大江健三郎「日常生活の冒険」読了
発表順から見れば「遅れてきた青年」を先に読まねばならなかったところを、誤って本書を先に手に取ってしまいました。しかし、そんな瑣末なことはさておき、なかなかに読ませる、面白い長編でありました。
先に読んだ「芽むしり仔撃ち」とはずいぶん文体の違いがあり、著者がすごく楽しみながら書いた作品のような読後感でした。
斎木犀吉という若い冒険家の半生を、主人公である「ぼく」が語るという構成になっています。斎木犀吉はモラリストです。これは、道徳家という意味ではなく、人間について、また、生について、また善とは、悪とは、といったことについて根本的なところから思索する人のことをいいます。
そのモラリスト、犀吉に翻弄されながら「ぼく」は犀吉の考えるところに大きく影響されながら行動を共にしていきます。犀吉の信念とは、まず反社会的である、ということ。社会の流れに順応せず、自分の頭で考え、そしてそれを行動に移せばそれは自ずと反社会的になる、ということ。また、それを更に突き進めばそれが日常生活における冒険になると、彼はこう考えるわけです。
これが40年前に発表された小説とは思えない、機智に富んだスリリングな作品でありました。
素晴らしい!
発表順から見れば「遅れてきた青年」を先に読まねばならなかったところを、誤って本書を先に手に取ってしまいました。しかし、そんな瑣末なことはさておき、なかなかに読ませる、面白い長編でありました。
先に読んだ「芽むしり仔撃ち」とはずいぶん文体の違いがあり、著者がすごく楽しみながら書いた作品のような読後感でした。
斎木犀吉という若い冒険家の半生を、主人公である「ぼく」が語るという構成になっています。斎木犀吉はモラリストです。これは、道徳家という意味ではなく、人間について、また、生について、また善とは、悪とは、といったことについて根本的なところから思索する人のことをいいます。
そのモラリスト、犀吉に翻弄されながら「ぼく」は犀吉の考えるところに大きく影響されながら行動を共にしていきます。犀吉の信念とは、まず反社会的である、ということ。社会の流れに順応せず、自分の頭で考え、そしてそれを行動に移せばそれは自ずと反社会的になる、ということ。また、それを更に突き進めばそれが日常生活における冒険になると、彼はこう考えるわけです。
これが40年前に発表された小説とは思えない、機智に富んだスリリングな作品でありました。
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