竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 五十五 三十六人撰から平安貴族の万葉歌人への態度を見る

2013年11月30日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 五十五 三十六人撰から平安貴族の万葉歌人への態度を見る

 今回のものは、雑記 色眼鏡シリーズと題を振っていますが資料編のようなものになっています。これもまた、ある種の覚書をブログと云う資料庫への収蔵のようなことを行っています。
 さて、今回の資料的なものは平安中期と平安末期において、当時を代表する歌人が選出した『万葉集』を代表する歌人の秀歌を比較することで、平安貴族たちの万葉歌人への態度を明らかにすることへの一助となることを目的としています。ブログ収納資料として、最初に平安中期の歌人である藤原公任が寛弘六年(1009)頃に選定した『三十六人撰』に載る柿本人麻呂、山辺赤人、大伴家持の歌を紹介し、次に、その対比として平安末期の歌人である藤原俊成が選定した『俊成三十六人歌合』及び鎌倉初期の歌人である藤原定家選定の『小倉百人一首』に載る歌を紹介します。
 補足情報として、柿本人麻呂の歌とされるものは『三十六人撰』に十首、『俊成三十六人歌合』に三首が載り、山辺赤人と大伴家持とは、それぞれ、彼のものとされるものが『三十六人撰』と『俊成三十六人歌合』とに三首ずつが載ります。また、『小倉百人一首』には作品名称の通りにそれぞれ一首が載ります。
 ここで、『三十六人撰』には『拾遺和歌集』から人麻呂のものとされる歌が三首ほど採られています。ところで、この『拾遺和歌集』は藤原公任の私歌集である『拾遺抄』を下に編まれた勅撰和歌集と考えられています。その元となった『拾遺抄』では、詠み人不詳の古歌や人麻呂歌集の歌から藤原公任が想像した柿本人麻呂調の和歌を選んだもの、または、『万葉集』の原文歌を彼の解釈で読み解いたものをもって人麻呂のものとしています。従いまして、現在に考えられる柿本人麻呂作品と平安時代人が推定した人麻呂作品とは一致していません。
 参考として、藤原公任の時代は藤原道長自身が『万葉集』の写本と校合や訓点付けを行うなど、次点研究が盛んに行われていました。そして、近代になるまで柿本人麻呂を最大に評価したのは、この時代であって、『拾遺和歌集』には柿本人麻呂の歌として百四首(異伝本に載る一首を含めると百五首)が採られています。人麻呂への和歌鑑賞態度を比べてみますと、その後の万葉歌人をあまり評価しなかった平安後期以降とは大きく異なる特異な時代です。また、和泉式部、清少納言や紫式部が活躍した時代であり、女流文学最盛期の背景には藤原道長(966-1026)に代表される外祖父の地位が重要な意味を持つ摂関政治や平安貴族文化全盛があります。まだまだ、朝廷に仕える貴族たちが政治・経済を実行支配していた時代で、平氏や源氏に代表される武士階級の台頭の契機となる保元の乱(1156)は、ずっと、先の時代です。
 さて、藤原公任による『三十六人撰』が編まれた時代、寛弘三年(1006)頃に成立した花山院私撰とも考えられていた『拾遺和歌集』を最新のものとして、『万葉集』、『古今和歌集』や『後撰和歌集』が勅撰和歌集として成立していましたし、補足して「梨壷の五人」による『万葉集』への古点付け事業は康保年間(964-968)頃には完了しています。従いまして、『三十六人撰』を編むに於いて、柿本人麻呂、山辺赤人や大伴家持たち、『万葉集』の三大歌人の秀歌を選定するにはこれらの四勅撰和歌集からと云うのが最も相応しいことになります。なお、建前として『古今和歌集』と『後撰和歌集』とは『万葉集』との歌の重複を避けて撰集された歌集と云う性格を持ちます。従いまして、特段の注記が無い限り、『古今和歌集』や『後撰和歌集』から柿本人麻呂、山辺赤人や大伴家持の歌を選定することはありません。秀歌選定にはこのような背景と制約があります。
 追加参考として『三十六人撰』の藤原公任に関わるとされる『拾遺和歌集』は、平安後期の歌人たちには評判が良くなかったようで、『拾遺和歌集』が評価を受けるのは鎌倉時代になって藤原定家が取り上げて以降とされます。その為か、以下に紹介する『三十六人撰』と『俊成三十六人歌合』とでは、人麻呂と家持の秀歌選定に対し両者の好みの色が強く現れています。さらに、章末に紹介する現代歌人が選ぶ代表作とも違っていることが注目です。

