直流型電気機関車 EF57
EF57は、昭和15年から18年に掛けて製造された急行列車向けの電気機関車。
東海道線の主要列車に使用され、後に高崎第二機関区、宇都宮運転所へと移動している。
昭和15年に製造された1号機は、EF56後期車と同様のスタイルで誕生している。
ただし、当時の出力アップ型のモーター(MT38:275kw×6)を搭載したことにより大幅に出力が変わったため、EF57という新型式として誕生した。
昭和16~18年に掛け、2号機以降15号機までが製造されたが、1号機とは大幅にスタイルが変わり、パンタグラフが車端に大きく離れたものとなった。これは、通風機の増設による通風能力の向上、中心部に2基のパンタグラフが寄ったことによる架線の押上げ力緩和のためと言われている。
いずれも蒸気暖房装置を搭載し、暖房車の連結を不要とした。その後、東北・北陸地区の客車電気暖房化に伴い、全機とも電気暖房装置に載せかえられた。
《宇都宮運転所における休車風景》
EF571
EF576
EF579
以上3点は、昭和51年に宇都宮運転所で撮影したもの。1号機のみはテールランプが埋め込み式に改造されている。
6号機と9号機はこのときが最初で最後の対面であったと記憶している。
EF574
EF577
EF5711
全ての営業運転から外れた昭和52年の年始。最末期は、1・4・7・11号機が残っていた。昭和51~52年の年末年始輸送における機関車不足から、休車になっていたEF57の運用が復活した。しかし、年始の輸送が終るとまた休車となった。
《最後の輝き》
昭和48年 蕨~西川口間にて 急行「津軽1号」
昭和48年 蕨~西川口間にて 急行「北星」
昭和51年 蕨~西川口間にて 臨時急行
昭和51年 蕨~西川口間にて 急行「津軽2号」
昭和51年 蕨~西川口間にて 急行「八甲田」
昭和51年 上野~尾久 125レ 普通列車
昭和51年 蕨駅にて 急行「八甲田」
昭和51年 蕨~西川口間にて 急行「津軽2号」
昭和52年3月21日 栗橋駅にて 122レ
昭和52年年始の輸送をもって休車になったと記憶しているが、この栗橋へ撮影に行った記録はこの日付で残っている。
《EF57の印象》
11号機だけは、他の車両と違って白Hゴム化されていた。
パンタグラフの真下は、火花が落ちてきて結構危ない。撮影は走行中に行っており、非常に危険である。よいこのみんなは真似をしてはいけない。
と言っても、今さらそんなことができる機関車なんて残ってはいない。
古き良き時代。思春期の記録。
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EF57は、昭和15年から18年に掛けて製造された急行列車向けの電気機関車。
東海道線の主要列車に使用され、後に高崎第二機関区、宇都宮運転所へと移動している。
昭和15年に製造された1号機は、EF56後期車と同様のスタイルで誕生している。
ただし、当時の出力アップ型のモーター(MT38:275kw×6)を搭載したことにより大幅に出力が変わったため、EF57という新型式として誕生した。
昭和16~18年に掛け、2号機以降15号機までが製造されたが、1号機とは大幅にスタイルが変わり、パンタグラフが車端に大きく離れたものとなった。これは、通風機の増設による通風能力の向上、中心部に2基のパンタグラフが寄ったことによる架線の押上げ力緩和のためと言われている。
いずれも蒸気暖房装置を搭載し、暖房車の連結を不要とした。その後、東北・北陸地区の客車電気暖房化に伴い、全機とも電気暖房装置に載せかえられた。
《宇都宮運転所における休車風景》
EF571
EF576
EF579
以上3点は、昭和51年に宇都宮運転所で撮影したもの。1号機のみはテールランプが埋め込み式に改造されている。
6号機と9号機はこのときが最初で最後の対面であったと記憶している。
EF574
EF577
EF5711
全ての営業運転から外れた昭和52年の年始。最末期は、1・4・7・11号機が残っていた。昭和51~52年の年末年始輸送における機関車不足から、休車になっていたEF57の運用が復活した。しかし、年始の輸送が終るとまた休車となった。
《最後の輝き》
昭和48年 蕨~西川口間にて 急行「津軽1号」
昭和48年 蕨~西川口間にて 急行「北星」
昭和51年 蕨~西川口間にて 臨時急行
昭和51年 蕨~西川口間にて 急行「津軽2号」
昭和51年 蕨~西川口間にて 急行「八甲田」
昭和51年 上野~尾久 125レ 普通列車
昭和51年 蕨駅にて 急行「八甲田」
昭和51年 蕨~西川口間にて 急行「津軽2号」
昭和52年3月21日 栗橋駅にて 122レ
昭和52年年始の輸送をもって休車になったと記憶しているが、この栗橋へ撮影に行った記録はこの日付で残っている。
《EF57の印象》
11号機だけは、他の車両と違って白Hゴム化されていた。
パンタグラフの真下は、火花が落ちてきて結構危ない。撮影は走行中に行っており、非常に危険である。よいこのみんなは真似をしてはいけない。
と言っても、今さらそんなことができる機関車なんて残ってはいない。
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