竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

今日のみそひと謌 火曜日

2015年03月31日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと謌 火曜日

集歌1611 足日木乃 山下響 鳴鹿之 事乏可母 吾情都末
訓読 あしひきの山下響(とよ)め鳴く鹿し事乏(とも)しかも吾が情(こころ)麗(つま)
私訳 葦や桧の茂る山の麓に声を響かせて鳴く鹿の妻を呼ぶ姿に、ふと、吾を忘れてしまうでしょう。私の愛しい貴方。

集歌1612 神佐夫等 不許者不有 秋草乃 結之紐乎 解者悲哭
訓読 神さぶと不許(いな)ぶにはあらね秋草の結びし紐を解(と)くは悲しも
私訳 神のように年老い長生きているからと断るのではありません。秋草ような歳枯れた私が結んだ衣の紐を、貴方のために解く(=抱かれる)のが恥ずかしいのです。

集歌1613 秋野乎 旦徃鹿乃 跡毛奈久 念之君尓 相有今夜香
訓読 秋し野を朝(あさ)往(い)く鹿の跡(あと)もなく念(おも)ひし君に逢へる今夜(こよひ)か
私訳 秋の野を朝に行く鹿の行方も知れないように、恋の行方も判らずに慕っていた貴方に逢えた今夜です。

集歌1614 九月之 其始鴈乃 使尓毛 念心者 可聞来奴鴨
訓読 九月(ながつき)しその初雁(はつかり)の使(つかひ)にも念(おも)ふ心は聞かも来(こ)ぬかも
私訳 九月になるとやって来る、その初雁の「故郷に戻りたいと云う便りの使い」と云う故事のような私の気持を、お察しにならないでしょうか。

集歌1615 大乃浦之 其長濱尓 縁流浪 寛公乎 念此日
訓読 大(おほ)の浦しその長浜に寄する浪寛(ゆた)けく公を念(おも)ふこの日
私訳 大の浦のその長浜に寄せ来る浪がゆったりとしているように、広い心を持つ貴方を尊敬した今日です。

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今日のみそひと歌 月曜日

2015年03月30日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 月曜日

集歌719 大夫跡 念流吾乎 如此許 三礼二見津礼 片思男責
訓読 大夫(ますらを)と念(おも)へる吾をかくばかりみつれに見つれ片思(かたおもひ)をせむ
私訳 立派な男子と思っているこの私を、このように詰まらない者と見るのなら見ろ。貴女に苦しい片思いをしよう。

集歌720 村肝之 情揣而 如此許 余戀良久乎 不知香安類良武
試訓 村肝(むらきも)し情(こころ)くはしに如(かく)ばかり余(あ)が恋ふらくを知らずかあるらむ
試訳 五臓六腑の思いも砕けて、恋い慕う気持ちを隠すからか、このように私が貴女を恋焦がれる気持ちを貴女は知らないでいるのでしょう。

集歌721 足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名
訓読 あしひきの山にし居(を)れば風流(みやび)なみ吾がする業(わざ)を害(とが)めたまふな
私訳 足を引くような険しい山里に住んでいますので、無風流な私がする(和歌を贈るという)仕業をお咎めにならないで。

集歌722 如是許 戀乍不有者 石木二毛 成益物乎 物不思四手
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは石木(いはき)にも成らましものを物思はずして
私訳 これほどに恋い慕い続けないでいるには石や木にでも成れるものならなりたい。石や木は恋い慕うこともない。

集歌724 朝髪之 念乱而 如是許 名姉之戀曽 夢尓所見家留
訓読 朝髪し念(おも)ひ乱れに如(かく)ばかり汝(な)姉(ね)し恋ふれぞ夢にそ見ける
私訳 朝に髪が乱れるように思いは乱れて、このようにお姉さんの貴女が恋しがっているから、私の夢の中に見えたのでしょう。