『拾遺和歌集』の評価:
ウキペデア『拾遺和歌集』より抜粋
成立後約二百年もの間、勅撰集としての評価が得られなかった。ちなみに『拾遺集』のよさを述べ、勅撰集として初めてはっきり認めた人物は藤原定家である。

拾遺和歌集の研究(中周子)より抜粋
『拾遺集』は、藤原公任撰といわれる十巻本の『拾遺抄』をもとに、花山上皇の下命によって二十巻に増補、再編纂されて成立した第三の勅撰集であることが、現在では通説となっている。しかし、『拾遺抄』の歌はすべて『拾遺集』に重出していることから、古来、両者は混同されることが多く、のみならず、数々の歌論や秀歌撰を編んだ公任の権威も相侯って、『拾遺抄』は『拾遺集』の秀歌を抄出したものであるとの見方が長らく行なわれてきた。そのため平安中
期以後、『拾遺抄』が尊重される一方、『拾遺集』は軽視され続けてきた。


 以上の文化背景の概説を下に、それぞれの秀歌選集に載せられた和歌を紹介します。順に柿本人麻呂、山辺赤人、大伴家持であり、秀歌選集は『公任三十六人撰』、『俊成三十六人歌合』、『定家小倉百人一首』です。また、和歌表記は、比較を前提として定家好みである鎌倉時代以降の「漢字ひらがな交じり表記」とし、平安時代の本来の表記である「清音ひらがな表記」ではありません。

柿本人麻呂
『公任三十六人撰』より
 昨日こそ年はくれしか春霞かすがの山にはや立ちにけり 万葉集巻十1843番 詠み人不詳
 あすからは若菜つまむと片岡の朝の原はけふぞやくめる 拾遺和歌集巻一春18番 人麿
 梅花其とも見えず久方のあまぎる雪のなべてふれれば 古今和歌集334番 あるいは人丸
 郭公鳴くやさ月の短夜も独しぬればあかしかねつも 万葉集巻十1981番 詠み人不詳
 飛鳥河もみぢば流る葛木の山の秋風吹きぞしくらし 万葉集巻十2210番 詠み人不詳
 ほのぼのと明石の浦の朝ぎりに島がくれ行く舟をしぞ思ふ 古今和歌集409番 あるいは人丸
 たのめつつこぬ夜あまたに成りぬればまたじと思ふぞまつにまされる 拾遺和歌集巻十三恋三848番 人麿
 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 万葉集巻十一2802番 詠み人不詳
 わぎもこがねくたれがみをさるさはの池の玉もと見るぞかなしき 拾遺和歌集巻廿哀傷1289番 人麿
 物のふのやそ宇治河のあじろ木にただよふ浪のゆくへしらずも 万葉集巻三264番 柿本人麻呂

『俊成三十六人歌合』より
 龍田川もみぢ葉流る神奈備の御室の山に時雨降るらし 古今和歌集284番 詠み人不詳
 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 万葉集巻十一2802番 詠み人不詳
 をとめごが袖ふる山の瑞垣の久しき世より思ひ初めてき 拾遺和歌集卷十九雑戀1210番 人麿

『定家小倉百人一首』より
 葦引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 拾遺和歌集巻十三恋三778番 人麿


