マル鉄・鉄道写真館

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国鉄 EF55型電気機関車:復活当初の頃

2012-07-10 00:30:00 | 国鉄・JR電気機関車(直流)
国鉄 EF55型電気機関車:復活当初の頃


準鉄道記念物として大事に保管されてきたEF551。
保存されていることは情報として知っていましたが、まさか本線に復帰するようになるとは夢にも思っていませんでした。

昭和61年に車籍が復活。高崎線に営業運転を行うようになりましたが、復活運転に際する整備を実施する前に、当時の高崎第二機関区のイベントでその美しい姿を現しました。



昭和60年3月30日 高崎第二機関区イベントにて

第1エンドのスカートがそのまま掛かっていて、連結器が無いんですよね。
その後、本線運転に際しては、重連や故障時の救援対応のため、連結器部分を欠き取って連結器が剥き出しとなったのです。
大変美しい姿です。



昭和60年3月30日 高崎第二機関区イベントにて

こちらはあまり見ることが出来なかった逆エンド側。
こちら向きでももちろん営業運転できますが、第2エンドを前にすると引き出しの力が極端に落ちるらしいのです。ですから、流線型を先頭に→転車台が必要→運用が不便→少数派→淘汰なんて図式に当てはまってしまい、早くに廃車になってしまったんですね。
それでも、終点から基地への回客を逆向きで牽引してる写真を見たことがあるので、実績的には逆向き運転が無かったわけではないようです。

この国鉄末期の時代は、高崎区の職員による機関車保存の運動が活発に行われていました。当時、廃車となった各形式機関車を全国から呼び寄せ手厚く保存しており、鉄道ファンとしても一国鉄職員としてもその熱意に感動したものです。そして実現したのがこのイベントであったといっても過言ではないでしょう。
職員の熱意と努力は「碓氷峠鉄道文化むら」という形で実を結び、さらには鉄道博物館に開設にまでつながっていったと言えるのではないでしょうか。





昭和61年8月1日 上越線 津久田~岩本間にて

そして、再整備のお披露目から1年が経過。まさかの車籍復活、それて本線復帰という奇跡を果たしました。いまではSLさえも保存機を復活させることは当たり前のように行われていますが、当時としてはありえない発想だったと思います。いわば動態保存のはしりでしたね。
運転初回は旧型客車が充てられたのも、粋な演出と言えます。



昭和61年8月1日 上越線 八木原~群馬総社間にて

こちらは返しの写真です。この区間は、1度「とき」の写真を撮りに行ったことがあったのである程度の土地勘はあったのですが、あれやこれやアングルを探していたら時間が間に合わなくなってしまい、ギリギリになって線路際で撮った次第。トリミングでなんとか構図をまとめることができましたが、実際は酷いアングルです。

EF55の復活はもちろん感動でしたが、私的には次位に連結されたスエ78が萌え~でした。3軸ボギーはやはり垂涎の存在でしたね。

復活したとはいえ老朽化した機体であることに変わりは無く、運転本数はかなり少なかったように思います。
それでも、ここから約20年にわたり活躍したのは、特徴のある美しさと、高崎第二機関区の職員の方々の情熱であると思います。

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