goo blog サービス終了のお知らせ 

竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉雑記 色眼鏡 五十五 三十六人撰から平安貴族の万葉歌人への態度を見る

2013年11月30日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 五十五 三十六人撰から平安貴族の万葉歌人への態度を見る

 今回のものは、雑記 色眼鏡シリーズと題を振っていますが資料編のようなものになっています。これもまた、ある種の覚書をブログと云う資料庫への収蔵のようなことを行っています。
 さて、今回の資料的なものは平安中期と平安末期において、当時を代表する歌人が選出した『万葉集』を代表する歌人の秀歌を比較することで、平安貴族たちの万葉歌人への態度を明らかにすることへの一助となることを目的としています。ブログ収納資料として、最初に平安中期の歌人である藤原公任が寛弘六年(1009)頃に選定した『三十六人撰』に載る柿本人麻呂、山辺赤人、大伴家持の歌を紹介し、次に、その対比として平安末期の歌人である藤原俊成が選定した『俊成三十六人歌合』及び鎌倉初期の歌人である藤原定家選定の『小倉百人一首』に載る歌を紹介します。
 補足情報として、柿本人麻呂の歌とされるものは『三十六人撰』に十首、『俊成三十六人歌合』に三首が載り、山辺赤人と大伴家持とは、それぞれ、彼のものとされるものが『三十六人撰』と『俊成三十六人歌合』とに三首ずつが載ります。また、『小倉百人一首』には作品名称の通りにそれぞれ一首が載ります。
 ここで、『三十六人撰』には『拾遺和歌集』から人麻呂のものとされる歌が三首ほど採られています。ところで、この『拾遺和歌集』は藤原公任の私歌集である『拾遺抄』を下に編まれた勅撰和歌集と考えられています。その元となった『拾遺抄』では、詠み人不詳の古歌や人麻呂歌集の歌から藤原公任が想像した柿本人麻呂調の和歌を選んだもの、または、『万葉集』の原文歌を彼の解釈で読み解いたものをもって人麻呂のものとしています。従いまして、現在に考えられる柿本人麻呂作品と平安時代人が推定した人麻呂作品とは一致していません。
 参考として、藤原公任の時代は藤原道長自身が『万葉集』の写本と校合や訓点付けを行うなど、次点研究が盛んに行われていました。そして、近代になるまで柿本人麻呂を最大に評価したのは、この時代であって、『拾遺和歌集』には柿本人麻呂の歌として百四首(異伝本に載る一首を含めると百五首)が採られています。人麻呂への和歌鑑賞態度を比べてみますと、その後の万葉歌人をあまり評価しなかった平安後期以降とは大きく異なる特異な時代です。また、和泉式部、清少納言や紫式部が活躍した時代であり、女流文学最盛期の背景には藤原道長(966-1026)に代表される外祖父の地位が重要な意味を持つ摂関政治や平安貴族文化全盛があります。まだまだ、朝廷に仕える貴族たちが政治・経済を実行支配していた時代で、平氏や源氏に代表される武士階級の台頭の契機となる保元の乱(1156)は、ずっと、先の時代です。
 さて、藤原公任による『三十六人撰』が編まれた時代、寛弘三年(1006)頃に成立した花山院私撰とも考えられていた『拾遺和歌集』を最新のものとして、『万葉集』、『古今和歌集』や『後撰和歌集』が勅撰和歌集として成立していましたし、補足して「梨壷の五人」による『万葉集』への古点付け事業は康保年間(964-968)頃には完了しています。従いまして、『三十六人撰』を編むに於いて、柿本人麻呂、山辺赤人や大伴家持たち、『万葉集』の三大歌人の秀歌を選定するにはこれらの四勅撰和歌集からと云うのが最も相応しいことになります。なお、建前として『古今和歌集』と『後撰和歌集』とは『万葉集』との歌の重複を避けて撰集された歌集と云う性格を持ちます。従いまして、特段の注記が無い限り、『古今和歌集』や『後撰和歌集』から柿本人麻呂、山辺赤人や大伴家持の歌を選定することはありません。秀歌選定にはこのような背景と制約があります。
 追加参考として『三十六人撰』の藤原公任に関わるとされる『拾遺和歌集』は、平安後期の歌人たちには評判が良くなかったようで、『拾遺和歌集』が評価を受けるのは鎌倉時代になって藤原定家が取り上げて以降とされます。その為か、以下に紹介する『三十六人撰』と『俊成三十六人歌合』とでは、人麻呂と家持の秀歌選定に対し両者の好みの色が強く現れています。さらに、章末に紹介する現代歌人が選ぶ代表作とも違っていることが注目です。

『拾遺和歌集』の評価:
ウキペデア『拾遺和歌集』より抜粋
成立後約二百年もの間、勅撰集としての評価が得られなかった。ちなみに『拾遺集』のよさを述べ、勅撰集として初めてはっきり認めた人物は藤原定家である。

拾遺和歌集の研究(中周子)より抜粋
『拾遺集』は、藤原公任撰といわれる十巻本の『拾遺抄』をもとに、花山上皇の下命によって二十巻に増補、再編纂されて成立した第三の勅撰集であることが、現在では通説となっている。しかし、『拾遺抄』の歌はすべて『拾遺集』に重出していることから、古来、両者は混同されることが多く、のみならず、数々の歌論や秀歌撰を編んだ公任の権威も相侯って、『拾遺抄』は『拾遺集』の秀歌を抄出したものであるとの見方が長らく行なわれてきた。そのため平安中
期以後、『拾遺抄』が尊重される一方、『拾遺集』は軽視され続けてきた。


 以上の文化背景の概説を下に、それぞれの秀歌選集に載せられた和歌を紹介します。順に柿本人麻呂、山辺赤人、大伴家持であり、秀歌選集は『公任三十六人撰』、『俊成三十六人歌合』、『定家小倉百人一首』です。また、和歌表記は、比較を前提として定家好みである鎌倉時代以降の「漢字ひらがな交じり表記」とし、平安時代の本来の表記である「清音ひらがな表記」ではありません。

柿本人麻呂
『公任三十六人撰』より
 昨日こそ年はくれしか春霞かすがの山にはや立ちにけり 万葉集巻十1843番 詠み人不詳
 あすからは若菜つまむと片岡の朝の原はけふぞやくめる 拾遺和歌集巻一春18番 人麿
 梅花其とも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば 古今和歌集334番 あるいは人丸
 郭公鳴くやさ月の短夜も独しぬればあかしかねつも 万葉集巻十1981番 詠み人不詳
 飛鳥河もみぢば流る葛木の山の秋風吹きぞしくらし 万葉集巻十2210番 詠み人不詳
 ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ 古今和歌集409番 あるいは人丸
 たのめつつこぬ夜あまたに成りぬればまたじと思ふぞまつにまされる 拾遺和歌集巻十三恋三848番 人麿
 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 万葉集巻十一2802番 詠み人不詳
 わぎもこがねくたれがみをさるさはの池の玉もと見るぞかなしき 拾遺和歌集巻廿哀傷1289番 人麿
 物のふのやそ宇治河のあじろ木にただよふ浪のゆくへしらずも 万葉集巻三264番 柿本人麻呂

『俊成三十六人歌合』より
 龍田川もみぢ葉流る神奈備の御室の山に時雨降るらし 古今和歌集284番 詠み人不詳
 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 万葉集巻十一2802番 詠み人不詳
 をとめごが袖ふる山の瑞垣の久しき世より思ひ初めてき 拾遺和歌集卷十九雑戀1210番 人麿

『定家小倉百人一首』より
 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 拾遺和歌集巻十三恋三778番 人麿


山辺赤人
『公任三十六人撰』より
 あすからはわかなつまむとしめしのに昨日もけふもゆきはふりつつ 万葉集巻八1427番 山辺赤人
 わがせこにみせむとおもひしむめのはなそれともみえずゆきのふれれば 万葉集巻八1426番 山辺赤人
 わかのうらにしほみちくればかたをなみあしべをさしてたづなきわたる 万葉集巻六919番 山辺赤人

『俊成三十六人歌合』より
 あすからはわかなつまむとしめしのに昨日もけふもゆきはふりつつ 万葉集巻八1427番 山辺赤人
 ももしきの大宮人は暇あれや桜かざして今日も暮らしつ 万葉集巻十1883番 詠み人不詳
 わかのうらにしほみちくればかたをなみあしべをさしてたづなきわたる 万葉集巻六919番 山辺赤人

『定家小倉百人一首』より
 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 万葉集巻三313番 山辺赤人


大伴家持
『公任三十六人撰』より
 あらたまのとしゆきかへる春たたばまづわがやどにうぐひすはなけ 万葉集巻二十4490番 大伴旅人
 さをしかのあさたつをのの秋はぎにたまとみるまでおけるしらつゆ 万葉集巻八1598番 大伴旅人
 春ののにあさるきぎすのつまごひにおのがありかを人にしれつつ 万葉集巻八1446番 大伴旅人

『俊成三十六人歌合』より
 まきもくの檜原もいまだ曇らねば小松が原に泡雪ぞ降る 万葉集巻十2314番 詠み人不詳
 かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 家持集257番
 神奈備の三室の山の葛かづら裏吹き返す秋は来にけり 家持集98番

『定家小倉百人一首』より
 かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 家持集257番


 以上、平安中期、平安末期、鎌倉初期の代表歌人による万葉三大歌人の秀歌選集を紹介しました。紹介したものから、時代、時代での歌人たちが好んだ歌風や雰囲気を感じ取っていただければと思います。まず、万葉歌人が詠う歌が、時代を超えて常に秀歌とされていなかったことを知っていただけたのではないでしょうか。
 鎌倉時代以降の和歌は藤原俊成・定家親子の影響を強烈に受けたとされていますが、一方、その俊成・定家親子には人麻呂と家持に対し、本人が詠った歌を秀歌としていないと云う特徴があります。およそ、『万葉集』の歌は六百番歌合に見られるように俊成・定家親子にとって、好みではありません。そのような時代に現在の訓読みの基礎となった『万葉集』への新点が付けられて行ったと云うことは注目すべきことと考えます。
 ここで、現在の『校本万葉集』への訓点に対し、万葉集48番歌を代表として新点や次点を参照・根拠に論議を提起するお方がいます。先の比較が示すように、その議題の提起を行う場合、提起以前に『万葉集』への古点・次点解釈を好まなかった俊成・定家親子の好みと云う問題や平安中期と鎌倉初期とで歌人の好みの変化からの影響に対する正しい評価が為された後でなければ、議論進行では難しいのではないでしょうか。ただ、訓点におけるこの問題は既に江戸期において江戸学派と堂上学派との研究態度で明白になっており、学問として古典文学や歌学を扱うのであるなら江戸学派の態度が正しい方向であると決着は着いたものと考えます。無批判での師弟相伝を旨とする堂上学派の立場からの態度や提起はいかがなものでしょうか。


参考資料
1.拾遺和歌集に載る歌を楽しむ

 『拾遺和歌集』には山辺赤人と大伴家持の歌はそれぞれ三首しか採られていません。一方、柿本人麻呂は異伝本に載る一首を含めますと百五首を数えます。ここでは三首を紹介しますが、人麻呂については確実に『万葉集』に載るものを三首、紹介します。
 また、紹介では歌の作者を示します。これは『古今和歌集』以降の特徴でその歌集で柿本人麻呂、山辺赤人や大伴家持の作品と示してもその根拠が不明なものや読み人知れずの歌を本人のものとして採る場合があるからです。ちなみに『拾遺和歌集』では山辺赤人の作品とされる三首中、二首が読み人知れずの歌からの採歌です。

柿本人麻呂 三首抜粋
 拾遺 いにしへに有りけむ人もわかことやみわのひはらにかさし折りけん
万葉集巻七 歌番1118 柿本人麻呂
原文 古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜尓 插頭折兼
訓読 いにしへにありけむ人も吾がごとか三輪のひのはらに挿頭(かざし)折(を)りけむ

 拾遺 みくまのの浦のはまゆふももへなる心はおもへとたたにあはぬかも
万葉集巻四 歌番496 柿本人麻呂
原文 三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨
訓読 みくまのの浦のはまゆふ百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 拾遺 なる神のしはしうこきてそらくもり雨もふらなん君とまるへく
万葉集巻十一 歌番2513 柿本人麻呂
集歌2513 雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留
訓読 なる神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君し留(とど)めむ

山辺赤人 三首
 拾遺 恋しけば形見にせむと我が屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり
万葉集巻八 歌番1471 山辺赤人
原文 戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里
訓読 恋しけば形見にせむと吾が屋戸(やと)に植ゑし藤波(ふぢなみ)今咲きにけり

 拾遺 昨日こそ年は暮れしか春霞かすがの山にはやたちにけり
万葉集巻十 歌番1843 詠み人不詳
原文 昨日社 年者極之賀 春霞 春日山尓 速立尓来
訓読 昨日(きのふ)こそ年は極(は)てしか春霞かすがの山に速(はや)たちにけり

 拾遺 我が背子をならしの岡のよぶこどり君よびかへせ夜の更けぬ時
万葉集巻十 歌番1822 詠み人不詳
原文 吾瀬子乎 莫越山能 喚子鳥 君喚變瀬 夜之不深刀尓
訓読 吾が背子をな越し山のよぶことり君呼びかへせ夜し更けぬとに


大伴家持 三首
 拾遺 うちきらし雪はふりつつしかすがにわが家のそのに鴬ぞなく
万葉集巻八 歌番1441 大伴家持
原文 打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑尓 鴬鳴裳
訓読 うちきらし雪は降りつつしかすがに吾家(わぎへ)のそのに鴬鳴くも

 拾遺 春ののにあさるきぎすのつまごひにおのがありかを人にしれつつ
万葉集巻八 歌番1446 大伴家持
原文 春野尓 安佐留雉乃 妻戀尓 己我當乎 人尓令知管
訓読 春ののにあさる雉(ききじ)のつまこひにおのがあたりを人に知れつつ

 拾遺 久方のあめのふるひをただひとり山べにをればむもれたりけり
万葉集巻四 歌番769 大伴家持
原文 久堅之 雨之落日乎 直獨 山邊尓居者 欝有来
訓読 ひさかたの雨のふるひをただひとり山辺(やまへ)にをれば欝(いぶせ)かりけり


2.現代で一般的に代表作と考えられている歌を楽しむ

 以下に三人の代表作とされるものをそれぞれ二首ずつ紹介します。ネット上では柿本人麻呂と大伴家持の代表作品についての記事は容易に見つけられますが、山辺赤人については歌番号318の歌以外のものを探すのは容易ではありません。対して赤人は平安時代に評価が定まり、既に研究が終わったかのような扱いです。その為か、赤人は時代での代表歌のぶれが少ない歌人です。なお、現代の選択は全て『万葉集』に載る本人と表記された歌からのもので、それ以外の歌集からのものはありません。それもまた、現代の特徴的な選択です。

柿本人麻呂
巻一 歌番48
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
巻三 歌番266
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ

山辺赤人
巻三 歌番318
田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
巻八 歌番1424
春の野にすみれ摘みにと来し吾そ野をなつかしみ一夜寝にける

大伴旅人
巻十九 歌番4291
我が屋戸のいささ群竹ふく風の音のかそけきこの夕へかも
巻十九 歌番4292
うらうらに照れる春日にひばりあがり心悲しも独りし思へば


 最後に、今回、示しました時代毎に万葉集三大歌人の代表歌が違うことについて、当時の歌論や歌集の序文から時代の歌人たちが和歌をどのように楽しんでいたかを教えて頂ければ幸いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万葉雑記 色眼鏡 五十四 「万葉集と韓国語」への与太話

2013年11月23日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 五十四 「万葉集と韓国語」への与太話

 以前に取り上げました「万葉集への与太話 万葉集は漢字で書かれているのか」をテーマにしたブログを準備する時に、「万葉集は漢字で書かれている」や「万葉仮名は漢字の用法の一つである」と云う言説について調べ物をしている折に気になった話題がありました。今回はその気になった話題を取り上げます。
 なお、ここでのブログは万葉集の鑑賞を目的とするものであって、特定の思想・心情には組みしたものではありません。そこを御理解のほど、お願いいたします。

 さて、朝鮮半島での古代文章表記法に吏読(りとう)と云う失われた表記方法がありました。この吏読は漢字の音と訓を利用して朝鮮語を表記し、さらに朝鮮語の語順に合わせて漢字を配列するものです。これを「朝鮮」を「大和」に、「吏読」を「万葉仮名」に置きかえると、現在の万葉仮名の説明と同等なものになります。また、HP「日本語千夜一夜~古代編~」(小林昭美)に載る「第50話 日本語のなかの朝鮮語」では、多くの古代朝鮮語と大和言葉とで共通する単語が紹介されています。その理由として、小林氏は、次のような文章を示されています。

「弥生時代以来、朝鮮半島も日本列島も強力な漢字文化圏のなかに飲み込まれて、中国語から数多くの語彙を借用した。日本語と朝鮮語は、語順が同じであり、助辞(てにをは)を使い、動詞や形容詞に活用があり、敬語を使うなど共通点が多い。日本語と朝鮮語はともにアルタイ系の言語だと考える学者も多い。しかし、日本語と朝鮮語に共通な語彙をくわしく調べてみると、もとは両方とも中国語からの借用語である場合もある」

 この解説からすると、多くの古代朝鮮語と大和言葉とで共通する単語について、それは共に漢字文化の導入に伴う外来由来の単語の増加が根源であって古代朝鮮語と大和言葉とが同じ言語集団に集約される訳ではないようです。
 他方、古代日本では中国大陸や朝鮮半島から大量な移民が日本列島に到来したことも事実です。畿内では、大和国の大和川を中心とする低湿地帯、河内国の低湿地帯、近江国の南部琵琶湖の両岸での湿地帯の住民は、渡来系の人々で過半を占めていたとも伝えられています。また、九州国東半島や関東武蔵野丘陵も有名な一帯です。
 こうした時、過去に「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる話題がありました。確かに古代朝鮮には吏読と云う書記システムがあり、文法は日本語と類似しており、また、漢字文化を背景として単語に多くの共通点がありました。さらに、古代日本では大量な移民が日本各地に生活しており、天智天皇の近江朝時代には朝廷の中級官僚に多くの百済系貴族・学者が就いています。さらに、日本語の進化を見るに、古事記・万葉集時代には一音節名詞の比率が高く、平安時代以降の二音節以上の多音節名詞が中心となす状況とは違っていました。
 説明文章をより判り易くするために、以下にウキペディアから引用した吏読と漢字ハングル交じり文の関係を例文から紹介します。

養蚕経験撮要(1415年)に見られる吏読の例である。1.は漢文、2.は吏読文(下線部が吏読、カッコ内は吏読の日本語翻訳)、3.は吏読部分をハングル表記(現代語式のつづり)したものである。
1. 蠶陽物大惡水故食而不飲(蚕は陽物にして大いに水を悪(にく)む、故に食して飲まず)
2. 蠶段陽物是乎等用良水氣乙厭却桑葉叱分喫破爲遣飲水不冬(蚕ハ陽物ナルヲモッテ水気ヲ厭却、桑葉ノミ喫破シ飲水セズ)
3. 蠶딴 陽物이온들쓰아 水氣을 厭却 桑葉뿐 喫破하고 飲水안들

 例文において、2.は日本の宣命大書体と等しく、3.は漢字ひらがな交じり文体と同等であることに気付かれると思います。この背景からすると吏読文を研究された人からすると「万葉集は韓国語で記述されたもの」と唱える誘惑に取り憑かれるのも無理は無いことではないでしょうか。
 なお、ここでの「万葉集は韓国語で記述されたもの」との主張には、その主張態度から「日本に帰化し日本文化に溶け込んだ渡来人が万葉集に載る歌を大和言葉で詠った」というものは含まないと規定します。つまり、確認しますが「小泉八雲の日本語による作品は日本語で記述されたもの」と同等の意味と解釈し、同様に吉田宜の万葉集に載る集歌864の歌のような作品もまた日本語で記述されたものと規定します。

集歌864 於久礼為天 那我古飛世殊波 弥曽能不乃 于梅能波奈尓母 奈良麻之母能乎
訓読 後れ居(い)て長恋せずは御園生(みそのふ)の梅の花にもならましものを
私訳 後に残され居ていつまでもお慕いしていないで、御庭の梅の花にもなりたいものです。


 ここで話題を変えて、次の五種類の万葉集歌を楽しんで下さい。この楽しみ方は、ここのブログで提案する「万葉集は漢語と万葉仮名と云う漢字で書かれている」と云う視点からのものですし、本歌取りや掛詞の技法は、既に奈良時代には使われていたと云う判断からのものです。つまり、歌は単線的な読解ではなく、複線的な読解が必要になると云う提案からの解釈です。確かに万葉学者によっては、本歌取りや掛詞の技法は古今和歌集以降のものであるし、日本語書記システムは「漢字と仮名による漢字ひらがな交じり」でしかないと云う主張もあります。だだ、それについては「表記論争」のテーマで意見を述べていますので、ここでは割愛します。

