哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

渓流(水墨画)

2010-10-31 06:49:27 | 水墨画
台風の14号も洋上を
東に逸れてことなく過ぎぬ      樋田哲仙

 10月下旬に発生した台風14号は30日正午前には和歌山県沖の海上を東へ進み、近畿地方は大して風雨もなく傘も不要であった。一時は本州をうかがう様子を見せていたが、やはり10月の台風は東へ東へと向きを変えて進む。お陰で被害もなく無事過ぎた。近くの渓流も汚れることもなくいつもの清流で変らなかった。 にほんブログ村 美術ブログへ
  

奈良・宇陀水分神社(写真)

2010-10-29 07:26:49 | 写真
大鳥居見かけて寄れば菟田野には
朱も鮮やかに水分神社         樋田哲仙

曽爾高原からの帰る途中、宇陀市の菟田野区で朱の大鳥居を見かけた。写真の鳥居とは異なる。田舎のひなびた町に突如現れた感で、興味を持って立ち寄ることにした。境内は清掃も行き届き、国宝や重文の建造物が立ち並び驚かされた。歴史の風格もあり地域に鎮座するは人々の保護活動は大変であろう。

柿食へば(墨彩画)

2010-10-28 05:31:58 | 墨彩画
子規の句を口ずさみつつ柿を剥く
歳を思へば一日一個         樋田哲仙

 「柿の日」のあることを知らなかった。34歳で世を去った子規が亡くなる7年前の1895年奈良の各地を訪ねた。法隆寺には10月26日といわれ、詠んだ句が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」である。このことから5年前に全国果樹連合会が定めてまだ新しい。柿はビタミンやカリウムが豊富で、「柿が赤くなれば、医者が青くなる」の言葉もあるが、年齢を思うと多くを食べることはしない。  にほんブログ村 美術ブログへ

五条あたりの吉野川(写真)

2010-10-26 06:24:59 | 写真
吉野川沿ひを走るに岩を噛む
流れは吾の心にも似て         樋田哲仙

 吉野山から馴れた帰路を大淀町で脇へ逸れて吉野川沿いを走ると、川幅一杯に露出した岩に流れる水が当たって激しさを増しているところがあった。思わず車を止めてカメラに収めた。10月中旬というのにウエットスーツを身にまとった若者もチラホラ見かけた。いつもの道ばかりを利用せず、たまには道を換えて走るのも新しい発見があるものだ。

アケビの実(墨彩画)

2010-10-25 05:08:06 | 墨彩画
実を結び山野の秋に似ながらも
通草は爆ぜて郁子にそれなし       樋田哲仙

 通草(アケビ)は山野に自生し、蔓性落葉低木である。春に淡紅紫色の花をつけ、秋に淡紫色の約10㌢ほどの実を結ぶが、縦に割れる。果肉は白色半透明で甘く食用になる。つるは篭の材料にもなり、生薬に利尿財にもなる。アケビに酷似した郁子(ムベ)もあるが、常緑樹で秋になる実は割れない。  にほんブログ村 美術ブログへ

曽爾ファームガーデン(写真)

2010-10-23 05:30:30 | 写真
高原の帰る途中の賑はひに
物珍しく立ち寄りてみる         樋田哲仙

 曽爾高原に満足して国道まで出ると途中に賑わいをみせる道の駅風の「曽爾ファームガーデン」へ立ち寄った。すすきの館(洋食)、さくらの館(和食)のレストラン、お米の館(米粉パン)、特産品、お土産店、野菜の直売、さらに温泉まであって盛況ぶり。物珍しく立ち寄っただけだが、店は格別大きく曽爾高原の頂上が一部見える。

サルトリイバラ(墨彩画)

2010-10-22 05:15:58 | 墨彩画
どこにでも古老のいへど今どきは
見かけなくなりサルトリイバラ       樋田哲仙

 昔はどこでも見かけたらしい。山野に自生していたサルトリイバラは珍しくなかったと老人は言う。しかし、数を減らして探さなければ見かけられない。画題として手ごろでよく描くのだが、これではスケッチもままにならない。見かけたときは場所をきっちりと記憶しておく必要がある。春は葉の鮮やかさ、秋は赤い実が目立つ。 にほんブログ村 美術ブログへ

曽爾高原に癒されて(写真)

2010-10-20 07:12:44 | 写真
白銀の穂の揺れる坂上りつめ
腰を下ろせり汗のひくまで       樋田哲仙

 曽爾高原は麓の駐車場から20分ほどで頂上にたどり着く。途中から丸太で整備された急な階段を上ることになる。次第に視界が広がり、天気がよければ快適で手ごろなウオーキングとなる。三重県境である尾根は樹木がしげって視界はゼロ。見えるのは奈良県側だけの絶景となる。疲れと汗が出て尾根筋で腰を下ろして快感を味わう。

翁の面(墨彩画)

2010-10-19 06:31:58 | 墨彩画
日本の古典文化の能楽は
見しここもなし映像以外に       樋田哲仙

 能楽はあまりにも難解で、観賞に耐え切るには相当の知識が必要ではないだろうか。まず、言葉の節回しが皆目分からない。演ぜられる動作もさっぱりで、ストーリーなども馬の耳に念仏である。能楽は庶民から遠い芸術であろう。かって、三田市の研修の帰り昼食する料亭に能楽堂があったことを思い出す。 にほんブログ村 美術ブログへ 

古今集第八十番たれこめて(書)

2010-10-18 05:41:52 | 
たれこめて春のゆくへも知らぬまに
待ちし桜も移ろひみけり       藤原因香朝臣

 すだれやとばりを下ろしきって室内に閉じこもって暮らしていたら春景色の移り変わりも分からなかった。早く病気を治して見たいと願っていた桜も散ってしまっているではないか。この歌も題詞が長くそこからより深く解釈するしかない。

国立曽爾青少年自然の家(写真)

2010-10-17 06:24:37 | 写真
行く秋の哀れも深きすすき野に
青少年の自然の家         樋田哲仙

 曽爾高原のすそ野の奥まったところに国立曽爾青少年自然の家がある。利用したことはないが体育の日の駐車場は多数の車があることから判断して利用客が多いようだ。高原がススキの穂で白銀に変容するシーズンは当然である。高原の頂から全体を眺めるとき青少年自然の家はよくマッチして一帯を引き立てている。家からは兜山や鎧山が眼前に見える。