今日は、私事ですが歯の治療のため洗足の昭和大学歯科病院まで。治療していた奥歯を抜歯することとなり、紹介を受け大学病院へ。
ここでは障がい者歯科診療を行なっており、障がいのある方がお一人であったり、付き添いの方と一緒であったり、いらしています。
検温器を通過するにも、真剣に向き合う姿がありましたが、介助者とともに、そしてご家族や関係者とこのコロナ禍を乗り越えてきたことを想像すると少し気持ちが熱くなりました。
私と障がいのある方の接点は、母を通じてが最初のことと思います。父が長期入院したことから、母は私が幼稚園の終わりから小学校1、2年生の頃まで市役所に勤め、福祉の仕事に携わりました。その際に、障がいのある子にかかわっていたようです。
住んでいた団地にも知的障がいのある子がいました。その子たちのことを、母はいつも褒めていました。「とってもいい子だよ。とっても頭がいいのよ。」と。
ある時、そのうちの1人の子が集積所にあった大小の箱を集めて、ロボットのような形をした作品を作り上げました。
それを見て「母のいうことは本当だった」と感心したことを、今でもよく憶えています。
母が何を教えようとしたのか、何を伝えたかったのか、大人になるにつれて、少しずつですが、よくわかったように思います。
人の命、生命の尊さ、その素晴らしさ、その可能性、そこに差別があってはならないし、違うはずもありません。おそらく、こうしたことを気づかせたかったとのだと思います。
町田市では、障がい者差別解消条例制定に向けた取り組みを進めています。住民、当事者に最も近い市が条例を定めることから、より具体的、日常的な内容が条例化されることと思います。
その条例化の先に、どんな町田市、また、どんな町田市民像を描くのか。どこまでも、あらゆる人の生命、可能性を尊重したものとして、そして、自身の尊さ、可能性を信じることにも通じる条例化、全市民が大切に育むものであってほしいと願っています。