『懷風藻』 原文並びに書き下し文 (その10)
從三位兵部卿兼左右京大夫藤原朝臣萬里 五首 [萬里一本麻呂]
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五言 暮春於弟園池置酒 一首並序
暮春弟の園池において置酒す
僕聖代之狂生耳。 僕は聖代の狂生のみ
直以風月為情、魚鳥為翫 ただ風月をもつて情となし、魚鳥を翫びとなす
貪名狥利、未適沖襟 名を貪り利を狥(もと)むることは、いまだ沖襟に適(かな)はず
對酒當歌、是諧私願 酒に對しては當に歌ふべし 是れ私願に諧(かな)へり
乘良節之已暮、 良節のすでに暮るるに乘じて
尋昆弟之芳筵 昆弟の芳筵(ほうえん)を尋ね
一曲一盃、盡懽情於此地 一曲一盃、懽情(かんじょう)をこの地に盡す
或吟或詠、縱意氣於高天 或は吟じ或は詠じて、意氣を高天に縱(ほしいまま)にす
千歳之間、嵆康我友 千歳の間、嵆康(けいこう)は我が友
一醉之飲、伯倫吾師 一醉の飲、伯倫(はくりん)は吾の師
不慮軒冕之榮身、 軒冕(けんべん)の身を榮えしむるを慮(おもんばか)らず
徒知泉石之樂性 ただ泉石の性を樂しましむるを知るのみ
於是、 ここにおいて
絃歌送奏、蘭蕙同欣 絃歌(げんか)送(たが)ひに奏し、蘭蕙(らんけい)同じく欣び
宇宙荒茫、煙霞蕩而滿目 宇宙(うちう)荒茫(こうぼう)、煙霞(えんか)蕩して目に滿ち
園池照灼、桃李笑而成蹊 園池(えんち)照灼(しうしやく)、桃李(とおり)笑みて蹊を成す
既而、 すでにして
日落庭清、樽傾人醉 日落ち庭く清、樽傾きて人醉ふ
陶然不知老之將至也。 陶然として老の將に至らむとするを知らず
夫、登高能賦、即是大夫之才 それ高きに登りて能く賦す 即ちこれ大夫の才
體物縁情、豈非今日之事 物に體して情を縁(よ)す、豈に今日の事にあらずや
宜裁四韻、各述所懷。 宜しく四韻を裁して、おのおの所懷を述ぶべし
云爾。 云うことしかり
城市元無好 城市 元(もと)より好(こう)なし
林園賞有餘 林園 賞(めで)るに餘(よ)あり
彈琴中散地 琴を彈ず 中散(ちうさん)が地
下筆伯英書 筆を下す 伯英(はくえい)が書
天霽雲衣落 天霽(てんせい)にして 雲衣落(お)ち
池明桃錦舒 池明(ちめい)にして 桃錦舒(の)ぶ
寄言禮法士 言を寄す 禮法の士
知我有麤疎 わが麤疎(そそ)あるを知るべし
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五言 過神納言墟 神納言の墟を過ぐ
一旦辭榮去 一旦 榮(えい)を辭して去り
千年奉諫餘 千年 諫(かん)を奉ずる餘り
松竹含春彩 松竹(しうちく) 春彩を含(ふく)み
容暉寂舊墟 容暉(ようき) 舊墟に寂(せき)たり
清夜琴樽罷 清夜(せいや) 琴樽は罷(や)み
傾門車馬疎 傾門(けいもん) 車馬は疎(そ)なり
普天皆帝國 普天 みな帝國
吾歸遂焉如 われ歸つて遂にいづくか如かむ
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五言 過神納言墟 神納言の墟を過ぐ
君道誰云易 君道 誰か云う易く
臣義本自難 臣義 本より難し
奉規終不用 規を奉じて終に用られず
歸去遂辭官 歸り去つて遂に官を辭す
放曠遊嵆竹 放曠(ほうこう)して嵆竹(けいちく)に遊(あそ)び
沈吟佩梵蘭 沈吟(ちんぎん)して梵蘭(ぼんらん)を佩(おび)る
天閽若一啓 天閽(てんこん)若し一たび啓かば
將得水魚歡 將に水魚の歡びを得む
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五言 仲秋釋典
運冷時窮蔡 運冷やかにして時に蔡(さい)に窮し
吾衰久歎周 吾衰ろふにして久く周(しう)を歎ず
悲哉圖不出 悲しいかな図出でずして
逝矣水難留 逝きしかな水留めがたし
玉爼風蘋薦 玉爼(ぎよくそ) 風蘋(ふうひん)薦め
金罍月桂浮 金罍(きんらい) 月桂(げつけい)浮ぶ
天縱神化遠 天縱(てんじゆう) 神化(しんげ)は遠く