<浄御原宮時代初期:漢詩体歌>
集歌2334 沫雪 千里零敷 戀為来 食永我 見偲
訓読 沫雪(あはゆき)し千里(ちり)し降りしけ恋ひしくし日(け)長き我し見つつ偲(しの)はむ
私訳 沫雪はすべての里に降り積もれ。貴女を恋い慕って暮らしてきた、所在無い私は降り積もる雪をみて昔に白い栲の衣を着た貴女を偲びましょう。
<別解釈>
試訓 沫雪し散りし降りしけ 戀し来(き)し 故(け)なかき我し 見つつ偲(しの)はむ
試訳 沫雪よ、天から散り降っている。その言葉の響きではないが、何度も貴女を恋い慕ってやって来たが、貴女に逢うすべが無くて、私は遠くから貴女の姿を見つめ偲びましょう。

<浄御原宮時代初期:非漢詩体歌>
集歌1783 松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等言八子
訓読 松(まつ)反(かへ)り萎(し)ひにあれやは三栗(みつくり)し中(なか)上(のぼ)り来(こ)ぬ麻呂といふ奴(やつこ)
私訳 松の緑葉は生え変わりますが、貴方は脚が萎えてしまったのでしょうか。任期の途中の三年目の中上がりに都に上京して来ない麻呂という奴は。
<別解釈>
試訓 待つ返り強ひにあれやは三栗し中上り来ぬ麻呂といふ奴
試訳 貴方が便りを待っていた返事です。貴方が返事を強いたのですが、任期の途中の三年目の中の上京で、貴方はまだ私のところに来ません。麻呂が言う八歳の子より。

<天平年間初期:常体歌>
娘子復報贈謌一首
標訓 娘子の復た報へ贈れる謌一首
集歌639 吾背子我 如是戀礼許曽 夜干玉能 夢所見管 寐不所宿家礼
訓読 吾が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢そ見えつつ寝(い)し寝(ね)らずけれ
私訳 愛しい貴方がそんなに恋い慕ってくださるので、闇夜の夢に貴方が見えるので夢うつつで眠ることが出来ませんでした。
<別解釈>
試訓 吾が背子がかく請ふれこそぬばたまの夢そ見えつつ寝し寝るずけれ
試訳 愛しい貴方がそれほどまでに妻問いの許しを求めるから闇夜の夢に貴方の姿は見えるのですが、でも、まだ、貴方と夜を共にすることをしていません。

湯原王亦贈謌一首
標訓 湯原王のまた贈れる謌一首
集歌640 波之家也思 不遠里乎 雲井尓也 戀管将居 月毛不經國
訓読 愛(はしけ)やし間(ま)近き里を雲井(くもゐ)にや恋ひつつ居(を)らむ月も経(へ)なくに
私訳 (便りが無くて) いとしい貴女が住む遠くもない里を、私は雲居の彼方にある里のように恋い続けています。まだ、一月と逢うことが絶えてもいないのに。
<別解釈>
試訓 はしけやし間近き里を雲井にや恋ひつつ居らむ月も経なくに
試訳 ああ、どうしようもない。出掛ければすぐにも逢える間近い貴女の家が逢うことが出来なくて、まるでそこは雲井(=宮中、禁裏のこと)かのように思えます。私は貴女を恋焦がれています。まだ、貴女の身の月の障りが終わらないので。


<天平年間中期:常体歌>
集歌3854 痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
訓読 痩(や)す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると川に流るな
私訳 痩せに痩せても生きているからこそ、はたまた、鰻を捕ろうとして川に流されるなよ。
<別解釈>
試訓 易す易すも生けらば有らむを波多や波多鰻を漁ると川に流るな
試訳 すごく簡単に鰻が潜んでいたら捕まえられるだろう、だが、川面は波だっているぞ。その鰻を捕ろうとして、川に流されるなよ。


<天平年間後期:一字一音万葉仮名歌>
集歌4128 久佐麻久良 多比能於伎奈等 於母保之天 波里曽多麻敝流 奴波牟物能毛賀
訓読 草枕旅の翁(おきな)と思ほして針ぞ賜へる縫はむものもが
私訳 草を枕とする苦しい旅を行く老人と思われて、針を下さった。何か、縫うものがあればよいのだが。
<別解釈>
試訓 草枕旅の置き女(な)と思ほして榛(はり)ぞ賜へる寝(ぬ)はむ者もが
試訳 草を枕とする苦しい旅の途中の貴方に宿に置く遊女と思われて、榛染めした新しい衣を頂いた。私と共寝をしたい人なのでしょう。

集歌4129 芳理夫久路 等利安宜麻敝尓 於吉可邊佐倍波 於能等母於能夜 宇良毛都藝多利
訓読 針袋(はりふくろ)取り上げ前に置き反さへばおのともおのや裏も継ぎたり
私訳 針の入った袋を取り出し前に置いて裏反してみると、なんとまあ、中まで縫ってある。
<別解釈>
試訓 針袋取り上げ前に置き返さへば己友(おのとも)己(おの)や心(うら)も継ぎたり
試訳 針の入った袋を取り出し前に置いて、お礼をすれば、友と自分との気持ちも継ぎます。


 紹介しました歌の特徴は、全て同音異義語からの言葉遊びの世界です。場合によっては掛詞の技法を使った歌と呼ぶべきかもしれません。『万葉集』にはこのようにその歌が実作されたと推定される浄御原宮時代から後期平城京時代までの通期に渡り、同音異義語からの言葉遊びの歌を見つけることが出来ます。
 なお、ここでのものは『万葉集』原文からの解釈です。確かに奈良時代人がこのように詠んだという確証はありません。訓読み万葉集も然りです。最大、『古今和歌集』や『伊勢物語』での重複歌に遡るのが限度です。従いまして、別解釈で紹介したものも、標準的な解釈も、「万葉集は韓国語で記述されたもの」と云う立場からは、紹介したものが確認・確定した事実ではないと云う観点から成立しないとの指摘があるかと考えます。ただ、その場合は、主張は互いに平行線で、論議はここで終わります。

 ところで、この同音異義語からの言葉遊びは日本語が持つ特性からのもので、古代・中世での朝鮮語や中国語では楽しむことの出来ない文学世界です。文末に参考資料を紹介していますが、日本語は開音節言語に分類される言語です。一方、朝鮮語や中国語は閉音節言語に分類される言語です。この発音方法の違いから、日本語が開音節言語であることにより音節の型は数百程度であるのに対して朝鮮語や中国語が閉音節言語であることから音節の型は数千から万を超える程多く持つことになります。つまり、この保有する音節の型数の絶対的相違から、同音異義語の数が違って来ます。そのため、日本語が特徴的に同音異義語からの言葉遊びを持つことが出来るのです。他方、中国語では発声の言葉遊びとして漢詩などでの押韻が発達しています。
 古代において書記システムからすると漢字だけの表記スタイルからこれらの国々は同じ漢字文化圏に含まれるかも知れませんが、発音や文法ではそれぞれの民族言語に基づき独特なものが認められます。さらに、日本語は開音節言語であることから外来語の名詞を容易に五十一音の音節に分解し、複合名詞の多音節化の作業をしてしまいます。この特性が同音異義語からの言葉遊びを産む源なのでしょう。また、『万葉集』では漢字表記の視覚情報とその文字の発声での聴覚情報とのギャップを楽しむこともしています。例で云うと紹介した集歌1783の歌の「松反=まつかえし」や集歌639の歌の「戀礼許曽=こふれこそ」がそれに相当します。単純な同音異義語からの言葉遊びだけではないことが『万葉集』の特殊性です。
 さらに、先ほど「古代朝鮮語と大和言葉とで共通する単語」の説明で、古語において多くの単語が共通するとの文章を紹介しましたが、文末に紹介する姜美愛氏の研究では「単独語ではほぼ同じアクセント構造を持つ言語であっても、複合語のアクセント規則では共通点がほとんどない」と結論付けるように、外来語を多音節に開くと云う日本語独特の言語特性からは、古代朝鮮語と大和言葉とが、どれほど言語を共有できるのかと云うと疑問ではないでしょうか。
 先に同音異義語からの言葉遊びの和歌を紹介しましたが、これらは漢詩体歌、非漢詩体歌、常体歌、一字一音万葉仮名歌と、それぞれの書記システムは違いますが、万葉集中においてはその書記システム変化の連続性は確認出来ます。従いまして、漢詩体歌や非漢詩体歌だけを切り取り、それだけを評論することやサンプルとすることは出来ないのです。連続性を担保する必要があります。もし、「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる話題を追求するのであれば、『万葉集』の全書記システムでの歌に対して共通性を持った解説や論が必要になります。当然、その課程で漢詩体歌から一字一音万葉仮名歌までにおける短歌での三十一音での口調とリズムに対する説明が必要です。木簡などの発掘から、一時期、流行った略体歌からの和歌進化説は否定され、漢詩体歌と一字一音万葉仮名歌とには同時代性が認められますから漢詩体歌が特殊な口調を持った歌との説明から三十一音での口調とリズムから大きく離れる解釈をすることは出来ません。そして、『万葉集』から『古今和歌集』へと繋がる重要な和歌作歌技法の一つである掛詞技法を古代朝鮮語法や文芸面(ハングル成立以前の朝鮮での同音異義語遊び文学の証明)から解説する必要があります。
 当然、表記システムにおいても、『万葉集』の大伴旅人や家持に代表される「一字一音万葉仮名歌」は『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『千載和歌集』、『新古今和歌集』へと、三十一文字仮名表記とその仮名文字の母字となる漢字文字については連続性がありますから、『万葉集』単独で古代朝鮮語との関係を述べる訳にもいきません。その後の和歌の進化過程も視野に入れて語る必要があります。『古今和歌集』以降の和歌を単純に「ひらがな」表記の和歌と思いこむ訳にはいかないのです。歌での視覚情報と聴覚情報との関係から変体仮名連綿による「ひらがな」表記の和歌であってもその母字となる漢字文字は場面ごとに選択されているのです。この姿もまた古代朝鮮語法や文芸面から解説が必要です。
 当然、主張のために都合の良い単語を切り出せば、語彙充足の為に古代に漢語・漢字輸入と云う共通の過去歴史を持ちますから、類似は必ず現れます。しかし、言語分類や発音特性に基づけば、違う言語体系を持つのですから、本格的に『万葉集』を理解すればおのずから結論は導かれるものと考えます。

 ただ、現在までの文化人類学上の研究では、漢文以外の文字記録への資料不足に由来し、言語学上での百済国の住民やその後の朝鮮半島の南西部の住民と現在の韓国民との言語の連続性については未確定のようです。従いまして、逆説になりますが、次のような主張は可能です。
 古語朝鮮語には吏読の文章表記システムがあり、これは万葉仮名によるものと同等である、
 文章構文において吏読と万葉集歌とに共通点がある、
 古語朝鮮語と大和言葉とに共通の単語が多数、存在する、
 古語朝鮮語が開音節言語か、閉音節言語かは確定できないから、大和言葉と同じ開音節言語の可能性がある、
 万葉集の歌が詠われた時期、大和には多数の古語朝鮮語を使う人々が生活していた、

 つまり、古代の朝鮮半島南部の人々は『万葉集』から『古今和歌集』への連続性を持つ大和言葉と同等の言語・発音を持つ人々であり、そして、文章構文や単語も共通していたと主張することは可能です。ただ、このような場合、『万葉集』を通じて古代に少なくとも朝鮮半島南西部の人々は言語・文化において大和と一体であったと示唆するものですから、論者は任那日本府による朝鮮半島南西部支配とその住民は日本人またはその亜人種であったと云う学説の支持者になることと等しいものになります。
 再度、確認しますが、本来の「万葉集は韓国語で記述されたもの」との主張には、その主張態度から「日本に帰化し日本文化に溶け込んだ渡来人が万葉集に載る歌を大和言葉で詠った」というものは含まないと規定します。従いまして、日本文化に溶け込み、大和言葉で日本文化を背景とした歌を詠う人が戸籍上では大和人種ではない帰化人であったとしても、文学的にはその人物は日本人と考えます。こうした時、以上の考察からしますと、「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる主張での「韓国語」の言葉は、実質上、大和言葉の一方言であり、その言葉を使う人々は文化・文芸面では大和人種との区別が出来ない人種ということになります。ある種、現代における方言からの青森県人や鹿児島県人と同等な朝鮮半島全羅道県人と云うような区分になるでしょうか。
 現在、韓国と日本の学説では「任那日本府による朝鮮半島南西部支配とその住民は日本人またはその亜人種」と云うものについては否定するものが大勢と考えます。文化人類学的には、古代においても海峡両岸地帯での文化や社会交流があったが生活習慣や文化態度は違うものであり、人種的にも同一性は認められていないようです。また、「任那日本府」と云う「国家」の存在もまた否定するのが大勢と考えます。さらに、もし、「万葉集が朝鮮半島で作られた」と云う説が存在するならば、その説を唱える人は「その地域は言語と文化上では日本であった」と考えていることになるのではないでしょうか。その時、韓国の人の心情からすると、なかなか、難しい問題になると考えます。
 個人の考えとしては、百済や新羅と云う国家は朝鮮半島南部に存在した独自の文化や言語を持った半島の韓人の国家と思います。従いまして、「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる主張で、古代韓国語は大和言葉の一方言であり、文化的人々は大和人と同等の発音・文法を持つ人種であったと、その独立性について卑下する必要はないと考えます。やはり、百済や新羅は誇り高い高度な漢詩・漢文文化を持つ国家であったと考えます。

 当然、一部の漢詩体歌や非漢詩体歌を、吏読の文章表記システムで三十一文字の和歌の縛りに縛られず、ハングル翻訳することについては、実験としてその行為を否定するものでは有りません。しかし、出来ましたら、日本語が持つ同音異義語からの言葉遊びや『万葉集』特有の漢字表記の視覚情報と発声からの聴覚情報とのギャップを楽しむことを、『万葉集』の歌、全体を通じて鑑賞していただけたらと考えます。
 最後に柿本人麻呂の歌を紹介して終わります。これが、万葉人を代表する大和貴族の感覚だったようです。この感覚を現代韓国語で訳すのは精神的に辛いのではないでしょうか。ですから、この人麻呂歌を鑑賞すると「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる主張は、韓国の方では、一部の日本に媚び自国を卑下する人を除けば、そのプライドから決して主張しないことと考えます。
 ここで、韓国の方にお願いですが、以上の説明をなるほどと思われた時、過去にそのような主張をした御方を御国の売国奴とは考えないで下さい(イスラエル問題から見ると、重大な問題ですが)。でも、それは日本人でも難しい古語大和言葉に果敢にチャレンジしたことからの勇み足だけと推察します。
 今回はそのような事情があり、紹介は原文だけです。この同音異義語の遊びがふんだんに入る訓読みと意訳文を紹介しなかった事情をお察し下さい。

柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時謌二首并短謌より抜粋
原文(集歌135)
角鄣経 石見之海乃 言佐敞久 辛乃埼有 伊久里尓曾 深海松生流 荒磯尓曾 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃(一云、室上山) 山乃 白雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沽奴

 今回もまた、与太話で埋めてしまいました。反省です。



<資料一>
吏読 (ウキペディア)より抜粋引用

 吏読は漢字の音と訓を利用して朝鮮語を表記しているが、漢字の読み方は古くからの読みが慣習的に伝わっている。
 吏読では名詞・動詞語幹などの実質的部分は主に漢語が用いられ、文法的部分に吏読が主に用いられる(名詞・動詞部分に吏読が用いられる例もある)。朝鮮半島では漢字を受容してしばらくは正統な漢文が用いられたと見られるが、その後朝鮮語の語順に合わせて漢字を配列した「誓記体」などの擬似漢文が現れる。吏読はこのような朝鮮語の語順で書かれた擬似漢文に、文法的要素がさらに補完されて成立したものと考えられる。

<資料二>
音節 (「文字と文章」 内海淳)より引用

 「バナナ」/banana/の中の、/b/、/a/、/n/のように、これ以上は分割できない個々の音のことを分節音(segment)または音素(phoneme)と呼びます。これに対し、「バナナ」/banana/の中の、/ba/と/na/のように、母音を中心とした発音しやすい音の集まりを音節(syllable)と呼びます。英語のstrike /straik/という単語は、これで1音節ですが、日本語の「ストライク」/sutoraiku/という単語は5音節です。このように、音節の形は言語毎に異なります。/ba/や/na/のように、母音で終わる音節を開音節(Open Syllable)と呼びます。開音節は形が単純になる傾向があります。これに対して、/straik/のように、子音で終わる音節を閉音節(Closed Syllable)と呼びます。閉音節は形が複雑になる傾向があります。
 日本語は、閉音節もありますが、閉音節は特殊な環境に限られていて、開音節が中心の言語です。このような言語は開音節言語と呼ばれます。これに対して、英語は、閉音節が特殊な環境に限られていません。このような言語のことを閉音節言語と呼びます。
 日本語やイタリア語、スペイン語などは、開音節言語で、音節の型は数百程度と比較的少なくなります。これに対して、英語、中国語、朝鮮語等は、閉音節言語で、音節の型は数千から万を超える程多くなります。

<資料三>
複合名詞アクセントの韓ㆍ日対照研究 -大邱方言複合名詞アクセント規則を中心として
(姜美愛、日語日文學 第42輯)より引用

 日本語の複合名詞のアクセント規則は、複合語を構成する後部の単語が3拍以上のものと2拍のものに大別でき、後部が2拍の和語の場合をのぞいて漢語ㆍ和語ㆍ外来語の間での違いはほとんどあらわれない。これに対して大邱方言の複合名詞では複合語の音節数によってそれぞれ違ったアクセント規則があらわれ、また漢字語ㆍ固有語ㆍ外来語の間でも幾らかの違いが見られる。
 日本語の複合名詞において漢語ㆍ和語ㆍ外来語の間で際立った違いがあらわれないのは、日本語では外来語の歴史が長く、新しく入ってきたものでも本来閉音節で発音されるものが日本語の特徴である開音節で発音されるため容易に日本語化されるためではないかと思わる。一方、韓国語では韓国語が閉音節を持つ言語であるため、本来閉音節で発音される外来語についてもそのまま発音されることが多く、容易に韓国語化されない。例えば、英語の5音節語の「In-ter-net bank-ing」は日本語では12拍の「インターネットバンキング」になるが、韓国語では英語と同じ5音節語の「인터넷 뱅킹」であり、アクセントもほぼそのまま維持される。このようなことが韓国語の複合名詞において漢字語ㆍ固有語ㆍ外来語に共通するアクセント規則があらわれない理由の一つになると思われる。
 複合語のアクセントを決定する要因としては、日本語の複合名詞では主に後部要素のアクセントであり、大邱方言では先ず前部要素と後部要素の音節数であり、次に前部要素のアクセントであり、そして後部要素のアクセントが係わってくる。大邱方言の6音節以上の漢字語複合名詞において前部要素のアクセントと後部要素のアクセントが連続しないものが多い。日本語の漢語名詞においても「悠々自適 ユーユー/ジテキ」のように発音されるものがある。これは複合語の音節数や前部と後部の単語が持つ意味の上から発話者にとって複合語とは認識されにくく、そのために前後の結合が弱くなるためであると思われる。
 以上が本研究において得られた結果であるが、本研究の目的とした日本語と大邱方言の複合語のアクセント規則における類似性の調査については、類似の部分よりも相違の部分が多くあらわれた。漢字語ㆍ固有語ㆍ外来語といった共通の語種を持ち、派生法と合成法という共通の複合語の造語法を持ち、共に高低アクセントを持ち、更に単独語ではほぼ同じアクセント構造を持つ言語であっても、複合語のアクセント規則では共通点がほとんどないことが明らかになった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)改訂版 上

