世が世には飛ぶ鳥落とす加賀藩の
利長の墓所越中にあり 樋田哲仙
加賀藩は大藩である。加賀にも越中にも城を持つ大大名である。現在はどちらも現存しない。第二代藩主前田利長は高岡に墓所が建てられている。大きな敷地を構え、長い参道を抜けてカギ型に北へ向かうと、スイレンの池の奥にある。さすがに大大名のことはある。鳥居もあり神格化された人物のだろう。
利長の墓所越中にあり 樋田哲仙
加賀藩は大藩である。加賀にも越中にも城を持つ大大名である。現在はどちらも現存しない。第二代藩主前田利長は高岡に墓所が建てられている。大きな敷地を構え、長い参道を抜けてカギ型に北へ向かうと、スイレンの池の奥にある。さすがに大大名のことはある。鳥居もあり神格化された人物のだろう。
山深く雪の暮らしや五箇山は
世界遺産の合掌の里 樋田哲仙
今回訪ねたのは五箇山である。白川郷は以前に訪ねているので省略した。東海北陸自動車道が開通しているのですごく便利である。まず菅沼集落は国道沿いですぐに分かった。小さく固まった集落である。早朝で人影は少ない。次に相倉集落へ向かった。国道をそれて戸惑うが、先の菅沼より広い。昔の暮らしを忍ぶと大家族制で大変だったであろう。
世界遺産の合掌の里 樋田哲仙
今回訪ねたのは五箇山である。白川郷は以前に訪ねているので省略した。東海北陸自動車道が開通しているのですごく便利である。まず菅沼集落は国道沿いですぐに分かった。小さく固まった集落である。早朝で人影は少ない。次に相倉集落へ向かった。国道をそれて戸惑うが、先の菅沼より広い。昔の暮らしを忍ぶと大家族制で大変だったであろう。
風吹けば波うつ岸の松なれや
ねにあらはれてなきぬべらなり 詠み人知らず
私は風の吹くたびに、波が打ち付けてくる海岸にある松なのか。松の根は波に洗われるが、私は悲しみが、音(ね)に表れて今にも泣きそうだ。
ねにあらはれてなきぬべらなり 詠み人知らず
私は風の吹くたびに、波が打ち付けてくる海岸にある松なのか。松の根は波に洗われるが、私は悲しみが、音(ね)に表れて今にも泣きそうだ。
今よりも上達祈願念入れて
参るは伏木の大伴神社 樋田哲仙
念願の土地は多いが、伏木の大伴神社もその一つである。国道から少しそれて緩やかな坂をのぼると気多神社に寄り添うように大伴神社はあった。小さな神域は人気もないが、月に一度は清掃がされてているようだ。二上山の山裾に当たるのかのどかで静かであった。
参るは伏木の大伴神社 樋田哲仙
念願の土地は多いが、伏木の大伴神社もその一つである。国道から少しそれて緩やかな坂をのぼると気多神社に寄り添うように大伴神社はあった。小さな神域は人気もないが、月に一度は清掃がされてているようだ。二上山の山裾に当たるのかのどかで静かであった。
天井のなき仏殿をよくぞ見る
棟木・束柱・海老虹梁を 樋田哲仙
加賀百万称するから、前田家は加賀だけと思っていたが、越中西部も統治している。前田家の史跡が高岡にはある。瑞龍寺は加賀藩の菩提寺とある。この仏殿は天井がなく木組みが頂上部まで見られる。棟木、束、虹梁と丸見えで関心のある者にはありがたい。釈迦三尊を祀りながら撮影禁止もなく撮影自由となる。外へ出て見上げると扇垂木と珍しい。国宝で
棟木・束柱・海老虹梁を 樋田哲仙
加賀百万称するから、前田家は加賀だけと思っていたが、越中西部も統治している。前田家の史跡が高岡にはある。瑞龍寺は加賀藩の菩提寺とある。この仏殿は天井がなく木組みが頂上部まで見られる。棟木、束、虹梁と丸見えで関心のある者にはありがたい。釈迦三尊を祀りながら撮影禁止もなく撮影自由となる。外へ出て見上げると扇垂木と珍しい。国宝で
大方はわが名もみなと漕ぎ出でなむ
世をうみべたにみるめすくなし 詠み人知らず
よく考えてみたら、私の噂も港を漕ぎ出でる船のように世間に知れわったてもらいたい。この恋がつらい恋で逢える機会が少ないのは、漁師が海藻の少ない海岸をいたずらにさまよっているようなものだから。
世をうみべたにみるめすくなし 詠み人知らず
よく考えてみたら、私の噂も港を漕ぎ出でる船のように世間に知れわったてもらいたい。この恋がつらい恋で逢える機会が少ないのは、漁師が海藻の少ない海岸をいたずらにさまよっているようなものだから。
高岡の古城公園利長の
騎乗の雄姿城はなくとも 樋田哲仙
高岡市は富山県第2の都市だが、人口17万と意外に少ない。大阪なら30万都市が多数ある。小さいながら、路面電車が走り、利長築城の高岡古城公園がある。樹木が茂り、市民の格好の憩いの場所となっている。城こそないが、城跡近くには利長騎乗の雄姿の像が建てられている。
騎乗の雄姿城はなくとも 樋田哲仙
高岡市は富山県第2の都市だが、人口17万と意外に少ない。大阪なら30万都市が多数ある。小さいながら、路面電車が走り、利長築城の高岡古城公園がある。樹木が茂り、市民の格好の憩いの場所となっている。城こそないが、城跡近くには利長騎乗の雄姿の像が建てられている。