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万葉集 長歌を鑑賞する 集歌322

2015年03月29日 | 万葉集 長歌を楽しむ
万葉集 長歌を鑑賞する 集歌322

山部宿祢赤人至伊豫温泉作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の伊豫の温泉(ゆ)の至りて作れる謌一首并せて短謌
集歌322 皇神祖之 神乃御言 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極是凝 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 謌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處

<標準的な解釈(「萬葉集 釋注」伊藤博、集英社文庫)>
訓読 すめろぎの 神の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯(ゆ)はしも さわにあれども 島山の 宣(よろ)しき国と こごしかも 伊予(いよ)の高嶺(たかね)の 射狭庭(いさには)の 岡に立たして 謌(うた)思(おも)ひ 辞(こと)思(おも)ほしし み湯(ゆ)の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代(よ)に 神さびゆかむ 幸(いでま)しところ

意訳 代々の天皇がお治めになっている国のどこにでも、温泉はたくさんあるけれども、その中でも島も山も足り整った国として険しく聳え立つ伊予の高嶺、その嶺に続く射狭庭の岡に立たれて、歌の想いを練り詞を案じられた貴い出で湯の上を覆う林を見ると、臣の木も絶えないで生い茂っている。鳴く鳥の声も変わっていない。遠い末の世まで、これからもますます神々しくなってゆくことであろう、この行幸の跡所は。

<西本願寺本万葉集の原文を忠実に訓むときの解釈>
訓読 皇神祖(すめろぎ)し 神の命(みこと)し 敷きませる 国しことごと 湯(ゆ)はしも 多(さわ)にあれども 島山し 宣(よろ)しき国と 極(きは)みこぎ 伊予(いよ)の高嶺(たかね)の 射狭庭(いさには)の 岡に立ちて 謌(うた)思(しの)ひ 辞(こと)思(しの)ひせし み湯(ゆ)し上(へ)の 樹群(こむら)を見れば 臣(おみ)し木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥し 声も変らず 遠き代(よ)に 神さびゆかむ 行幸(いでまし)処(ところ)

私訳 天皇の皇祖である神が宣言なされた、神に継ながる天皇が治めなさる大和の国中に温泉はたくさんあるけれど、島山の立派な国とここにかき集めたような伊予の高き嶺の、神を祭る射狭庭の岡に立って、昔に詠われた謌を懐かしみ、述べられた詞を懐かしむと、温泉の上に差し掛ける樹群を見ると樅の木も育ちその世代を継ぎ、鳴く鳥も昔も今も声は変わらない。遠い時代に天皇が神として御出でになられた、御幸された場所です。

 原文の「謌思」を、一般には「敲思」と改訂して「うち思ひ」と訓む例があります。ここは原文のままです。

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万葉雑記 色眼鏡 百十一 薦(こも)の歌を鑑賞する

2015年03月28日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百十一 薦(こも)の歌を鑑賞する

 今回は薦の歌を鑑賞しようと思います。この薦は現在の真薦(マコモ)と称される水辺に育つイネ科の在来植物で古代の生活に密着した植物でもあります。それを窺わせるように『万葉集』にはその薦(菰、コモ)と云う植物を取り上げる歌、およそ二十五首という多数の歌が詠われています。その中でも有名なところでは柿本人麻呂が詠う次の歌でしょうか。

集歌256 飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船
訓読 飼飯(けひ)の海(み)の庭好くあらし刈薦の乱れ出づそ見ゆ海人し釣船
私訳 飼飯の海の海域は波穏やかです。刈った薦を干しているかのように散り散りになって海人が出漁しているのを見た。その海人の釣船よ。

 また、『古事記』の中でも允恭天皇紀に皇太子木梨之軽王と同母妹軽大郎女(衣通郎女)との恋愛譚の中でこの「薦」が詠われています。

佐佐波尓 笹葉に
宇都夜阿良禮能 多志陀志尓 打つや霰の たしだしに
韋泥弖牟能知波 比登波加由登母 率寝てむ後は 人は離(か)ゆとも
宇流波斯登 佐泥斯佐泥弖婆 愛(うるは)しと さ寝しさ寝てば
加理許母能 美陀禮婆美陀禮 苅り薦の 乱れば乱れ
佐泥斯佐泥弖婆 さ寝しさ寝てば