2013年11月23日 | 資料書庫
資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)改訂版

 これは2013年にブログに載せたものの2023年の改訂版です。改訂では現代語解釈を加えたために、以前に個人の作業で示した漢字交じり平仮名表記の「和歌」を解釈に応じて訂正しところがあります。この「和歌」の訂正と現代語解釈を加えた改訂版となっています。なお、グーグル検索での上位順位を維持するために、改めてのブログへの投稿ではありません。
 紹介する寛平御時后宮歌合は皇太夫人班子女王歌合ともいう歌合集です。この歌合集はその題名の「寛平」と云う年号と「后宮」と云う敬称から、宇多天皇の後援の下にその時の天皇である光孝天皇の皇后であった班子女王が主催した歌合での作品を集めたものと推定します。他方、朱雀院女郎花歌合と同様に題名の「后宮」とは歌合が行われた場所だけを意味し、歌合の主催者を宇多天皇とする説もあります。この寛平御時后宮歌合の成立は寛平五年(893)年九月以前と推定され、編集では春、夏、秋、冬、恋の五題に対し各二十番四十首、あわせて百番二百首という大規模なものとなっています。一方、伝承では当時にそのような大規模な歌合を目的とした歌会を行ったという記録はなく、そこから延喜十三年(913)に開催された延喜十三年亭子院歌合と同様に宇多天皇の側近で形成する歌人たちが秀歌を集めてその優劣を比べた「撰歌合」ではないかとも推定されています。つまり、どのような歌合せだったのかの詳細は、よく判っていません。
 古典歌集の編纂史で、一つの謎である万葉集の編纂の歴史に関係する資料として新撰万葉集があり、その新撰万葉集成立の付帯資料と云う意味合いで、この寛平御時后宮歌合を紹介します。つまり、ここでのものは歌学史研究では標準となる古今和歌集との関係性を見るものではありませんし、また、新撰万葉集との関係性を確認するものではありません。
 ここで紹介するものは国際日本文化研究センター(日文研)の和歌データベースに収蔵する「寛平御時后宮歌合」のデータを底本とし、それをHP国文学研究資料館の画像ギャラリーに収容する「寛平御時后宮歌合」及びHP国立博物館蔵 国宝・重要文化財に示す「‘e國寶 寛平御時后宮歌合(十巻本)」(以下、伝宗尊親王筆)を使い校合を行い、それに対し読み易さを優先して参照が容易な現代語表記による歌合集の形に再編集を行っています。歌の表記は、その時代の表記スタイルに従い「清音ひらがな表記」となっていますが、読解の助けとするため、便宜上、句切れを示しています。本来の表記は時代性からすると漢語となる漢字を使用せず、また、句切れを持たない「変体仮名連綿草体」です。さらに、個人の作業ですが読み易さへの補助として漢字交じり平仮名スタイルへの「和歌」と、それへの現代語訳の「解釈」を併せて載せています。
 なお、「日文研」のもので歌や歌句が欠損しているものは、その欠落した歌や歌句の欠損を他の資料から補っています。ただし、参照する三種類の「寛平御時后宮歌合」資料全てで歌自体が欠落したものについては、「歌欠落」と表記し、そのままとしています。可能性として「新撰万葉集」から欠落した歌を推定することは可能と考えますが、そのような作業は行っていません。「古今和歌集」(新編日本古典文学全集、小学館)に収載の藤原定家筆本系統に属する宮内庁書陵部収蔵本からの「寛平御時后宮歌合」として紹介されるものと「日文研」のものと歌が相違している場合は、「日文研」のものを採用しています。また、「伝宗尊親王筆」に示す「読人不知」は「見え消し」表記となっており、ここではこれを「読人不知(見消)」の形で示します。
 補足説明として、歌に振った通し番号(〇〇一, 〇〇二など)や歌合番号(春一番、春二番など)は、便宜上、この場だけのものとして私的に付記したものです。従いまして、「日文研」や「小学館」のものとはリンクしていません。また、紹介する場所をGoo ブログとしたために、そこでの1投稿2万字以内の文字数制限から、改訂版では春の部・夏の部と秋の部・冬の部・恋の部の上下二部に分けています。

参照先
 HP国際日本文化研究センター 日文研データベース 和歌データベース 寛平御時后宮歌合
 HP国文学研究資料館 電子資料館 画像ギャラリー 寛平御時后宮歌合
 HP国立博物館蔵 国宝・重要文化財 ‘e國寶 寛平御時后宮歌合(十巻本)伝宗尊親王筆
 『古今和歌集』(新編日本古典文学全集、小学館)収載、寛平御時后宮歌合
 『寛平后宮歌合に関する研究』(高野平、風間書房)
 ブログ竹取翁と万葉集のお勉強 資料編 新撰万葉集

 解説として、この寛平御時后宮歌合は歌合一巻本として数種類の伝本があり、それは寛平五年(八九三)の秋以前に光孝天皇の后班子が主催したとされる歌会で詠われ、合された歌を載せるものです。その歌会では春夏秋冬の四季に恋の五題に対し、それぞれ二十番、都合、百番の番組に、左右それぞれ百首、都合、二百首(現存一九三首)の歌が詠われています。ただ、左右での秀歌や勝ち負けの判定については伝わっていません。加えて、この歌会では古今和歌集に関係する紀貫之や壬生忠岑らも歌を詠んでいますし、他に新撰万葉集とも密接な関係を持つ歌合集でもあります。
 参照資料として使用しました「日文研」と「伝宗尊親王筆」との校合から、歌は本来の百番二百首中の伝存一九三首に秋の部末に追記された一首、都合、一九四首が伝存しています。つまり、百番歌合からは七首が失われており、その失われた歌の内訳は夏歌三首、冬歌二首、戀歌二首となっています。新撰万葉集の和歌は主にこの寛平御時后宮歌合を使い、万葉調の漢字文字表現に転換したものとされています。そのため、可能性として新撰万葉集の和歌から寛平御時后宮歌合で失われた歌を推測することは可能と考えます。しかしながら、ここではその欠損した歌の復元作業は行っていません。参考として、この問題を研究した専門図書として「寛平后宮歌合に関する研究」(高野平、風間書房)と云うものがあります。
 最後に重要なことですが、この資料は正統な教育を受けていないものが行ったものです。特に漢字交じり平仮名スタイルの和歌や現代語訳の解釈は自己流であり、なんらかの信頼おけるものからの写しではありません。つまり、まともな学問ではありませんから正式な資料調査の予備的なものにしか使えません。この資料を参照や参考とされる場合、その取り扱いには十分に注意をお願い致します。


資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)上

謌合
寛平御時后宮哥合

春歌二十番
春一番
左  紀友則
歌番〇〇一 古今13
原歌 はなのかを かせのたよりに たくへてそ うくひすさそふ しるへにはやる
和歌 花の香を 風のたよりに たぐへてぞ 鶯さそふ しるべにはやる
解釈 咲き匂う梅の香りを風の便りに添えて、鶯を誘い出す案内役として遣わせる。
右  源当純
歌番〇〇二 古今12
原歌 たにかせに とくるこほりの ひまことに うちいつるなみや はるのはつはな
和歌 谷風に とくる氷の ひまことに 打ちいづる波や 春の初花
解釈 谷間を吹く風により融ける氷の間ごとに、流れ出る水の波しぶきが春の最初の花であろうか。

春二番
左  素性法師
歌番〇〇三 古今47
原歌 ちるとみて あるへきものを うめのはな うたてにほひの そてにとまれる
和歌 散ると見て あるべきものを 梅の花 うたて匂ひの 袖にとまれる
解釈 花が散ってしまうと眺めて、散り終わってしまうべきなのに、梅の花は、余計なことに思いを残すその匂いが袖に残り香となって残っている。
右  藤原興風
歌番〇〇四 古今131
原歌 こゑたえす なけやうくひす ひととせに ふたたひとたに くへきはるかは
和歌 声たえず 鳴けや鶯 ひととせに ふたたびとだに 来べき春かは
解釈 声が絶えないように鳴き続けよ、鶯よ、一年に二度とは来ない春なのだから。

春三番
左 
歌番〇〇五
原歌 うめのはな しるきかならて うつろはは ゆきふりやまぬ はるとこそみめ
和歌 梅の花 しるき香ならで 移つろはば 雪降りやまぬ 春とこそ見め
解釈 梅の花よ、人が気付く香りもさせないで散り失せてしまうと、雪が降り止まないで枝に積もった、そのような春だと思うでしょう。
右 
歌番〇〇六
原歌 はるのひに かすみわけつつ とふかりの みえみみえすみ くもかくれなく
和歌 春の日に 霞わけつつ 飛ぶ雁の 見えみ見えずみ 雲かくれなく
解釈 春の日に霞を分けて北へと飛ぶ雁は、見え隠れしながら雲に隠れて飛び行く

春四番
左  素性法師
歌番〇〇七 古今92
原歌 はなのきも いまはほりうゑし はるたては うつろふいろに ひとならひけり
和歌 花の木も いまは掘り植ゑじ 春立ては 移ろふ色に 人ならひけり
解釈 花の咲く木を今からは掘って植えることはしない、春の盛りになれば花は咲き散って行くが、それと同じように人も見習って興味も移り変わって行くのだから。
右  紀貫之
歌番〇〇八 古今116
原歌 はるののに わかなつまむと こしわれを ちりかふはなに みちはまとひぬ
和歌 春の野に 若菜つまむと 来しわれを 散りかふ花に 道はまどひぬ
解釈 春の野辺で若菜を摘もうとして来た私ですが、散り乱れる花で道に迷ってしまった。

春五番

歌番〇〇九
原歌 うくひすは うへもなくらむ はなさくら さくとみしまに うつろひにけり
和歌 鶯は うべも鳴くらむ 花桜 咲くと見し間に 移つろひにけり
解釈 鶯は、なるほど、このような訳で鳴くのですね、花咲く桜、その咲いていると眺めていた間に花は散ってしまいました。
右  藤原興風
歌番〇一〇 古今1031
原歌 はるかすみ たなひくのへの わかなにも なりみてしかな ひともつむやと
和歌 春霞 たなびく野辺の 若菜にも なりみてしがな 人も摘むやと
解釈 春霞がたなびく野原の若菜になってみたいものだなあ。そうすれば、あの人が摘んでくれると思うから

春六番

歌番〇一一
原歌 あさみとり のへのかすみは つつめとも こほれてにほふ はなさくらかな
和歌 浅緑 野辺の霞は つつめとも こぼれて匂ふ 花桜かな
解釈 浅緑の野辺を霞が包んでいても、そこからこぼれるように咲き誇る、その花咲く桜です。

歌番〇一二
原歌 はるたたは はなをみむてふ こころこそ のへのかすみと ともにたちぬれ
和歌 春立たば 花を見むてふ 心こそ 野辺の霞と ともにたちぬれ
解釈 春が盛りになると花を眺めたいと願う気持ちこそ、野辺の霞と同じようにともに湧き立ち昇って来ます。

春七番
左  紀友則
歌番〇一三 古今60
原歌 みよしのの やまにさきたる さくらはな ゆきかとのみそ あやまたれける
和歌 み吉野の 山に咲きたる 桜花 雪かとのみぞ あやまたれける
解釈 吉野山の山に咲いている桜の花は、その白い花色で雪かと見違えてしまった。

歌番〇一四
原歌 としのうちは みなはるなから はてななむ はなをみてたに こころやるへく
和歌 年のうちは みな春なから 果てななむ 花を見てだに 心やるべく
解釈 一年中は、それはみな春の季節として終わって欲しいものです、桜の花を眺めるだけで心を慰めるようにと。

春八番

歌番〇一五
原歌 はるかすみ あみにはりこめ はなちらは うつろひぬへし うくひすとめよ
和歌 春霞 網に張りこめ 花散らば 移ろひぬべし 鶯とめよ
解釈 春霞よ、お前は網に張り巡らし花が散ったなら飛び散らないようにしなさい、そして、鶯よ、大声で鳴きなさい。

歌番〇一六
原歌 はるさめの いろはこくしも みえなくに のへのみとりを いかてそむらむ
和歌 春雨の 色は濃くしも 見えなくに 野辺の緑を いかで染むらむ
解釈 春雨に霞み草木の色は濃いとは見えないが、野辺の緑は、どうすれば、初夏には色濃く染まっていくのだろう。

春九番
左  在原棟梁
歌番〇一七 古今15
原歌 はるなれと はなもにほはぬ やまさとは ものうかるねに うくひすそなく
和歌 春なれど 花もにほはぬ 山里は もの憂かる音に 鶯ぞ鳴く
解釈 暦ではもう春になったのに、まだ花も咲き誇らないこの山里は、鳴くのが物憂いといったような声で鶯が鳴いている。
右  藤原興風
歌番〇一八 古今101
原歌 さくはなは ちくさなからに あたなれと たれかははるを うらみはてたる
和歌 桜花 ちくさなからに あたなれと 誰かは春を うらみはてたる
解釈 桜の花はそれぞれに多様なのですが、そのどれもが散り易いけど、だからと言って誰が春を恨み切ることが出来るでしょうか。

春十番

歌番〇一九
原歌 みつのうへに あやおりみたる はるさめや やまのみとりを なへてそむらむ
和歌 水の上に 綾織り乱だる 春雨や 山のみとりを なべて染むらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、その綾織り模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。

歌番〇二〇
原歌 いろふかく みるのへたにも つねならは はるはゆくとも かたみならまし
和歌 色深く 見る野辺だにも 常ならば 春はゆくとも 形見ならまし
解釈 花は無くてもこの緑色濃く見える野辺だけであっても、この景色が常のものならば、春は過ぎ行きても、この景色が思い出になって欲しいものです。

春十一番

歌番〇二一
原歌 こまなへて めもはるののに ましりなむ わかなつみつる ひとはありやと
和歌 駒なべて めもはるの野に まじりなむ 若菜摘みつる 人はありやと
解釈 駒を並べて目も張る、その春の野に入り交りましょう、若菜を摘んでいるでしょう、あの人が居ないかと思って。
右  読人不知(見消)
歌番〇二二 古今14
原歌 うくひすの たによりいつる こゑなくは はるくることを たれかつけまし
和歌 鶯の 谷よりいづる 声なくば 春来ることを 誰がつげまし
解釈 もし、鶯が谷から飛び出て鳴く声を聞かせることがなければ、春が来ることを誰が私に知らせるでしょうか。

春十二番

歌番〇二三
原歌 はるなから としはくれなむ ちるはなを をしとなくなる うくひすのこゑ
和歌 春ながら 年は暮れなむ 散る花を 惜しと鳴くなる 鶯の声
解釈 今、春ではありますが、このままに一年の年は暮れて欲しい、そのように散る桜の花を心残りと鳴く鶯の声が聞こえます。

歌番〇二四
原歌 おほそらを おほふはかりの そてもかな はるさくはなを かせにまかせし
和歌 大空を 覆ふばかりの 袖もがな 春咲く花を 風にまかせじ
解釈 大空を覆うほど大きな袖が欲しいものです、春に咲く桜の花を風の思いのままに散らせないとして。

春十三番

歌番〇二五
原歌 かすみたつ はるのやまへに さくらはな あかすちるとや うくひすのなく
和歌 霞立つ 春の山辺に 桜花 飽かす散るとや 鶯の鳴く
解釈 霞が湧き立つ春の山の辺に咲く桜の花、まだ、見飽きないのに散ってしまうのかと、鶯も鳴いています。

歌番〇二六
原歌 あまのはら はるはことにも みゆるかな くものたてるも いろこかりけり
和歌 天の原 春はことにも 見ゆるかな 雲の立てるも 色濃かりけり
解釈 天の原は春には特別に風情を感じて見えます、その空に雲の湧き立つ姿も、入道雲のように一段と色が濃くなりました。

春十四番

歌番〇二七
原歌 まきもくの ひはらのかすみ たちかへり みれともはなの おとろかれつつ
和歌 巻向の 桧原の霞 たちかへり 見れども花の おどろかれつつ
解釈 巻向の檜原の山に立つ霞、道行きに振り返って見ても、また、咲く桜の花に目を見張らされます。

歌番〇二八
原歌 しろたへの なみちわけてや はるはくる かせふくからに はなもさきけり
和歌 白妙の 波路わけてや 春は来る 風吹くからに 花も咲きけり
解釈 柔らかな白妙の布のような、穏やかな波路を分けて春はやって来る、暖かくやわらかな風が吹くから、それで桜の花も咲きました。

春十五番
左  在原元方
歌番〇二九 古今103
原歌 かすみたつ はるのやまへは とほけれと ふきくるかせは はなのかそする
和歌 霞立つ 春の山辺は 遠ほけれど 吹き来る風は 花の香ぞする
解釈 霞が湧き立つ春の山辺への道のりは遠いけれど、そこから吹き来る風には、もう咲いた花の香りがします。

歌番〇三〇
原歌 ちるはなの まててふことを きかませは はるふるゆきと ふらせさらまし
和歌 散る花の 待ててふ言を 聞かませば 春ふる雪と 降らせざらまし
解釈 散る桜の花が、散るのを待てと言う言葉を聞き届けてくれたなら、その花は花吹雪として春に降る雪と散り降らせることはないでしょう。

春十六番

歌番〇三一
原歌 かかるとき あらしとおもへは ひととせを すへてははるに なすよしもかな
和歌 かかるとき あらじとおもへば ひととせを すべては春に なすよしもがな
解釈 このような季節の時がいつもは無いと思うので、一年を全て春の季節とする方法が無いものでしょうか。

歌番〇三二
原歌 まててふに とまらぬものと しりなから しひてそをしき はるのわかれを
和歌 待ててふに とまらぬものと 知りながら しひてぞ惜しき 春の別れを
解釈 散るのを待てと言うのに、散り去ることを止められないとは知っていますが、それでも残念に思う春の花の季節の別れであります。

春十七番
左  読人不知(見消)
歌番〇三三
原歌 うめのはな かをはととめて いろをのみ としふるひとの そてにそむらむ
和歌 梅の花 香をばとどめて 色をのみ 年経る人の 袖に染むらむ
解釈 梅の花の香りだけでも衣の袖に移して留めれば、風流事だけに一年を過ごすあの人の袖に染み染めて思い出にするでしょう。

歌番〇三四
原歌 あかすして すきゆくはるの ひとならは とくかへりこと いはましものを
和歌 飽かずして 過ぎゆく春の 人ならば とく帰へりこと 言はましものを
解釈 見飽きることなく過ぎて行く春が、もし、人ならば、早く帰って来てくださいなどとは、言わないのですが、(春は足早に過ぎ去る。)

春十八番
左  読人不知(見消)
歌番〇三五 古今46
原歌 うめかかを そてにうつして ととめては はるはすくとも かたみならまし
和歌 梅の香を 袖にうつして とどめては 春は過ぐとも 形見ならまし
解釈 梅の花の香りを衣の袖に移して留めれば、春の季節が過ぎても春の思い出となるだろう。

歌番〇三六
原歌 ゆくはるの あとたにありと みましかは のへのまにまに とめましものを
和歌 ゆく春の 跡だにありと 見ましかば 野辺のまにまに とめましものを
解釈 去り行く春の跡があるとばかりに眺めるのなら、野辺のあちらこちらにその跡を求めるのですが。

春十九番
左  藤原興風
歌番〇三七 古今102
原歌 はるかすみ いろのちくさに みえつるは たなひくやまの はなのかけかも
和歌 春霞 色の千くさに 見えつるは たなびく山の 花の影かも
解釈 春霞が色、とりどりの色に見えたのは、それがたなびく山の花を映したものだったのかもしれない。

歌番〇三八
原歌 ひくるれは かつちるはなを あたらしみ はるのかたみに つみそいれつる
和歌 日暮れば かつ散る花を あたらしみ 春の形見に 摘みそ入れつる
解釈 日が暮れ行き、また、盛りを過ぎ行く梅の花が新鮮な景色と思えたので、この春の景色の思い出として、梅の花を摘み袖に入れました。

春二十番
左 源敏行朝臣 (源宗干)
歌番〇三九 古今24
原歌 ときはなる まつのみとりも はるくれは いまひとしほの いろまさりけり
和歌 ときはなる 松のみどりも 春くれば いまひとしほの 色まさりけり
解釈 春の季節になりました、一年中、変わらない松の色もその春が来たので、今、ひとしおに緑の色合いが濃くなりました。

歌番〇四〇
原歌 くるはるに あはむことこそ かたからめ すきゆくかたに おくれすもかな
和歌 来る春に あはむことこそ かたからめ 過ぎゆくかたに 遅れずもがな
解釈 また来るでしょう春に、この景色と同じものと出会うことは難しいでしょう、それでこの過ぎ行く春の行く方に、遅れずについて行きたいものです。


夏歌二十番
夏一番
左  紀友則
歌番〇四一 古今715
原歌 せみのこゑ きけはかなしな なつころも うすくやひとの ならむとおもへは
和歌 蝉の声 きけばかなしな 夏衣 うすくや人の ならむとおもへば
解釈 蝉の声を聞くともの悲しくなる、夏の衣ではないが、あの人の私への気持ちが薄くなってしまうような気持ちがするので。

歌番〇四二
原歌 にほひつつ ちりにしはなそ おもほゆる なつはみとりの はのみしけりて
和歌 にほひつつ 散りにし花ぞ 思ほゆる 夏は緑の 葉のみしげりて
解釈 美しく輝きながら散り失せた花を思い出します、今、この夏、その花があった木に緑の葉だけが茂っています。

夏二番

歌番〇四三
原歌 うつせみの わひしきものを なつくさの つゆにかかれる みにこそありけれ
和歌 うつせみの わびしきものを 夏草の 露にかかれる 身にこそありけれ
解釈 蝉の抜け殻自体でも、もの悲しいものではありますが、夏草の許で露に濡れかかった、その身にこそもの悲しさがさらにあります。

歌番〇四四
原歌 なつのよの つきはほとなく あけなから あしたのまをそ かこちよせける
和歌 夏の夜の 月はほどなく 明けながら 朝の間をぞ かこちよせける
解釈 夏の夜が短いので月の光はほどなく薄れて行き、その夜は明けて行きますが、朝起き出すまでの間、まだ、夜だとこじつけてまどろんでいます。

夏三番
左  紀友則
歌番〇四五 古今561
原歌 よひのまは はかなくみゆる なつむしに まとひまされる こひもするかな
和歌 宵の間は はかなく見ゆる 夏蟲に まどひまされる 恋もするかな
解釈 宵の間ははかなく見える夏虫が、人の焚く火に惑わされ身を焦がす、そのような行く末も知らずにまさるほど惑う恋をすることです。
右  紀貫之
歌番〇四六 古今156
原歌 なつのよは ふすかとすれは ほとときす なくひとこゑに あくるしののめ
和歌 夏の夜は 臥すかとすれは 郭公 鳴くひと声に 明くるしののめ
解釈 短い夏の夜は眠りについたかと思うと、ホトトギスが鳴くひと声に、もう、明るくなる東雲の朝です。

