オリンピックの開会式の選手団を次々に見ていて、行ったことのある国などが登場して、幸せそうに盛り上がっている若い選手たちを見ると胸に迫ってくるものがあったりするのは、「年」のせいか。行ったことがなくても何かしらの「ご縁」がある国も同様で。
15年以上前だけど、東京でウイスキーを使ったカクテルのコンクールがあった。優勝したのはレバノンのバーテンダーだった。
レバノン、特に首都のベイルートは以前「中東のパリ」と呼ばれたおしゃれな街だったそうだが、20世紀後半は国中が戦果に見舞われていて本当に悲惨だった。敵も味方も、国境も何もあったものではない状態。
21世紀に入ってからも難民キャンプが攻撃を受けたりしていた。
その戦果の中、南部を旅する劇団の話からヒントを得て、避難した防空壕で一夜を過ごす少女たちが演じる「サロメ」と言う台本を作って上演させてもらったこともある。
レバノン、ベイルートと聞いて「バーで飲める!? どんな環境で?」と考えたくらい。
「大丈夫。今は本当に平和になったんだ。中東のパリが戻ってきてる。ベイルートの僕のバーに来てよ」。
「必ず行く」と言ったからには、いつか必ず行く。
イスラエルからのミサイル攻撃を受けたレバノンの映像を見るたびに彼のことを思い出す。