 紹介した二つの歌で詠われる「苅薦」と云う言葉は、古くは初夏に成長した薦(=現在のマコモ)を刈り取り、その薦を乾燥さすために地面にバラバラに広げた様を示すものです。ここから「苅薦」と云う言葉で「乱れた様」を比喩しているのです。
 この苅薦から先の状況を詠う歌が千載和歌集にあります。地面に広げて干している薦の葉ですが、その時期が梅雨時でもありますから長雨に遭えば葉は乾燥する前に腐ってしまいます。歌はその状況を詠います。当然、平仮名和歌ですから表より裏の意味の方が重要です。

千載和歌集 夏 歌番号184
崇徳院に百首歌たてまつりける時、よめる 清輔(藤原清輔朝臣)
和歌 時しもあれ みすのみこもを かりあけて ほさてくたしつ 五月雨のそら
表訳 こんな時期に水辺の、眺めた水薦をすっかり刈ってしまって、それを干すことなく腐らせてしまった。五月雨の空模様ですね。
裏訳 こんな季節だからでしょうか、御殿に下がる御簾(みす)の御薦(みこも)を巻き上げて景色を眺めたいと云う気持ちは萎えてしまいますね。そのような五月雨の空模様です。

 このように和歌でも多く取り上げられる在来植物である薦ですが、その薦の用途としては十分に乾燥した薦の葉は編んでムシロ、円座、枕等を作っていましたから、到来植物である稲作が普及し十分に稲藁が生産・利用されるまでは重要な植物でした。また、若芽はマコモタケと云う名前が与えられるようにタケノコのような食感を持つ野菜であり、時に実は薦米とも称される穀物でした。米国などでインディアンライスと称される穀物とはこの薦米のことを示します。
 補足情報として、江戸期でもこの薦は救荒植物と認識されており、稲作等が不作な年には命を繋ぐ植物とされていますし、マコモタケは乾燥させればタケノコと同様に保存食にもなるものです。このように古代では重要な伝統植物であったためか、薦を祀る神社が存在し、また神事では“しめ縄”の原料や神聖な通路に敷くなど重要な役割を果します。

 さて、少し長い前置きをしました。
 今回は薦に関する歌でも特に巻二に載る次の集歌96から集歌100の歌五首を鑑賞したいと思います。実はこの歌は現在では薦を詠う歌として認定されていますが、江戸中期ごろから昭和中期ごろまで、薦を詠う歌とは考えられていませんでした。そして現在でもなお地域によっては薦の歌とは認めがたいとの議論がある歌なのです。
 そのような曰く因縁のある歌です。

久米禅師、娉石川郎女時謌五首
標訓 久米禅師の、石川郎女を娉(よば)ひし時の歌五首
集歌96 水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人作備而 不欲常将言可聞  (禅師)
訓読 御薦(みこも)刈り信濃(しなの)の真弓(まゆみ)吾が引かば貴人(うまひと)さびに否(いな)と言はむかも
私訳 あの木梨の軽太子が御薦(軽大郎女)を刈られたように、信濃の真弓を引くように私が貴女の手を取り、強く体を引き寄せても、お嬢様に相応しいその態度で「だめよ」といわれますか。

集歌97 三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強作留行事乎 知跡言莫君二  (郎女)
訓読 御薦(みこも)刈り信濃(しなの)の真弓(まゆみ)引かずせに強(し)ひさる行事(わさ)を知ると言はなくに
私訳 あの木梨の軽太子は御薦(軽大郎女)を刈られたが、貴方は強弓の信濃の真弓を引きはしないように、無理やりに私を引き寄せて何かを為されてもいませんのに、貴方が無理やりに私になされたいことを、私は貴方がしたいことを知っているとは云へないでしょう。