夏四番

歌番〇四七
原歌 かりそめの みやたのまれぬ なつのひを なとうつせみの なきくらしつる
和歌 かりそめの 身やたのまれぬ 夏の日を なと空蝉の なき暮らしつる
解釈 儚い命のお前の身の上では頼りにならない、暑い夏の日を、なぜ、空蝉のお前は、ただ、鳴いて暮らしているのか。

歌番〇四八
原歌 はかもなき なつのくさはに おくつゆを いのちとたのむ むしのはかなさ
和歌 はかもなき 夏の草葉に 置く露を 命と頼む 蟲のはかなさ
解釈 消え失せたとしても弔う墓も無い、夏の草葉に置く露を命の源と頼りにする、その虫の儚さです。

夏五番

歌番〇四九
原歌 ふるさとを おもひやれとも ほとときす ことのことくに なれそなくなる
和歌 故里を 思ひやれとも 郭公 ことのごとくに 汝ぞ鳴くなる
解釈 古い里の様子を思い馳せているが、ホトトギスよ、その思いに馳せるに合わせて、お前は「不如帰、不如帰」と鳴いている。
注意 「小学館」は四句目が「こそのことくに(去年のごとく)」と違うために、解釈が大きく違います。

歌番〇五〇
原歌 なつのよの しもやおけると みるまてに あれたるやとを てらすつきかけ
和歌 夏の夜の 霜や置けると 見るまでに 荒れたる宿を 照らす月影
解釈 夏の夜にもう霜が置いたのかと見間違えるほどに、荒れてしまった屋敷を煌々と照らす白い月の光です。

夏六番

歌番〇五一
原歌 なつのかせ わかたもとにし つつまれは おもはむひとの つとにしてまし
和歌 夏の風 わが袂にし 包まれば 思はむ人の つとにしてまし
解釈 夏の風に私の袂が包まれた奈良、私の恋焦がれる人への土産にしたいものです。

歌番〇五二
原歌 なつくさの しけきおもひは かやりひの したにのみこそ もえわたりけれ
和歌 夏草の しげき思ひは 蚊遣り火の 下にのみこそ 燃えわたりけれ
解釈 夏草が茂る、その言葉の響きではありませんが、貴女への茂る思いは、蚊遣り火が灰の下で燻ぶり燃えるように、表には出さすに心の中で恋焦がれ燃え続けています。

夏七番

歌番〇五三
原歌 くさしけみ したはかれゆく なつのひも わくとしわけは そてやひちなむ
和歌 草茂げみ 下葉枯れゆく 夏の日も わくとしわけば 袖やひぢなむ
解釈 暑さで草の茂みの下草が乾ききって枯れていく、その夏の日でも、貴女に逢うために草むらを分けに分けて通えば、きっと、私の袖は露に濡れるでしょう。
右  紀友則
歌番〇五四 古今153
原歌 さみたれに ものおもひをれは ほとときす よふかくなきて いつちゆくらむ
和歌 五月雨に 物思ひをれば 郭公 夜深く鳴きて いづち行くらむ
解釈 五月雨の降る夜にもの思いをすると、ホトトギスが夜を更けてから鳴いて飛び過ぎたが、さて、どちらの方角をさして行くのだろうか。

夏八番

歌番〇五五
原歌 なつのよの つゆなととめそ はちすはの まことのたまと なりしはてすは
和歌 夏の夜の 露なとどめそ 蓮葉の まことの珠と なりしはてずば
解釈 夏の夜の露よ、決して、その姿を留めないでください、蓮の葉に乗る本当の珠とは、お前はなれないのだから。
右  紀有岑
歌番〇五六 古今158
原歌 なつやまに こひしきひとや いりにけむ こゑふりたてて なくほとときす
和歌 夏山に 恋ひしき人や 入りにけむ 声ふりたてて なく郭公
解釈 夏の山に恋いする人が籠もってしまったのだろうか、ホトトギスが声をふりしぼって「片恋、片恋」と鳴いている。
注意 万葉集の時代からホトトギスの鳴き声の「カッコウ」を「片恋」と聞きます。

夏九番

歌番〇五七
原歌 ふくかせの わかやとにくる なつのよは つきのかけこそ すすしかりけれ
和歌 吹く風の わが宿に来る 夏の夜は 月の影こそ 涼しかりけれ
解釈 吹く風が私の屋敷にやって来る、その夏の夜は月の光だけはこそ涼しく見えて欲しいものです。
右  紀友則
歌番〇五八 古今562
原歌 ゆふされは ほたるよりけに もゆるとも ひかりみえねは ひとそつれなき
和歌 夕されば 蛍よりげに 燃ゆるとも 光見みえねば 人ぞつれなき
解釈 夕方になると、私の思いは蛍より燃えているのに、私の恋焦がれるその火の光が見えないのか、あの人は素っ気ない。

夏十番

歌番〇五九
原歌 なつのひを くらしわひぬる せみのこゑに わかなきそふる こゑはきこゆや
和歌 夏の日を 暮らしわびぬる 蝉の声 わがなき添ふる 声は聞こゆや
解釈 短い命で夏の日を暮らし辛そうにしている、その蝉の鳴き声に私が泣き添えている声は、貴方に聞こえたでしょうか。

歌番〇六〇
原歌 うらみつつ ととむるひとの なけれはや やまほとときす うかれてそなく
和歌 恨みつつ とどむる人の なければや 山郭公 うかれてぞ鳴く
解釈 「片恋、片恋」と恨みながら鳴く、それをやめさせる人が居ないからなのか、ホトトギスは落ち着きなく鳴いている。
注意 万葉集ではホトトギスの「カッコウ、カッコウ」と鳴く声を「片恋、片恋」と聞きます。

夏十一番

歌番〇六一
原歌 なつのよは みつやまされる あまのかは なかるるつきの かけもととめぬ
和歌 夏の夜は 水や勝れる 天の河 流るる月の 影もとどめぬ
解釈 夏の夜は水嵩が増しているのだろうか、天の川を流れていく月の光がどんどん過ぎ行きます。
右  読人不知(見消)
歌番〇六二 古今159
原歌 こそのなつ なきふるしてし ほとときす それかあらぬか こゑのかはらぬ
和歌 去年の夏 鳴きふるしてし 郭公 それかあらぬか 声のかはらぬ
解釈 去年の夏にたくさん鳴いてくれたホトトギスと同じホトトギスか分からないが、今年の鳴き声も変りません。

夏十二番

歌欠落 (推定)

歌欠落 (推定)

夏十三番

歌欠落

歌番〇六三
原歌 なつむしに あらぬわかみの つれもなき ひとをおもひに もゆるころかな
和歌 夏蟲に あらぬわが身の つれもなき 人を思ひに 燃ゆる頃かな
解釈 ともし火に飛び込んで身を焦がす夏虫ではない私ですが、私につれないあの人を思って、我が身を恋焦がしているこの頃です。

夏十四番

歌番〇六四
原歌 なつのよの まつはもそよと ふくかせは いつれかあめの こゑにかはれる
和歌 夏の夜の 松葉もそよと 吹く風は いづれか雨の 声にかはれる
解釈 夏の夜に松の葉もそよそよと揺れて吹く風は、ひょっとすると雨の音に聞き間違いそうです。
右  紀友則
歌番〇六五 古今154
原歌 よやくらき みちやまとへる ほとときす わかやとをしも すきかてにする
和歌 夜や暗き 路や惑へる 郭公 わが宿をしも 過ぎかてにする
解釈 夜道が暗いせいか道に迷ったホトトギスが、私の屋敷ではありますが通り過ぎることが出来なくて、ここで鳴いている。

夏十五番

歌番〇六六
原歌 いつのまに はなかれにけむ なかくたに ありせはなつの かけとみましを
和歌 いつの間に 花枯れにけむ 長がくだに ありせば夏の かげと見ましを
解釈 いつの間に花は枯れてしまったようです、長い間、なんとか咲いていてくれたら、夏の思い出として眺めていたのですが。

歌番〇六七
原歌 いくちたひ なきかへるらむ あしひきの やまほとときす こゑはわすれて
和歌 幾千たび 鳴きかへるらむ あしひきの 山郭公 声はわすれで
解釈 幾千回も同じように鳴き、毎年の夏を迎えるだろう、葦や檜の生える山に棲むホトトギスは、毎年に鳴き出すその鳴き声を忘れることはない。
注意 「小学館」では末句が「こゑはかれすれて」と異同があり、歌意は大きく変わります。

夏十六番

歌番〇六八
原歌 なつのひを あまくもしはし かくさなむ ぬるほともなく あくるよにせむ
和歌 夏の日を 天雲しばし 隠さなむ 寝るほどもなく 明くる夜にせむ
解釈 夏の太陽を空の雲がしばし隠して欲しい、そうしたら夏の夜は短く寝る間もないので、今明けるでしょうこの夜の次の夜にしましょう。
注意 「小学館」は末句が「あくるあしたを」と異同があり、歌意は大きく変わります。

歌番〇六九
原歌 ほとときす なきつるなつの やまへには くつていたさぬ ひとやすむらむ
和歌 郭公 鳴きつる夏の 山辺には 沓手いださぬ 人や住むらむ
解釈 ホトトギスが鳴いている夏の山辺には、沓の代金を払わない人が住んでいるのでしょうか。
注意 ホトトギスの別名で沓手鳥と言い、説話で郭公が沓を手で縫って百舌鳥に売ったが、その百舌鳥は代金を払わなかった、それで沓を取り返すとして「クツ取ってきたか、クツ取ってきたか」と郭公は鳴くので沓手鳥だそうです。

夏十七番

歌番〇七〇
原歌 なつのひの くるるもしらす なくせみを とひもしてしか なにことかうき
和歌 夏の日の 暮るるも知らず 鳴く蝉を 問ひもしてしか なにことか憂き
解釈 夏の長い日が暮れるのも知らないで鳴いている蝉に問いただしてみたい、いったい、何が悲しくてそのように泣いているのかと。

歌番〇七一
原歌 あやめくさ いくらのさつき あひくらむ くるとしことに わかくみゆらむ
和歌 菖蒲草 幾らの五月 逢ひ来らむ 来る年ごとに 若く見ゆらむ
解釈 この菖蒲の花草は、どれほどの年の毎年の五月の季節に逢って来たのだろうか、それなのに、そのやって来る年毎に、菖蒲の花は若く美しく見えます。

夏十八番

歌番〇七二
原歌 おしなへて さつきのそらを みわたせは くさはもみつも みとりなりけり
和歌 おしなべて 五月の空を 見渡せば 草葉も水も 緑なりけり
解釈 遥か彼方まですべての五月の空を見渡すと、草も葉も水も緑にあふれています。
右  壬生忠岑
歌番〇七三
原歌 くるるかと みれはあけぬる なつのよを あかすとやなく やまほとときす
和歌 暮るるかと 見れは明けぬる 夏の夜を あかすとやなく 山郭公
解釈 やっと、暮れるのかと眺めていると山の端は明けて来る、その短い夏の夜を飽きることなく鳴く、山に棲むホトトギスです。

夏十九番

歌番〇七四
原歌 なつのつき ひかりをします てるときは なかるるみつに かけろふそたつ
和歌 夏の月 ひかり惜しまず 照るときは 流るる水に 影ろ副そ立つ
解釈 短い夏の夜であっても月は輝きを惜しまず、照り輝く時は流れる水面にその月影を添えています。
注意 「小学館」は末句を「川浪ぞ立つ」と異同があり、歌意は大きく変わります。

歌番〇七五
原歌 ことのねに ひひきかよへる まつかせは しらへてもなく せみのこゑかな
和歌 琴の音に ひびきかよへる 松風は 調べても鳴く 蝉の声かな
解釈 琴の音にその音を響き通わせるような松を通り抜ける風音、それを調べとして鳴く蝉の声が聞こえる。

夏二十番

歌番〇七六
原歌 なつくさも よのまはつゆに いこふらむ つねにこかるる われそかなしき
和歌 夏草も 夜の間は露に いこふらむ つねに焦がるる 我れぞかなしき
解釈 暑い夏に立ち生える草も夜の間は露に憩うようです、でも、あの人に常に恋焦がれる私はあの人からの慈雨に心を憩うこともなく、辛いです。

歌番〇七七
原歌 なかめつつ ひとまつをりに よふことり いつかたへとか たちかへりなく
和歌 ながめつつ 人待つをりに 呼子鳥 いづかたへとか たちかへり鳴く
解釈 所在なく景色を眺めながら人を待つ時に、人を呼ぶとの名を持つ呼子鳥、どこへ人を呼びに飛び行くのか、また、引き返して来て鳴いています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付)改訂版 下

2013年11月23日 | 資料書庫
資料編 寛平御時后宮歌合(原文、和歌、解釈付) 下

秋歌二十番
秋一番
左  紀友則
歌番〇七八 古今207
原歌 あきかせに はつかりかねそ ひひくなる たかたまつさを かけてきつらむ
和歌 秋風に 初雁がねぞ 響くなる 誰が玉梓を かけて来つらむ
解釈 秋風に乗って初雁の声が響いている。遠い北の国から、いったい誰の消息を体に掛けて来たのであろうか。
注意 前漢の将軍蘇武の雁書の故事を踏まえた歌です。

歌番〇七九 後撰273
原歌 うらちかく たつあききりは もしほやく けふりとのみそ みえわたりける
和歌 浦ちかく 立つ秋霧は 藻塩焼く 煙とのみぞ 見えわたりける
解釈 入浜近くに立つ秋の霧は藻塩を焼く煙とばかりに、一面に見えて広がっています。

秋二番
左  素性法師
歌番〇八〇 古今244
原歌 われのみや あはれとおもはむ きりきりす なくゆふかけの やまとなてしこ
和歌 我れのみや あはれと思はむ きりぎりす 鳴く夕影の 大和なでしこ
解釈 私だけが美しいと思うのでしょうか、いいえ違います、皆がそのように思います。キリギリスが鳴く夕日の中に咲く大和撫子の姿を。
右  紀貫之
歌番〇八一
原歌 あきののの くさはいととは みえなくに おくしらつゆの たまとつらなる
和歌 秋の野の 草はいととは 見えなくに 置く白露の 珠とつらなる
解釈 秋の野の草は糸とは思われないのに、葉に置く白露が珠のようにして連なっている。

秋三番

歌番〇八二 古今215
原歌 おくやまに もみちふみわけ なくしかの こゑきくときそ あきはかなしき
和歌 奥山に 黄葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき
解釈 山の奥で降り散り積もった紅葉を踏みながら妻を求めて鳴く雄鹿の声を聞くとき、秋の季節は切なく感じます。

歌番〇八三 古今186
原歌 わかために くるあきにしも あらなくに むしのねきけは まつそかなしき
和歌 我がために くる秋にしも あらなくに 蟲の音聞けば まつぞかなしき
解釈 私のためだけに来る秋でもないのに、虫の鳴き声を聞くとすぐに秋の季節の寂しさを感じます。

秋四番

歌番〇八四
原歌 ひくらしに あきののやまを わけくれは こころにもあらぬ にしきをそきる
和歌 ひぐらしに 秋の野山を わけくれば 心にもあらぬ 錦をぞ着る
解釈 一日を過ごす、その秋の日に野山に分け入ってやって来ると、思いもがけずに紅葉から錦の衣を着た思いです。

歌番〇八五
原歌 あきといへは あまくもまてに もえにしを そらさへしるく なとかみゆらむ
和歌 秋といへば 天雲までに 燃えにしを 空さへしるく などか見ゆらむ
解釈 秋と言うと紅葉の野山だけでなく天の雲まで夕日を受けて赤く燃えているのに、その空さえもはっきりと眺められないことがあるでしょうか、いや、このように澄み切っています。

秋五番
左  在原棟梁
歌番〇八六 古今243
原歌 あきののの くさのたもとか はなすすき ほにいててまねく そてとみゆらむ
和歌 秋の野の 草の袂か 花すすき 穂にいでて招く 袖と見ゆらむ
解釈 秋の野の草の袂だろうか。花すすきが穂に咲き出て、その姿で風に揺れる様が人を招く袖のように見えます。
右  藤原興風
歌番〇八七
原歌 やまのゐは みつなきことそ みえわたる あきのもみちの ちりてかくせは
和歌 山の井は 水なきことぞ 見えわたる 秋の紅葉の 散りて隠せば
解釈 山の清水は枯れてすっかり水が無いようで、一面に見渡せる秋の紅葉が地面に散り積もって夏に見た清水を隠してしまったので。

秋六番
左  小野美材
歌番〇八八 古今229
原歌 をみなへし おほかるのへに やとりせは あやなくあたの なをやたちなむ
和歌 女郎花 おほかる野辺に 宿りせば あやなくあだの 名をや立ちなむ
解釈 女性に例える女郎花がたくさん咲いている野辺で一晩明かせば、実際は何も無いのにどこかの女と夜を共にしたとの噂で名前が立つでしょう。

歌番〇八九
原歌 あきかせに さそはれきつる かりかねの くもゐはるかに けふそきこゆる
和歌 秋風に 誘はれ来つる 雁がねの 雲居はるかに 今日ぞ聞こゆる
解釈 秋風に誘われて飛び来る雁かねの鳴き声が雲居遥かに、今日、聞こえました。

秋七番

歌番〇九〇 後撰308
原歌 しらつゆに かせのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまそちりけみ
和歌 白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫きとめぬ 玉ぞ散りけみ
解釈 葉に置いた白露に風が吹き敷く、その秋の野では、葉に置く白露を貫き止められない珠として、風に散りました。

歌番〇九一
原歌 いつのまに あきほたるらむ くさとみし ほといくかとも へたたらなくに
和歌 いつの間に 秋穂垂るらむ 草と見し ほど幾日とも 経たたらなくに
解釈 いつの間にか、秋の季節に稲穂が垂れている、まだ、苗草と眺めていてから、ほどもなく幾日も経たないはずなのに。

秋八番

歌番〇九二
原歌 かりのねは かせにきほひて わたれとも わかまつひとの ことつてそなき
和歌 雁の音は 風に競ひて 渡れども 我が待つ人の 言づてぞなき
解釈 雁の鳴き声は風に競って空を飛び渡っているけれど、雁書の言葉とは違い、私が待つ、愛しいあの人からの言伝てはやって来ません。

歌番〇九三
原歌 おほそらを とりかへすとも みえなくに はしかとみゆる あきのくさかな
和歌 大空を とりかへすとも 見えなくに はしかと見ゆる 秋の草かな
解釈 過ぎ行く秋の大空の様を元の季節へと戻すとは思えないのだが、まだ、秋だとして健気に咲いていると思える秋の草の姿です。
注意 「小学館」は、解釈により四句・末句を「星かと見する秋の菊かな」と校訂して、別の歌としています。

秋九番
左  在原棟梁
歌番〇九四 古今1020
原歌 あきかせに ほころひぬらむ ふちはかま つつりさせてふ きりきりすなく
和歌 秋風に ほころびぬらむ 藤袴 つづりさせてふ きりぎりす鳴く
解釈 秋風に花が開いてきたようだ、藤袴よ、その藤袴の言葉の響きではありませんが、袴の裾が綻びているから、綴り刺せと、キリギリスが鳴いています。
注意 キリギリスは鳴き声が「ギース・チョン」で、ここから機織りの動作を感じ、「機織り虫」「機織り女(め)」と別称します。「機織り虫」からの連想で「綴り刺せ」です。

歌番〇九五 拾遺208
原歌 あきのよの あめときこえて ふりつるは かせにちりつる もみちなりけり
和歌 秋の夜の 雨と聞こえて 降りつるは 風に散りつる 黄葉なりけり
解釈 秋の夜に雨音と聞こえて降って来たものは、風に散って舞う紅葉でした。

秋十番
左  読人不知(見消)
歌番〇九六 古今264
原歌 ちらねとも かねてそをしき もみちはは いまはかきりの いろとみつれは
和歌 散らねども かねてぞ惜しき 紅葉は 今はかぎりの 色と見つれば
解釈 まだ散っているのではないが、以前から思っていた、散るのが残念な紅葉は今が盛りの限りです、その色模様を眺めていると。
右  藤原興風
歌番〇九七 古今301
原歌 しらなみに あきのこのはの うかへるは あまのなかせる ふねかとそみる
和歌 白波に 秋の木の葉の 浮かべるは 海人の流がせる 舟かとぞ見る
解釈 たぎって流れる川の白波に秋の木の葉を浮かべる様は、漁師が浮かべ流した舟なのかと見えます。

秋十一番

歌番〇九八
原歌 あきのよの あまてるつきの ひかりには おくしらつゆを たまとこそみれ
和歌 秋の夜の 天照る月の 光には 置く白露を 玉とこそ見れ
解釈 秋の夜の天空で照る月の光によって、草葉に置く白露を珠とばかりに見ることが出来ます。

歌番〇九九
原歌 あきののに おけるつゆをは ひとりぬる わかなみたとも おもひしれかし
和歌 秋の野に 置ける露をば ひとり寝る 我が涙とも 思ひ知れかし
解釈 秋の野に草葉に置いた露を、あの人は独り淋しく寝る私の涙と気付いてくれるでしょうか。

