マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

165系:急行「よねやま」(サハ164)

2011-02-20 19:03:00 | 国鉄・JR急行列車
165系急行「よねやま」


上越線急行としての「よねやま」は、昭和47年10月の改正で誕生している。
運転区間は、上野~上越線経由で直江津までと、それまでの特急「はくたか」とともに、昼行列車としては長岡~直江津へ乗り換え無しで直行する数少ない優等列車であった。

編成は、新潟運転所(後の上沼垂運転所)所属の165系13連を使用し、急行「佐渡」と共通運用となっていた。ビュッフェの営業廃止及びサハシの運用離脱により12両編成となり、さらにサハの連結廃止、サロの1両減車により、末期は10両編成となった。



昭和56年頃 蕨駅にて

上越新幹線の大宮暫定開業を控えた前の年である。すれ違い写真なので残念ながら後部編成は写っていない。終始ヘッドマークが掲示されなかったが、列車番号の札が整備されていたため、列車番号から判別が可能であった。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて サハ164-2

急行「よねやま」に運用されたサハ164の写真。

サハ164は、昭和41年に中央東線急行「アルプス」等の増発に対応するため、ビュフェ車サハシ165に代わる車両として2両のみが誕生した。
形態的には中間付随車のサハ165に似ているが、車端に売店を設置し、さらに荷捌き用の扉を設置しているため、165系群の中では唯一の3ドア車となっているのが特徴。

中央東線の急行列車で活躍したが、最後までビュフェを営業していた中央東線では列車の統一性を欠くことなどから新潟区のサハシ165と交換のため転出、「佐渡」「よねやま」などに使用され、さらにサハシ165の運用離脱とともに活躍の場を失うと大垣区へ移動し、東海道本線の「東海」や間合いの普通列車としても利用された。

サハ164の記事については、こちら→『165系 変りダネ車両:サハ164』を参照。

上越新幹線の暫定開業時点においては、乗り換えの利便性確保から辛うじて存続した急行「よねやま」であったが、昭和60年3月の新幹線上野開業により乗り換えの不便が解消されたと判断、これをもって廃止となった。


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DD51牽引 20系寝台客車:急行「だいせん」

2011-02-20 08:21:00 | 国鉄・JR急行列車
DD51牽引 20系寝台客車:急行「だいせん」

急行「だいせん」は、昭和43年10月の改正により誕生した急行列車。昼行列車と夜行列車が存在した。
大阪から福知山線経由で山陰島根方面を結んでいたが、行先は複数が存在した。

昭和53年10月改正より、それまで10系寝台・旧型客車の編成であった夜行列車が20系化される。

夜行急行の20系化当初は、大阪~出雲市間が急行運転となり、大社線への乗り入れ区間は普通列車となる。また、B寝台車のほかにA寝台車を座席改造したナハ21が3両連結され、いずれも指定席となっていた。(ただし、大社線内は自由席。)



昭和59年2月12日 大社駅にて DD511113牽引 急行「だいせん5号」(機回し後)

終点大社駅は昔から優等列車が乗り入れていたため、長い有効長を持っていたが、この20系編成には対応できなかったようである。DD51が機回しされて出雲市方に連結されると、出発信号の確認できる位置まで編成を1両分程度押し込み、所定の位置で折り返し待機するという方法を採ってた。これは、所定の位置に停止後の折り返し出発待ちの図である。

夜行急行「だいせん」は、昭和61年11月改正から14系寝台+12系化され、平成11年10月からはエーデル車両により気動車化されてしまう。
そして、平成16年10月の改正により、山陰の老舗急行「だいせん」は姿を消すことになる。


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