哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

たちびな(墨彩画)

2007-02-28 07:19:30 | 墨彩画
店頭の勤めを終へてまつりより
雛の消ゆるは七日ほど前       樋田哲夫

 大型スーパーの店頭に、いくつも並べられたひなが全部売れることはない。では、残ったひなはいつ片付けられるのか、気になって店頭に注意していたら、7日ほど前に蔵入りとなった。主が決まらなかったひなたちは人間の商魂の前に悲哀をなめることになるが仕方がない。でも、来年確実に売れるとは限らない。運命に生きるは人間ばかりではない。  にほんブログ村 美術ブログへ

雲雀より 芭蕉(書)

2007-02-27 06:53:28 | 
雲雀より空に安らふ峠かな        松尾芭蕉

 先日草原で2羽のヒバリを確認した。もうさえずり始めるころだ。一声鳴いたので見上げると、5㍍ほどの高さを飛んでいた。羽ばたきが早く、スズメより少し大きく体形も違う。さえずりで空へ上がるとき、空で舞うとき、降りてくるときの鳴き方は異なる。ヒバリは草原、河原、田畑を好んで住む。芭蕉が安らいだ峠は丘程度の低い山であったに違いない。

車内の勇気(写真)

2007-02-26 07:24:51 | 写真
携帯の歩く女を呼び止めて
一言をいふ車内の勇気       樋田哲夫

 つい最近の電車内の出来事である。私の斜め前に座って読書していた白髪の男性は、携帯電話で話しながら歩く若い女が前へ来ると呼び止めて、「電車の中で電話はだめだよ」と注意したのである。女は立ち止まって老人を見下ろしたが、詫びもせず、そのまま、前の車両へと移っていった。車内は空いていたが、周りの人たちは一斉にその光景を見た。なかなか出来ない車内の勇気である。

おひなさま(墨彩画)

2007-02-25 06:51:10 | 墨彩画
                 (はがき大)
水ぬるみ鴨去るころの待たるるは
桃に華やぐひな祭りかな

 日差しが強くなって水がぬるみ、カモの北帰行が始まるころになると、花屋の店先には促成された桃の花が桶に束で挿されているようになる。23度の室に1週間保つとつぼみが急に膨らみ、3月3日のひな祭りに間に合うという。路地では桜とほとんど同時期に咲いてひな祭りには間に合わない。旧暦では4月19日で花は咲き終わっている。  にほんブログ村 美術ブログへ

梅の奥に 漱石(書)

2007-02-24 07:18:01 | 
梅の奥にたれやら住んでかすかな灯        夏目漱石

 田舎の家の垣根内に植わっている白梅の奥に誰かが住んでいるらしく、かすかな灯りが漏れている。小説家である漱石は余技として多数の俳句を残しながら大正5年に没している。当時、電灯は考えにくい。電気の普及は昭和初期ごろと思うと、灯りとあるがランプか、何かを燃やしたいるのだろう。街灯もない時代の夜では梅も香気から感じたことだろう。

熊野古道の千里皇子(写真)

2007-02-23 07:13:46 | 写真
熊野への千里皇子を拝ろがみて
いにしへ人の歌碑をメモする       樋田哲夫

 熊野詣の道中には99ヵ所の皇子があったという。その一つ千里皇子へ立ち寄りとこじんまりとした境内に歌碑があった。

 花山法皇御歌
  旅の空夜半のけぶりとのぼりせばあまの藻塩火たくかとや見ん

 旅の途中であるが、夜の煙となって空へ昇っていったなら、海人が藻塩火をたいているぐらいに人は見るだろう。

ショウガ(水墨画)

2007-02-22 07:26:46 | 水墨画
                 (豆色紙)
夏雲の形に地下を這ふ生姜
ぴりぴりとして甘酒によし      樋田哲夫

 食用となる部分は地下茎(けい)で横走りして、不思議な形をした数個の塊となり、こぶこぶとした拳ほどの大きさで表現がむずかしい。食用や香辛料の外、漢方では健胃剤となる。単独では美味いとはいえないが、寿司には少量で名わき役を務める。伊勢の名産生姜(っしょうが)糖には欠かせないし、甘酒の中の隠し味ではなくてはならない。  にほんブログ村 美術ブログへ

梅咲けど 一茶(書)

2007-02-21 07:59:52 | 
梅咲けど鶯鳴けど一人かな        小林一茶

 一茶は子供どものころ継母にいじめられ、辛い環境で育って15歳で江戸へ出ている。世間は梅が咲いたとか、ウグイスが鳴いたとかで春の到来を喜んでいるが、自分は一人で生きているんだと自戒している。
 昨年2月大宰府天満宮の「梅の使者」の巫女(みこ)から樹齢20年の紅白の梅2鉢を貰った小泉前首相はこの俳句を詠み上げ、自分の心境を漏らしたという。

