米国の総領事館置かれたる
玉泉寺の名は永久に消えざる 樋田哲仙
米国外交官ハリスが来日したのは1856年、下田玉泉寺に領事館を開いて、日米通商条約(1858)を締結した。だが、ハリスは身勝手に女を要求した。奉行は鶴松と恋仲にあったお吉に白羽の矢をたて、引き裂いて提供した。掃除などをする下女ではない。紅毛人の手のついたお吉を人々は唐人お吉と蔑んでそう呼んだ。突如降ってわいた悲劇である。ハリスは3年足らずでお吉を置いたまま帰国してしまった。非情と言わざるを得ない。
玉泉寺の名は永久に消えざる 樋田哲仙
米国外交官ハリスが来日したのは1856年、下田玉泉寺に領事館を開いて、日米通商条約(1858)を締結した。だが、ハリスは身勝手に女を要求した。奉行は鶴松と恋仲にあったお吉に白羽の矢をたて、引き裂いて提供した。掃除などをする下女ではない。紅毛人の手のついたお吉を人々は唐人お吉と蔑んでそう呼んだ。突如降ってわいた悲劇である。ハリスは3年足らずでお吉を置いたまま帰国してしまった。非情と言わざるを得ない。