秋十二番

歌番一〇〇
原歌 かりかねは かせをさむみや はたおりめ くたまくおとの きりきりとする
和歌 雁がねは 風を寒みや 機織り女 管まく音の きりきりとする
解釈 雁かねの姿は風を寒いと思うのか、機織り女の異名を持つキリギリスが機織りの管巻に糸を巻く音のようにキリキリと鳴いている。
注意 平安時代、キリギリスをその鳴き声の「ギース・チョン」から機織りを想像して、機織り虫、機織り女と呼んでいました。
右  大江千里
歌番一〇一 古今271
原歌 うゑしとき はなまちとほに ありしきく うつろふあきに あはむとやみし
和歌 植ゑしとき 花待ちどほに ありしきく うつろふ秋に あはむとや見し
解釈 植えた時は花を待ち遠しく感じていた菊だが、花がしおれていく秋にその姿を眺めるとは思いもしなかった。

秋十三番

歌番一〇二
原歌 しらつゆの そめいたすはきの したもみち ころもにうつす あきはきにけり
和歌 白露の 染めいたす萩の 下紅葉 衣にうつす 秋は来にけり
解釈 白露が染め色を見せる萩の下葉の紅の葉色、その様をこのように衣の模様に移す秋の季節がやって来ました。

歌番一〇三
原歌 かせさむみ なくあきむしの なみたこそ くさにいろとる つゆとおくらめ
和歌 風寒み 鳴く秋蟲の 涙こそ 草にいろどる 露と置くらめ
解釈 風が寒く感じ、もう、命の終わりとして泣く秋の虫の涙こそが、草に彩る露として置くのでしょう。

秋十四番

歌番一〇四 後撰353
原歌 はなすすき そよともすれは あきかせの ふくかとそきく ころもなきみは
和歌 花薄 そよともすれは 秋風の 吹くかとぞ聞く 衣なき身は
解釈 花ススキ、そよ風に揺れれば、秋の風が吹き出すのかと感じるでしょう、すすし(生絹)の一重の衣だけで重ねを持たない花ススキは。

歌番一〇五
原歌 おとにきく はなみにくれは あきののの みちまよふまてに きりそたちぬる
和歌 音に聞く 花見に来れば 秋の野の 道迷ふまでに 霧そ立ちぬる
解釈 美しいと噂に聞く、その花を見にやって来ると、秋の野に道を迷うほどに霧が立ち込めました。

秋十五番

歌番一〇六
原歌 かりかねに おとろくあきの よをさむみ むしのおりたす ころもをそきる
和歌 雁がねに おどろく秋の 夜を寒むみ 蟲の織り出す 衣をそ着る
解釈 床にあって雁の鳴き声に驚く秋の夜が寒いので、機織りと名を持つ虫(キリギリス)が織り出すでしょう、衣を着ます。

歌番一〇七
原歌 あきかせは たかたむけとか もみちはを ぬさにきりつつ ふきちらすらむ
和歌 秋風は 誰が手向けとか 紅葉を 幣に切りつつ 吹き散らすらむ
解釈 秋風はどの神様への手向けなのか、紅葉を幣の姿に切りながら、吹き散らしています。
注意 修験者が切った幣を撒き、場を清める所作を踏まえたものです。

秋十六番

歌番一〇八
原歌 からころも ほせとたもとの つゆけきは わかみのあきに なれはなりけり
和歌 唐衣 干せど袂の 露けきは わが身の秋に なればなりけり
解釈 唐衣を干しても袂が湿っぽいのは、我が身が貴方からの「飽き」になって、逢えなくなったからです。

歌番一〇九 古今259
原歌 あきのつゆ いろのことこと おけはこそ やまももみちも ちくさなるらめ
和歌 秋の露 色のことごと 置けばこそ 山も紅葉も 千くさなるらめ
解釈 秋の露が紅葉し色付いた葉のことごとに置いたからこそ、山も紅葉も様々な彩りなのでしょう。

秋十七番
左  藤原菅根
歌番一一〇 古今212
原歌 あきかせに こゑをほにあけて ゆくふねは あまのとわたる かりにそありける
和歌 秋風に 声をほにあげて ゆく舟は 天の門わたる 雁にぞありける
解釈 秋風に帆を張り、船頭たちが声張りあげ過ぎ行く船は、実は天の水門を渡る雁の群れでした。

歌番一一一
原歌 もみちはの ちりこむときは そてにうけむ つちにおちなは きすもこそつけ
和歌 紅葉の 散り来むときは 袖にうけむ 土に落ちなは きすもこそつけ
解釈 紅葉が風に散り来る時は袖に受けましょう、土に落ちてしまったら、傷も付いて残念になってしまうから。

秋十八番

歌番一一二
原歌 あきのせみ さむきこゑにそ きこゆなる このはのころもを かせやぬきつる
和歌 秋の蝉 寒き声にぞ 聞こゆなる 木の葉の衣を 風やぬきつる
解釈 秋の季節の蝉の鳴き声は寒い声とばかりに聞こえます、木の葉の衣を風が脱がしたようです。

歌番一一三
原歌 あきのよの つきのかけこそ このまより おつれはきぬと みえわたりけれ
和歌 秋の夜の 月の影こそ 木の間より 落つれはきぬと 見えわたりけれ
解釈 秋の夜の月の光が木の間より漏れ落ちると、それは薄い絹の衣がひらめくように、辺り一面が見え感じます。

秋十九番

歌番一一四
原歌 あきのつき くさむらわかす てらせはや やとせるつゆを たまとみすらむ
和歌 秋の月 草むらわかす 照らせばや 宿せる露を 玉と見すらむ
解釈 秋の月が草むらを分け隔てなく一面に照らし出すと、草葉に宿せる露が珠かと見せています。

歌番一一五
原歌 なほさりに あきのみやまに いりぬれは にしきのいろの きぬをこそきれ
和歌 なほざりに 秋のみ山に 入りぬれば 錦の色の 衣をこそ着れ
解釈 何気なく意図もなく秋の深山に入って行くと、山は錦の彩りの衣を着ていました。

秋二十番

歌番一一六
原歌 あきやまに こひするしかの こゑたてて なきそしぬへき きみかこぬよは
和歌 秋山に 恋ひする鹿の 声立てて 鳴きそしぬべき 君が来ぬ夜は
解釈 秋山で妻を恋い求める牡鹿が声を張り立てて鳴いている、その姿ではありませんが、泣きだしてしまいそうです、愛しい貴方がやって来ない夜は。
右  藤原興風
歌番一一七 古今178
原歌 ちきりけむ こころそつらき たなはたの としにひとたひ あふはあふかは
和歌 ちぎりけむ こころそつらき 織姫の 年にひとたび 逢ふは逢うかは
解釈 一年に一度だけ逢いましょうと約束した織姫の気持ちは切ない。一年に一度だけ逢うことが逢ったことになるでしょうか、いや、逢ったことにはなりません。
注意 「小学館」はこの歌を抜き、歌番一一八の方を「右」とし採用し、載らない歌とします。

番外としてこの歌あり 凡河内躬恒
歌番一一八 古今179
原歌 としことに あふとはすれと たなはたの ぬるよのかすそ すくなかりける
和歌 年ごとに 逢ふとはすれど 織姫の 寝る夜のかずぞ 少なかりける
解釈 毎年毎に逢いはするけれど、一年に一度のことであるから織女と彦星が共に寝る夜は少ないことだ。


冬歌二十番
冬一番

歌番一一九
原歌 かきくもり あられふりしけ しらたまを しけるにはとも ひとのみるかに
和歌 かきくもり あられ降りしけ 白玉を 敷ける庭とも 人の見るかに
解釈 空をにわかに掻き曇らせて霰が降り敷け、そうなれば、白珠を敷き詰めた庭だと、あの人が眺めるでしょうから。

歌番一二〇
原歌 あまのかは ふゆはそらまて こほるらし いしまにたきつ おとたにもせす
和歌 天の河 冬は空まで 凍るらし 石間にたぎつ 音だにもせず
解釈 天の河よ、冬には空の河まで凍るようです、岩の間を縫ってたぎって流れる、その水音さえもしません。

冬二番
左  紀友則
歌番一二一 古今563
原歌 ささのはに おくしもよりも ひとりぬる わかころもてそ さえまさりける
和歌 笹の葉に 置く霜よりも ひとり寝る 我が衣手ぞ さえまさりける
解釈 笹の葉に置く霜よりも、独りで寝る、この私の衣の袖の方が、寒さに冷え勝っています。

歌番一二二
原歌 なかれゆく みつこほりぬる ふゆさへや なほうきくさの あとはさためぬ
和歌 流れゆく 水凍りぬる 冬さへや なほ浮き草の あとはさだめぬ
解釈 流れ行く河の水が凍る冬でさえも、それでも、浮草はその居場所を定めないようです。
注意 「小学館」では、この歌を採用しません。

冬三番

歌番一二三 古今340
原歌 ゆきふりて としのくれゆく ときにこそ つひにもみちぬ まつもみえけれ
和歌 雪降りて 年の暮れゆく ときにこそ つひに紅葉ぬ まつも見えけれ
解釈 雪が降り一年が終わるそんな時に、やっと、紅葉をしない常緑の松も注目を浴びます。
注意 「小学館」では、この歌の組み合わせ相手が歌番141で違いますので、これ以降では番組はずれて行きます。

歌番一二四
原歌 わかやとは ゆきふるのへに みちもなし いつこはかとか ひとのとめこむ
和歌 我が宿は 雪降る野辺に 道もなし いつこはかとか 人のとめこむ
解釈 私の屋敷は雪が降る野辺にあり、雪で路が埋もれ無くなりなした、でもそれでも、どこに私の屋敷への路があるのかと、あの人が路を探しながらも来ました。
注意 「小学館」では、この歌を採用しません。

冬四番

歌番一二五
原歌 かみなつき しくれふるらし さほやまの まさきのかつら いろまさりゆく
和歌 神無月 時雨降るらし 佐保山の まさきのかつら 色まさりゆく
解釈 十月になったので時雨が降っているようだ、佐保山の柾木の桂の葉の色合いが増して行きます。
注意 「小学館」では四句目「まさきのかつら」を伝統的に「柾木の葛」と解釈しますが、ここでは真っすぐに太く伸びる(柾木)の落葉樹の桂と解釈しています。

歌番一二六
原歌 ふゆくれは うめにゆきこそ ふりかかれ いつれのえをか はなとはをらむ
和歌 冬来れば 梅に雪こそ 降りかかれ いづれの枝をか 花とは折らむ
解釈 冬が来たので梅の枝にこそ雪は降り懸かれ、そうなると、どの枝を梅の花が咲いた枝として折りましょうか。

冬五番

歌番一二七
原歌 ほりておきし いけはかかみと こほれとも かけにもみえぬ としそへにける
和歌 掘りておきし 池は鏡と 凍れども 影にも見えぬ 年ぞ経にける
解釈 以前に掘って置いた池は鏡のように凍ったけれど、凍る前の池の姿がどうであったか思い出せない、年月が経ったみたいです。

歌番一二八
原歌 ふるゆきの つもれるみねは しらくもの たちもさわかす をるかとそみる
和歌 降る雪の 積れる岑は 白雲の 立ちもさわがす をるかとぞ見る
解釈 降る雪が積もる峯には、白雲が立ち湧き上がることなく、ただ静かにそこに懸かっているかのように見えます。

冬六番
左  壬生忠岑
歌番一二九 古今327
原歌 みよしのの やまのしらゆき ふみわけて いりにしひとの おとつれもせぬ
和歌 み吉野の 山の白雪 踏み分けて 入りにし人の おとづれもせぬ
解釈 吉野の山の白雪を踏み分けて、その山に入って行った人は、私の許への連絡もしません。

歌番一三〇
原歌 ふくかせは いろもみえねと ふゆくれは ひとりぬるよの みにそしみける
和歌 吹く風は 色も見えねと 冬来れば ひとり寝る夜の 身にぞしみける
解釈 吹く風は色としては見えませんが、冬が来ると、独りで寝る夜には寒さに身を染ませるほどに凍みます。

冬七番

歌番一三一
原歌 しもかれの えたとなわひそ しらゆきを はなにやとひて みれともあかす
和歌 霜枯れの 枝となわびそ 白雪を 花にやとひて 見れとも飽かず
解釈 冬の枝が霜枯れた枝だと残念がらないで、白雪をお前は梅の花なのかと問うて眺めれば、見飽きることはないですよ。

歌番一三二
原歌 あらしふく やましたかせに ふるゆきは とくうめのはな さくかとそみる
和歌 嵐吹く 山下風に 降る雪は とく梅の花 咲くかとぞ見る
解釈 嵐が吹く、その漢字ではありませんが、山を吹き下ろす風に乗り降る雪を早くも梅の花が咲いたのかとばかりに眺めます。
注意 「小学館」は初句と二句が「霰降る山下里に」と異同があり、解釈は大きく違います。

冬八番

歌番一三三
原歌 ゆきのみそ えたにふりしき はなもはも いにけむかたも みえすもあるかな
和歌 雪のみぞ 枝に降りしき 花も葉も いにけむ方も 見えずもあるかな
解釈 雪ばかりが枝に降り敷き、梅の花も葉も、それがどこにあるのか気付かない有様です。
右  在原棟梁
歌番一三四 古今902
原歌 しらゆきの やへふりしける かへるやま かへるかへるも おいにけるかな
和歌 白雪の 八重降りしける かへる山 かへるかへるも 老いにけるかな
解釈 白雪が八重に降り積もっている越路の「かへる山」。その言葉の響きではありませんが、返すがえすも老いてしまいました。

冬九番

歌番一三五
原歌 くさもきも かれゆくふゆの やとなれは ゆきならすして とふひとそなき
和歌 草も木も 枯れゆく冬の 宿となれば 雪ならずして 訪ふ人ぞなき
解釈 草も木も枯れて行く冬の宿ですから、雪以外、その言葉の響きではありませんが、行くこともしないように、訪ねて人はいません。

歌番一三六 後撰493
原歌 ふるゆきは えたにしはしも とまらなむ はなももみちも たえてなきまは
和歌 降る雪は 枝にし端も とまらなむ 花も紅葉も 絶えてなき間は
解釈 降る雪は枝や梢の先にも留まって欲しい、咲く花も紅葉した葉も散り失せてしまった間は。
注意 「小学館」は「降る雪は消えでしばしもとまらなむ花も紅葉も枝になきころは」と後撰和歌集に載る歌番493の歌を示します。

冬十番
左  坂上是則
歌番一三七 拾遺241
原歌 ふゆのいけの うへはこほりて とちたるを いかてかつきの そこにすむらむ
和歌 冬の池の 上は凍りて 閉ぢたるを いかでか月の そこにすむらむ
解釈 冬の池の表面が凍って閉じてしまっているのに、どうして、月は水底に見えるのでしょうか。

歌番一三八
原歌 ふゆさむみ みのもにかくる ますかかみ とくもわれなむ おいまとふへく
和歌 冬寒み 水の面にかくる 真澄鏡 とくも破れなむ おいまどふべく
解釈 冬が寒い、水面にこのように凍って出来た澄み切った鏡よ、早く割れ壊れて欲しい、そうすれば、私の顔に宿る老いが、どこでその老いを示せばいいか困惑するでしょうから。

冬十一番

歌番一三九 古今264
原歌 ちらねとも かねてそをしき もみちはは いまはかきりの いろとみつれは
和歌 散らねども かねてぞ惜しき 紅葉は いまは限りの 色と見つれは
解釈 まだ散っているのではないが、以前から思っていた、散るのが残念な紅葉は今が盛りの限りです、その色模様を眺めていると。
注意 歌番〇九六と重複歌です。

歌番一四〇
原歌 しらくもの おりゐるやとと みえつるは ふりくるゆきの とけぬなりけり
和歌 白雲の 下りゐる宿と 見えつるは 降りくる雪の とけぬなりけり
解釈 白雲が空から山へと下り懸かって家の屋根のように見えたのは、それは空から降り来る雪が融けて消えないからでした。

冬十二番
左  藤原興風
歌番一四一
原歌 しものうへに あとふみつくる はまちとり ゆくへもなしと なきのみそふる
和歌 霜の上に 跡ふみつくる はまちどり ゆくゑもなしと 鳴きのみぞ経る
解釈 霜の上に足跡を踏み付ける浜千鳥、行きつ戻りつ、どこに行く当ても無いとばかりに、鳴いるだけで時が過ぎゆきます。

歌番一四二
原歌 なみたかは みなくはかりの ふちはあれと こほりとけねは かけもやとらぬ
和歌 涙川 身投くばかりの 淵はあれど 氷とけねば 影もやどらぬ
解釈 涙で出来た河には我が身を投げるほどの深い淵はありますが、その水面の氷が融けないと、貴方の面影すらも見えて来ません。

冬十三番
左  藤原興風
歌番一四三 古今326
原歌 うらちかく ふりくるゆきは しらなみの すゑのまつやま こすかとそみる
和歌 浦ちかく 降りくる雪は 白波の 末の松山 越すかとぞ見る
解釈 海岸近くで降ってくる雪は、白波が岡の頂に生える松のその山を越えるのではないか、そのように激しく降っているのが見えます。
右  読人不知(見消)
歌番一四四 古今340
原歌 ゆきふりて としのくれゆく ときにこそ つひにみとりの まつもみえけれ
和歌 雪降りて 年の暮れゆく ときにこそ つひに緑の まつも見えけれ
解釈 雪が降り一年が終わり行く、その時だから、いつまでも葉の色が変わることがない祝の松を眺めるのです。

冬十四番

歌番号一四五 古今328
原歌 しらゆきの ふりてつもれる やまさとは すむひとさへや おもひきゆらむ
和歌 白雪の 降りてつもれる 山里は 住む人さへや 思ひ消ゆらむ
解釈 白雪が降り積もった山の里は、そこに住む人さえ雪と同じように消え入る思いがしているでしょうか。

歌番一四六
原歌 ひかりまつ えたにかかれる ゆきをこそ ふゆのはなとは いふへかりけれ
和歌 光まつ 枝にかかれる 雪をこそ 冬の花とは いふべかりけれ
解釈 春の光を待つ、その松の枝に懸かれる雪をこそ、冬の花と言うべきでしょうか。

冬十五番

歌番一四七
原歌 をとめこか ひかけのうへに ふるゆきは はなのまかふに いつれたかへり
和歌 乙女子か 日かげの上に 降る雪は 花のまがふに いづれたがへり
解釈 乙女たちなのでしょうか、日陰葛の上に降る雪は、その様は春に花びらが散り紛う、それと少しも違いはありません。

歌番一四八
原歌 かきくらし ちるはなとのみ ふるゆきは ふゆのみやこの くものちるかと
和歌 かきくらし 散る花とのみ 降る雪は 冬の京師の 雲のちるかと
解釈 空を一面に掻き暗らし、散る舞う花とばかりに降る雪は、まるでその様は冬の都に雲が散り降ったのかと思いました。

冬十六番

歌番一四九
原歌 あしひきの やまのかけはし ふゆくれは こほりのうへを よきそかねつる
和歌 あしひきの 山の懸け橋 冬来れば 氷の上を よきそかねつる
解釈 葦や檜の生える里山に懸けた橋、冬が来ると橋が凍って残る氷の上を避けて通ることは出来ません。
注意 「小学館」は末句が「わきそかねつる」と異同があり、解釈が違います。

歌番一五〇
原歌 ふゆくれは ゆきふりつもる たかきみね たつしらくもに みえまかふかな
和歌 冬来れば 雪降り積もる 高き峰 立つ白雲に 見えまがふかな
解釈 冬の季節が来ると雪が降り積もる、その高き峰に湧き立つ白雲とを、山の雪とで見間違います。

冬十七番

歌番一五一
原歌 ゆきのうちの みやまからこそ おいはくれ かしらのしろく なるをまつみよ
和歌 雪のうちの み山からこそ おいはくれ 頭の白く なるをまつみよ
解釈 雪の中に閉じ込められた深山だからこそ年老いて行くのです。あのように山の頭から先に白くなって行く様を、まず、眺めて納得しなさい。

歌番一五二
原歌 まつのうへに かかれるゆきは よそにして ときまとはせる はなとこそみれ
和歌 松の上に かかれる雪は よそにして 時まどはせる 花とこそ見れ
解釈 松の枝の上に懸かっている雪は、思いがけずに季節を惑わせる、花とばかりに眺めなさい。

冬十八番

歌番一五三
原歌 つきよには はなとそみゆる たけのうへに ふりしくゆきを たれかはらはむ
和歌 月夜には 花とそ見ゆる 竹の上に 降りしく雪を 誰が払はむ
解釈 雪夜には花が咲いているように見えます、そのように見える竹の葉の上に降り積もる雪を、朝になると、さて、誰が払い除けるのでしょうか。

歌番一五四
原歌 しらゆきを わけてわかるる かたみには そてになみたの こほるなりけり
和歌 白雪を わけてわかるる 形見には 袖に涙の 凍るなりけり
解釈 降り積もる白雪を掻き分けて別れ帰って行った、あの人の思い出に残るものは、別れの辛さに涙した袖の涙が凍ったものだけです。

冬十九番

歌番一五五
原歌 しらつゆそ しもとなりける ふゆのよは あまのかはさへ みつこほりけり
和歌 白露そ 霜となりける 冬の夜は 天の河さへ 水凍りけり
解釈 あれはもともと白露です、それが寒さに霜となった寒さ厳しい冬の夜は、天の河さえ、その水は凍ります。

