旬に訪ねた。のぼりのはためく長い参道を登りきると売店がある。絵馬や破魔矢がまだたくさんに売られている。それを参拝客が求めているが初詣はどこへも行かなかったのか、それともこだわりがあるのか。今頃になってもとめている。小正月はとうに過ぎているのにまだ正月そのものである。
参道は寄進の幟清清と
いづれも今年元旦のあり 樋田哲仙
熊野三山の一つ本宮大社は合併により現在は田辺市になる。旧来は熊野川の中州に建っていたが、明治の大洪水に大方が流失し、その直後高台に建設された。長い参道の両脇には熊野大権現と記されたのぼりが整然と立ち並べられている。どれも今年元旦に奉納されたのぼりである。奉納者の記されたのぼりは一年間はためく。
いづれも今年元旦のあり 樋田哲仙
熊野三山の一つ本宮大社は合併により現在は田辺市になる。旧来は熊野川の中州に建っていたが、明治の大洪水に大方が流失し、その直後高台に建設された。長い参道の両脇には熊野大権現と記されたのぼりが整然と立ち並べられている。どれも今年元旦に奉納されたのぼりである。奉納者の記されたのぼりは一年間はためく。
精巧の欅づくりの立ち並ぶ
七福神は不動堂の中 樋田哲仙
根来寺の不動堂は入山料が無料でこれまでになんとも訪ねている。こじんまりとした境内ながら寺社の雰囲気は十分味わうことができる。それが好むところだ。御堂の中に入ると、見慣れた七福神が一列に整列して立ち並ぶ。近寄ると、ケヤキ造りの仏像であることに気付いた。これまで何度も見ていながら知らなかった。呆れるほかない。新しい発見である。
七福神は不動堂の中 樋田哲仙
根来寺の不動堂は入山料が無料でこれまでになんとも訪ねている。こじんまりとした境内ながら寺社の雰囲気は十分味わうことができる。それが好むところだ。御堂の中に入ると、見慣れた七福神が一列に整列して立ち並ぶ。近寄ると、ケヤキ造りの仏像であることに気付いた。これまで何度も見ていながら知らなかった。呆れるほかない。新しい発見である。
粉河寺酒と孤独の旅人が
詠みて残せし牧水が歌碑 樋田哲仙
粉河寺は境内が広く、いつも清掃が行き届いている。殺漠とした日常から心静かに落ち着きを取り戻せるて寺ある。何度訪ねてもよい。威容を誇る重文の中門をくぐり、すぐ左側に牧水の大きな歌碑が目につ。「粉河寺遍路の衆の打ち鳴らす鉦々きこゆ秋の樹の間に}
詠みて残せし牧水が歌碑 樋田哲仙
粉河寺は境内が広く、いつも清掃が行き届いている。殺漠とした日常から心静かに落ち着きを取り戻せるて寺ある。何度訪ねてもよい。威容を誇る重文の中門をくぐり、すぐ左側に牧水の大きな歌碑が目につ。「粉河寺遍路の衆の打ち鳴らす鉦々きこゆ秋の樹の間に}