山辺赤人
『公任三十六人撰』より
 あすからはわかなつまむとしめしのに昨日もけふもゆきはふりつつ 万葉集巻八1427番 山辺赤人
 わがせこにみせむとおもひしむめのはなそれともみえずゆきのふれれば 万葉集巻八1426番 山辺赤人
 わかのうらにしほみちくればかたをなみあしべをさしてたづなきわたる 万葉集巻六919番 山辺赤人

『俊成三十六人歌合』より
 あすからはわかなつまむとしめしのに昨日もけふもゆきはふりつつ 万葉集巻八1427番 山辺赤人
 ももしきの大宮人は暇あれや桜かざして今日も暮らしつ 万葉集巻十1883番 詠み人不詳
 わかのうらにしほみちくればかたをなみあしべをさしてたづなきわたる 万葉集巻六919番 山辺赤人

『定家小倉百人一首』より
 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 万葉集巻三313番 山辺赤人


大伴家持
『公任三十六人撰』より
 あらたまのとしゆきかへる春たたばまづわがやどにうぐひすはなけ 万葉集巻二十4490番 大伴旅人
 さをしかのあさたつをのの秋はぎにたまとみるまでおけるしらつゆ 万葉集巻八1598番 大伴旅人
 春ののにあさるきぎすのつまごひにおのがありかを人にしれつつ 万葉集巻八1446番 大伴旅人

『俊成三十六人歌合』より
 まきもくの檜原もいまだ曇らねば小松が原に泡雪ぞ降る 万葉集巻十2314番 詠み人不詳
 かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 家持集257番
 神奈備の三室の山の葛かづら裏吹き返す秋は来にけり 家持集98番

『定家小倉百人一首』より
 かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 家持集257番


 以上、平安中期、平安末期、鎌倉初期の代表歌人による万葉三大歌人の秀歌選集を紹介しました。紹介したものから、時代、時代での歌人たちが好んだ歌風や雰囲気を感じ取っていただければと思います。まず、万葉歌人が詠う歌が、時代を超えて常に秀歌とされていなかったことを知っていただけたのではないでしょうか。
 鎌倉時代以降の和歌は藤原俊成・定家親子の影響を強烈に受けたとされていますが、一方、その俊成・定家親子には人麻呂と家持に対し、本人が詠った歌を秀歌としていないと云う特徴があります。およそ、『万葉集』の歌は六百番歌合に見られるように俊成・定家親子にとって、好みではありません。そのような時代に現在の訓読みの基礎となった『万葉集』への新点が付けられて行ったと云うことは注目すべきことと考えます。
 ここで、現在の『校本万葉集』への訓点に対し、万葉集48番歌を代表として新点や次点を参照・根拠に論議を提起するお方がいます。先の比較が示すように、その議題の提起を行う場合、提起以前に『万葉集』への古点・次点解釈を好まなかった俊成・定家親子の好みと云う問題や平安中期と鎌倉初期とで歌人の好みの変化からの影響に対する正しい評価が為された後でなければ、議論進行では難しいのではないでしょうか。ただ、訓点におけるこの問題は既に江戸期において江戸学派と堂上学派との研究態度で明白になっており、学問として古典文学や歌学を扱うのであるなら江戸学派の態度が正しい方向であると決着は着いたものと考えます。無批判での師弟相伝を旨とする堂上学派の立場からの態度や提起はいかがなものでしょうか。


参考資料
1.拾遺和歌集に載る歌を楽しむ

 『拾遺和歌集』には山辺赤人と大伴家持の歌はそれぞれ三首しか採られていません。一方、柿本人麻呂は異伝本に載る一首を含めますと百五首を数えます。ここでは三首を紹介しますが、人麻呂については確実に『万葉集』に載るものを三首、紹介します。
 また、紹介では歌の作者を示します。これは『古今和歌集』以降の特徴でその歌集で柿本人麻呂、山辺赤人や大伴家持の作品と示してもその根拠が不明なものや読み人知れずの歌を本人のものとして採る場合があるからです。ちなみに『拾遺和歌集』では山辺赤人の作品とされる三首中、二首が読み人知れずの歌からの採歌です。

