哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

舞鶴円隆寺(写真)

2012-09-29 06:11:30 | 写真
知らぬ地を迷ふことなくナビにより
訪れたるは円隆寺かな         樋田哲仙

 西舞鶴駅近くの愛宕山麓に奈良時代の僧行基の創建による真言宗御室派円隆寺がある。ナビ頼みで容易に目的地へ到着した。重厚な本堂は大きく頑健である。重要文化財には阿弥陀仏坐像、薬師如来坐像とあるが、扉が閉まり拝観はできなかった。最隆盛期には70の塔頭を擁した古刹である。

ウミネコの目につく季節「(水墨画)

2012-09-28 06:12:53 | 水墨画
涼しさの季節の早も巡り来て
次第に数を増すはウミネコ        樋田哲仙

 地域によってゴメと呼ばれるウミネコは夏に数が最も少なくて冬に多くなる。鳥でありながらネコに酷似する鳴き声からその名の由来がある。当地では残念ながら鳴き声は聞けない。繁殖時期によく鳴くのだがその時期には他の地域へ移動してしまうからだ。これからの季節どんどん数を増やしていく海鳥である。にほんブログ村 美術ブログへ

少し遅れてヒガンバナ(写真)

2012-09-26 06:03:42 | 写真
遠くから野辺に目につく緋の花は
近寄るまでもなく彼岸花        樋田哲仙

 今年は少し遅れながら、といっても2,3日の遅れ程度だが彼岸には間違いなくヒガンバナは咲く。道端や畦道を真っ赤に染め上げる。枯草が藻勢いよく燃え上がるように咲く。茎だけが伸びあがり頂に花をつける。咲き終わってかr派が伸びる変り種である。見た目にも毒々しいが球根には毒がある。あまり摘み取って家へ帰る気にはならない 

早い柿の出回り(墨彩画)

2012-09-25 02:01:04 | 墨彩画
うれしきに味覚の秋の熟れ柿が
栗より先に店に並びぬ        樋田哲仙

 ここ数日大手スーパーへ入ると果物の陳列をのぞき栗が出ていないかの確認である。やっと顔を出した。1週間から10日例年より遅いのは夏の気温が高すぎたらしい。驚いたことに、タッチの差で柿が並び始めた。柿といえば11月中旬が旬であるから早生種であろうが、いかにも早い。これでリンゴ、ブドウ、ナシ、ミカンと秋の味覚が豊富に出回りだした。 にほんブログ村 美術ブログへ

ススキの生石(おいし)高原(写真)

2012-09-23 06:08:08 | 写真
揃ひたる穂は一面に輝きて
生石高原見頃とぞなる        樋田哲仙

 生石高原のススキは2年ぶりとなる。前回は10月中旬に訪ねて遅すぎ、精彩のない穂が頂を覆っていて写真には適さなかった記憶から、今年はお彼岸の中日に出かけた。出そろったばかりの艶やかな穂が秋風になびく。若者の活気に満ちた肌と老人のしわだらけの肌の差がある。関西ではススキの観賞はお彼岸のころと心に銘記しておこう。

峠は急に開けて(水墨画)

2012-09-22 05:48:16 | 水墨画
味気なきだらだら坂に開けたる
峠は秋の風あふれをり       樋田哲仙

 丘に近い坂をのぼりつめると樹木が少なくなり、視界が急に広がる。振り返ると紀ノ川のゆったりとした蛇行が光る。ミカンの実はまだ青く収穫は少し先のおようだ.汗のにじみ秋風にひいていき爽快となる。日頃の多忙もしばらく秋色に染まる景色を眺めていると心の癒しとなる。高齢者にとってはこんな些細なことが幸せとなるものだ。 にほんブログ村 美術ブログへ

古今集第三百十五番山里は(書)

2012-09-21 05:37:20 | 
山里は冬ぞさびしさまさりける
人目も草もかれぬと思へば        源宗于朝臣

 山里に住んでみると、寂しさが一段と感じられるのは、やはり冬であった。今までは多少でも見かけた人目も離れ、生命を持った草もおのずと枯れてゆくのだと思うと。
 この歌は百人一首第二十八番に収めれている。

舞鶴クレインブリッジ(写真)

2012-09-20 05:01:04 | 写真
渡りたき舞鶴港の奥の奥
鶴の羽ばたくイメージの橋        樋田哲仙

 舞鶴港はリアス式海岸で東西に分けられる。東の方が主だったスポットが多い。舞鶴クレインブリッジは引揚桟橋に近く平湾にかかる長さ735m、高さ92mの鶴の羽ばたくイメージに作られた白い橋である。名所の一つでぜひ渡りたく予定通り車で通行したが、爽快感はありながらあっという間の時間で物足りなさがあった。これは仕方がない。

高取城跡から東方を望む(水墨画)

2012-09-19 05:56:31 | 水墨画
写真より絵にするときはこれまでの
技法を一度無にして向かふ          樋田哲仙

 写真から絵に描くことは難しさがある。忠実に描けば描きすぎ、もっと省けと指摘を受ける。省けば今度は省きすぎと忠告を受ける。イメージばかりでで描くより写真を題材にすればレパートリーが広がるからだ。挑戦し、上を目指して頑張るのだが。これまでに数枚試したことはあるが、しばらく中断していたものを、腕も少し上がったことからまた描きはじめた。 にほんブログ村 美術ブログへ

二度目の金剛院(写真)

2012-09-17 05:26:28 | 写真
境内に入りて二度目をふと気づく
寺の歩みの苦笑ひかな        樋田哲仙


 関西花の寺二十五ケ寺の一つ舞鶴の金剛院はバスツアーで訪ねたことがある。バスでは道中がわからず到着して降車するだけだ。バスの旅は気楽なものだ。マイカーでは道中をしっかりと移動するから、その差は大きい。初めての寺と思って訪ねると山門まで来て気づいた。こんなときは驚きえを通り越して苦笑い。反面懐かしさも蘇り季節が違えば眺めも違う。金剛院は思わぬ再度の訪問である。

誰にも故郷はあるのだが(水墨画)

2012-09-16 05:48:37 | 水墨画
年老いて虚しきことの過(よ)ぎるとき
故郷あるはありがたきかな          樋田哲仙

 東日本大震災から1年半が過ぎた。故郷を追われた多くの人たちに、元の地域へ戻りたいかのアンケートによると、福島では50%を割り、岩手、宮城で35%を割ったという。故郷を放棄して災害のない新天地に住みたい心情を示したことになる。誰にも故郷はあり、年老えば老うほど懐かしいものだが、被災者にとってあの震災はまことに忌まわしいかぎりである。 にほんブログ村 美術ブログへ