30日(月)、東京駅から東北新幹線で仙台へ。
そこからレンタカーを運転して石巻の先、雄勝というエリアへ。
途中、北上川河口にある大川小学校跡地に立ち寄る。
ここはかなり現代的な設計の学校だったことを知った。
素晴らしい空間だったの違いない。
渡り廊下がねじ切られている。
南三陸や釜石でみたのと同じ凄まじい痕跡。
そして、確かに急斜面だけどこの裏山を登って助かった子ども達がいることを思うと遺族の納得いかない気持ちは理解できる。
慰霊碑にはあの今風の「読めない」名前がたくさん。
全国で会って来た子どもたちの顔と重なる。
合掌。
半島を南へ横断。雄勝地区に入る。
川沿いから小さな入り江へ。
その縁にあるコンクリートの護岸がめちゃめちゃに壊されたまま。
ところどころに土嚢が積み上げられたままだ。
ふと気がついた。
カーナビには集落があることになっているそこには背の高い草むらしかない。
あのコンクリの土台だけが残った無惨な風景が草に覆われてちょっと見ただけではわからない。
「東北はまた忘れられていく」という故石川裕人大兄のことばが蘇ってくる。
この日のゴールは、廃校になった小学校。
あるNPO法人が改装中。
ワークショップを終えて宿に戻ったのは23時頃だった。。。
そこからレンタカーを運転して石巻の先、雄勝というエリアへ。
途中、北上川河口にある大川小学校跡地に立ち寄る。
ここはかなり現代的な設計の学校だったことを知った。
素晴らしい空間だったの違いない。
渡り廊下がねじ切られている。
南三陸や釜石でみたのと同じ凄まじい痕跡。
そして、確かに急斜面だけどこの裏山を登って助かった子ども達がいることを思うと遺族の納得いかない気持ちは理解できる。
慰霊碑にはあの今風の「読めない」名前がたくさん。
全国で会って来た子どもたちの顔と重なる。
合掌。
半島を南へ横断。雄勝地区に入る。
川沿いから小さな入り江へ。
その縁にあるコンクリートの護岸がめちゃめちゃに壊されたまま。
ところどころに土嚢が積み上げられたままだ。
ふと気がついた。
カーナビには集落があることになっているそこには背の高い草むらしかない。
あのコンクリの土台だけが残った無惨な風景が草に覆われてちょっと見ただけではわからない。
「東北はまた忘れられていく」という故石川裕人大兄のことばが蘇ってくる。
この日のゴールは、廃校になった小学校。
あるNPO法人が改装中。
ワークショップを終えて宿に戻ったのは23時頃だった。。。