柿本人麻呂 三首抜粋
 拾遺 いにしへに有りけむ人もわかことやみわのひはらにかさし折りけん
万葉集巻七 歌番1118 柿本人麻呂
原文 古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃檜尓 插頭折兼
訓読 いにしへにありけむ人も吾がごとか三輪のひのはらに挿頭(かざし)折(を)りけむ

 拾遺 みくまのの浦のはまゆふももへなる心はおもへとたたにあはぬかも
万葉集巻四 歌番496 柿本人麻呂
原文 三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨
訓読 みくまのの浦のはまゆふ百重(ももへ)なす心は思(も)へど直(ただ)に逢はぬかも

 拾遺 なる神のしはしうこきてそらくもり雨もふらなん君とまるへく
万葉集巻十一 歌番2513 柿本人麻呂
集歌2513 雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留
訓読 なる神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君し留(とど)めむ

山辺赤人 三首
 拾遺 恋しけば形見にせむと我が屋戸に植ゑし藤波今咲きにけり
万葉集巻八 歌番1471 山辺赤人
原文 戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里
訓読 恋しけば形見にせむと吾が屋戸(やと)に植ゑし藤波(ふぢなみ)今咲きにけり

 拾遺 昨日こそ年は暮れしか春霞かすがの山にはやたちにけり
万葉集巻十 歌番1843 詠み人不詳
原文 昨日社 年者極之賀 春霞 春日山尓 速立尓来
訓読 昨日(きのふ)こそ年は極(は)てしか春霞かすがの山に速(はや)たちにけり

 拾遺 我が背子をならしの岡のよぶこどり君よびかへせ夜の更けぬ時
万葉集巻十 歌番1822 詠み人不詳
原文 吾瀬子乎 莫越山能 喚子鳥 君喚變瀬 夜之不深刀尓
訓読 吾が背子をな越し山のよぶことり君呼びかへせ夜し更けぬとに


大伴家持 三首
 拾遺 うちきらし雪はふりつつしかすがにわが家のそのに鴬ぞなく
万葉集巻八 歌番1441 大伴家持
原文 打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑尓 鴬鳴裳
訓読 うちきらし雪は降りつつしかすがに吾家(わぎへ)のそのに鴬鳴くも

 拾遺 春ののにあさるきぎすのつまごひにおのがありかを人にしれつつ
万葉集巻八 歌番1446 大伴家持
原文 春野尓 安佐留雉乃 妻戀尓 己我當乎 人尓令知管
訓読 春ののにあさる雉(ききじ)のつまこひにおのがあたりを人に知れつつ

 拾遺 久方のあめのふるひをただひとり山べにをればむもれたりけり
万葉集巻四 歌番769 大伴家持
原文 久堅之 雨之落日乎 直獨 山邊尓居者 欝有来
訓読 ひさかたの雨のふるひをただひとり山辺(やまへ)にをれば欝(いぶせ)かりけり


2.現代で一般的に代表作と考えられている歌を楽しむ

 以下に三人の代表作とされるものをそれぞれ二首ずつ紹介します。ネット上では柿本人麻呂と大伴家持の代表作品についての記事は容易に見つけられますが、山辺赤人については歌番号318の歌以外のものを探すのは容易ではありません。対して赤人は平安時代に評価が定まり、既に研究が終わったかのような扱いです。その為か、赤人は時代での代表歌のぶれが少ない歌人です。なお、現代の選択は全て『万葉集』に載る本人と表記された歌からのもので、それ以外の歌集からのものはありません。それもまた、現代の特徴的な選択です。

柿本人麻呂
巻一 歌番48
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
巻三 歌番266
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ

山辺赤人
巻三 歌番318
田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
巻八 歌番1424
春の野にすみれ摘みにと来し吾そ野をなつかしみ一夜寝にける

大伴旅人
巻十九 歌番4291
我が屋戸のいささ群竹ふく風の音のかそけきこの夕へかも
巻十九 歌番4292
うらうらに照れる春日にひばりあがり心悲しも独りし思へば


