水槽をしばし見つめど動かざる
小石のごとくサンショウウオは 樋田哲仙
名張市に新緑と紅葉の名所赤目四十八滝がある。渓流に沿って進むはよいが切がないので適度のところで引き返すのがよいと入り口で教わった。入り口には何個もの水槽にオオサンショウウオが飼育されている。しばらく見ていたが動く気配がない。根負けす。武田信玄の風林火山の言葉の動かざること山の如し。
小石のごとくサンショウウオは 樋田哲仙
名張市に新緑と紅葉の名所赤目四十八滝がある。渓流に沿って進むはよいが切がないので適度のところで引き返すのがよいと入り口で教わった。入り口には何個もの水槽にオオサンショウウオが飼育されている。しばらく見ていたが動く気配がない。根負けす。武田信玄の風林火山の言葉の動かざること山の如し。
中学に中山道は学びたり
馬篭妻籠はあこがれの宿 樋田哲仙
中学時代に中山道の馬篭宿、妻籠宿を学んだ。昔の面影は十分にた保たれていると知る。訪ねたくなるの人情で、以来、65年訪ねたい心は忘れなかった。ここしばらくの間に訪ねる機会ができて三度目となる。和宮が江戸へ降下する際この街道を通過したとか。文豪藤村の「夜明け前」の冒頭を吟じてみたりと思い出は多い。
馬篭妻籠はあこがれの宿 樋田哲仙
中学時代に中山道の馬篭宿、妻籠宿を学んだ。昔の面影は十分にた保たれていると知る。訪ねたくなるの人情で、以来、65年訪ねたい心は忘れなかった。ここしばらくの間に訪ねる機会ができて三度目となる。和宮が江戸へ降下する際この街道を通過したとか。文豪藤村の「夜明け前」の冒頭を吟じてみたりと思い出は多い。
初めから坂ばかりなる馬篭宿
垣間見ゆるは恵那の頂 樋田哲仙
長野県は海に面しない数少ない県の一つである。いわば内陸部に位置することになる。さすがに山の多いことになる。中山道馬篭宿から南東に長野岐阜県境にそびえる恵那山(2191)を垣間見ながら歩くことになる。どの宿場も平坦だったが馬篭は坂が続く。中間辺りに文豪島崎藤村生家の藤村記念館がある。
垣間見ゆるは恵那の頂 樋田哲仙
長野県は海に面しない数少ない県の一つである。いわば内陸部に位置することになる。さすがに山の多いことになる。中山道馬篭宿から南東に長野岐阜県境にそびえる恵那山(2191)を垣間見ながら歩くことになる。どの宿場も平坦だったが馬篭は坂が続く。中間辺りに文豪島崎藤村生家の藤村記念館がある。
距離にしていくらもなけど妻籠宿
心ひかるる若葉の妻籠 樋田哲仙
江戸日本橋から京都三条までの69次の中、木曽谷を抜けるのが木曽街道である。贄川、藪原、福島上松、野尻など宿場の面影はない。135里の中間地点は「道の駅日義木曽駒高原」に碑が建つ。妻籠の宿はほとんど平坦で歩きく、馬篭と並んで観光客に人気がある。い。
心ひかるる若葉の妻籠 樋田哲仙
江戸日本橋から京都三条までの69次の中、木曽谷を抜けるのが木曽街道である。贄川、藪原、福島上松、野尻など宿場の面影はない。135里の中間地点は「道の駅日義木曽駒高原」に碑が建つ。妻籠の宿はほとんど平坦で歩きく、馬篭と並んで観光客に人気がある。い。
賤母(しずも)なる妻籠に近き道の駅
思ひ浮かぶは旅籠の並び 樋田哲仙
木曽路の入り口の当たる賤母は岐阜県になるが、他は長野県になる。中山道の木曽路は11宿で馬篭だけが岐阜県になる。賤母から妻籠は車で10分と掛からない。こんなに近いとは知らなかった。端から端までゆっくりと歩いて楽しんだ。不法かどうか空き地に駐車しても気にすることもなく暢気なものだ。
思ひ浮かぶは旅籠の並び 樋田哲仙
木曽路の入り口の当たる賤母は岐阜県になるが、他は長野県になる。中山道の木曽路は11宿で馬篭だけが岐阜県になる。賤母から妻籠は車で10分と掛からない。こんなに近いとは知らなかった。端から端までゆっくりと歩いて楽しんだ。不法かどうか空き地に駐車しても気にすることもなく暢気なものだ。