泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

日本の伝統をもっと大事にしてほしい

2024-09-11 23:29:14 | 丹下一の泡盛日記
木曜日、前日の身体を使った稽古のおかげもあって眠りは深かった。
家の中をリセットする日。スーパーなど3往復して買い出し。
フリーランスという自営業なので、領収書はノートに貼り付け帳簿もつける。
銀行に寄って記帳も。やっぱり紙がいい世代なんだよね。
週末のお仕事のお弁当のおかずも念頭に食材用意。これは楽しい時間。
近所のスーパーで懐かしい食材を見つけると、ふっと20代の頃に意識が飛んで、四畳半に集まってくれた演劇人たちに出していたご飯を思い出す。
ご飯はワールドワイドだったので、スパイシーすぎたことも多々あった。
インドから帰国したばかりの人が来た時に、出したカレーを喜んでくれて、「このカレーは手で食べないと失礼だ」と言って、手を洗ってきます、と。嬉しかった。
そして、演劇を学び続けるうちに基本的には、伝統を大切にしたい「保守な」人間になっていったと考えている。
シンガポールのディック・リーの「伝統はスピリットだ」にも強く共感しつつ、もちろん恩師たちの本を読み進めながら「日本の」伝統(スピリット)を考え続け、舞台作品を創っているつもりだ。
そして郡司正勝先生の「昔からそうだから」と言われたら「戦後から」だと思いなさい、という言葉を大事にしている。
最近の「保守」を名乗る人たちの「昔から」は基本的に戦後のものだし、そのルーツはせいぜい明治維新後だ。
日本の伝統をもっと大事にしてほしい。
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母のファミリーの話

2024-09-11 23:29:14 | 丹下一の泡盛日記
前日、朝方まで母の話を聞いていた。
母方の祖母の一族は山口県の出身だが明治維新で困窮し国外での生活に賭け、一族の多数で移民した。行き先は朝鮮。
最初は太田、その後仁川、そしてソウルに移り住んだ。祖母はソウルで生まれたそうな。その後、同様に日本から移住した祖父にみそめられ「東京に行けるから」という理由で求婚を受け入れたという。最初は祖父の仕事場のある水原に住んでいたそうな。
自分はそのすべての街に行ったことがある。
特に、祖父母が最初に暮らしたのが水原というのは、10年ほど前に初めて聞いて驚いた。
というのも韓国には二十回くらい入っていると思うが、水原には何度行ったかわからない。民俗村を訪ねたのが最初、2001年には国際演劇祭に参加している。
なんだか「呼ばれていた」ような気がしてしまうのだった。
以前、母に「お母さん(自分には祖母)に作ってもらいたい料理は何?」と聞いたことがある。
あらゆる予想を裏切って、応えは「ロールキャベツ、ホワイトソースの」だった。
母は日本(それも、なぜか自分が家を出て最初に住んだエリアなのだけど)で生まれているのだけど、当時の国際都市だったソウル市内を歩くロシア人や中国人の話と共に祖母がソウルで覚えたロールキャベツがご馳走だったという。
水曜日の午後は演劇講座。2年半ぶりにミュージック・トレーニングをやってみる。なんとか動ける。嬉しい。
その後は、もちろん若い受講生たちと突っ込んだ深い時間。

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