熊野古道の千里浜(写真)

2007-02-20 07:21:59 | 写真
遠浅の広き千里の砂浜は
熊野へ続くいにしへの道        樋田哲夫
 
 ある旅行会社企画のウォークまつりに参加した。岩代大梅林と熊野古道の岩代皇子、千里(せんり)皇子を経て南部へのウォークである。太平洋を望む広大な遠浅の千里浜には千里皇子があり、すぐ近くで波の音が聞こえ、古人も長い浜辺を歩いたに違いない。1500人の参加者は平安時代末期に栄えた熊野古道に思いをはせ海辺を歩いた。

自然の松竹梅(水墨画)

2007-02-19 08:19:58 | 水墨画
これまでは解からぬままにめでたきと
松竹梅に年を迎へり       樋田哲夫

 きのうは旧正月だが日本ではすっかり行事は廃れた感がある。隣国中国では1週間の大型連休となり春節を楽しむ。晦日(みそか)から縁日が開かれ、道路に大道芸とか、爆竹が1日中鳴らされ正月気分一色という。松竹梅は寒さに耐え、中国では「歳寒の三友」と呼ばれ絵の題材となり、日本では新年の慶事となる。 にほんブログ村 美術ブログへ 

年の夜や 水巴(書)

2007-02-18 06:03:58 | 
年の夜やもの枯れやまぬ風の音    渡辺水巴

 水巴は東京生まれ。内藤鳴雪、高浜虚子に師事。1937年没。
 きのう17日は旧暦の12月30日で大晦日(みそか)に当たり、きょうは旧正月となる。現在では旧暦の正月の行事はなにもしなくなってしまった。年の夜は除夜のことで、一年を締めくくり、新しい年を迎える最後の一時である。まだ、冬枯れが進み激しい風の音が鐘の音を掻き消してしまっているという。

南部梅林散策に学ぶ(写真)

2007-02-17 08:46:04 | 写真
吾の知る古歌懐かしき立札も
メモしてめぐる梅の花園       樋田哲夫

 南部梅林の麓から梅公園までの800㍍の山道に点々と古歌の立札があり、ほとんど万葉集の中の梅の歌より選ばれている。赤人、憶良、家持なども見られて懐かしく、梅林の粋な計らいである。見かけた25本ほどの立札は大方メモした。思いもしない大きな収穫であった。右後方の立札がそれ。
 
 その中から一つ
 春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮らさむ
           山上憶良 (万葉集 巻5ー818)
 春になれば一番先に咲く我が家の梅の花も私ひとりが眺めて長い春の日を暮らすのか。

走るイノシシ(水墨画)

2007-02-16 06:23:35 | 水墨画
猪に負けじと走れ老いの身の
ゴール近きを力の限り        樋田哲夫

 人生の最終章の年を迎えてしまった。少しの時間もおろそかに出来ない。お蔭様で現在は健康で生き生きと動き回っているが、もし、体調を崩して病院へ行ったら、すぐ入院してくださいと言われるとも限らない。平均寿命は男が78・53、女が85・49で、まだ少し間があるが、一時の猶予もない。イノシシのように走らねばならない。 にほんブログ村 美術ブログへ 

水取りや 芭蕉(書)

2007-02-15 08:06:02 | 
水取りや籠りの僧の沓の音       松尾芭蕉

 奈良東大寺の二月堂と三月堂の間にこの句碑がある。本でも時々見かけるが、「野ざらし紀行」では「水取りや氷の僧の沓の音」とあり、こちらが本当のようである。お膝元がどうして手違いを起こしたのか理解に苦しむ。お水取りまでもう少しだが、関西ではお水取りが済むと春という。二月堂で練行衆が本尊の十一観音に祈る昔から連綿と続く行事。

日本一の梅の里南部(写真)

2007-02-14 07:46:39 | 写真
陽春の南部は梅の盛りにて
山また山の白く染まれり        樋田哲夫

 南部(みなべ)梅林は三度目の訪問である。一度は家族と、二度目は書道仲間と、今度は単独である。山の斜面を利用して食用とする白梅が満開になると見事となる。「一目100万本、香り十里」のキャッチフレーズで梅の一大産地である。休日は観梅客で広大な山道が溢れるという。
 散策途中にたくさんある立て札の中から
 わが岳(おか)に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも
                 大伴旅人 (万葉集 巻8ー1840)
 わが丘に盛んに咲いている梅の花と消え残った雪とを見間違えてしまった。