マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

451・453系:急行「つくばね」

2011-02-24 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
451・453系:急行「つくばね」


古く辿るとキリが無いので省略いたしますが、昭和43年10月のダイヤ改正において、電車急行としての「つくばね」が誕生しています。
急行「つくばね」は、上野から東北本線を経由し、小山の手前の「間々田駅」から水戸線へ短絡する貨物線をとおり水戸線へ乗り入れ、結城・下館・友部を経由して常磐線「勝田駅」まで運転されていました。途中の結城までは急行ですが、水戸線内~勝田までは普通列車となっていました。(電車化当初は、下館まで急行運転をしていたようです。)

水戸線は交流電化区間のため、使用車両は451系又は453系です。東北本線の黒磯以遠へ行く急行はすべて451系~457系で運転されているため、特に注目する車両には見えないのですが、当列車は勝田電車区の車両を使用していたため、東北本線の日暮里~岩沼間では唯一見られた編成でした。
また、最大の特徴は、当時、大宮を出て最初の急行停車駅である「小山」に到達する前に水戸線へ短絡してしまい、代わりに「間々田」に停車しました。間々田駅の歴史の中でも、急行列車が定期で停車したのは「つくばね」だけでしょう。



昭和60年1月5日 東北本線 栗橋~東鷲宮間にて 上り急行「つくばね」


「小山駅」を経由しなかった理由としては2つ考えられます。1つは、「小山駅」の東北本線と水戸線のホームの間に貨物ヤードがあり、転線に時間が掛かかり過ぎるため、直通列車としての時間的利点を優先した。2つ目は、小山駅を経由するとスイッチバックになるため、勝田電車区又は上野駅時点で列車の向きが変わってしまう。といったところでしょうか。おそらく、後者の理由の方が大きいと思います。

「つくばね」は、東北新幹線上野開業を迎えた昭和60年3月に廃止となったため、写真は最末期の頃のものとなります。ヘッドライトのシールドビーム化など魅力も半減していましたが、7両という仙台電車区所属車とは一味違った編成が、勝田電車区の急行「つくばね」であることを主張しています。

急行「つくばね」用:自由席グリーン券


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159系・153系:修学旅行列車「こまどり」

2011-02-23 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
159系153系修学旅行列車 急行「こまどり」


急行「こまどり」は、主に東海地方と品川を結ぶ修学旅行列車です。
昭和35年に153系で誕生しましたが、翌36年に専用の159系が誕生し、置き換えられました。


159系

159系は、先に登場した155系をベースとした修学旅行用の車輌です。
155系は、座席が2・3列のヨコ5列で、出入り台に洗面所を設けるなど、修学旅行用に徹した造りとなっていましたが、一方159系は、中京地区の修学旅行用車輌として増備されたもので、修学旅行閑散期は臨時急行への使用を考慮したことから、車内は急行型153系に準じたものとなっています。
しかし、両者とも中央本線等への乗り入れ対策として全低屋根構造としたことから、外観が著しく似ています。また、製作費を抑えるため、コイルバネ式の台車としたことも特徴となっています。



昭和54年頃 品川駅にて 159系 岡崎・大垣方面集約臨「こまどり」

159系は、もっぱら中京地区←→東京地区の修学旅行用として使用されており、時間帯が良いと、このように品川駅で見掛けることができました。今では橋上通路が「駅ナカ」になってしまいましたが、かつては修学旅行生が待機する広大な待合所があり、時折りシャッターが開いていて、中を覗くことができたものです。

写真は塗装変更過渡期の頃で、かなりな混成状態となっています。変更作業は、製作輌数の少ない同系の泣き所だったのかもしれません。クハ正面の塗り分けは、155系はオレンジ一色なのに対し、159系は113系に準じた帯びまわしとなっており、低屋根の顔と相まって、個性的になっているのがわかります。
この後、全車が湘南色として出揃うと間もなく、この写真の翌年には廃車されてしまいました。


153系



昭和55年5月頃 東海道本線 品川駅にて 153系急行「こまどり」

159系が廃車になると、急行「こまどり」には大垣区の153系や155系、165系なども使用されるようになりました。






上の写真と同じ列車です。
117系導入に伴い、新快速の座を追われた153系は、状態の悪いものは廃車、良いものは大垣区などへ転属することとなり、急行「比叡」や中京地区の普通列車に使用されました。
その運用はまちまちであり、写真のように修学旅行列車である「こまどり」にも例外なく充てられました。東京で見ることができない車両なので、大変驚いたものです。