集歌98 梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨  (郎女)
訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)引かばまにまに依(よ)らめども後(のち)し心を知りかてぬかも
私訳 梓巫女が梓弓を引くによって神依せしたとしても、貴方が私を抱いた後の真実を私は確かめるができないでしょうよ。

集歌99 梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引  (禅師)
訓読 梓(あずさ)弓(ゆみ)弦(つら)緒(を)取りはけ引く人は後(のち)し心を知る人ぞ引く
私訳 梓弓に弦を付け弾き鳴らして神を引き寄せる梓巫女は、貴女を抱いた後の私の真実を知る巫女だから神の梓弓を引いて神託(私の真実)を告げるのです。

集歌100 東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問  (禅師)
訓読 東人(あずまひと)し荷前(のさき)し篋(はこ)の荷し緒にも妹し心に乗りにけるかも
私訳 貴女の気を引く信濃の真弓だけでなく、さらに、それを納める東人の運んできた荷物の入った箱を縛る荷紐の緒までに、貴女への想いで私の心に乗り被さってしまったようです。

 紹介しました歌群は、歌をそのままに鑑賞しますと藤原京の宮中サロンあたりで詠われた相聞和歌であると理解されるでしょう。
 ただし、人によっては「信濃乃真弓」と云う句から信州の情景を織り込んだ歌とします。

<第92回信濃:みこもかる 林檎 実り(ブログ「みやと探す・作品に書きたい四季の詞」)より引用>
この二首に見える「みこもかる(水薦刈る)」は信濃にかかる枕詞(まくらことば)です。信州は湖沼が多く、水辺の植物である薦(こも)の生えている所が多いところから来るとされます。いかにも枕詞、古代の修辞らしい素朴な趣です。今日知られている、同じく信濃にかかる枕詞「みすずかる(みすず刈る)」は、「万葉集」の古注釈において、この「みこもかる(水薦刈る)」を誤読したところから始まったとされ、古い歌には例がありません。
とはいえ、これも亨保年間(1716〜1735)の注釈書「万葉集童蒙抄」(荷田春麿・荷田信名)などにはもう見られる言葉ですから、すでに三百年あまりの歴史を負う言葉です。今日信州には「みすず」という言葉が学校や各種施設、商品名などに数多く見られます。「みすず」という地名もあるようですが、この枕詞を意識したとものと思われます。

 この江戸時代人の誤読と云うところを、少し、探りますと、次のような丁寧な解説に出合います。

<信州人の怨念(ブログ「ストームグラム」より引用)>
詩歌に限らず、多くの人から好ましく思われている語があります。例えば、長野県の人にとって、「みすずかる」ということばはうるわしき郷土と切り離して考えることができません。「みすず」「すずかり」を付した名前は商品・土産物や会社名・施設名からバスの路線名まで、数知れずといった状態です。もとをただせば、『万葉集』巻二の久米禅師と石川郎女(いらつめ)との贈答歌の初めの二首に「水薦刈(三薦刈)信濃乃真弓」とある「水薦刈」「三薦刈」を「みすずかる」と読んで、信濃」にかかる枕詞としたものです。
「みすずかる」と読んだのは江戸時代の国学者でしたが、なかでも賀茂真淵は「薦」は「篶(す)・細い竹」の字を誤ったものとして、「みすずかる」と読む説を補強しました。しかし、現代の万葉集研究では、「水薦刈」は「みこもかる」と読むべきだとして、『万葉集』には「みすずかる」ということばはなかった、江戸の国学者たちの誤読だったという見解でほぼ決着しています。

