山形市の劇団「ノラ」の公演『フローズンビーチ』を見た。
女ばかり4人だけのお芝居だった。そう言えば、前回見た劇団「風」の『絢爛とか・・』もそう。そして、4月に公演した菜の花座の『決められない!』も女4人だった。うーん、これは考えさせられる偶然だ。
まず言えるのは、やっぱ元気なのは女だっ!ってことだ。世の中もそうだけど、アマチュア演劇の世界では圧倒的に女だ!もちろん、演劇部も確実に女性上位がどこの高校でも続いている。
まっ、女の方がよっぽど文化的だってことだ。男はって言うと、甲子園や本田や亀田に夢中になるか、パチンコ行ってるかなんだから、まっ、勝負にならんよな。東京で劇場覗いたって、客席は、これはもう女の園だから。
ただ、そんな舞台の女たちを演出とか言って、あれやこれや動かしてるのは、上の3つの劇団ともに男ってことをどう考えるか。女は表に出たがり、男は、そんな女たちを動かすことに隠微な喜びを感じてるってか?たしかに、舞台の流れやシーンを作るのは男=演出だ。でも、いざ、一通り枠組みができれば、後は女たちのやりたい放題ってことなんだな。今日の舞台もつくづくそれを感じた。ああだ、こうだ言ったって、舞台は所詮、役者のものよ。
て、ことで、今日の4人もそれぞれに輝いていた。うまく、見た目も性格も違う4人が都合よくいたもんだと思った。まっ、若い役者ふんだんの「ノラ」だから、そんなこと当たり前かもしれないが。
最初は、役者も観客も堅くて、ギャグや笑いの台詞も空振りが多かったけど、だんだんとケラの世界と台詞がホール全体にしみこんで行くのが感じられた。3っつの年月を役者も演出もよく表現していたと思う。衣装も水着やウィグなど使いながら、巧みに表していた。あえて言うなら、悪意が足りないかな。平気で他人を殺していく人物の凄まじい憎悪、そして、罪悪感がもっとちらちらと見え隠れすれば、良かった。
それにしても、僕が「せりふの時代」で読んだ脚本は、たしか前半部分だけだったような気がして?休憩後のオームネタとか、切れた指がくっついちゃうとかの超常現象は、ちょっと引いてしまった。どうも付け足された後半部分は、説明的かつご都合的で、いらないかな?などと感じながら見ていた。前半部はとてもミステリアスで、緊張感があった。
今回演出をした安部さんは、米沢中央高校演劇部の出身。僕と同時期、県大会を目指して競い合った人だ。彼は部員として、僕は顧問として。そんな彼が、謂わば客地の山形市で劇団を率いているってこと、とっても嬉しく感じた。これからもぜひ、若さを逆手にとって斬新な、僕なんか年寄りが、嫉妬するような作品を作って欲しいものだ。
最期に、とても気になったこと。レコードのかけ方!いくらなんでも雑すぎないか?レコードの持ち方、針の降ろし方、あの時代の人間はもっと気を使ってたもんなんだけど。わーっつ!やめろ!レコード傷つく!針ダメになる!そんなんじゃ音でないっ!って悲鳴上げながら見ていた。それと、消えもの!「風」の時もそうなんだけど、どうしてビールやワイン、空なんだろ?空のグラスやビール瓶を飲むのって、演技力がいるんだ。実際、どの役者も飲めていなかった。水でも、ウーロン茶でもいいから中身入れた方が断然いいと思う。菜の花座なんか、ラーメンだって食わせたからね。もちろん、缶ビールもプルタブそのままにして中身変えたり。こういう何気ない仕草をいい加減にすると、他の演技もウソになってしまう。細かいところ、大切にした方がいいと思うな。
ついでに、出入りが上手だけになってしまったのは残念だ。せめて玄関は下手に作りたかった。それと、二つの部屋、カーテンでなくドアでしきりたかったな。ベランダももう一工夫欲しかったかな?なんて人の舞台は好き勝手言えるわけです。
