青海島これぞまさしく絵になると
展望台にカメラを据える 樋田哲仙
青海島の絶景の写真は何度も見ている。絵にしたい希望が以前からあった。ぜひ自分のカメラの収めて描きたいと考えていた。たどり着くと見覚えのある光景であり。当日は波が静かで遊覧船も出ている。冬の荒海に堪えて海面に岩が突き出ている。展望台にカメラを据えて夢中で収めた。収穫の旅である。
展望台にカメラを据える 樋田哲仙
青海島の絶景の写真は何度も見ている。絵にしたい希望が以前からあった。ぜひ自分のカメラの収めて描きたいと考えていた。たどり着くと見覚えのある光景であり。当日は波が静かで遊覧船も出ている。冬の荒海に堪えて海面に岩が突き出ている。展望台にカメラを据えて夢中で収めた。収穫の旅である。
出直しの萩への旅は旧田中
儀一邸にはなにはさておき 樋田哲仙
出直しと言っても、さらに西へ青海島、角島、下関へと進む途中で萩だけの旅ではなく、立ち寄ったにすぎない。先の旅で萩八景遊覧船上から田中儀一邸は見ている。立ち寄るにしても第一の目的とした。田中儀一は陸軍大将。総理大臣を務めている。引退後毛利藩主別邸を購入して居住した。広大な屋敷である。現在は市が管理して、子孫は東京暮らしという。
儀一邸にはなにはさておき 樋田哲仙
出直しと言っても、さらに西へ青海島、角島、下関へと進む途中で萩だけの旅ではなく、立ち寄ったにすぎない。先の旅で萩八景遊覧船上から田中儀一邸は見ている。立ち寄るにしても第一の目的とした。田中儀一は陸軍大将。総理大臣を務めている。引退後毛利藩主別邸を購入して居住した。広大な屋敷である。現在は市が管理して、子孫は東京暮らしという。
地図上に知りて俄かに寄りたれば
思ふに勝る寺にありけり 樋田哲仙
道の駅庄川で地図を開けて、近くに千光寺のあることを知った。地元の人に尋ねると、人気がなく寂しい寺で、ここからでは道順を教えにくいので近くでもう一度尋ねてほしいということだった。だどりついて驚いた。バスが何台も駐車できるスペースもある。団体客があるに違いない。風格もある。北陸三十三観音霊場第28番の霊場と知る。鐘楼の彫刻はなかなか見ごたえがあって素晴らしい。
思ふに勝る寺にありけり 樋田哲仙
道の駅庄川で地図を開けて、近くに千光寺のあることを知った。地元の人に尋ねると、人気がなく寂しい寺で、ここからでは道順を教えにくいので近くでもう一度尋ねてほしいということだった。だどりついて驚いた。バスが何台も駐車できるスペースもある。団体客があるに違いない。風格もある。北陸三十三観音霊場第28番の霊場と知る。鐘楼の彫刻はなかなか見ごたえがあって素晴らしい。
菅沼は道路沿ひにて迷ひなく
合掌造り見つけて安堵 樋田哲仙
菅沼の合掌集落は国道56号線沿いで見つけるのに苦労はなかった。相倉とは大違いである。こじんまりと集合していて高所の国道から一望できる。後に故意に集めたようにも見える。早朝で人影もない。有料駐車場にも人は出てきていない。無断でとしばらく散策するより方法がない。厚かましくいつまでもという訳にもいかず早々に引き揚げた。
合掌造り見つけて安堵 樋田哲仙
菅沼の合掌集落は国道56号線沿いで見つけるのに苦労はなかった。相倉とは大違いである。こじんまりと集合していて高所の国道から一望できる。後に故意に集めたようにも見える。早朝で人影もない。有料駐車場にも人は出てきていない。無断でとしばらく散策するより方法がない。厚かましくいつまでもという訳にもいかず早々に引き揚げた。
これまでに多くの塔を見てをれど
中の隅々までも丸見え 樋田哲仙
日石寺本堂横の小高いところに三重塔はある。遠目に素朴な塔に見えた。階段を上りきって驚いた。囲いがなく内部までが丸見えである。芯柱がはっきりとしている。未完成な塔のようにも見える。この姿で何百年も経過しているに違いない。こちらにしては大変ありがたい。普通は宙吊りだが、芯柱は底部がいている。
中の隅々までも丸見え 樋田哲仙
日石寺本堂横の小高いところに三重塔はある。遠目に素朴な塔に見えた。階段を上りきって驚いた。囲いがなく内部までが丸見えである。芯柱がはっきりとしている。未完成な塔のようにも見える。この姿で何百年も経過しているに違いない。こちらにしては大変ありがたい。普通は宙吊りだが、芯柱は底部がいている。