 引用しました解説文に従いますとみなさんにある疑問が生じると思います。
 では、集歌96の歌で詠われる「水薦苅(みこもかる)」と云う言葉が「信濃」と云う言葉を導き出す枕詞でないのなら、どう云う意味合いで句頭に置かれたのかと云う問題です。およそ、この問題があったからか、賀茂真淵たちは「寛永版万葉集(寛永二十年、1643)」などが誤記をしたのであろうと考え、「水薦刈」を「水篶刈」と表記を変え解釈したのではないでしょうか。「みすずかる」ですと、信濃特有のある植物“みすず”を刈り採ると云うことで立派に「信濃」を形容する言葉になります。そして、この誤記説採用は現在の万葉集専門家がする鑑賞・研究手法と同等ですから、可能性として認められるものではないでしょうか。
 ただし、『古事記』に載る皇太子木梨之軽王と同母妹軽大郎女との恋愛譚と記紀歌謡を知っていますと、「水薦苅(みこもかる)」は「宇真人作備而(貴人さびに)」に関係する言葉であることが推定されます。藤原京から奈良時代初期に『古事記』と『日本書紀』とが整備されていますから、当時の貴族たちとしては国家が定めた知るべき大和の歴史です。皇太子木梨之軽王と同母妹軽大郎女との恋愛譚は知らないはずはないということで、歌の導引部にその恋愛譚の歌句を引用したと思われます。ある種、源氏物語引歌研究と共通します。『古事記』に載る歌謡の歌句を引用することで集歌96の歌に禁断な恋と云う世界を想像させているのです。この場合、逆に「信濃乃真弓」と云う句は強弓(こわゆみ)で有名な信濃の真弓と云う意味合いから「吾引者(あがひかば)」を形容する言葉であることが直ちに認識されます。相手の気持ちに合わせてそっと手を引くのではなく、己が想いで強引に女性の手を引くと云う形容なのです。従いまして歌には「信濃特産の強弓である真弓」と云う品物はありますが、信濃国と云うものは無いのです。
 また、集歌96から集歌100までの歌群はある程度の年配の男とそこそこの身分を持つ氏族のお嬢様との技巧を凝らした恋愛相聞問答ですから、歌の背景に“色”がなくてはいけません。それに皇太子木梨之軽王も久米禅師も伝説では恋多き男で、その恋愛で失敗したことになっています。歌にはそれが重要ですが、さてはて、賀茂真淵たちはそこまで理解していたでしょうか。
 すると順番として、集歌97の歌の「三薦苅」と云う句は何を形容するのかという苦情が出されるでしょう。しかしながら、この「三薦苅」の句は何も形容しません。歌垣での歌のような、相手の詠う歌の言葉を盗った尻取り歌的な表現方法であって、意味を特段には持たしていません。そのため、表記では「水薦苅」から「三薦苅」へ変化を持たすだけです。ただし、「信濃乃真弓」は「強作留行事乎」と呼応していますし、末句の「知跡言莫君二」は選字の工夫があります。口唱と書記とでは意味合いが変わるような技があります。
 前半部二首の歌の情景をご理解頂ければ、後半三首は私訳が示す通りです。ただ、初二首の弓は武器である強弓の真弓ですが、後半二首の梓弓は神事・神託で使う神具です。武器ではありません。ここにも歌群としての言葉遊びがありますし、恋愛の進展と抱かれる前に男が示す愛情の真実性証明と云うお約束があります。
 このように鑑賞しますと、この五首で成る歌群は歌で物語を紡ぐようなものであることが判ります。ですから、この歌群に漢文で説明文を挿入すれば巻二に載る大伴田主と石川女郎との相聞問答歌群集歌126から集歌128までのものと同等なるのではないでしょうか。この視点からしますと、個人としてはこれが日本最初期の相聞問答歌から歌物語へ発展する時の起点となるようなものではないかと考えています。

 楽しんでいただけたでしょうか。『万葉集』の原文を尊重する云う立場ですと「西本願寺本」を底本としますから初二首では「水薦苅」と「三薦苅」との表記でなければいけません。しかし、万葉集歌の鑑賞や研究と云う立場ですと「寛永版万葉集」を底本とする「校本万葉集」をテキストとするのが伝統ですから賀茂真淵たちの解釈「みすずかる」の影響が残り初二首の「みこもかる」の言葉に枕詞の幻影を求め信濃国の情景を見るようです。矛盾はありますし科学的ではありませんが、それが伝統ですし国文学なのでしょう。やはり、歌を歌として鑑賞することは、ちょっと、難しいことです。
 なお、江戸中期以降に定着した「みすずかる信濃」と云う言葉は『万葉集』を離れれば、立派な近世・現代語での枕詞です。しかしながら、そのような近代造語は弊ブログが扱う範疇ではありません。従いまして、「みすず」とは何かと問われても答えはありません。


