いつ来ても吾の心の満たされて
古都しのばるる奈良公園は 樋田哲仙
1か月もしないうちに、古都奈良公園を散策した。雰囲気が心に響くからだ。写真を撮るのにも苦労しない。前回は春日他紙や、三月堂、東大寺だったが、今回は南のなら町を歩いて元興寺、杉岡華邨書道美術館を覗いた。趣のある町並みが他には見られない光景である。
古都しのばるる奈良公園は 樋田哲仙
1か月もしないうちに、古都奈良公園を散策した。雰囲気が心に響くからだ。写真を撮るのにも苦労しない。前回は春日他紙や、三月堂、東大寺だったが、今回は南のなら町を歩いて元興寺、杉岡華邨書道美術館を覗いた。趣のある町並みが他には見られない光景である。
いにしへの熊野詣の本宮は
大斎原のここのこの地ぞ 樋田哲仙
旧本宮大社は熊野川、音無川、岩田川の合流地点の中州に鎮座していたが、明治22年の大洪水でほとんど流出してしまった。そこで500㍍離れた現在地の高台に明治24年遷座した。旧社地は大斎原と呼ばれ36000平方㍍の広大であるが建造物は何もない。こんもりとした森と参道に高さ34㍍の大鳥居だけが目立っている。
大斎原のここのこの地ぞ 樋田哲仙
旧本宮大社は熊野川、音無川、岩田川の合流地点の中州に鎮座していたが、明治22年の大洪水でほとんど流出してしまった。そこで500㍍離れた現在地の高台に明治24年遷座した。旧社地は大斎原と呼ばれ36000平方㍍の広大であるが建造物は何もない。こんもりとした森と参道に高さ34㍍の大鳥居だけが目立っている。
水無瀬川ありて行く水rなくはこそ
つひにわが身を絶えぬと思はめ 詠み人愛らず
水がないと言われる水無瀬川が永久に水がないのなら、最後にはその水脈までもが絶えるように、私の命も絶えるだろうと思うが、水無瀬川は時折水が流れるのは。
つひにわが身を絶えぬと思はめ 詠み人愛らず
水がないと言われる水無瀬川が永久に水がないのなら、最後にはその水脈までもが絶えるように、私の命も絶えるだろうと思うが、水無瀬川は時折水が流れるのは。
ポリタンク積みてわが旅十津川に
終夜溢るる果無の水 樋田哲仙
以前にもブログに触れたことがあるが、健康方の一つに水飲みがある。30年は続いているか正確には分からない。水道水では駄目で湧水に拘っている。その、お蔭で現在も大病もせず健康に生きている。そう信じているから続くのだ。十津川に「果無の水」があることを知って、ポリタンクを積んで出かけた。湧水は怖い面がある。大腸菌に汚染された不適格の水があるからだ。近隣の人が汲んでいる姿を見かけると一安心となる。今回20㍑を持ち帰った。
終夜溢るる果無の水 樋田哲仙
以前にもブログに触れたことがあるが、健康方の一つに水飲みがある。30年は続いているか正確には分からない。水道水では駄目で湧水に拘っている。その、お蔭で現在も大病もせず健康に生きている。そう信じているから続くのだ。十津川に「果無の水」があることを知って、ポリタンクを積んで出かけた。湧水は怖い面がある。大腸菌に汚染された不適格の水があるからだ。近隣の人が汲んでいる姿を見かけると一安心となる。今回20㍑を持ち帰った。
水の泡の消えで憂き身といひながら
ながれてなほも頼まるるかな 紀友則
水の泡が消えずに浮いているように命だけは消えない憂き身であっても水の流れるように、生きながらえ、泣かれながらもやはり何かを頼りたくなるのだ。
ながれてなほも頼まるるかな 紀友則
水の泡が消えずに浮いているように命だけは消えない憂き身であっても水の流れるように、生きながらえ、泣かれながらもやはり何かを頼りたくなるのだ。
式部には人の羨む歌才あり
本宮大社に歌碑見つけたる 樋田哲仙
本宮大社は何度の訪ねているが、近くを通りかかったので立ち寄ることにした。霧雨に煙る境内を散策していて式部の歌碑を見つけて驚いた。現在式部の研究中であるからだ。140首は取り組んでいる。
歌二首
晴れやらぬ身に浮き雲のたなびきて
月の障りとなるぞ悲しき
もろともに塵にまじわる神なれば
月の障りの何かくるしき
本宮大社に歌碑見つけたる 樋田哲仙
本宮大社は何度の訪ねているが、近くを通りかかったので立ち寄ることにした。霧雨に煙る境内を散策していて式部の歌碑を見つけて驚いた。現在式部の研究中であるからだ。140首は取り組んでいる。
歌二首
晴れやらぬ身に浮き雲のたなびきて
月の障りとなるぞ悲しき
もろともに塵にまじわる神なれば
月の障りの何かくるしき
冬枯れの野辺とわが身を思ひせば
もえてもはるを待たましものを 伊勢
わが身を冬枯れの野辺と思い込んでしまえば、そこに野火が燃え上がるように情熱を燃やしてでも、草が萌えて芽を出す時期の春の来るのを期待したいところです。
もえてもはるを待たましものを 伊勢
わが身を冬枯れの野辺と思い込んでしまえば、そこに野火が燃え上がるように情熱を燃やしてでも、草が萌えて芽を出す時期の春の来るのを期待したいところです。
十津川を南へ下る国道に
目にぞ飛び込む十二の滝は 樋田哲仙
国道168号線の十津川を南へ下ると間もなく十二滝が右側に見える。大げさに言えば落ちる水しぶきが車に架かるほどの近さである。高さは80㍍ともいわれるか水量が細く日本の滝百選には届かない。車を停めてカメラに収める光景が時折みられる。
目にぞ飛び込む十二の滝は 樋田哲仙
国道168号線の十津川を南へ下ると間もなく十二滝が右側に見える。大げさに言えば落ちる水しぶきが車に架かるほどの近さである。高さは80㍍ともいわれるか水量が細く日本の滝百選には届かない。車を停めてカメラに収める光景が時折みられる。