トシの読書日記

読書備忘録

究極の理詰め文学

2011-10-31 15:58:35 | か行の作家
幸田文「流れる」読了



以前、車谷長吉のエッセイ「文士の魂・文士の生魑魅(いきすだま)」の中で、車谷が本作品を「生涯読んだ本の中で、最も素晴らしい小説のひとつ」と絶賛しており、「ブ」で100円で出ていたので買って読んでみたのでした。


一読、うなりました。まず文章がすごい。変な言い方ですが、文章にエッジが立っている感じ。言葉のひとつひとつがきりっと冴えわたっていて、その分言に一言も口をはさむ余地がないといった雰囲気です。


40過ぎの未亡人が、没落しかかった芸者の置屋の女中にいくところから物語は始まります。その置屋の女主人、そこからお座敷へ出る芸妓達、主人の姪、主人の姉等、登場人物は多岐にわたるんですが、その一人一人の言動をつぶさに観察しながら物の道理を思考する主人公の梨花。

例えばこんな文章。


<怒りの顔が美しいのは美人ばかりとは限らない。不器量も溢れるほどの哀しさを湛えているとき不器量ではない。勝手な狭い理窟もいちずに訴えつづけているのを聴けば無下に捨てきれない。愚痴も感傷もも一夜漬けでなければ浅くない味がある。勝代の云うことはぎすぎすしているが哀しさを吹きつけてくるものがあって、梨花はいたずらに給仕盆のへりを指の腹で撫でる。>


勝代という主人の娘が、女中の梨花を相手に自分の不器量さを嘆き、そのためにお座敷にも出してもらえないことへの恨み、つらみ、また、あきらめを吐露する場面です。いいですねぇ、このきびきびとした文章。ほれぼれします。


物語は、最後、梨花がこの置屋から他の家に引き抜かれて出ていくところで終わるんですが、それが妙に淋しい感じがなく、むしろ明るいものが見える終わり方で、それがまたこの小説の味を一段と深めているように感じました。



幸田文、またすごい作家を発見してしまいまいた。あちらからこちらへ、こちらからまた向こうへと、文学の旅は果てしなく続くのであります。

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