 最後に、今回、示しました時代毎に万葉集三大歌人の代表歌が違うことについて、当時の歌論や歌集の序文から時代の歌人たちが和歌をどのように楽しんでいたかを教えて頂ければ幸いです。
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今日のみそひと歌 金曜日

2013年11月29日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌3921 加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比猟須流 月者伎尓家里
訓読 杜若(かきつばた)衣に摺り付け大夫(ますらを)の着(き)襲(そ)ひ猟する月は来にけり
私訳 杜若の色を衣に摺り付けて、大夫たちが着飾って狩りをする月がやってきました。

集歌3922 布流由吉乃 之路髪麻泥尓 大皇尓 都可倍麻都礼婆 貴久母安流香
訓読 降る雪の白髪までに大皇(おほきみ)に仕へまつれば貴くもあるか
私訳 降る雪のように白髪になるまで大皇にお仕えすると、畏れ多いことです。

集歌3923 天下 須泥尓於保比氏 布流雪乃 比加里乎見礼婆 多敷刀久母安流香
訓読 天つ下すでに覆(おほ)ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか
私訳 天下を覆い尽くして降る雪のように、大皇のお姿に輝く光を見ると、畏れ多いことです。

集歌3924 山乃可比 曽許登母見延受 乎登都日毛 昨日毛今日毛 由吉能布礼々波
訓読 山の狭(かひ)其処(そこ)とも見えず一昨日(をとつひ)も昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪の降れれば
私訳 山の谷間がどこかも判らない。一昨日も、昨日も、今日も雪が降るので。

集歌3925 新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波
訓読 新しき年の初めに豊(とよ)の年しるすとならし雪の降れるは
私訳 新しい年の初めに、豊作の年となる兆しなのでしょう。雪が降ってくるのは。

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今日のみそひと歌 木曜日

2013年11月28日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 木曜日

集歌2987 梓弓 引而不縦 大夫哉 戀云物乎 忍不得牟
試訓 梓弓(あづさゆみ)引きに縦(ゆる)へぬ大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)びかねてむ
試訳 梓弓の弦を引いて放てないような、決心が定まらない。人の上に立つような立派な男子が、貴女への恋と云うものを堪えられないでいる。

集歌2988 梓弓 末中一伏三起 不通有之 君者會奴 嗟羽将息
試訓 梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)なか弛(た)めて淀(よど)めりし君には逢ひぬ嘆きは息(や)めむ
試訳 梓弓の末の中弭(なかはず)、その言葉ではないが、弦が緩むように怠けて訪れが間遠のいていた、その貴方にお逢いした。もう、嘆くのは止むでしょう。

集歌2989 今更 何壮鹿将念 梓弓 引見縦見 縁西鬼乎
訓読 今さらに何をか思はむ梓弓(あづさゆみ)引きみ縦(ゆる)へみ寄りにしものを
私訳 今さら何を思い悩むでしょう。梓弓の弦を引いて放ったように、きっぱりと貴方に心を寄せ靡いたのですから。

集歌2990 感嬬等之 漬麻之多思有 打麻 續時無二 戀度鴨 (感は女+感の当字)
試訓 娘子らし漬麻(ひづを)し悩み打つ麻(あさ)し績(う)む時なみに恋ひわたるかも
試訳 乙女たちが水に漬けた麻を難儀して打ちほぐし、その麻を績(う)む、その言葉ではないが、倦(う)むことなく貴女に恋い焦がれます。

集歌2991 垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘厨荒鹿 異母二不相而  (厨は、虫+厨の当字)
訓読 たらちねし母が養(か)ふ蚕の繭(まゆ)隠(こも)りいぶせくもあるか妹に逢はずしに
私訳 乳を与えてくれた実母が養う蚕が繭に籠るように、想いが籠り、気が晴れない。愛しい貴女に逢えないので。