萬代仰芳猷 萬代(まんだい) 芳猷(ほういう)を仰ぐ
98
五言 遊吉野川 吉野川に遊ぶ
友非干祿友 友(とも)に非ず祿を干(もと)むる友
賓是餐霞賓 賓(ひん)は是れ霞を餐(くら)ふの賓
縦歌臨水智 縦(ほしいまま)に歌つて水智に臨み
長嘯樂山仁 長く嘯(うそぶ)いて山仁を樂む
梁前柘吟古 梁前(りようぜん) 柘吟(しやくぎん)古び
峽上簧聲新 峽上(きようじう) 簧聲(こうせい)新た
琴樽猶未極 琴樽なほいまだ極まらず
明月照河濱 明月 河濱を照らす
從三位中納言丹墀真人廣成 三首
99
五言 遊吉野川 吉野川に遊ぶ
山水隨臨賞 山水(さんすい) 臨むに隨つて賞す
巖谿逐望新 巖谿(がんけい) 望みを逐つて新た
朝看度峰翼 朝(あした)に看(み)る 峰(みね)を度る翼
夕翫躍潭鱗 夕(ゆうべ)に翫(め)で 潭(ふち)に躍る鱗
放曠多幽趣 放曠(ほうこう)として 幽趣(ゆうしゆ)多く
超然少俗塵 超然(ちうぜん)として 俗塵(ぞくじん)少し
栖心佳野域 心を佳野(よしの)の域(とち)に栖ましめて
尋問美稻津 問て美稻(うましね)の津(みず)を尋ねらむる
100
七言 吉野之作 吉野に之を作る
高嶺嵯峨多奇勢 高嶺(こうれい)嵯峨(さが)として奇勢(きせい)は多く
長河渺漫作迴流 長河(ちようか)渺漫(みうまん)として迴流(かいりう)を作す
鍾池超澤異凡類 鍾池(しようち)超澤(ちよたん) 凡類(ぼんるい)に異り
美稻逢仙同冰洲 美稻(びとう)逢仙(ほうせん) 冰洲(ひうしう)に同じ
101
五言 述懷 懷ひを述ぶ
少無螢雪志 少(わか)くして螢雪(けいせつ)の志(こころざし)無く
長無錦綺工 長(たけ)として錦綺(きんき)の工(たくみわざ)無し
適逢文酒會 適(たまた)ま文酒(ぶんしう)の會に逢(あ)ひ
終恧不才風 終(つい)に不才(ふさい)の風を恧(は)づ
從五位下鑄錢長官高向朝臣諸足 一首
102
五言 從駕吉野宮 吉野宮の駕の從ふ
在昔釣魚士 在昔(ざいせき) 魚(ぎよ)を釣りし士
方今留鳳公 方今(ほうこん) 鳳(ほう)を留むる公
彈琴與仙戲 琴を彈じて仙と戲れ
投江將神通 江に投じて神と通ず
柘歌泛寒渚 柘歌(しやくか) 寒渚(かんしよ)に泛(うか)び
霞景飄秋風 霞景(かけい) 秋風(しゆうふ)は飄(はや)し
誰謂姑射嶺 誰か謂ふ姑射(こや)の嶺
駐蹕望仙宮 蹕(ひつ)を駐(とど)む 望仙の宮
釋道慈 二首
釋道慈者俗姓額田氏。添下人。 釋(しゃく)の道慈は俗姓は額田氏、添下の人
少而出家、聽敏好學。 少くして出家、聽敏(そうびん)にして學を好む
英材明悟、為衆所歡。 英材明悟(みんご)、衆の歡ぶところとなる
太寶元年、遣學唐國、 太寶元年、唐國に遣學す
歴訪明哲、留連講肆。 明哲を歴訪し、講肆(こうし)に留連す
妙通三藏之玄宗、 妙に三藏の玄宗(げんそう)に通じ
廣談五明之微旨。 廣く五明の微旨(びし)を談ず
時唐、 時に唐
簡于國中義學高僧一百人、 國中の義學の高僧一百人を簡(えら)んで
請入宮中、令講仁王般若。 請じて宮中に入れて、仁王般若を講ぜしむ
法師學業穎秀、預入選中。 法師學業穎秀(えいしゅう)、選中に預り入る
唐王憐其遠學、特加優賞。 唐王其の遠學を憐んで、特に優賞を加ふ
遊學西土、十有六歳。 西土に遊學すること、十有六歳
養老二年、歸來本國。 養老二年、本國に歸り來る
帝嘉之拜僧綱律師。 帝これを嘉し僧綱律師に拜す
性甚骨鯁、為時不容、 性甚だ骨鯁(こうこつ)にして、時のために容れられず
解任歸遊山野。 任を解いて歸りて山野に遊ぶ
時出京師、造大安寺。 時に京師に出でて、大安寺を造る
年七十餘。 年七十餘なり
103
五言 在唐奉本國皇太子 在唐、本國皇太子に奉す
三寶持聖德 三寶(さんぽう) 聖德を持(じ)し
百靈扶仙壽 百靈(ひゃくれい) 仙壽を扶(ふ)す
壽共日月長 壽は日月とともに長く
德與天地久 德は天地とともに久し
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