ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

やられたよ!アマゾンマーケットプレース

2008-04-21 22:24:16 | 本と雑誌

 ものすごく期待してたんだ、島村抱月訳の『人形の家』が届くって。今日届いたら、さっそく、引用部分を島村訳に書き換えて完成、これでばっちり明治の芝居になるって、喜び勇んで、職場の歓迎会でも酒を飲まずそそくさと帰って来たって言うのに。届いたのはなんと、昭和27年初版の山室静の訳本だった!なんてこと!!

 先週、アマゾンのマーケットプレースで島村抱月訳ってのを見つけた時は、ほんと、狂喜したんだ。それも300円以下という破格の安さで手に入る。さすがは、アマゾン!さすがはマーケットプレース!!と、絶賛、感嘆、再度、驚嘆だったのに。どうなんての?

 さっそくアマゾンのサイトで『人形の家』を探してみたら、ない!ない!どこにもない!島村抱月訳がきれいに消えているじゃないか!いや、あるにはある。でもそいつは、名著復刻版でなんと一冊65,000円也というとんでもない稀覯本、僕らの世界のものじゃない。三四日前に確かにあった、あの島村抱月訳はどこに行ったんだ。

 マーケットプレースの本屋さんもいい加減だ。送られてきた本は山室静訳なのに、送り状にはBY島村抱月とあるんだ。で、念のため、その本の隅から隅まで探してみたけど、島村抱月がその本に関わったなんて記述は一切なし!!何だよ?BY島村抱月って。これって詐欺?まあ、下手なこと言うと名誉毀損なんてことで訴えられないとも限らないから、これ以上ぐだぐだ言わないけど、納得出来ないよなあ。

 商品に不満があったら返品すれば、って言うかもしれないげと、そんな、金銭の問題じゃないんだ。要は、信頼性の問題。裏切られたこの失望感をどうしてくれる?ってことなの。果たして、どこに責任があったのか?この本がアマゾンから消えたってことは、アマゾンも本屋も誤りに気づいたってことだろう。だったら、一言、なんとか言ってほしよ。

 結局、山室静の訳だったら、何もわざわざ原さんのものと差し替える意味はない。だって、どっちも昭和のものだもの。明治の香りを感じさせてはいないもの。もういいよ。すでに仕上げた原稿で印刷する。65,000円はどうしたって高値の花だから。ということで、『雲雀 はばたきて』の劇中劇『人形の家』は原千代海さんの訳で上演することにする。原さんには早速、上演の許可をお願いしよう。それにしても、残念!無念!!

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台本完成!『雲雀 はばたきて』

2008-04-21 06:53:46 | 演劇

 ようやく、書き上げたよ。菜の花座次回公演『雲雀 はばたきて』の台本。正確には今夜、作業が一つ残っているんだけど。そう、劇中劇として使うイプセンの『人形の家』、原千代海さんの訳を使わせてもらうつもりだったんだけど、なんと、島村抱月の翻訳が手に入ったんだ。まさか、100年近くも前のものが使えるとは思わなかった。アマゾン様々、マーケットプレース様々だ。時代設定はまさしく島村抱月の時代なのでね。引用部分を今夜書き換えてめでたく脱稿ということになる。いやあ、長かった!

 文翔館の旧県庁議場ホールを使って芝居を作る、という話が持ち上がってから2年、女学生とどさ回り一座の男女混合劇という骨格が定まってから一年。明治時代の資料漁りを初めてやっぱり一年。具体的な構想を練り始めて半年。そして、書き始めて1ヶ月。僕としては、こんなに長く準備期間を持ったのは初めてのことだ。

 なんせ、明治という”時代”を書くという大それた企てをしてしまったので、勉強しないわけにいかない。構想中はもちろん、書いてる最中もしょっちゅう年表と首っ引きの毎日だった。おかげで、いくらかは明治という時代の雰囲気がつかめた気がする。そして、この芝居の中にそれを表現できたんじゃないだろうか。

 ただ、あれも書きたいこれも取り上げようとエビソードにとらわれ過ぎたかなって心配は少しある。そう、個々の話のおもしろさに頼りすぎて、掘り下げ方が足りないって感じだ。要するに、良くも悪くもウェルメイドな作品に仕上がったってことかな。まあ、僕自身、淡々としたものより、ストーリーがばく進する作品が好きなので、当然の帰結ってことだ。お客さんに楽しんで観てもらえる自信はある。もちろん随所にエンターテインメント性を盛り込んである。一つばらすと、オッペケペー節なんかも歌い踊るしね。もうひとつ明かせば、二つの舞台空間を使い切って進行するってことも。

 こんなに苦労した理由の一つに言葉の問題がある。登場人物がどんな言葉で話すのか、これがなかなかつかめなかった。明治時代の後半という時代設定、山形県は置賜地方という場所の設定、女学生と旅役者、と、こう並べてみれば、彼らにどんな言葉を話させるか、大変だってことわかってもらえると思う。例えば方言一つにしても、女学生でも、中産階級出身者と没落士族の娘では違って当然だろ。教頭となれば、これまた違う。さらに、旅役者には壮士芝居を目指す者、歌舞伎くずれの女形、なんかもいて、それぞれがみな違った言葉でやりとりするわけなんで、この言葉を固めるのが実に大変な作業たった。

 ともかく、書き上げた。明後日には、台本を印刷して座員たちに配ることができる。予定を遅れること3週間、これまた、僕としては初めてのことだ。配役はすべて決まっている。当たり前だ、当てて書いているから。彼らが、本を読んでどんな感想を持つか、楽しみ、と同時に怖い。でも、どう思われようと、この作品は成功するって自信がある。予感がある。いよいよ稽古と制作に入る。これからがまた大変な作業の連続になるだろう。

 公演は10月12日(土)、山形市文翔館議場ホールだ。会場と舞台設定の都合で入場は200人程度に限定されるから、チケットはお早めに。お早めに。

コメント (1)
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