「こまどり」はJR化後も引き継がれましたが、東海道新幹線三河安城駅開業に伴う利便性確保ができるようななったことから、平成に入って間もなく消滅しています。

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DD51842:快速「烏山山あげ祭り」

2011-02-22 00:47:00 | 国鉄・JR快速列車
快速「烏山山あげ祭り」


栃木県烏山の「山あげ祭」の開催に合わせて運転された、上野から烏山までの直通臨時快速列車。
東北線経由から、日光線や両毛線、水戸線など、あらゆる枝線への乗り入れ列車が運転されているが、烏山線への直通列車は、ミステリートレインの始祖である「銀河鉄道999」くらいしか記憶にはない。
さらに、東北本線の電化区間をDD51が牽引する列車と言うのも、極めて珍しい存在と言える。



平成19年7月28日 西川口~蕨間にて DD51842牽引 快速「烏山山あげ祭り」

同列車は、平成18年と平成19年の2年間連続の走行となったが、わずかこの2回のみで運転を終了している。なんでも、列車の運転に関し、地元とのトラブルがあったというウワサがあった。

客車は「奥利根」用の12系を使用しており、もと御召機のDD51842が牽引するという力の入れよう。
東北本線では非常に珍しい運転形態であっただけに、非常に残念だ。

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東武鉄道DRC:特急「けごん」

2011-02-21 00:25:00 | 私鉄(大手)
東武鉄道 1700系・1720系 特急「けごん」

東武鉄道は、かなり古くから国鉄との日光争奪戦が繰り広げられていた。
そんな中、日光・鬼怒川方面へよりグレードの高いサービスを目指し、DRC1720系を製造した。設計思想は151系に対抗するためとあるが、やはり国鉄日光線電化に合わせて誕生した157系デラックス準急の存在が大きいものであったと考える。

1720系は6連7編成が誕生し、さらに既存の特急車両1700系に同じ車体を載せた新1700系6連2編成も誕生している。






いずれも 昭和56年6月6日 東武日光線 新大平下~栃木間にて

「けごん」は、浅草から東武日光を結ぶ老舗特急列車である。
朝の浅草発下り列車と、夕方の日光発上り列車に時間帯が集中するため、やや撮りづらい列車であった。

写真はオリジナルの姿となっているが、晩年は運転席上に単独のクーラー室外機を搭載したため、かなり印象が異なっている。
1700系・1720系は、平成3年8月31日をもって定期運用を離脱、後進のスペーシアにその任を譲っている。
なお、一部の車両は特急「りょうもう」用に機器を流用し、現在も生かされている。

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165系:急行「よねやま」(サハ164)

2011-02-20 19:03:00 | 国鉄・JR急行列車
165系急行「よねやま」


上越線急行としての「よねやま」は、昭和47年10月の改正で誕生している。
運転区間は、上野~上越線経由で直江津までと、それまでの特急「はくたか」とともに、昼行列車としては長岡~直江津へ乗り換え無しで直行する数少ない優等列車であった。

編成は、新潟運転所(後の上沼垂運転所)所属の165系13連を使用し、急行「佐渡」と共通運用となっていた。ビュッフェの営業廃止及びサハシの運用離脱により12両編成となり、さらにサハの連結廃止、サロの1両減車により、末期は10両編成となった。



昭和56年頃 蕨駅にて

上越新幹線の大宮暫定開業を控えた前の年である。すれ違い写真なので残念ながら後部編成は写っていない。終始ヘッドマークが掲示されなかったが、列車番号の札が整備されていたため、列車番号から判別が可能であった。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて サハ164-2

急行「よねやま」に運用されたサハ164の写真。

サハ164は、昭和41年に中央東線急行「アルプス」等の増発に対応するため、ビュフェ車サハシ165に代わる車両として2両のみが誕生した。
形態的には中間付随車のサハ165に似ているが、車端に売店を設置し、さらに荷捌き用の扉を設置しているため、165系群の中では唯一の3ドア車となっているのが特徴。

中央東線の急行列車で活躍したが、最後までビュフェを営業していた中央東線では列車の統一性を欠くことなどから新潟区のサハシ165と交換のため転出、「佐渡」「よねやま」などに使用され、さらにサハシ165の運用離脱とともに活躍の場を失うと大垣区へ移動し、東海道本線の「東海」や間合いの普通列車としても利用された。

サハ164の記事については、こちら→『165系 変りダネ車両:サハ164』を参照。

上越新幹線の暫定開業時点においては、乗り換えの利便性確保から辛うじて存続した急行「よねやま」であったが、昭和60年3月の新幹線上野開業により乗り換えの不便が解消されたと判断、これをもって廃止となった。


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