 おまけで、紹介した歌群の標に「久米禅師、娉石川郎女時謌五首」とあります。以前に弊ブログで解説しましたが、漢字の世界では「娉」は「聘」の正字ですから、高貴な身分の人に対して「聘」に替えて使う言葉です。『万葉集』の研究では「郎女」はおおむね三位以上の公卿の娘に与えられる高貴な敬称であることが判明しています。また、奈良時代での「禅師」とは本来の漢字の意味(除く+師)に即した僧侶の立場を示し、天皇家の内道場への参内を許された“病を取り除く”、“災いを取り除く”ことを職務とした医学僧(看病禅師)や加持祈祷僧を意味します。転じて朝廷から認められた高徳な僧侶と云うことになります。奈良時代の禅師は後年の“禅宗の導師”ではありません。従いまして、明確に標題が示すように歌群は高徳の久米禅師から高貴な石川郎女へと贈ったご機嫌伺いの歌と云うものであって、標題から二人の間での男女の恋愛関係を明らかにすることは出来ません。およそ、昭和時代の解釈のような「娉う」は「夜這う」や「呼ばう」ではありません。
 藤原京時代から平安時代中期頃まで、和歌歌人は一方で律令体制での実務官僚でした。つまり、彼らは日常、漢文での一字一句の意味を慎重に吟味し文章内容を判断するのが職務です。ところが明治期から昭和中期までの激務をこなした古典研究者方々にはそのような漢文での一字一句が持つ意味を慎重に吟味することは時間的な余裕はなかったと思います。大学などの古典文学研究者が大変にお忙しいことを理解いたしますが、ただ、表記された文字の意味が正確に理解されず、そして本来の『万葉集』の鑑賞が出来ないということについては実に残念なことです。そして、勿体ないことです。

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今日のみそひと歌 金曜日

2015年03月27日 | 万葉 みそひと謌
今日のみそひと歌 金曜日

集歌4313 安乎奈美尓 蘇弖佐閇奴礼弖 許具布祢乃 可之布流保刀尓 左欲布氣奈武可
訓読 青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟の梶(かし)振るほとにさ夜更けなむか
私訳 青波に袖まで濡れて漕ぐ舟の梶棹を振る間に、夜は更けていくのでしょうか。

集歌4314 八千種尓 久佐奇乎宇恵弖 等伎其等尓 佐加牟波奈乎之 見都追思怒波奈
訓読 八千種(やちくさ)に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつ偲はな
私訳 いろいろに草木を植えて、季節ごとに咲くでしょう花を眺めながら風流を楽しみましょう。

集歌4315 宮人乃 蘇泥都氣其呂母 安伎波疑尓 仁保比与呂之伎 多加麻刀能美夜
訓読 宮人の袖付け衣秋萩に色付(にほひ)よろしき高円(たかまど)の宮
私訳 美しい宮人の袖の長い衣が、秋萩の花と競って艶やかな高円の宮殿よ。

集歌4316 多可麻刀能 宮乃須蘇未乃 努都可佐尓 伊麻左家流良武 乎美奈弊之波母
訓読 高円(たかまと)の宮の裾廻(すそみ)の野づかさに今咲けるらむ女郎花(をみなえし)はも
私訳 高円の宮殿のまわりの、野の小高い丘に、今、咲いているでしょう女郎花よ。

集歌4317 秋野尓波 伊麻己曽由可米 母能乃布能 乎等古乎美奈能 波奈尓保比見尓
訓読 秋野には今こそ行かめ物部(もののふ)の男女(をとこをみな)の花色付(にほひ)見に
私訳 秋の野には、今こそ、行きましょう。大宮に仕える男も女もそろって、花が咲き誇る姿を眺めに。

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