泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

相撲は「芸能」だ

2010-06-18 15:13:33 | 丹下一の泡盛日記
 「不祥事」が相次いでいる相撲協会。
 明治時代に自ら「国技」を名乗って、いつの間にか大昔から大相撲があったかのような気持ちになっているが、「大相撲」が今の体裁を整えたのはそれほど昔のことではない。
 そして神前での奉納もあるが、昔から「相撲」はお客をあつめて「興行」するものだった。つまりはプロレスのようなもの。
 だから相撲では「練習」とか「トレーニング」などと言わずに「稽古」という。

 だから大相撲は芸能のひとつだと思っている。それもごく最近作り上げられた。
 1900年頃から大相撲の土俵の上の屋根は法隆寺の金堂などと同じつくりになっていた。それが1931年の天覧相撲から伊勢神宮などと神明造りに変わった。
 仏式から神道にころっと変わってしまったのだ。
 しかも四方の柱を「見えにくい」という理由でなくしてしまった。
 今では屋根が会場の上から吊るされる形となっている。
 この変わり身の早さが「伝統」なのかもしれない。

 腰にしめ縄をつけて土俵に上がる時、相撲取りの身体は神が宿る寄りしろそのものになる。
 相撲取りは芸能者なのだ。
 彼らは「勝負」という「芸能」をみせているのだ。
 だからそんなに精神性を求めなくてもいいんじゃないだろうか?
 またはその正反対の人がとても多いので、他よりも強く精神性や「清い」行動を求めなければいけないのだろうか?
 裏手にまわると相撲のスタッフは(親方たちだと思う)ものすごくタカビーだ。礼儀作法とはほど遠い言葉遣いで人に接している。よほど自分に自信がないのだろうか。または「礼儀」という言葉の意味を理解していないのか?
 まあ、相撲に「大」の字をつけて「大相撲」なんて名乗るくらいだからなあ。日本に大の字つけた「大日本帝国」というネーミングと同じセンスだ。
 もう大相撲をそんなに持ち上げてみなくてもいいんじゃないだろうか?

 昨夜、終電乗り継ぎの大船駅のホームで女性に手を握られて誘われた。結構飲んでいたのでよいカモだと思われたのだろう。もうちょっと任せておいたらどこに連れて行かれたのか、ちょっと知りたくもあるな♪ 
 「ごめんね~。もう今夜はおうちに帰るから」と言って別れてしまった。週末の終電でも会えるかもね。再会できたら面白いかも。
コメント
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