歌番一五六
原歌 ふゆのうみに ふりいるゆきや そこにゐて はるたつなみの はなとさくらむ
和歌 冬の海に 降りいる雪や そこにゐて 春立つ波の 花と咲くらむ
解釈 冬の海に降り入る雪なのでしょう、その冬の海にあって、春、立春の季節に波の花となって咲くのでしょう。

冬二十番

歌番一五七
原歌 ふくみあへす きえなむゆきを ふゆのひの はなとみれはや とりのとふらむ
和歌 ふくみあへず 消えなむ雪を 冬の日の 花と見ればや 鳥の訪ふらむ
解釈 大切に包んでおくことが出来ないで、消えていくでしょう、その雪を、冬の日の花と見做せば、鳥はそれを花として求め訪れるでしょう。
注意 「小学館」は初句を「降りもあへす」と異同し、解釈が違います。

歌欠落


恋歌二十番
戀一番
左  紀友則
歌番一五八 古今565
原歌 かはのせに なひくたまもの みかくれて ひとにしられぬ こひもするかな
和歌 川の瀬に なびく玉藻の 水隠くれて 人に知られぬ 恋もするかな
解釈 川の瀬で流れに靡く玉藻が水の中に隠れて人に気付かれないように、私もあの人にこの恋心が気付かれない恋をしているようです。

歌番一五九
原歌 ひとたひも こひしとおもふに くるしきは こころそちちに くたくへらなる
和歌 ひとたびも 恋ひしと思ふに くるしきは 心ぞ千ぢに くだくべらなる
解釈 一度だけでも恋しいと思うことに苦しいのに、それでも真の苦しさは恋焦がれて心が千々に砕け散ってしまうことです。

戀二番

歌番一六〇
原歌 かけてれは ちちのこかねも かすしりぬ なとわかこひの あふはかりなき
和歌 かけてれば 千ぢの黄金も 数知りぬ など我が恋ひの 逢ふは采(かり)なき
解釈 賭けていれば千万の黄金も問題にはなりません、どうして、私の貴女への恋は、逢うことですら樗蒲(かりうち)博打で出目の采(かり:賭け)が出ないのでしょうか。
注意 「小学館」は初句が「かけつれは」と異同があり解釈が違います。なお、この歌は樗蒲(かりうち)博打を背景に詠ったものです。
右  藤原興風
歌番一六一 古今567
原歌 きみこふる なみたのとこに みちぬれは みをつくしとそ われはなりぬる
和歌 君恋ふる 涙の床に みちぬれは みをつくしとぞ 我れはなりぬる
解釈 あなたを恋焦がれて流す涙は寝床を川のように溢れさせてしまったので、身を尽くす、その言葉の響きではありませんが、私の体は涙の川の中に立つ澪標のようになってしまいました。

戀三番

歌番一六二
原歌 しらたまの きえてなみたと なりぬれは こひしきかけを そてにこそみれ
和歌 白玉の 消えて涙と なりぬれば 恋しき影を 袖にこそ見れ
解釈 白玉が消えることなく涙となったのだから、恋しいあの人の面影を涙に濡れた私の袖に見なさい。

歌番一六三
原歌 ひとをみて おもふことたに あるものを そらにこふるそ はかなかりける
和歌 人を見て 思ふことだに あるものを そらに恋ふるぞ 儚かりける
解釈 恋した人に逢っても心に思うことすらあるのですから、恋する人に逢うことなく恋焦がれるのは儚いことであります。
注意 「小学館」は末句が「くるしかりけり」と異同があり、解釈が違います。

戀四番
左  紀友則
歌番一六四 古今661
原歌 くれなゐの いろにはいてし かよひぬの したにかよひて こひはしぬとも
和歌 紅の 色には出でし かよひ沼の 下にかよひて 恋はしぬとも
解釈 紅の色のようにはっきりと人にわかるようなことはしません、現れては消える隠れ沼が地下で水が通う、そのように人目に付かないような恋をして死んでしまったとしても。
右  藤原興風
歌番一六五 古今178
原歌 ちきりけむ こころそつらき たなはたの としにひとたひ あふはあふかは
和歌 ちぎりけむ 心ぞつらき 織姫の 年にひとたび 逢うは逢う河
解釈 一年に一度だけ逢うと約束した、その気持ちは辛いでしょう、その織姫が一年に一度だけ牽牛と逢うことは逢ったことになるだろうか、いや逢ったことにはなりません。

戀五番

歌番一六六 古今521
原歌 つれもなき ひとをこふとて やまひこの こたふるまても なけきつるかな
和歌 つれもなき 人を恋ふとて 山彦の こたふるまでも 嘆きつるかな
解釈 冷たい人だけれども、その人に恋焦がれてしまって、山彦が答えるほどの大きな嘆きの恋を挙げてしまった。
右  小野美材
歌番一六七 古今560
原歌 わかこひは みやまかくれの くさなれや しけさまされと しるひとのなき
和歌 我が恋は み山隠れの 草なれや しげさ勝されど 知る人のなき
解釈 私の恋は人が知らぬ奥山の草なのでしょうか。貴方への恋心が増しても、それに気づいてくれる人が居ません。ねぇ、貴方。

戀六番

歌番一六八
原歌 おもひには あふそらさへや もえわたる あさたつくもを けふりとはして
和歌 思ひには 大空さへや 燃えわたる 朝たつ雲を 煙とはして
解釈 私が貴女に対する恋焦がれる思いに、この大空されも燃え渡ります、真っ赤な朝焼けに湧き立つ雲を煙に発して。
右  源敏行朝臣 (源宗干)
歌番一六九 古今639
原歌 あけぬとて かへるみちには こきたれて あめもなみたも ふりそほちつつ
和歌 明ぬとて 帰る道には こき垂れて 雨も涙も 降りそぼちつつ
解釈 夜が明けるからと後朝の別れで帰る道では、稲穂をしごき落とすようにぽたぽたと雨も涙も降りそぼっています。

戀七番

歌番一七〇
原歌 おもひわひ けふりはそらに たちぬれと わりなくもなき こひのしるしか
和歌 思ひわび 煙は空に 立ちぬれど わりなくもなき 恋のしるしか
解釈 気持ちはせつなく恋焦がれ、心を燃やしたような煙が空に立ち登ったけれど、それに理屈はありませんが、この恋が成就する前兆でしょうか。

歌番一七一
原歌 ひとをおもふ こころのおきは みをそやく けふりたつとは みえぬものから
和歌 人を思ふ 心の熾きは 身をぞ焼く 煙たつとは 見えぬものから
解釈 あの人を恋焦がれて思う私の心の内は熾火のように燻ぶり我が身を焼きます、燻ぶり燃える熾火に煙が立つとは見えないでしょうから、(あの人は気づかないでしょうね。)

戀八番

歌番一七二
原歌 あかすして きみをこひつる なみたにそ うきみしつみみ やせわたりける
和歌 飽かすして 君を恋ひつる 涙にそ 浮きみ沈つみみ 痩せわたりける
解釈 いくら逢っても飽きることなく貴方に恋しています、その恋の苦しみに流す涙で川となり、我が身は涙の河に浮き沈みしながら恋煩いに痩せてしまいました。

歌番一七三
原歌 かしまなる つくまのかみの つくつくと わかみひとつに こひをつみつる
和歌 鹿島なる 筑波の神の つくづくと わが身ひとつに 恋をつみつる
解釈 鹿島にある筑波の山の神、その神が憑く、この言葉の響きではありませんが、つくづく、我が身一つに、貴女を摘み取るように貴女との恋を積み積んでいます。

戀九番
左 読人不知(見消)
歌番一七四 古今570
原歌 わりなくも ねてもさめても こひしきか こころをいつち やらはわすれむ
和歌 わりなくも 寝てもさめても 恋ひしきか 心をいづち やらは忘れむ
解釈 理屈もなく寝ても覚めても貴女が恋しいのだろう、この恋焦がれる気持ちをどこに向ければ忘れることができるでしょうか。
右 源敏行朝臣 (源宗干)
歌番一七五 古今558
原歌 こひわひて うちぬるなかに ゆきかよふ ゆめのたたちは うつつなるらむ
和歌 恋わびて うち寝るなかに 行きかよふ 夢の直路は うつつなるらむ
解釈 貴女に恋焦がれて、そのまま眠ってしまったときの夢の中に、貴女の許へと行き通う道が障害もなく真っ直ぐなので、それが現実だとあって欲しいものです。

戀十番
左 藤原興風
歌番一七六 古今569
原歌 わひぬれは しひてわすれむと おもへとも こひてふものそ ひとたのめなる
和歌 わびぬれば しひて忘れむと 思へども 恋ひてふものぞ 人頼めなる
解釈 恋することに苦しくなって、無理やり忘れようと思うけれど、人を恋すると言うものは、なぜか恋するその人にこの恋の成就を期待するものです。

歌番一七七
原歌 いとはれて いまはかきりと しりにしを さらにむかしの こひしかるらむ
和歌 厭はれて いまはかぎりと 知りにしを さらに昔の 恋しかるらむ
解釈 貴女に嫌われて、いまはこの恋は限りの時と気が付きましたが、だからなのか、いまさらに昔の恋をした時が恋しいものがあります。

戀十一番
左 藤原興風
歌番一七八 古今568
原歌 しぬるいのち いきもやすると こころみに たまのをはかり あはむといはなむ
和歌 死ぬる命 生きもやすると こころみに 玉の緒ばかり 逢はむといはなむ
解釈 恋焦がれて死んでしまいそうな命が救われるかもしれないので、試しに、玉の緒、その言葉の響きではありませんが、たまには逢おうと私に言って下さい。

歌番一七九
原歌 あかすして わかれしよひの なみたかは よとみもなくも たきつこころか
和歌 飽かずして 別れし宵の 涙川 よどみもなくも たぎつ心か
解釈 貴方との夜の行いに飽くことはないのだが朝の訪れで別れた日の、その宵に逢うことを願って流す涙で出来た河に淀みが無いように、貴方への思いに淀みがない激しい恋心です。

戀十二番

歌番一八〇
原歌 おもひつつ ひるはかくても なくさめつ よるこそなみた つきすなかるる
和歌 思ひつつ 昼はかくても 慰めつ 夜こそ涙 尽きずなかるる
解釈 恋焦がれた人を思い焦がれていても、昼間はこのようにあっても何かとあって心を慰められているが、独りになる夜にこそ、恋の思いに涙が尽きず流れてしまいます。

歌番一八一
原歌 かきりなく ふかきおもひを しのふれは みをころすにも おとらさりけり
和歌 かぎりなく 深き思ひを 忍ぶれば 身を殺すにも 劣らざりけり
解釈 限りない深い恋の思いを耐え忍んでいると、それは我が身を殺すにも劣らないことであります。(恋を受け入れない貴女は、それほどに残酷な人ですよ。)

戀十三番

歌番一八二
原歌 ひとりぬる みのころもては うみなれや みるになみたそ まなくよせけれ
和歌 ひとり寝る 身の衣手は 海なれや みるに涙そ まなく寄せけれ
解釈 貴方無しで独り寝ている私の衣手は海なのでしょうか、深い海に生える海松(みる)、その言葉の響きではありませんが、見ていると涙で出来たそれほどに深い海に、間を空くことなく波が打ち寄せます。

歌番一八三
原歌 としをへて もゆてふふしの やまよりも あはぬおもひは われそまされる
和歌 年を経て 燃ゆてふ富士の 山よりも 逢うはぬ思ひは 我れぞ勝れる
解釈 長い時を経て燃える富士の山よりも、貴女に逢えない私の恋焦がれる思いの火と比べれば、私の恋焦がれる思いの火の方が勝っています。

戀十四番
左 菅野忠臣
歌番一八四 古今809
原歌 つれなきを いまはこひしと おもへとも こころよわくも おつるなみたか
和歌 つれなきを 今は恋いじと 思へども 心弱くも 落つる涙か
解釈 つれない態度をする貴方を、今はもう恋することはないと思うのですが、心が弱く、これは恋の苦しみにやはり落ちてしまう涙ですか。

歌番一八五
原歌 わひわたる わかみのうらと なれれはや こひしきことの しきなみにたつ
和歌 わびわたる わかみのうらと なれればや 恋ひしきことの しきなみにたつ
解釈 恋が実らずうち侘びた私の心の内なので、その言葉の響きではありませんが、浦に波立つように、恋しい思いが次から次へと波のように立ち打ち寄せます。

戀十五番

歌番一八六
原歌 ひとりぬる わかたまくらを ひるはほし よるはぬらして いくよへぬらむ
和歌 ひとり寝る 我が手枕を 昼はほし 夜はぬらして 幾夜経ぬらむ
解釈 貴女無しで、独りで寝る私の虚しい手枕を昼間は干し、夜は貴女を恋焦がれての涙で濡らして、さて、あれから、幾夜、経ったことでしょうか。(また、逢いましょう。)

歌番一八七
原歌 ほのにみし ひとにおもひを つけそめて こころからこそ したにこかるれ
和歌 ほのに見し 人に思ひを つけそめて 心からこそ 下に焦がるれ
解釈 ほんのわずかに逢った、貴女に恋焦がれる思いの火を付け始め、心底から貴女に恋焦がれるからこそ、人目には出さすに心の底で恋焦がれています。

戀十六番
左 源敏行朝臣 (源宗干)
歌番一八八 古今559
原歌 すみよしの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひち ひとめよくらむ
和歌 住吉の 岸に寄る波 夜さへや 夢のかよひぢ ひとめよくらむ
解釈 住之江の岸に寄せる波、その言葉の響きではないが、夜でさえ、夢の中で私のもとへ通う道なのに、人目を避けるのですか。

歌番一八九
原歌 ゆふつくよ おほろにひとを みてしより あまくもはれぬ ここちこそすれ
和歌 夕月夜 おぼろに人を 見てしより 天雲はれぬ 心地こそすれ
解釈 夕方の月夜の光におぼろげに貴女の姿を見てしまったときから、空の雲が晴れ渡らないように、私の心は曇ったままの気持ちであります。

戀十七番

歌番一九〇
原歌 あさかけに わかみはなりぬ しらくもの たえてきこえぬ ひとをこふとて
和歌 朝影に わが身はなりぬ 白雲の 絶えて聞こえぬ 人を恋ふとて
解釈 弱弱しい朝の影のように私の身はなってしまいました、白雲が風にちぎれ消えるように、便りすら絶えて消息も聞こえて来ない、あの人をそれでも恋焦がれていますから。(ねぇ、貴方)

歌番一九一
原歌 ちかけれと ひとめひとめを もるころは くもゐはるけき みとやなりなむ
和歌 近けれど 人目人目を 守るころは 雲居はるけき 身とやなりなむ
解釈 互いに住む場所は近いのだけど、逢うことに人目をはばかっている間に、貴女は宮中の雲居の人となり、私とは身分違いの遥か高貴な身分の人となってしまうのでしょうね。

戀十八番
左 読人不知(見消)
歌番一九二 古今571
原歌 こひしきに わひてたましひ まとひなは むなしきからの なにやのこらむ
和歌 恋ひしきに わびて魂 まどひなば むなしき骸の 名にや残らむ
解釈 恋しい気持ちに嘆くあまり魂が彷徨いでたら、この我が身は空しい抜け殻として噂になって残るでしょうか。

歌番一九三
原歌 あかすして けさのかへりち おもほえす こころをひとつ おきてこしかは
和歌 飽かずして 今朝の帰り路 おもほえず 心をひとつ 置きて来しかは
解釈 貴女との夜の営みに飽きることなく過ごした、その今朝の帰り路の道順も定かではない、どうも、肝心な心を一つ、貴女の許に置き忘れて帰って来たようです。(またすぐに、心を取り戻しに貴女の許に行っていいですか。)

戀十九番

歌番一九四
原歌 ひとしれす したになかるる なみたかは せきととめなむ かけはみゆると
和歌 人知れず 下に流るる 涙川 堰とどめなむ 影は見ゆると
解釈 貴方に気が付かれずに心の内に流れる涙の川、その涙の川を堰留めてみたいものです、ひょっとすると、堰止めた水面に貴方の姿が見えるかどうかと。
右 紀貫之
歌番一九五
原歌 もえもあはぬ こなたかなたの おもひかな なみたのかはの なかにゆけはか
和歌 燃えも合はぬ こなたかなたの 思ひかな 涙の川の 中にゆけばか
解釈 一緒には恋の思いの火が燃え上がらない、そのような、こちら側あちら側の恋焦がれる思いの火なのでしょう、きっと、それは私の恋の苦しみに流す涙の川が二人の間に流れ行くからなのか。

戀二十番

歌欠落 (推定)

歌欠落 (推定)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新撰萬葉集(新撰万葉集)原文 和歌及び漢詩 第一部

2013年11月23日 | 資料書庫
新撰萬葉集 (改訂版)

改訂版案内
 今回、「改訂版」と称して、新撰万葉集の和歌を和歌として鑑賞する視点から、組み替えています。本来の新撰万葉集の姿は次のもので、最初に漢語交じり真仮名で和歌を表現し、その和歌に応じた漢詩を二行書きで添えます。また、本来の姿では和歌に対するひらがな読みはありません。

春歌廿一首
歌番1 伊勢
水之上 丹文織紊 春之雨哉 山之緑緒 那倍手染濫
春来天気有何力 細雨濛濛水面穀
忽忘遲遲暖日中 山河物色染深緑

 これを「改訂版」では次のように和歌鑑賞に視点を置いて変更しています。あくまでも和歌を鑑賞するための便宜であることを了解願います。学問では邪道なことをしています。

春歌廿一首
歌番1 伊勢
漢詩 春来天気有何力 細雨濛濛水面穀 忽忘遲遲暖日中 山河物色染深緑
読下 春来たりて天の気に何れの力(つとめ)か有る、細雨濛濛にして水面は穀(よろし)く、忽に忘る遲遲暖日の中、山河は物の色を染め緑深し。(注:爾雅に「穀、善也」)
和歌 水之上 丹文織紊 春之雨哉 山之緑緒 那倍手染濫
読下 みつのうへに あやおりみたる はるのあめや やまのみとりを なへてそむらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、綾織り模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。
注意 皇后宮歌合 歌番19

 また、今回の改訂により総文字数は7万字を越えたために掲載するGoo ブログの1記事での文字数制限3万字に対するために便宜的に4部に分けて掲載しています。
第一部:改訂版案内から上巻 夏まで
第二部:上巻 秋から上巻 恋まで
第三部:下巻 序文から下巻 秋まで
第四部:下巻 冬から下巻 女郎花まで


注意事項として
 ここに『新撰万葉集』(改訂版)を載せます。紹介する目的は個人の趣味の『万葉集』を鑑賞する時に参照資料とするもので、この『新撰万葉集』自体を鑑賞するというものではありませんので序の漢文や漢詩には読み下しだけで解釈を助ける語釈は付けていません。本来ですと新選万葉集は漢詩の世界と和歌の世界が等しくなるとの企画と推定されるものですので、和歌の鑑賞で十分になるはずです。そこでその和歌の鑑賞のために、漢字表記だけの和歌には国際日本文化研究センターの和歌データベース(以下、「日文研」)のひらがな表記のものを「読下」と称して紹介し、それへの解釈も載せます。ただ、漢詩と和歌とで歌う景色が一致しないものが多々ありますから、何か変なのです。そのためか、その和歌と漢詩の歌意の相違の背景の確認は学問になっているようです。なお、下巻の一部の漢詩ですべての伝本で欠字を持つ漢詩については歌意から、筆者独断で欠字を推定し与えています。その場合、(注:「花」は歌意からの推定)のように表記しています。この欠字推定により全漢詩に読み下しを与えています。
 改めてこの資料を読文する上での注意事項を最初に紹介します。初めに、ここで使用する『新撰萬葉集』の序文の漢文、漢語交じり真仮名表記の和歌と漢詩は、漢字入力の労を省くためにHP「久遠の絆」に載るものを底本テクストし、その底本テクストの台湾繁字体漢字を日本字体漢字に変換しています。
 基礎入力に用いた「久遠の絆」の注釈によると、その『新撰萬葉集』を掲載するに使用した底本は次のもので、それからの校合と紹介しています。
 『新撰万葉集』京大図書館藏
 『新撰万葉集』谷本藏
 『新撰萬葉集注釋』和泉書店
 『新撰萬葉集諸本與研究』和泉書店
 私のGoo ブログへ掲載をするため、「久遠の絆」のものを底本テクストとして、改めて、『新選万葉集 諸本と研究』(浅見徹監修 和泉書院)(以下、「諸本と研究」)に示す「元禄九年版」と『新撰万葉集 校本篇』(浅見徹・木下正俊 私家版)(以下、「校本篇」)とを使い、点検・校合を行っています。そのため、「久遠之絆」のものとは表記や歌番号が一致していません。さらに、序漢文においても文中の句切れや句読点などは私の漢文訓読での解釈により改めて私見で付け直しを行っています。このため、「久遠之絆」のものとは相違しています。さらに、漢語交じり真仮名表記の和歌への読み下しは「久遠の絆」のものではなく、「校本編」と「日文研」とを参考として付け直しています。従いまして、和歌とその読み下しにおいても相違が生じています。つまり、私の校訂作業により独自のものとなっています。
 また、和歌と漢詩とを一対一首として通しの歌番号を振っています。なお、歌番号179の和歌については底本と異伝本では相違をしていますが、対となる漢詩は一詩しかありません。そのため、漢詩との対を尊重して、底本を正とし、異伝本は紛れの挿入と考えます。ここに「久遠の絆」や「校本篇」との歌番号の相違が生じます。
 次に、専門書が避けて来た下巻の漢詩にも読み下し文を付けていますが、ここに載せる序などの漢文や漢詩の読み下しについては正規の教育と訓練を受けていない者が行った私的なものです。従いまして、正統な指摘・指導を受けたものではなく、紹介するものの正誤は不明です。序などの漢文や漢詩の読み下しは「読み物」のレベルでの使用を推薦いたします。引用等を行う場合は、引用者による十二分な検討が必要です。
 その上巻の序の漢文の読み下しでの注意事項として、文中「偷」の文字は字義からの解釈が難しく、「愈」の通字と解釈しています。そのため、訓読での解釈が違う可能性があります。さらに「新撰萬葉集序」において「聞説」の言葉が掛かる位置を「古者」から「唯媿非凡眼之所可及」までと考えています。一般の解釈では「古者」から「觸聆而感自生」までとしますので、本文解釈の根本が違っていることを了解願います。当然、本文解釈の根本的相違から『萬葉集(古万葉集)』を撰集した時代が変わります。ここでの解釈は平城天皇です。


