泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

「ありのまま」とは。。。

2014-07-16 14:02:15 | 丹下一の泡盛日記

朝ご飯。
Mがトウモロコシと奈良から取り寄せたキュウリを持ってきてくれた。
マヨネーズと「ファミリー」の女優が手作りした味噌を和えたディップでキュウリを食べる。
この方法は、以前、真夏の奥飛騨で教わった。
稽古の合間にいただいたあのキュウリがあまりに美味しくて、もうキュウリの丸かじりはできないなあ、と。
それと同じくらい美味しいぞ、これは♪
トウモロコシも塩ゆでしただけなのにばりばり食べてしまう。
旬のものだもんね。

先週のイーウーマン円卓会議で俳優修行を通じて「新しい自分に出会う」と書いた。
人間は関係の中で「生きる」もの。
稽古場で演出者や共演者という「他者」と向かい合う中で自分が磨かれて、未知の自分に気がつくことがある。
M曰く、ある人の言葉に「道を歩いていて”本当の”自分に出会ったとしても、それが自分だとは気がつかない」と。
その通りだと思う。
自分一人で気がつくことはかなり難しい。
他者との関係の中で気がつくことができる。

そして、関係性の中で生きる、という文脈の中で「ありのまま」という言葉の意味がわからない。
「ありのまま」なんてあるわけがない、と思っている。
ただ、今たくさんの人が「ありのまま」という言葉に反応するのは、押し付けられた「自分」に疲れ果て、うんざりしているからだろう。
「ありのまま」というのは、押し付けられた「無理」をはぎ取った自分、という意味だろうか。
そのうんざりしている無理な「関係」は多分、金で縛られた関係。
「仕事」だから、というのとは違う。
大卒で2回の留学経験もある知人は、悶々とした日々を過ごしていたが、ある日突然、魚屋で働き始めた。
「いらっしゃい!」と威勢良く声を出し続けているお店に寄ったことがあるが、別人のように生き生きしていた。
そして、「今日はこれがおススメ!」と言われて購入した干物は本当に美味しかった♪
今はある企業でバイリンガルである自分を生かしてばりばり働いているが、この「魚屋の時間」も必要なことだったのだろう。
今の「関係」に疲れ果てている人たちが、新しい「関係」に出会えますように、と思う。
自分も日々動いて新しい関係に出会っていくべし!
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新しい楽器

2014-07-16 00:48:48 | 丹下一の泡盛日記
今朝はドアの修理が入る。
あれはなんていうのか、アームっていうんだっけ?
それの取り付け部分の3本のねじのうち2本が行方不明。
そして、のこり1本が今にも抜け落ちそうになっている。
なんかドアの開閉がおかしくて発見。
それにしても抜け落ちた2本はどこに?
修理屋さんが来て、穴が大きくなりすぎてねじが入らないから場所を変えて取り付けます、と。
ということは入居した時からねじ1本で留っていたということか(-_-;;;

無事修理終了後、横浜のハンズで材木購入。
材木と言ったって、全部で長さ150センチくらいなもんだ。
こんなものでも都会では、いちいち金を出して買わなければならない。
しかもデパートみたいなところで。
35年前に早稲田の木の匂いがぷんぷんする材木屋に通っていたのとは大違い。
これくらいの材料は劇場にいくらでもあった。
かつての新宿の自宅兼事務所にも積み上げてあった。
大工道具からして揃え直さないと行けないのだから物入りなもんだ。

そして、材料を家に持ち帰っても、部屋では釘を打てないので、その度に建物の外に出て作業する。
小さなプレートをつくるだけなのに面倒なことこの上ない。
それでも、無事に完成。
これは来週の本番で威力を発揮するだろう。
なんて一人で悦に入っているところに、新しい楽器が届いたのでもう嬉しくて仕方がない。
早く本番で使いたいな!
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