485系ボンネット型:特急「ひたち」(文字マーク時代)
特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。
車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。
昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。
485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。
その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。
今回は、比較的に多く撮影していたボンネット型のうち、文字マーク時代の画像をご紹介いたします。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び
上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。
「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。
昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」
「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。
昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。
この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。
その後、九州からの転入車を加えて大所帯化し、勝田区の所属となってヘッドマークもイラスト化されることになります。
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特急「ひたち」は、昭和44年10月に上野~平を結ぶ季節列車として誕生しました。
車両はキハ81を含む80系気動車で、特急「いなほ」の間合運用のかたちを採っていました。
昭和47年10月、羽越本線の全線電化により「いなほ」が485系化。これにあわせて、特急「ひたち」も仙台運転所の485系を使用するようになりました。
485系は仙台運転所持ちの9連又は12連が使用され、9連は「あいづ」と、クロを含む12連は「ひばり」「やまばと」と、クロを連結しない12連は「ひばり」と共通運用を組んでいました。
その後、フリークエンシーによる整備が始まると短編成化が実施され、サロを含む9連のみ、さらにはサロを連結しない7連へ変化していくことになります。
今回は、比較的に多く撮影していたボンネット型のうち、文字マーク時代の画像をご紹介いたします。
昭和51年頃 上野駅にて クハ481「ひたち」ボンネット車の並び
上野駅で1日いるとこのような風景に短時間ですが出くわすことがあります。
「ひたち」と「ひばり」が共通運用のため、片方のヘッドマークを取り替えた瞬間に見られる風景です。実際には、「ひたち」同士の同方向への並びはありませんので、どちらかが「ひばり」だと思われます。
昭和54年頃 上野駅にて クロ481「ひたち」
「ひたち」には仙台運転所持ちのクロを含む9両編成の運用があり、「あいづ」と共通運用が行われていました。このうちの数往復がクロを含む編成でしたが、あまり撮影していなかったようです。
昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて
上越新幹線が間もなく開業となる頃で、「みちのく」が廃止されるために撮影に行ったときのものです。
この頃の「ひたち」は、上信越スジのイラストマーク化に遅れをとっており、まだ文字マークでした。私的にはこちらの方が好きなので、この時撮っておいて良かったと思います。まだ仙台運転所持ちの時代です。
その後、九州からの転入車を加えて大所帯化し、勝田区の所属となってヘッドマークもイラスト化されることになります。
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