はじめに
 この『新撰萬葉集』への解説として、序の漢文から推定しますと、宇多天皇の寬平年間初頭、菅原道真一門によってこの『新撰万葉集』が編まれ、寬平五年九月二十五日に成立しています。他方、多くの和歌が共通する「寛平御時后宮歌合」は寛平五年(893)年九月以前の成立と推定されていますが、『新撰万葉集』の和歌に付けられた伝統的な「フリカナ」は「寛平御時后宮歌合」の和歌とは一致せず、フリカナを和歌と見ると和歌としては稚拙な姿を見せます。どうも、後年に『新撰万葉集』の和歌に「フリカナ」を与えた人は清音で一字一音借音漢字表記された「寛平御時后宮歌合」の理解が正しくなかった可能性があります。このため、伝統的な和歌に付けられた「フリカナ」が『新撰万葉集』が編まれた時の本来の読みと同じかは保証されません。
 さて、この時の『新撰萬葉集』の姿は、漢文による序文、「寛平御時后宮歌合」の和歌を大部分に使用し、その和歌を奈良時代初期の万葉和歌表記を想像して漢字だけで表現したものとその和歌が詠う世界を漢詩で表したものとを対とする上下二巻の歌集となっています。この上下二巻では「寛平御時后宮歌合」での「左」の歌を上巻に、「右」の歌を下巻に納め、左右上下の対称軸を形成しています。この『新撰萬葉集』の編纂について、その序文では「先生(菅原道真)」は数首の和歌に対して漢字表現とそれに対応する漢詩を寄せただけと記していますから、彼は菅家一門の門弟たちの行う歌集編纂の理解者の立場であって、編纂者主体ではありません。つまり、序を読めば判るように奥書に記す「菅家」がただちに菅原道真を意味する訳ではありません。
 その後、延喜十三年八月廿一日になって上下二巻左右上下の対称軸の姿を、より鮮明にする意図なのか、下巻に序文が追記されています。ただし、下巻序文に「前人」という言葉を使いますから、寬平五年の序の作者と延喜十三年の下巻序の作者とは別人であることが判ります。
 ここで、現在に伝わる『新撰萬葉集』の本編構成で、上巻には春歌廿一首、夏歌廿一首、秋歌卅六首、冬歌廿一首、恋歌廿首を載せ、下巻には春歌廿一首、夏歌廿二首、秋歌卅六首、冬歌廿二首、恋歌卅一首を載せています。異伝本ではさらに下巻に女郎花歌廿五首を載せた姿となっています。参考として、異伝本の載る女郎花歌廿五首は昌泰元年秋(898)に朱雀院で開催された歌会:亭子院女郎花合での和歌を主体とするものです。
 最初に付けられた上巻の「序文」では、「仍左右上下両軸、惣二百有首」と述べていますが、現在に伝わる『新撰萬葉集』ではそれに反し上下巻の構成は紹介しましたように対称を為していません。また、歌数も上巻が一一九首、下巻が一三二首(女郎花歌を含めると一五七首)であり、対称とは云えないものです。さらに部立に於いても上巻の「序文」では「四時之歌」に「恋思之二詠」を加えたものとしていますが、現在に伝わる『新撰萬葉集』はそのような姿ではありません。
 推定で、寬平五年に成った「原新撰萬葉集」は春夏秋冬の四季の歌に恋歌と述思歌とを加えた六部の部立が為された上下巻だったと考えられます。その後、「原新撰萬葉集」を入手したある人物が、延喜十三年になってその人物の感性で現在に伝わる『新撰萬葉集』の再編纂を行ったものと想像されます。場合によっては、その人物により和歌にひらがな読みが与えられた可能性があります。
 個人の感想ですが、延喜十三年に再編纂を行った人物の技量は、相当程度、「原新撰萬葉集」を編纂した人物に比べると落ちると思われます。従いまして『新撰萬葉集』の歌を研究される場合、一度、「原新撰萬葉集」の六部立、上下巻二百有首の姿を探り、その後に削除・追加されたものとの相違を認識するのが良いと考えます。特に漢詩研究を行う場合、寬平五年と延喜十三年とでは漢詩作歌能力が相当に違うと想像されますので、同一に扱うことは危険ではないでしょうか。
 以上、『万葉集』は数次に渡る編纂過程を経て現在の『廿巻本万葉集』が成立していますが、この『新撰萬葉集』もまた数次に渡る編纂を経て成立したものですあることに注意をお願いします。これは従来の解説とは大きく違います。

参照資料:
 『新撰万葉集』HP「久遠の絆」より(「久遠の絆」)
 『新撰万葉集』国際日本文化研究センター 和歌データベース(「日文研」
 『新選万葉集 諸本と研究』(浅見徹監修 和泉書院)(「諸本と研究」)
 『新撰万葉集 校本篇』(浅見徹・木下正俊 私家版)(「校本編」)
 『寛平皇后宮歌合に関する研究』(高野平 風間書房)
 『古今和歌集 新日本古典文学大系 付録 新選万葉集上(抄)』(岩波書店)
 『群書類聚第十六輯 和歌部』(続群書類聚完成会 平文社)


<第一部>
新撰萬葉集序
夫萬葉集者、古歌之流也。非未嘗稱警策之名焉、況復不屑鄭衛之音乎。
聞説、古者、飛文染翰之士、興詠吟嘯之客、青春之時、玄冬之節、隨見而興既作、觸聆而感自生。凡、厥所草稿、不知幾千。漸尋筆墨之跡、文句錯乱、非詩非賦、字對雜揉、雖入難悟。所謂仰彌高、鑽彌堅者乎。然而、有意者進、無智者退而已。於是奉綸、綍鎍綜緝之外、更在人口、盡以撰集、成數十卷。装其要妙、韞匱待價。唯、媿非凡眼之所可及。
當今寬平聖主、萬機餘暇、舉宮而方、有事合歌。後進之詞人、近習之才子、各獻四時之歌、初成九重之宴。又有餘興、同加恋思之二詠。倩見歌體、雖誠見古知今、而以今比古。新作花也、舊製實也。以花比實、今人情彩剪錦、多述可憐之句、古人心緒織素、少綴不整之艶。仍左右上下両軸、惣二百有首、號曰、新撰萬葉集。先生、非啻賞倭歌之佳麗、兼亦綴一絶之詩、插數首之左。
庶幾使、家家好事、常有梁塵之動、處處遊客、鎮作行雲之遏。
于時寬平五載秋九月廿五日、偷盡前視之美、而解後世之願云爾。

<訓読>
夫れ萬葉集は、古歌の流(いずるところ)なり。未だ嘗って警策(けいさく)の名を稱えざるにあらざり、況(いはん)や復、鄭衛(ていえい)の音を屑(いさぎよ)しとせず。
説を聞くに、「古には、飛文染翰の士、興詠吟嘯の客、青春の時、玄冬の節、見るに隨(したが)ひて既に作を興し、聆(き)くを觸れるに感(おもひ)は自(おのづ)から生まれる。凡そ、厥(そ)の草稿は、幾千を知らず。漸(やくや)く筆墨の跡を尋ねるに、文句錯乱、詩に非ず賦に非ず、字對は雜揉し、雖(ただ)、入るに悟り難き。所謂、彌高(いやたか)を仰ぎ、鑽(きわめ)るに彌(いやいや)堅き者か。然而(しかるに)、意有る者は進み、智無き者は退き已(や)む。是に於いて綸を奉じ、綍鎍(ふつさく)綜緝(そうしゅう)の外、更に人の口に在るを、盡(ことごと)く以つて撰集し、數十卷と成す。其の要妙(ようみょう)を装ひ、匱(ひつ)に韞(おさ)め價(ひょうか)を待たん。唯、凡眼の及ぶべき所に非ずを媿(とがめ)む」と。
當今(とうきん)の寬平聖主、萬機(まんき)餘暇(よか)、宮の方を舉げ、事有るに歌を合す。後進の詞人、近習の才子、各(おのおの)、四時の歌を獻じ、初めて九重の宴を成す。又、餘興の有りて、同(ひと)しく恋と思の二詠を加ふ。倩(つらつら)、歌體(かたい)を見るに、雖(ただ)、誠(まこと)は古(いにしへ)に見み、今に知る。而して今を以ちて古(いにしへ)に比(なぞ)ふ。新(あらた)は花を作り、舊(ふるき)は實(み)を製(な)す。花を以ちて實に比ふ。今の人は情(こころ)を彩(いろ)り錦を剪(き)り、可憐の句を多述し、古(いにしへ)の人は心緒(こころを)を素(すなお)に織り、不整の艶を少綴す。仍ち、左右上下の両軸、惣ち二百有首、號して曰はく「新撰萬葉集」と。先生、啻(ただ)、倭歌の佳麗を賞(めで)るのみにあらず、兼ねて亦(また)一絶の詩を綴り、數首を左に插(はさ)む。
庶幾(しょき)をして家家の好事を使(なさ)しめ、常に梁塵の動有りて、處處の遊客、行雲の遏(しりぞ)き作すを鎮(とど)めむ。
于時(とき)、寬平五載秋九月廿五日、愈(いよいよ)、前視の美を盡(つく)し、而して後世の願ひを解(ひら)くと、云爾(しかいふ)。


春歌廿一首
歌番1 伊勢
漢詩 春来天気有何力 細雨濛濛水面穀 忽忘遲遲暖日中 山河物色染深緑
読下 春来たりて天の気に何れの力(つとめ)か有る、細雨濛濛にして水面(みなも)は穀(よろし)く、忽に忘る遲遲暖日の中、山河は物の色を染め緑深し。(注:爾雅「穀、善也」)
和歌 水之上 丹文織紊 春之雨哉 山之緑緒 那倍手染濫
読下 みつのうへに あやおりみたる はるのあめや やまのみとりを なへてそむらむ
解釈 雨が降ると水の上に丸い綾織り模様が乱れる、その春雨よ、綾織りの模様を織る春雨が山の緑をすべて染め上げるのでしょうか。
注意 皇后宮歌合 歌番19

歌番2 素性法師
漢詩 春風觸處物皆楽 上苑梅花開也落 淑女偷攀堪作簪 残香勾袖拂難卻
読下 春風は處の物に觸れ皆楽しく、上苑の梅花は開(さ)きて落(ち)り、淑女は偷(ひそやか)に攀りて簪を作すに堪(もち)ひ、残香は袖に勾ひて拂へども卻(のぞ)き難たし。
和歌 散砥見手 可有物緒 梅之花 別樣匂之 袖丹駐禮留
読下 ちるとみて あるへきものを うめのはな うたてにほひの そてにとまれる
解釈 花が散ってしまうと眺めて、散り終わってしまうべきなのに、梅の花は、余計なことに思いを残すその匂いが袖に残り香となって残っている。
注意 皇后宮歌合 歌番3

歌番3 佚名
漢詩 緑色淺深野外盈 雲霞片片錦帷成 残嵐軽簸千匂散 自此櫻花傷客情
読下 緑色淺深、野外に盈(み)ち、雲霞片片、錦帷を成し、残嵐は軽く簸(あお)りて千匂を散じ、此に自り櫻花は客情を傷(いたま)しむ。
和歌 淺緑 野邊之霞者 裹鞆 己保禮手匂布 花櫻鉋
読下 あさみとり のへのかすみは つつめとも こほれてにほふ はなさくらかな
解釈 浅緑の野辺を霞が包んでいても、そこからこぼれるように咲き誇る、その花咲く桜です。
注意 皇后宮歌合 歌番11

歌番4 素性法師
漢詩 花樹栽来幾適情 立春遊客愛林亭 西施潘岳情千萬 雨意如花尚似軽
読下 花樹を栽来して幾(いくばく)か情(こころ)に適(かな)ひ、立春に遊客は林亭を愛で、西施・潘岳の千萬の情、雨意は花の如く尚も軽みに似たり。
和歌 花之樹者 今者不堀殖 立春者 移徙色丹 人習藝里
読下 はなのきは いまはほりうゑし はるたては うつろふいろに ひとならひけり
解釈 花の咲く木をこれからは掘って植えることはしない。春になると花の色が移り変わってゆくが、その移り変わってゆく色に人が見習うのだから。
注意 皇后宮歌合 歌番7

歌番5 佚名
漢詩 春嶺霞低繡幕張 百花零處似焼香 艶陽気若有留術 無惜鶯聲與暮芳
読下 春嶺に霞は低して繡幕を張り、百花の處(ち)に零(ふ)るは香を焼くに似、艶陽の気の若し留(とどむ)る術有らば、鶯聲と暮芳を惜む無からむ。
和歌 春霞 網丹張牢 花散者 可移徙 鶯將駐
読下 はるかすみ あみにはりこめ はなちらは うつろひぬへき うくひすとよめ
解釈 春霞よ、お前は網に張り巡らし花が散ったなら飛び散らないようにしなさい、そして、鶯よ、大声で鳴きなさい。
注意 皇后宮歌合 歌番15

歌番6 紀友則
漢詩 頻遣花香遠近賒 家家處處匣中加 黄鶯出谷無媒介 唯可梅風為指斗
読下 頻るに花の香を遣はして遠近賒(はる)かにして、家家處處匣中(こうちゅう)に加ふ、黄鶯谷より出るに媒介無く、唯だ梅風を指斗(しるべ)と為すべし。
和歌 花之香緒 風之便丹 交倍手曾 鶯倡 指南庭遣
読下 はなのかを かせのたよりに たくへてそ うくひすさそふ しるへにはやる
解釈 咲き匂う梅の香りを風の便りに添えて、鶯を誘い出す案内役として遣わせる。
注意 皇后宮歌合 歌番1

歌番7 佚名
漢詩 綿綿曠野策驢行 目見山花耳聽鶯 駒犢累累趁苜蓿 春孃採蕨又盈囊
読下 綿綿たる曠野を驢(ろ)に策(むち)て行き、目に山花を見耳に鶯を聽く、駒(うま)と犢(うし)は累累にて苜蓿(もくしゅ)に趁(おもむ)ひ、春孃は蕨を採り又た囊に盈(みた)す。
和歌 駒那倍手 目裳春之野丹 交南 若菜摘久留 人裳有哉砥
読下 こまなへて めもはるののに ましりなむ わかなつみくる ひともありやと
解釈 駒を並べて目も張る、その春の野に入り交りましょう、若菜を摘んでいるいるでしょう、あの人が居ないかと思って。
注意 皇后宮歌合 歌番21

歌番8 佚名
漢詩 寒灰警節早春来 梅柳初萌自欲開 上苑百花今已富 風光處處此傷哉
読下 寒灰の節を警(まも)りて早春は来り、梅柳初て萌え自ら開かむを欲し、上苑の百花は今、已に富み、風光處處にして此に傷(いた)まんや。
和歌 吹風哉 春立来沼砥 告貫牟 枝丹牢禮留 花拆丹藝里
読下 ふくかせや はるたちきぬと つけつらむ えたにこもれる はなさきにけり
解釈 吹く風によって立春になったと告げたのだろうか。(積もった雪ですが)枝の中に籠っていた花が咲いたようです。
注意 後撰和歌集 歌番12

歌番9 佚名
漢詩 倩見天隅千片霞 宛如萬朵満園奢 遊人記取圖屏障 想像桃源両岸斜
読下 倩(つらつら)と天隅千片の霞を見、宛(さなが)ら萬朵は園に満ちて奢るが如し、遊人は記を取り屏障を圖し、想ひ像(かたど)るは桃源両岸に斜(かま)へる。
和歌 真木牟具之 日原之霞 立還 見鞆花丹 被驚筒
読下 まきもくの ひはらのかすみ たちかへり みれともはなに おとろかれつつ
解釈 巻向の檜原の山に立つ霞、道行きに振り返って見ても、また、咲く桜の花に目を見張らされます。
注意 皇后宮歌合 歌番27

歌番10 在原棟梁
漢詩 墝埆幽亭豈識春 不芼絶域又無匂 花貧樹少鶯慵囀 本自山人意未申
読下 墝埆(こうかく)の幽亭は豈に春を識らむや、不芼の絶域は又た匂ひ無し、花貧しく樹少くして鶯の囀ずるに慵(ものう)く、本自り山人の意は未だ申(の)ぶことなし。
和歌 春立砥 花裳不匂 山里者 懶軽聲丹 鶯哉鳴
読下 はるたてと はなもにほはぬ やまさとは ものうかるねに うくひすやなく
解釈 立春が来たのに、まだ花の匂いもしないこの山里では鳴くのが物憂いといったような声で鶯が鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番17

歌番11 佚名
漢詩 無限遊人愛早梅 花花樹樹傍籬栽 自攀自翫堪移袂 惜矣三春不再来
読下 限り無く遊人は早梅を愛で、花花樹樹、籬の傍に栽(う)へ、自ら攀じ自ら翫(め)で袂に移すに堪(た)へ、惜いかな三春の再び来たらざるを。
和歌 梅之香緒 袖丹寫手 駐手者 春者過鞆 片身砥將思
読下 うめのかを そてにうつして ととめては はるはすくとも かたみとおもはむ
解釈 梅の香りを袖に移して留めておけば、春が過ぎ去っても梅の花の思い出と思うでしょう。
注意 皇后宮歌合 歌番35

歌番12 佚名
漢詩 誰道春天日此長 櫻花早綻不留香 高低鶯囀林頭聒 恨使良辰独有量
読下 誰が道か、春天の日此れ長くして、櫻花は早くも綻び香を留めず、高低鶯は囀り林頭は聒(かまび)く、恨むに良辰をして独り量(おもんばかり)を有らしまむや。
和歌 鶯者 郁子牟鳴濫 花櫻 拆砥見芝間丹 且散丹藝里
読下 うくひすは うへもなくらむ はなさくら さくとみしはに かつちりにけり
解釈 鶯は、なるほど、このような訳で鳴くのですね、花咲く桜、その咲いていると眺めていた間に花は散ってしまいました。
注意 皇后宮歌合 歌番9

歌番13 藤原興風
漢詩 霞光片片錦千里 未辨名花五彩斑 遊客迴眸猶誤道 應斯丹穴聚鵷鸞
読下 霞光(かくこう)片片、錦は千里にして、未だ名を辨(わ)く花は五彩を斑(まじらわ)せず、遊客は眸を迴らし猶も道に誤(まよ)ひ、應(まさ)に斯(こ)の丹穴に鵷鸞(えんらん)を聚(あつ)めむべし。
和歌 春霞 色之千種丹 見鶴者 棚曳山之 花之景鴨
読下 はるかすみ いろのちくさに みえつるは たなひくやまの はなのかけかも
解釈 春霞が色、とりどりの色に見えたのは、それがたなびく山の花を映したものだったのかもしれない。
注意 皇后宮歌合 歌番37

歌番14 佚名
漢詩 霞天帰雁翼遙遙 雲路成行文字昭 若汝花時知去意 三秋係札早應朝
読下 霞天に帰雁の翼は遙遙にして、雲路に行を成して文字昭かなり、若し汝の花時に去意を知らば、三秋に札(ふみ)を係(か)け早く朝(ちょう)に応ずべし。
和歌 春霞 起手雲路丹 鳴還 雁之酬砥 花之散鴨
読下 はるかすみ たちてくもちに なきかへる かりのたむけと はなのちるかも
解釈 春の霞が立って山際に雲の通り路の様になって行くならば、里から離れて北へと帰って行く雁のように、心変わりで去って行くのでしょうか。
注意 後撰和歌集 歌番75

歌番15 在原元方
漢詩 花花數種一時開 芬馥従風遠近来 嶺上花繁霞泛灩 可憐百感毎春催
読下 花花は數種を一時に開き、芬馥(ふんぷく)は風に従ひ遠近来たり、嶺上に花繁く霞は泛(うか)び灩(み)ち、憐(あわ)れまむ百感は春毎に催すべし。
和歌 霞立 春之山邊者 遠藝禮砥 吹来風者 花之香曾為
読下 かすみたつ はるのやまへは とほけれと ふきくるかせは はなのかそする
解釈 霞が湧き立つ春の山辺への道のりは遠いけれど、そこから吹き来る風には、もう咲いた花の香りがします。
注意 皇后宮歌合 歌番29