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今日のみそひと歌 水曜日

2013年11月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 水曜日

集歌2140 璞 年之經徃者 阿跡念登 夜渡吾乎 問人哉誰
訓読 あらたまし年し経ゆけばあどもふと夜渡る吾(われ)を問ふ人や誰
私訳 年の魂(き)が改まる年初が経って行くと、伴を促して夜に渡って行く私(雁)を、お前は誰か問う人は誰ですか。

集歌2141 比日之 秋朝開尓 霧隠 妻呼雄鹿之 音之亮左
訓読 このころし秋し朝明(あさけ)に霧(きり)隠(かく)り妻呼ぶ雄鹿(しか)し声しさやけさ
私訳 近頃の秋の朝明けに霧に隠れている妻を呼ぶ、雄鹿の鳴き声がはっきりと聞こえる。

集歌2142 左男牡鹿之 妻整登 鳴音之 将至極 靡芽子原
訓読 さ牡鹿(をしか)し妻ととのふと鳴く声し至らむ極(きはみ)靡(なび)け萩原(はぎはら)
私訳 角の立派な雄鹿が妻に恋の季節は整ったと鳴く声が届く限り、その鳴き声に答え靡け、萩原よ。

集歌2143 於君戀 裏觸居者 敷野之 秋芽子凌 左牡鹿鳴裳
訓読 君し恋ひうらぶれ居(を)れば敷(しき)し野(の)し秋(あき)萩(はぎ)凌(しの)ぎさ牡鹿(をしか)鳴くも
私訳 貴方に恋い焦がれて恋病んでいると、敷野の秋萩を押し分けて雄鹿が啼き呼び立てている。

集歌2144 鴈来 芽子者散跡 左小牡鹿之 鳴成音毛 裏觸丹来
訓読 雁し来し萩は散りぬとさ牡鹿(をしか)し鳴くなる声もうらぶれにけり
私訳 雁はやって来た。そして、萩は散ってしまうだろうと、角の立派な雄鹿の妻を呼ぶ鳴き声も元気がなくなった。

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今日のみそひと謌 火曜日

2013年11月26日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌1256 春霞 井上徒直尓 道者雖有 君尓将相登 他廻来毛
訓読 春(はる)霞(かすみ)井し上(へ)と直(ただ)に道はあれど君に逢はむとた廻(もとほ)り来(く)も
私訳 春霞がたなびく泉の辺へとまっすぐに歩く道はあるのだけれど、貴方に逢おうと回り道してやって来ました。

集歌1257 道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也
訓読 道し辺(へ)し草(くさ)深(ふか)百合(ゆり)の花咲(ゑみ)に咲(ゑ)みしがからに妻と云うふべしや
私訳 道のほとりの草深い中に咲く百合の花が咲くように、私が貴方に微笑みかけたからと「私の妻」と貴方は云ってしまうのですか。

集歌1258 黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来
試訓 黙然(もだ)あらじと事(こと)し慰(なぐさ)に云(い)ふ言(こと)を聞き知れらくは許しはありけり
試訳 黙っているのは良くないと私が拗ねた事の慰めに語りかける言葉を聞き貴方の気持ちが判ったら、もう、貴方を許しても良いでしょう。

集歌1259 佐伯山 于花以之 哀我子鴛取而者 花散鞆
訓読 佐伯(さへき)山(やま)卯の花持ちし愛(かな)しきが子をしとりにば花は散るとも
私訳 佐伯山の卯の花を手折り持つ愛しい貴女の手を取ることが出来たら、その手の卯の花が散ってしまったとしても良い。

集歌1260 不時 斑衣 服欲香 衣服針原 時二不有鞆
訓読 時ならぬ斑(まだら)し服(ころも)着(き)欲(ほ)しきか衣(きぬ)し榛原(はりはら)時にあらねども
私訳 その季節ではないが神を祝う斑に摺り染めた衣を着たいものです。衣を針で縫い榛の葉で摺り染める、その榛原は神を祝う時ではありませんが。

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