昨日、終日在宅。本とCDを少し整理した。
頼まれた仕事も済まさずにいる(Mちゃんごめんね。今日やります!)のだが、時折自分の心を整理するために家の中を片付ける必要がある。そんな日だった。
段ボールひと箱分のCDと本は紫帆さんに紹介されたインドの子どもたちを支援するNPO法人に送るつもり。
その後、たまっていた新聞1か月分をひたすら読み続ける。
「ことば」は食べないと、出てこない。
この秋のシーズンもいい仕事をさせてもらっていると感謝している。
釜石プロジェクトも民俗芸能祭も幸せな達成感で終了した。
12月だって旅も含め、まだまだ続く。
別に有名なわけでもなくお金にも縁が遠いが、そこそこ生活していけるのだからありがたいことだと思うし、傍から見たらうらやましがられて当然かもしれない。
なのに心に隙間風が吹いてくるのだから困ったもんだ。
それもかなり強く。
こんな時は酒なんか飲んでる場合じゃない。
勝手な願いだが、わんこがいてくれたらと思う。
旅ばかりの一人暮らしは気ままなものだが、ふとしたはずみの孤独も深い。
新聞に91歳の歌舞伎役者の話が載っていて、一緒に暮らしていた犬が亡くなり半年は泣いていた。今も写真を持ち歩いている、と。
わかる、と思う前に目頭が熱くなる。
その後はテレビで白黒の日本映画を1本見て、そして再びひたすら本を読む。
3時過ぎまで本(ことば)に向かい合い、ようやく眠ることが出来た。
そして今朝、勘三郎の訃報を知った。
早すぎる。
まあ、やりたいだけやって走り抜けたよなあ、とも。
アングラ演劇は「歌舞伎」と「能」のどちらかに視線を向けることが多かった。
(なので自分は「山伏神楽」を選んだ)
その視線の先を大歌舞伎の側から実現してしまった人だ。
演劇学科の同期と話していて「この頃、民俗芸能を学んだ自分が面白いと思えるような歌舞伎がない」と話したら同感だ、と。
勘三郎はそのぎりぎりを攻めてきた人だ。
また一人、「アングラ」を視座に入れていた演劇人がいなくなってしまった。
合掌。
頼まれた仕事も済まさずにいる(Mちゃんごめんね。今日やります!)のだが、時折自分の心を整理するために家の中を片付ける必要がある。そんな日だった。
段ボールひと箱分のCDと本は紫帆さんに紹介されたインドの子どもたちを支援するNPO法人に送るつもり。
その後、たまっていた新聞1か月分をひたすら読み続ける。
「ことば」は食べないと、出てこない。
この秋のシーズンもいい仕事をさせてもらっていると感謝している。
釜石プロジェクトも民俗芸能祭も幸せな達成感で終了した。
12月だって旅も含め、まだまだ続く。
別に有名なわけでもなくお金にも縁が遠いが、そこそこ生活していけるのだからありがたいことだと思うし、傍から見たらうらやましがられて当然かもしれない。
なのに心に隙間風が吹いてくるのだから困ったもんだ。
それもかなり強く。
こんな時は酒なんか飲んでる場合じゃない。
勝手な願いだが、わんこがいてくれたらと思う。
旅ばかりの一人暮らしは気ままなものだが、ふとしたはずみの孤独も深い。
新聞に91歳の歌舞伎役者の話が載っていて、一緒に暮らしていた犬が亡くなり半年は泣いていた。今も写真を持ち歩いている、と。
わかる、と思う前に目頭が熱くなる。
その後はテレビで白黒の日本映画を1本見て、そして再びひたすら本を読む。
3時過ぎまで本(ことば)に向かい合い、ようやく眠ることが出来た。
そして今朝、勘三郎の訃報を知った。
早すぎる。
まあ、やりたいだけやって走り抜けたよなあ、とも。
アングラ演劇は「歌舞伎」と「能」のどちらかに視線を向けることが多かった。
(なので自分は「山伏神楽」を選んだ)
その視線の先を大歌舞伎の側から実現してしまった人だ。
演劇学科の同期と話していて「この頃、民俗芸能を学んだ自分が面白いと思えるような歌舞伎がない」と話したら同感だ、と。
勘三郎はそのぎりぎりを攻めてきた人だ。
また一人、「アングラ」を視座に入れていた演劇人がいなくなってしまった。
合掌。