京都の国立教育大学の学生が女子学生を集団でレイプした。そして被害者から訴えを聞いた大学当局者は「教育的配慮」から、事件を警察に通報しなかったという。
誰に対する「配慮」なのだろう? もちろん被害者に対してではないと思う。訴え出ているのだから。とすると加害者の学生に対してということになる。まさか自分たちへの配慮ではあるまい。
アメリカのハリウッド映画やドラマには、実は政府が国民に伝えたい「真実」を入れ込んでいるものがある。一見、荒唐無稽のSFにみえるが近未来の兵器などに「慣れて」もらったり、軍のプロパガンダが隠されていることがよくある。
以前みたハリウッド映画で、全米でも有名になっているある高校のアメリカンフットボールチームのスタープレーヤーたち(高校生だ)が同じ高校の女子学生を集団でレイプするというストーリーがあった。
虫酸が走るような場面でヨーロッパ系アメリカ人に対する偏見が増してしまった。
そして訴えを聞いた学校側は、加害者たちがスターだったので一切お咎めなし。そして女子学生は転校した。
もちろん映画のストーリーなのだが、これは作り話ではないかもしれないと思っていた。
アメリカは「強い」者がルールを作っていく国なのだと改めて確認。
カンボジアの元娼婦で今は売春宿から少女たちを救い出す活動に従事しているソマリー・マムさんはその著書の中で、以前自分をレイプした男をお金をためて買ったピストルで撃ったことがあると明らかにしている。
男の命は助かったが小さいが一生消えない障害が残った。そして彼女は自分も一生消えない傷を負ったのだからイーブンだと思ったそうだ。
京都の加害者の学生たちは「無期停学」だとか。放校とか退学より軽い処分だ。
もしかして「前例」にのっとっていたりするのだろうか? 「酒の上」だから、などと思っているのだろうか?
法律に詳しくないが「一生消えない障害」を負わせた場合の刑事罰ってどれくらいの量刑になるのだろうか?
この大学の先生たちは「教育」が専門だから興味の無いテーマかもしれない。
カンボジアでは30年にわたる戦乱で人の心が荒廃し僧侶が子どもをレイプしたりする事件がおこるそうだ。
日本人の心も荒廃していると思う。そして学生たちを導く立場にある大学当局がその荒廃に手を貸すのだから情けない。
そして今回の通報を見合わせていたという行為は刑事罰に問えないものかと思う。
誰に対する「配慮」なのだろう? もちろん被害者に対してではないと思う。訴え出ているのだから。とすると加害者の学生に対してということになる。まさか自分たちへの配慮ではあるまい。
アメリカのハリウッド映画やドラマには、実は政府が国民に伝えたい「真実」を入れ込んでいるものがある。一見、荒唐無稽のSFにみえるが近未来の兵器などに「慣れて」もらったり、軍のプロパガンダが隠されていることがよくある。
以前みたハリウッド映画で、全米でも有名になっているある高校のアメリカンフットボールチームのスタープレーヤーたち(高校生だ)が同じ高校の女子学生を集団でレイプするというストーリーがあった。
虫酸が走るような場面でヨーロッパ系アメリカ人に対する偏見が増してしまった。
そして訴えを聞いた学校側は、加害者たちがスターだったので一切お咎めなし。そして女子学生は転校した。
もちろん映画のストーリーなのだが、これは作り話ではないかもしれないと思っていた。
アメリカは「強い」者がルールを作っていく国なのだと改めて確認。
カンボジアの元娼婦で今は売春宿から少女たちを救い出す活動に従事しているソマリー・マムさんはその著書の中で、以前自分をレイプした男をお金をためて買ったピストルで撃ったことがあると明らかにしている。
男の命は助かったが小さいが一生消えない障害が残った。そして彼女は自分も一生消えない傷を負ったのだからイーブンだと思ったそうだ。
京都の加害者の学生たちは「無期停学」だとか。放校とか退学より軽い処分だ。
もしかして「前例」にのっとっていたりするのだろうか? 「酒の上」だから、などと思っているのだろうか?
法律に詳しくないが「一生消えない障害」を負わせた場合の刑事罰ってどれくらいの量刑になるのだろうか?
この大学の先生たちは「教育」が専門だから興味の無いテーマかもしれない。
カンボジアでは30年にわたる戦乱で人の心が荒廃し僧侶が子どもをレイプしたりする事件がおこるそうだ。
日本人の心も荒廃していると思う。そして学生たちを導く立場にある大学当局がその荒廃に手を貸すのだから情けない。
そして今回の通報を見合わせていたという行為は刑事罰に問えないものかと思う。