歌番16 佚名
漢詩 霞彩班班五色鮮 山桃灼灼自然燃 鶯聲緩急驚人聽 應是年光趁易遷
読下 霞彩は班班にして五色鮮かにして、山桃は灼灼にして自ら然(しか)と燃ゆ、鶯聲は緩急にして人の聽くを驚らせ、まさに是の年光の遷り易きを趁(お)ふに応ずべし。
和歌 霞起 春之山邊丹 開花緒 不飽散砥哉 鶯之鳴
読下 かすみたつ はるのやまへに さくはなを あかすちるとや うくひすのなく
解釈 霞が湧き立つ春の山の辺に咲く桜の花、まだ、見飽きないのに散ってしまうのかと、鶯も鳴いています。
注意 皇后宮歌合 歌番25

歌番17 佚名
漢詩 紅櫻本自作鶯栖 高翥華閒終日啼 独向風前傷幾許 芬芳零處徑應迷
読下 紅櫻は本より自から鶯の栖と作(な)り、高く華の閒を翥(と)びて終日(ひねもす)に啼く、独り風前に向ひて傷むこと幾許(いくばく)ぞ、芬芳は處に零(ふ)り徑はまさに迷ふべし。
和歌 鶯之 破手羽裹 櫻花 思隈無 早裳散鉋
読下 うくひすの われてはくくむ さくらはな おもひくまなく とくもちるかな
解釈 鶯が花を破っては蜜をついばむ、その桜の花は美しく咲いたと思う暇もなく、早くも散ってしまうのか。

歌番18 佚名
漢詩 縦使三春良久留 雖希風景此誰憂 上林花下匂皆盡 遊客鶯兒痛未休
読下 縦(ほしいまま)に三春の良きを久しく留めしめ、雖だ風景希なりと此を誰か憂へむ、上林の花の下の匂ひは皆盡(つき)るも、遊客たる鶯兒は痛しくも未だ休まず。
和歌 乍春 年者暮南 散花緒 將惜砥哉許許良 鶯之鳴
読下 はるなから としはくれなむ ちるはなを をしむとやここら うくひすのなく
解釈 今、春ではありますが、このままに一年の年は暮れて欲しい、そのように散る桜の花を心残りと鳴く鶯の声が聞こえます。
注意 皇后宮歌合 歌番23

歌番19 佚名
漢詩 偷見年前風月奇 可憐三百六旬期 春天多感招遊客 携手携觴送一時
読下 偷(ひそ)かに見る年前の風月の奇、憐むべし三百六旬の期、春天は多感にして遊客を招き、手を携へ觴(さかずき)を携へて一時を送る。
和歌 如此時 不有芝鞆倍者 一年緒 惣手野春丹 成由裳鉋
読下 かかるとき あらしともおもへは ひととせを すへてのはるに なすよしもかな
解釈 このような桜の花が散る時があっては欲しないと思うと、この一年の全ての季節を春とすることは出来ないでしょうしょうか。

歌番20 佚名
漢詩 残春欲盡百花貧 寂寞林亭鶯囀頻 放眼雲端心尚冷 従斯處處樹陰新
読下 残春の盡(つく)るを欲し百花は貧(とぼ)し、寂寞たる林亭の鶯の囀は頻なり、放眼雲端に心は尚(ひさ)しく冷(さ)め、斯に従ひて處處の樹陰は新たなり。
和歌 鶯之 陬之花哉 散沼濫 侘敷音丹 折蠅手鳴
読下 うくひすの すみかのはなや ちりぬらむ わひしきこゑに うちはへてなく
解釈 鶯の住処としている花が散るようだ、その鶯が淋しそうな声でいつまでも鳴いている。

歌番21 素性法師
漢詩 嗤見深春帶雪枝 黄鶯出谷始馴時 初花初鳥皆堪翫 自此春情可得知
読下 嗤(よろこ)びて深春を見(なが)め雪を帶びる枝、黄鶯は谷を出で始めて馴れる時、初花初鳥は皆翫(め)でるに堪たり、此れ自ら春情を得て知るべし。
和歌 春来者 花砥哉見濫 白雪之 懸禮留柯丹 鶯之鳴
読下 はるくれは はなとやみらむ しらゆきの かかれるえたに うくひすのなく
解釈 春になったので、それを花と思ったのだろうか、白雪が懸かった枝に鶯が鳴いている。
注意 古今和歌集 歌番6 初句は「はるたては」と異同あり。

夏歌廿一首
歌番22 紀友則
漢詩 嘒嘒蝉聲入耳悲 不知齊后化何時 絺衣初製幾千襲 嗤殺伶倫竹與絲
読下 嘒嘒(けいけい)たる蝉の聲は耳に入りて悲しく、知らず齊后の何(いづれ)の時ぞ化するを、絺衣(ちい)、初て製(つく)る幾千の襲(かさね)、嗤(ほほえみ)は殺(はなはだ)し伶倫の竹(ちく)と絲(げん)。(注:殺、又疾也)
和歌 蝉之音 聞者哀那 夏衣 薄哉人之 成砥思者
読下 せみのこゑ きけはかなしな なつころも うすくやひとの ならむとおもへは
解釈 蝉の声を聞くともの悲しくなる、夏の衣ではないが、あの人の私への気持ちが薄くなってしまうような気持ちがするので。
注意 皇后宮歌合 歌番41

歌番23 佚名
漢詩 夜月凝来夏見霜 姮娥觸處翫清光 荒涼院裏終宵讌 白兔千群入幾堂
読下 夜月は凝(あつま)り来たりて夏に霜を見せ、姮娥は觸處の清光を翫(め)で、荒涼たる院裏の宵讌(しょうえん)は終りて、白兔千群は幾(いくら)の堂に入る。
和歌 夏之夜之 霜哉降禮留砥 見左右丹 荒垂屋門緒 照栖月影
読下 なつのよの しもやふれると みるまてに あれたるやとを てらすつきかけ
解釈 夏の夜に霜が降り置いたかと見間違えほどに、荒れ果てた屋敷を煌々と白く照らす月の光です。
注意 皇后宮歌合 歌番50 歌句に多々異同がある。

歌番24 紀友則
漢詩 蕤賓怨婦両眉低 耿耿閨中待曉雞 粉黛壞来收涙處 郭公夜夜百般啼
読下 蕤賓(すいひん)、怨婦(えんふ)の両眉は低(た)れ、耿耿(こうこう)たる閨中は曉雞を待つ、粉黛は壞来し涙を收む處にして、郭公(ほととぎす)は夜夜に百(もも)を般(めぐ)りて啼く。
和歌 沙乱丹 物思居者 郭公鳥 夜深鳴手 五十人槌往濫
読下 さみたれに ものおもひをれは ほとときす よふかくなきて いつちゆくらむ
解釈 さみだれの降る夜にもの思いをすると、ホトトギスが夜が更けてから鳴いて飛び過ぎたが、さて、どちらの方角をさして行くのだろうか。
注意 皇后宮歌合 歌番54

歌番25 紀友則
漢詩 好女係心夜不眠 終宵臥起涙連連 贈花贈札迷情切 其奈遊蟲入夏燃
読下 好女、心に係りて夜は眠らず、終宵臥起して涙は連連たり、花を贈り札(ふみ)を贈り迷情は切にして、其れ遊蟲の夏の燃(ともしび)に入るをいかむとせむ。
和歌 初夜之間裳 葬處無見湯留 夏蟲丹 迷增禮留 恋裳為鉋
読下 よひのまも はかなくみゆる なつむしに まとひまされる こひもするかな
解釈 宵の間だけともと短い命と思える夏虫が、人が焚く火に惑わされ身を焦がす、そのような身を焦がし命を失せるような惑い悩ませる恋をしているのです。
注意 皇后宮歌合 歌番45

歌番26 紀貫之
漢詩 日長夜短懶晨興 夏漏遲明聽郭公 嘯取詞人偷走筆 文章気味與春同
読下 日長く夜短して晨(あさ)の興(のぼ)るに懶(ものう)く、夏を漏(わす)れ遲く明(おき)るに郭公を聽く、嘯(うそぶ)き取りて詞人偷(ひそやか)に筆を走らせ、文章の気味は春に與(くみ)して同じくす。
和歌 夏之夜之 臥歟砥為禮者 郭公 鳴人音丹 明留篠之目
読下 なつのよの ふすかとすれは ほとときす なくひとこゑに あくるしののめ
解釈 夏の夜は眠りについたかと思うと、ホトトギスの鳴くひと声に日がのぼり始めることだ。
注意 皇后宮歌合 歌番46

歌番27 佚名
漢詩 夏枕驚眠有妬聲 郭公夜叫忽過庭 一留一去傷人意 珍重今年報舊鳴
読下 夏枕、眠に驚き妬聲(とせい)有りて、郭公の夜に叫びて忽(たちまち)に庭を過ぐ、一留一去、人の意(こころ)を傷(いた)ましめ、珍重す今年の舊鳴を報するを。
和歌 五十人沓夏 鳴還濫 足彈之 山郭公 老牟不死手
読下 いつとなく なきかへるらむ あしひきの やまほとときす おいもしなすて
解釈 いつと決めることなく同じように鳴き、毎年の夏を迎えるだろう、葦や檜の生える山に棲むホトトギスは、毎年に鳴き出すその鳴き声を忘れることはない。
注意 皇后宮歌合 歌番67 初句「いくちたひ」と異同がある。

歌番28 佚名
漢詩 菖蒲一種満洲中 五月尤繁魚鼈通 盛夏芬芬漁父翫 栖来鶴翔叫無窮
読下 菖蒲は一(ひとつ)の種(たねくさ)にして洲の中(うち)に満ち、五月に繁ると尤(な)るも魚鼈(ぎょべつ)は通(す)ぐ、盛夏芬芬にして漁父は翫(よろこ)び、栖に来たる鶴は翔び叫(な)きて窮まり無し。
和歌 蕤賓俟 野之側之 菖蒲草 香緒不飽砥哉 鶴歟音為
読下 さつきまつ のへのほとりの あやめくさ かをあかすとや たつかこゑする
解釈 夏、五月を待ってから野辺の辺で咲く菖蒲草の花、その香りを利き飽かすことがないと、鶴の鳴き声がします。

歌番29 壬生忠岑
漢詩 難暮易明五月時 郭公緩叫又高飛 一宵鐘漏盡尤早 想像閨筵怨婦悲
読下 暮れ難く明け易き五月の時、郭公は緩(ゆるや)かに叫(な)き又た高く飛ふ、一宵の鐘を漏(わす)れ盡すと尤(な)るも早くして、像(すがた)を想ひやる閨筵の怨婦の悲しみ。
和歌 暮歟砥 見禮者明塗 夏之夜緒 不飽砥哉鳴 山郭公
読下 くるるかと みれはあけぬる なつのよを あかすとやなく やまほとときす
解釈 やっと、暮れるのかと眺めていると山の端は明けて来る、その短い夏の夜を飽きることなく鳴く、山に棲むホトトギスです。
注意 皇后宮歌合 歌番73

歌番30 佚名
漢詩 山下夏来何事悲 郭公處處數鳴時 幽人聽取堪憐翫 況復家家音不希
読下 山下に夏は来たりて何事か悲しみ、郭公の處處に數(あま)た鳴く時、幽人は聽き取りて憐翫(れんがん)は堪がたく、況や復た家家に音を希(のぞ)まならざるや。
和歌 郭公 鳴立夏之 山邊庭 沓直不輸 人哉住濫
読下 ほとときす なきたつはるの やまへには くつていたさぬ ひとやすむらむ
解釈 沓手鳥の名を持つホトトギスが「沓の代金はどうしたのか」と鳴き声を立てる春の山辺には、沓を作っても届けない人が住んでいるようです。
注意 皇后宮歌合 歌番69

歌番31 佚名
漢詩 五月菖蒲素得名 毎逢五日是成靈 年年服者齡還幼 翩鵲嘗来味尚平
読下 五月、菖蒲は素より名を得たり、五日に逢ふ毎に是れ靈と成る、年年に服する者は齡は幼(わかき)に還へり、鵲は翩(と)びて嘗(こころ)みに来たりて味(おもむき)は平なるを尚(たつと)ふ。
和歌 菖蒲草 五十人沓之五月 逢沼濫 毎来年 稚見湯禮者
読下 あやめくさ いくつのせちに あさぬらむ くるとしことに わかくみゆれは
解釈 菖蒲草の花はどれほどの五月の節会ごとに化粧を浅く施しているのでしょうか、毎年、そのやって来る年ごとに早乙女のように若く見えますのです。
注意 皇后宮歌合 歌番71 歌句に多々異同があります。

歌番32 佚名
漢詩 去歳今年不変何 郭公曉枕駐聲過 窗間側耳憐聞處 遮莫残鶯舌尚多
読下 去歳も今年も何も変らず、郭公は曉の枕に駐まり聲は過ぐ、窗間(そうかん)に耳を側(そばだ)て憐みを聞く處、遮るは莫しも残鶯の舌(さえずり)の尚も多し。
和歌 去年之夏 鳴舊手芝 郭公鳥 其歟不歟 音之不変沼
読下 こそのなつ なきふるしてし ほとときす それかあらぬか こゑのかはらぬ
解釈 去年の夏にたくさん鳴いてくれたホトトギスと同じホトトギスか分からないが、今年の鳴き声も変りません。
注意 皇后宮歌合 歌番62

歌番33 凡河内躬恒
漢詩 郭公一叫誤閨情 怨女偷聞悪鬧聲 飛去飛来無定處 或南或北幾門庭
読下 郭公の一叫(こえ)は閨情を誤(まどわ)し、怨女は偷(わず)かに聞きて鬧聲(とうせい)を悪(いと)む、飛び去り飛び来たりて定むる處なく、或は南或は北、幾門の庭。
和歌 疎見筒 駐牟留郷之 無禮早 山郭公 浮宕手者鳴
読下 うとみつつ ととむるさとの なかれはや やまほとときす うかれてはなく
解釈 嫌いと思いながらも留まっている里の川の流れは速い、それで山から下りて来たホトトギスは水の流れの様に浮かれながらも鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番60 歌句に多々異同があります。別歌とするべきか。

歌番34 佚名
漢詩 蝉人運命惣相同 含露殉飡暫養躬 三夏優遊林樹裏 四時喘息此寰中
読下 蝉は人と運命を惣く相ひ同じくし、露を含み飡(しょく)に殉(したが)ひ暫く躬を養ふ、三夏、優遊す林樹の裏、四時に喘息す此の寰中(かんちゅう)。
和歌 脱蝉之 侘敷物者 夏草之 露丹懸禮留 身許曾阿里藝禮
読下 うつせみの わひしきものは なつくさの つゆにかかれる みにこそありけれ
解釈 蝉の抜け殻自体でも、もの悲しいものではありますが、夏草の許で露に濡れかかった、その身にこそもの悲しさがさらにあります。
注意 皇后宮歌合 歌番43

歌番35 紀友則
漢詩 怨深喜淺此閨情 夏夜胸燃不異螢 書信休来年月暮 千般其奈望門庭
読下 怨み深く喜び淺し此の閨情、夏の夜に胸は燃へ螢に異ならず、書信は来たるを休みて年月は暮れ、千を般(めぐり)て其の門庭を望むを奈(いか)にせむ。
和歌 夕去者 自螢異丹 燃禮鞆 光不見早 人之都禮無杵
読下 ゆふされは ほたるよりけに もゆれとも ひかりみねはや ひとのつれなき
解釈 夕方になると、私の思いは蛍より燃えているのに、私の恋焦がれるその火の光が見えないのか、あの人は素っ気ない。
注意 皇后宮歌合 歌番58

歌番36 紀有岑
漢詩 一夏山中驚耳根 郭公高響入禪門 適逢知己相憐處 恨有清談無酒罇
読下 一(ある)夏、山中に耳根は驚き、郭公は高く響きて禪門に入る、適(たちまち)に知己に逢ひ相ひ憐れむ處、恨らむに清談は有るも酒罇は無し。
和歌 夏山丹 恋敷人哉 入丹兼 音振立手 鳴郭公鳥
読下 なつやまに こひしきひとや いりにけむ こゑふりたてて なくほとときす
解釈 夏の山に恋いする人が籠もってしまったのだろうか、ホトトギスが声をふりしぼって「片恋、片恋」と鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番56

歌番37 佚名
漢詩 邕郎死後罷琴聲 可賞松蝉両混辡 一曲彈来千緒乱 萬端調處八音清
読下 邕郎(ようろう)は死して後に琴聲を罷れ、賞ずべし松蝉の両に混れて辡(きそ)ふを、一曲を彈き来たれば千緒は乱れ、萬端の調ふ處、八音は清(すがすが)し。(邕郎は李邕の人物と思われます)
和歌 琴之聲丹 響通倍留 松風緒 調店鳴 蝉之音鉋
読下 ことのねに ひひきかよへる まつかせを しらへてもなく せみのこゑかな
解釈 琴の音にその音を響き通わせるような松を通り抜ける風音、それを調べとして鳴く蝉の声が聞こえる。
注意 皇后宮歌合 歌番75

歌番38 紀友則
漢詩 月入西嵫杳冥霄 郭公五夜叫飄颻 夏天處處多撩乱 曉牖家家音不遙
読下 月は西嵫(せいじ)に入りて杳(よう)として冥霄(めいせい)たり、郭公は五夜に叫(な)きて飄颻、夏天は處處に多く撩乱し、曉の牖(まど)、家家に音は遙かならず。
和歌 夜哉暗杵 道哉迷倍留 郭公鳥 吾屋門緒霜 難過丹鳴
読下 よやくらき みちやまよへる ほとときす わかやとをしも すきかてになく
解釈 夜道が暗いせいか道に迷ったホトトギスが、私の屋敷ではありますが通り過ぎることが出来なくとここで鳴いている。
注意 皇后宮歌合 歌番65

歌番39 佚名
漢詩 鳴蝉中夏汝如何 草露作飡樹作家 響處多疑琴瑟曲 遊時最似錦綾窠
読下 鳴く蝉、中夏に汝は如何せむ、草の露を飡(しょく)と作(な)し樹を家と作す、響く處は多く琴瑟の曲かと疑がひ、遊時には最とも錦綾の窠に似たり。
和歌 都禮裳無杵 夏之草葉丹 置露緒 命砥恃 蝉之葬處無佐
読下 つれもなき なつのくさはに おくつゆを いのちとたのむ せみのはかなさ
解釈 僅かな命の夏の草葉に置く露を命の源と頼りにする、その虫の儚さです。
注意 皇后宮歌合 歌番48 初句「はかもなき」と異同があります。

歌番40 佚名
漢詩 一生念愁暫無休 刀火如炎不可留 黈纊塞来期盛夏 許由洗耳永離憂
読下 一生の愁ふる念(おもひ)は暫も休(いこ)ふは無く、刀火は炎の如にして留るべからず、黈纊(とうこう)は塞き来たりて盛夏を期し、許由は耳を洗ひて永く憂(うれひ)を離る。
和歌 夏草之 繁杵思者 蚊遣火之 下丹而已許曾 燃亘藝禮
読下 なつくさの しけきおもひは かやりひの したにのみこそ もえわたりけれ
解釈 夏草が茂る、その言葉の響きではありませんが、貴女への茂る思いは、蚊遣り火が灰の下で燻ぶり燃えるように、表には出さすに心の中で恋焦がれ燃え続けています。
注意 皇后宮歌合 歌番52

歌番41 佚名
漢詩 郭公本自意浮華 四遠無栖汝最奢 性似蕭郎含女怨 操如蕩子尚迷他
読下 郭公は本自り意は浮華にして、四遠に栖は無く汝は最とも奢なり、性は蕭郎が女怨を含むに似、操(みさお)は蕩子の尚(なお)も他(あだ)に迷ふが如し。
和歌 誰里丹 夜避緒為手鹿 郭公鳥 只於是霜 寢垂音為
読下 たかさとに よかれをしてか ほとときす たたここにしも ねたるこゑする
解釈 誰の里に夜の宿りに避けて行ったのか、ホトトギスよ、それでもここにあっても、夜を過ごすようなホトトギスの鳴き声がする。

歌番42 佚名
漢詩 三夏鳴禽號郭公 従来狎媚叫房櫳 一聲觸處萬恨苦 造化功尤任汝躬
読下 三夏に禽鳴きて號して郭公、従来(このかた)、狎れ媚びて房櫳(ぼうろう)に叫(な)く、一聲、處に觸れ萬恨は苦しく、造化の功は尤(ゆう)して汝の躬に任す。
和歌 人不識沼 思繁杵 郭公鳥 夏之夜緒霜 鳴明濫
読下 ひとしれぬ おもひやしけき ほとときす なつのよをしも なきあかすらむ
解釈 あの人は気づかないでしょう、そのような私のあの人への思いは激しい、ホトトギスよ、短い夏の夜でも、片恋、片恋と、鳴いて夜を明かすようです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする