ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

耳を磨け!

2008-04-28 22:14:11 | 演劇

 耳を磨けったって、耳かきで耳の穴かっぽじけってことじゃない。鋭敏な聴覚を身に付けようって話だ。

 先週、ようやっと、台本読みが終わった。置農定期公演の稽古の話だ。1ヶ月かかったね、わずか一回読み通すのに。最初一度目は、わかってもわからなくても、ともかく読む。二回目は、徹底してだめ出しをしながら、じっくりと読む。一つのせりふで1時間とか、1ページ1日なんてこともまれではない。何度でも繰り返させる。いろんな言い方を試させる。せりふの意味を考えさせる。そうやって立ち止まり、躊躇し、悩んで一つ一つせりふを攻略していく。この課程を僕はとっても大事にしている。こちらの意図を伝え、僕の望んでいることをとことん引き出していく。せりふの意味を問い直し、情景を思い描かせ、作者の意図を感じ取らせる。時には、時代背景の説明をしたり、人生や人間について話したりしながら、ゆっくりじっくり進めていく。

 せりふの言い回しは、極力役者本人が見いだすことを願っている。だから、僕としては、ああだこうだと、せりふの周辺を言葉で埋めながら、適切な表現を引き出していく、間の取り方とか声のトーンとか、技術的なアドバイス、なども与えつつ、自らの発見を待つ。ところが、自ら表現にたどり着くってのがなかなか難しい。いい加減いらいらして、おいおい、まだわかんねえのか?もう、しょうがねえなあ!ってことで、ついつい僕が手本?をやってみせるってことになる。

 何度かやってみせ、ほら、真似てみろ、って言うのだが、これがまた、まるでできない。違うだろ!その間の取り方。ほら、この言葉は引っ張って、ここはささっと早口で!一カ所一カ所、解説付きで再演してみせても、まったく近づいてこない。おい、どうなってんだ?

 最初、僕は、彼らはわかってはいるが、真似出来ないなんだと思っていた。聞いたことをその通りに演ずるって、結構大変なことだから。演技者としの経験もゼロに近いしね。まあ、仕方ないかって半ばあきらめつつ、繰り返しダメを出し続けてきた。

 ところが、今回、新たな真実に思い至った!それは、彼らはどうやら、僕の手本が聞き取れていないらしいってことなんだ。強弱もせりふの調子もニュアンスもまるっきり感じ取れていない。ようだ!そう思ったのは、アクセントの矯正を通してだった。我が部には、アクセントのおかしなのが何人もいる。ちょっとした高低の変化がわからない。何度教えても、まるで直らない。何十回と繰り返し、もう、いい加減うんざりして、家で家族と練習して来いと突き放したら、翌日、家族全員同じアクセントでした、っておいおい、家族ぐるみでなまってんのかよ?

 アクセントを何度注意されても直らない部員たちってのは、自分がどう発音しているかがわからない。こちらの正しいアクセントとどう違うかがわかない。結局、言葉の細かいニュアンスや音程の変化、音の強弱が聞き取れていないんだってことに気がついた。なるほど!だったら、せりふについても僕の真似ができないわけだ。聞き取れないんだから。

 いったい、どうしてこんなに耳が悪くなっちまったんだろう。若さの故か?時代の影響か?人間関係の希薄さからか、理由はわからない。ただ、微妙なニュアンスを聞き取る力が弱体化しているってことだけはたしかだ。繊細な言い回しが感じ取れない。言葉に潜んだ感情が読み取れない。音の表情が聞き分けられない。

 対策は、耳を磨け!これしかない。人の言葉にじっくりと耳を傾ける。素晴らしい音楽を一音残さず聴く。言葉に封じ込められた話し手の感情を感じ取る。これって、人間としてあまりに当たり前のことだ。でも、この訓練がとことん欠けているんだと思う。

 おい、皆の衆!耳を磨こうぜ!!

コメント
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