女ばかり4人だけのお芝居だった。そう言えば、前回見た劇団「風」の『絢爛とか・・』もそう。そして、4月に公演した菜の花座の『決められない!』も女4人だった。うーん、これは考えさせられる偶然だ。
まず言えるのは、やっぱ元気なのは女だっ!ってことだ。世の中もそうだけど、アマチュア演劇の世界では圧倒的に女だ!もちろん、演劇部も確実に女性上位がどこの高校でも続いている。
まっ、女の方がよっぽど文化的だってことだ。男はって言うと、甲子園や本田や亀田に夢中になるか、パチンコ行ってるかなんだから、まっ、勝負にならんよな。東京で劇場覗いたって、客席は、これはもう女の園だから。
ただ、そんな舞台の女たちを演出とか言って、あれやこれや動かしてるのは、上の3つの劇団ともに男ってことをどう考えるか。女は表に出たがり、男は、そんな女たちを動かすことに隠微な喜びを感じてるってか?たしかに、舞台の流れやシーンを作るのは男=演出だ。でも、いざ、一通り枠組みができれば、後は女たちのやりたい放題ってことなんだな。今日の舞台もつくづくそれを感じた。ああだ、こうだ言ったって、舞台は所詮、役者のものよ。
て、ことで、今日の4人もそれぞれに輝いていた。うまく、見た目も性格も違う4人が都合よくいたもんだと思った。まっ、若い役者ふんだんの「ノラ」だから、そんなこと当たり前かもしれないが。
最初は、役者も観客も堅くて、ギャグや笑いの台詞も空振りが多かったけど、だんだんとケラの世界と台詞がホール全体にしみこんで行くのが感じられた。3っつの年月を役者も演出もよく表現していたと思う。衣装も水着やウィグなど使いながら、巧みに表していた。あえて言うなら、悪意が足りないかな。平気で他人を殺していく人物の凄まじい憎悪、そして、罪悪感がもっとちらちらと見え隠れすれば、良かった。
それにしても、僕が「せりふの時代」で読んだ脚本は、たしか前半部分だけだったような気がして?休憩後のオームネタとか、切れた指がくっついちゃうとかの超常現象は、ちょっと引いてしまった。どうも付け足された後半部分は、説明的かつご都合的で、いらないかな?などと感じながら見ていた。前半部はとてもミステリアスで、緊張感があった。
今回演出をした安部さんは、米沢中央高校演劇部の出身。僕と同時期、県大会を目指して競い合った人だ。彼は部員として、僕は顧問として。そんな彼が、謂わば客地の山形市で劇団を率いているってこと、とっても嬉しく感じた。これからもぜひ、若さを逆手にとって斬新な、僕なんか年寄りが、嫉妬するような作品を作って欲しいものだ。
最期に、とても気になったこと。レコードのかけ方!いくらなんでも雑すぎないか?レコードの持ち方、針の降ろし方、あの時代の人間はもっと気を使ってたもんなんだけど。わーっつ!やめろ!レコード傷つく!針ダメになる!そんなんじゃ音でないっ!って悲鳴上げながら見ていた。それと、消えもの!「風」の時もそうなんだけど、どうしてビールやワイン、空なんだろ?空のグラスやビール瓶を飲むのって、演技力がいるんだ。実際、どの役者も飲めていなかった。水でも、ウーロン茶でもいいから中身入れた方が断然いいと思う。菜の花座なんか、ラーメンだって食わせたからね。もちろん、缶ビールもプルタブそのままにして中身変えたり。こういう何気ない仕草をいい加減にすると、他の演技もウソになってしまう。細かいところ、大切にした方がいいと思うな。
ついでに、出入りが上手だけになってしまったのは残念だ。せめて玄関は下手に作りたかった。それと、二つの部屋、カーテンでなくドアでしきりたかったな。ベランダももう一工夫欲しかったかな?なんて人の舞台は好き勝手言えるわけです。